鈴木泉喜(名古屋大学大学院人文学研究科)
苦悩と「生きづらさ」の文化人類学:成人発達障害者のまなざしから
報告要旨
本研究は、「他者の世界を真剣に受け取る」という文化人類学の立場から、成人発達障害者が語る「生きづらさ」の諸相に着目し、従来的な「特性」では捉えきれない固有の秩序や価値体系として理解することを試みた。発表者は当事者会でのフィールド調査から、当事者集団に内在する世界観や自己理解の様式を記述・分析した。その結果、当事者間で共有される独自の優劣観や秩序、他者理解、定型発達者との分断された関係性が解明された。これは学習や就労における配慮や支援など、共生社会を創成する上の課題を見出すための新たな視座を提供する。
報告原稿
本研究は、現代日本の成人発達障害者が経験する「生きづらさ」を文化人類学の視点から分析し、彼らが形成する独自の秩序や当事者像を明らかにする。従来の発達障害研究は医学・福祉・教育に依拠し、当事者を「支援対象」として客体化する傾向が強く、当事者自身の語りや社会観、自己理解といった主体性への注目は乏しかった。そこで本研究では、発達障害者が自身の苦悩をどう理解し、定型発達者(以下“定型者”)との関係の中でどのような認識枠組みや秩序を築いているか、その語りが障害観に与える影響を考察する。
調査方法
本調査は2023年から2024年にかけて、名古屋市内の2つの成人発達障害者の当事者会(以下、XおよびY)を対象にフィールド調査を実施した。Xは定型者主体の社会を生き抜くための「作戦会議」をコンセプトとし、Yは自由な語りを中心としたオープンな交流の場である。発表者は一参加者として継続的に会合へ参与し、当事者が「生きづらさ」や障害特性の言語化や、定型者との関係の捉え方を観察・記録した。
なお調査に際しては、名古屋大学大学院人文学研究科が定める『人を対象とする調査に関する倫理ガイドライン』に基づき、以下の倫理的配慮を行った。調査協力者には調査の目的・方法・成果の公表予定を丁寧に説明し、口頭による同意を得た。また記録・分析にあたっては匿名性の確保に努めている。参与観察という手法の性質上、自然な会話の流れの中で得られた発言についても、関係性の構築と信頼性を重視し、調査者による一方的な解釈や不利益な利用を避けるよう慎重に扱っている。
当事者像と「逆」障害ヒエラルキー
当事者たちは自らを「発達障害者」として認識する過程で、医療や行政の定義を踏まえつつ、当事者会内部で独自の「発達障害『らしさ』」や「困難経験」による階層が形成していた。症状や苦悩の深刻さを語れる者がコミュニティ内で発言力をもち、「重症者」が中心的役割を担う一方、「軽度」「未診断」の人々は周縁化される傾向があった。この現象は従来の障害ヒエラルキー(障害者を社会の下層に位置づける構造;マーフィー 1992)を逆転させた「『逆』障害ヒエラルキー」とも見なすことができる。
「生きづらさ」とは何か
多くの参加者は、職場等でのマルチタスクや対人関係において困難を抱き、心身の不調や退職、休職などを経験していた。これらの困難を彼らは「生きづらさ」として語り、当事者間ではこの語が共通言語のように流通していた。発表者はこの「生きづらさ」を、医学的に定義される症状ではなく、複数の困難や感情を社会的に伝えるための文化的な表現、すなわち「苦悩のイディオム(idiom of distress)」(Nichter 2010)として位置づける。これは個人の内面的な「感覚」を共有可能な表現に変換する概念であり、必ずしも苦悩そのものを意味するものではない。また、それを保持することで定型社会との差異を表明する標語として機能しており、当事者のアイデンティティ形成にも寄与すると考えられる。
発達障害者と通過儀礼
成人発達障害者の「生きづらさ」や社会的排除を通過儀礼の枠組みから捉える。現代日本においては、進学・就労・自立といった段階が「社会的通過儀礼」として機能しており、発達障害者はその過程で適応困難や挫折を経験することで「社会的未完の存在」として位置づけられやすい。こうした宙づりの状態は、ターナー(1979)のいう「リミナリティ」の概念とも接続し、発達障害の社会的構造としての側面を可視化する枠組みとなる。
定型者との関係と共生の模索
当事者たちは「定型者=マジョリティ」「自分たち=マイノリティ」という認識を持ちながらも、社会との断絶ではなく、自己理解を深めつつ他者に伝わる語り方や感情のコントロールといった工夫を模索していた。ある会では適応戦略、別の会では相互理解の形成が重視されていたが、共通して「自らの『生きづらさ』を社会に伝える必要性」が認識されていた点が注目される。当事者たちは診断名によって定型者と自己を区別するが、定型者を社会的スタンダードと見なさず、彼らの視点を模倣しながら協働の方法を構想している。こうした語りは、発達障害を医療的なケアの対象としてのみ捉えるのではなく、当事者と定型者との間にある相互作用的な関係性として理解する視座を示唆している。
結論
本研究は成人発達障害者が単なる社会的弱者ではなく、自己理解と他者との関係性の中で独自の障害観・秩序を構築する主体的な存在であることを示す。「『逆』障害ヒエラルキー」や「苦悩のイディオム」などの概念を通じて当事者が社会の中で主体的に語り、位置づけを獲得する動態が明らかとなった。今後は、当事者の語りが社会全体の障害理解や支援制度にどう接続され得るかを問う、さらなる研究が求められる。
参考文献
鈴木泉喜
2025「成人発達障害者コミュニティにおける秩序と『生きづらさ』」『年報人類学研究』第16号 pp. 143-155。
ターナー、ヴィクター
1979『儀礼の過程』冨倉光雄(訳)、思索社。
マーフィー、ロバート