高森 明(東京大学先端科学技術研究センター社会包摂システム分野ユーザーリサーチャー)
制約を課されたASD当事者の語り ―高森明が経験した当事者講演における解釈的不正義―
報告要旨
発達障害当事者研究が始まる以前の日本のASD当事者にとって、解釈的不正義はどのような経験であり、当時のASD支援における専門家はいかなる動機から不正義を犯すことになったのだろうか。本報告においてはASD当事者である高森明が2000年代半ばにある当事者講演で経験した解釈不正義と感じられたエピソードを、オートエスノグラフィーの手法により、当事者の視点からその背景を記述・分析して、専門家側の動機を考察する。
報告原稿
1.問い
発達障害当事者研究が始まる以前の日本のASD当事者にとって、解釈的不正義は①どのような経験であり、②解釈を行った専門家にはいかなる動機があったのか。
2.目的
高森明(障害学を学ぶASD当事者)が2000年代半ばにある当事者講演で経験した解釈的不正義と感じられたエピソードについて、一当事者の視点からその経験と背景を記述・分析し、専門家側の動機を考察する。
3.研究背景
ChapmanとCarelがASD当事者は認識的不正義(証言的/解釈的不正義)の下に置かれていると問題提起を行って以来、ニューロダイバーシティ運動においてFrickerの解釈的不正義という概念が広く普及した(Chapman & Carel 2022:614-617, Fricker 2007=2023:206)。しかし、日本のASD当事者が経験した解釈的不正義の実例およびその背景については経験的データに基づく事例研究が欠落しており、空白を埋める研究が必要とされる。
4.視座
米国の定型発達コミュニティにおける(1)当事者の声の軽視、(2)シンボルとしての利用、(3)家族の希望に沿わない発言への一方的な解釈・排除によるASDコミュニティとの衝突に注目したBagatellの視座を参照しつつ、エピソードに登場する海外の専門家が抱えていた背景に注目した(Bagatell 2010)。
5.方法
オートエスノグラフィーに基づく複数のアーカイブ(高森の当事者団体MLへの投稿、市販の手記、研究計画立案前の回想録、当時読んだASDの概説書・制度資料)の多層的分析を行った。また、他の研究プロジェクトメンバーが高森のML投稿の一部と回想録を熟読した上で、高森への非構造化面接の聞き取りを実施し、より詳細な背景を確認した。
6.倫理的配慮
本研究は東京大学倫理審査専門委員会の承認を得た。(25-131)
7.事例の記述
高森は当時運営に関わっていたASD支援団体から依頼され、日本で開催された米国の著名なASD支援プログラムのシンポジウムに出講した。シンポジウムの主な聴衆は日本で同支援プログラムを推進する専門家・支援従事者・当事者家族らであった。高森は話題提供の中で当事者講演がサクセスストーリーの垂れ流しになることへの懸念を表明した。シンポジウムの最後に米国から来日した同支援プログラムの統括責任者2名による総括の時間が設けられており、聴衆との間で質疑応答が行われた。質疑の際に、司会者(シンポジウム後援団体の関係者)が高森ら当事者による話題提供の聴講者からの「当事者の発言はどこまで事実として受け止めてよいのですか?」という質問を読み上げ、全体に周知した。質問を受けた統括責任者の一人は「自閉症の人は事実を正しく伝えられるが、本人の解釈には注意が必要だ。」と回答した。(当事者会MLの投稿・回想録・インタビューにより構成)。
8.背景の分析
2000年代以降、日本のASD支援コミュニティは当事者支援推進のための積極的にロビー活動に取り組み、当事者家族のみならずASD当事者の語りが必要とされた。しかし、90年代に先行して同様の事態を経験した英米圏では、語り手となったASD当事者が既存の精神医学・認知心理学によるASDに関する解釈資源の説明とは合致しない話題提供をすることがあり、支援の専門家は、既存の解釈資源を維持し、当事者の発言には認知特性的な限界があるとの説明を行った(Happé 1991=1996:361-362)。事例に登場した統括責任者も、日本で同様の対処を行ったと考えられる。(手記、回想録、当時読んだ概説書により構成)
9.考察
回答した支援プログラムの統括責任者は日本の支援コミュニティが抱えていた事情を把握していた訳ではなく、当事者の語りの過度な一般化を戒めるために、「認知の偏り」説を利用したと考えられる。しかし、「認知の偏り」説がシンポジウム・講習を通じて支援コミュニティに構造的に広められることにより、支援コミュニティにおけるASD当事者の語りに意図せざる信頼性の引き下げが生じた可能性が指摘できる。
10.本研究の達成と限界
ASDに関する別様の解釈資源の産出をする前に、ASD当事者の解釈的不正義の実際と背景がどのようであったかを明らかにする事例研究に先鞭をつけたことに、本研究の独創性がある。しかし、専門家による「認知の偏り」説に基づく解釈資源が支援従事者・当事者家族の当事者の語りの聞き方、あるいは当事者に対する関わり方にどのような影響を与えたのかについては、さらなる調査が必要とされる。
参考文献
Bagatell, Nancy,2010, “From Cure to Community: Transfoming Notions of Autism.” ,Ethos,38(1):33-55.
Chapman, Robert, & Carel, Havi, 2022, “Neurodiversity, epistemic injustice, and the good human life”, Journal of Social philosophy,53(4):614-631.
Fricker,Milanda,2007, Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing, Oxford: Oxford University Press. (佐藤邦政監訳・飯塚理恵訳,2022,『認識的不正義:権力は知ることの権利にどうかかわるのか』勁草書房.)
Happé, Francesca G. E.,1991, “The autobiographical writings of three Asperger syndrome adults: problems of interpretation and implications for theory”, Frith, Uta (ed.), Autism and Asperger Syndrome, Cambridge: Cambridge University Press:207-242. (冨田真紀訳, 1996,『自閉症とアスペルガー症候群』,東京書籍に所収.)
高森明,2012,「当事者の語りの作られ方――〈当時者役割〉が圧殺するもの」,『支援』,