自由報告1-2

石田智哉(立教大学)
障害者と真に「共生」すること――映画『夜明け前の子どもたち』のアプローチに着目して
報告要旨

本報告では障害児の療育(医療と教育)活動を記録した映画『夜明け前の子どもたち』(監督: 柳澤壽男 1968年)を例に「共生」を検討する。従来障害者を被写体とした映像作品は被写体を客観的に観察、説明し「他者尊重」の重要性を説くものが占めている。本作は障害児と施設スタッフの共同作業を反省的に語る映像表現をもって障害者理解に止まらぬ描き方がされており、こうした複雑な「相互作用」が真の「共生」のあり方だと主張する。

報告原稿

本報告ではドキュメンタリー映画『夜明け前の子どもたち』(監督: 柳澤壽男 1968年)を例に「共生」について検討する。

周知される障害者を描いた映像作品はしばしば「障害者=被支援者、非障害者=支援者」の関係に留まっているとされる。まず障害者の疾患名や疾患による生活上の困難が説明される。次いである分野の専門家が現れ障害者と交流し、精力的に活動や挑戦をする姿へ続く。日々を知る非障害者(多くの場合家族)がその障害者の「変化」に驚き、周囲の支援が「共生」社会の実現への寄与することをメッセージとする。こうした映像作品は障害者と非障害者の関係を描く点で一定の役割を果たしているが、本報告ではこの関係をより深い次元でとらえたドキュメンタリー映画として『夜明け前の子どもたち』を取り上げたい。

『夜明け前の子どもたち』は重症心身障害児の療育(すなわち医療教育)活動を記録したものだ。監督の柳澤壽男は多くの記録映画を手がけた後、フリーに転身し複数の「地域福祉」を主題としたドキュメンタリー映画を自主製作した映像作家だ。映画の舞台は〈障害をうけている子どもたちから、発達する権利を奪ってはならない。どんなにわからないことが多くても、どんなに歩みが遅くても、社会がこの権利を保障しなければならない〉との理念を掲げる施設「びわこ学園」である。作品序盤は施設の背景が長期観察、施設スタッフへの音声インタビュー、初めて障害児に接する中での映画スタッフの思いをも組み込まれたナレーションを通して描かれる。中盤には障害児と非障害者の「共同作業」が、終盤は記録映像を施設スタッフが見返し施設運営の問題点を議論する様子が描かれる。

本報告では「共同作業」のシーンに着目したい。「共同作業」とは障害児と施設スタッフ、映画制作スタッフが療育施設内のプール建設に向けた一作業、「石運び学習」を指す。該当シーンでは医師の田中昌人が「『石運び学習』の個々の様子を反省的に語る」スタイルが採られる。前述したように障害者との共同シーンではしばしば障害者の「できたこと」が強調される。すなわち障害者が特別な出来事を体験することでの新たな変化を期待した描き方が占める。しかし『夜明け前の子どもたち』は施設スタッフ間による議論、施設スタッフの気づきをナレーションや語りを用いて、「共同作業」の参加までの「プロセス」を丁寧に見せることで「個の変化」を強調しない構成をとる。

たとえば、耳がきこえず、ひもをほどいたらどこへ行くかわからず危険との理由から、療育施設でしばしばヒモでしばられている男児、なべちゃんの参加は次のように描かれる。彼の背景や特徴は前半部分で説明される。その上で映画は彼が「石運び学習」に参加するにあたっての施設スタッフの議論から始まる。ある看護師は日常生活での工夫を置いて外での活動のみに重きを置く考えが、人手不足という施設の実態を踏まえていないのではないかと問うた上で次のように述べる。〈あのなべをくくるとしたら、一本のヒモに充分動きがとれるように、一本のひもに二人とか、三人とか、こうくっつけているんですけど、そしてその間におもちゃを置いたりして、そしてそのおもちゃを取ったり取られたり、あるいはのぞきこんだりすることによって人間関係というものが作られていくことができる〉と。ひものくくり方を変えるとの日常生活の変化から始め、次いで「石運び学習」に臨むとの「プロセス」をとることは、「石運び学習」という特別な出来事で障害者の「できたこと」が際立たせる見せ方に終始させないものとしている。田中はひものくくり方を変えるとの看護師の工夫を知った後になべちゃんと接する中で、いつもと異なる位置関係でパンツの着衣を促したときの変化を語るなど、施設スタッフの見方の変化が並列して描かれる。こうして療育施設内での試みを経て、なべちゃんは「石運び学習」に参加する。なべちゃんは施設スタッフが容器の中に入れた石をこぼす、入れてはこぼすことを繰り返し、プール建設のための石運び作業としては一見、目的を達しているとは言い難い。しかし田中はなべちゃんの働きかけについてある先生が「石運びをしない石運び学習」と名づけていたと紹介し、〈石運びというのは、とにかく石を運ばなきゃならないんだという見方しかできなかった私たちに、石を捨てて行く、そうゆうふうな石運びをしていって、人間関係を運んだというなべちゃんは、私たちにこの縛られた関係を解き放して行くということが、どうゆうことなのか、問題を投げかけてくれ〉たと語る。

このように『夜明け前の子どもたち』では「共同作業」の参加までの「プロセス」が丁寧に描かれることで「個(障害者)の変化」が過度に強調されず、むしろ非障害者の視点の変化に焦点が当てられる。こうして安易な障害者理解にとどまらぬ、複雑な「相互作用」がとらえられ、個々の身体は「違う」との「他者尊重」の先をゆく形で真の「共生」の在り方が模索されている。

*「」は執筆者の強調、〈〉は映画の台詞を指す。