自己紹介
みなさんこんにちは。綾屋紗月と申します。本日は、日本の自閉の人々および発達障害者の当事者研究の実践についてお話します。私は自閉症の診断がある研究者で、当事者研究を研究しています。 近年は自閉の人々の人権擁護や、さまざまなマイノリティとアカデミアの共同研究のための課題についても取り組んでいます。
障害の社会モデルで自閉症を捉え直す
私が行ってきた研究では、障害の社会モデルという観点を大切にしてきました。1970年代のイギリスで誕生したこの考え方では、障害を治療すべき個人的な異常とは考えず、多数派向けにデザインされた社会環境と少数派との間に生じるミスマッチと捉えます。
現在の自閉症の診断基準には、「社会的コミュニケーション障害」が自閉症者の個人的特徴として記載されています。しかし、この「障害の社会モデル」の観点を自閉症に適用すると、社会的コミュニケーション障害は、治療すべき個人的な異常ではなく、「多数派向けにデザインされた標準的なコミュニケーション様式」と「自閉の人々」との間に生じるミスマッチだと考えられます。つまり「社会的コミュニケーション障害」は個人の中にある特徴ではありません。あくまでも、コミュニケーション障害は、多数派と自閉症者との間に生じる現象だと言えるでしょう。
認識的不正義とは
多数派向けにできているのはコミュニケーションの形式的な側面だけではありません。コミュニケーションの中でやりとりされる言葉もまた、多数派に有利なようにできています。言葉は自分の経験を意味あるものとして認識するために不可欠な解釈資源です。また、自分の言葉が十分に信用されなければ、対等なコミュニケーション空間は実現しません。しかし一部の人々は、社会にはびこる偏見や権力が原因で、こうした営みから不当に排除されています。このような状況を、哲学者のミランダ・フリッカーは「認識的不正義」(epistemic injustice)と呼んでいます。
フリッカーは認識的不正義を2種類に分類しています。ひとつは「証言的不正義」(testimonial injustice)です。これは、聞き手の偏見が、話し手の言葉に与える信用性(credibility)を過度に低くしてしまうことです。例えば自分の経験について語る黒人の証言が白人の裁判員によって信用されない状況が挙げられます。
もうひとつは「解釈的不正義」(hermeneutical injustice)です。これは、抑圧された人々が自らの経験を意味付ける概念やフレーズを生み出す空間から排除され(解釈的周縁化)、それゆえに彼らのそうした概念やフレーズが社会の中で流通しない状況が温存されることです。例えば「産後うつ」という概念が存在しなかった時代に、女性たちが自分の体験を意味付けられず、周囲からも「非道徳的」「わがまま」と誤解されていた状況が挙げられます。
自閉の人々が直面する認識的不正義
自らも自閉の人である研究者のロバート・チャップマンは、現在の自閉症の診断基準のもとでは、自閉の人々はしばしば、語り手や社会状況の解釈者として信頼できないと見なされることで、証言的不正義の状況に置かれていると述べています。
自閉の人々はまた、解釈的不正義の状態にも置かれています。診断後に私が直面したのは、言葉が多数派向けにデザインされていることにより、自分の経験を適切に表す言葉が世の中にないことでした。
専門家の記述する自閉症が自分の経験を十分に解釈できていないと考えた私は2006年頃から、当事者研究というアプローチで、私自身が他者とのコミュニケーション以前に経験している内受容感覚、外受容感覚、記憶の特徴を記述しようとし始めました。
当事者研究とは
当事者研究は、2001年、精神疾患当事者の地域活動拠点である「浦河べてるの家」(北海道浦河町)で誕生しました。当事者研究とは、仲間の力を借りながら、自分自身をよりよく理解するために研究する実践です。現在、日本国内はもとより、海外でも多くの自助グループやさまざまな悩みや障害を持つ人たちに広がっています。
「当事者研究」は「当事者」と「研究」という2つの日本語からできています。「当事者」とは苦労を抱えた人々のことで、「研究」とは、その苦労について日常生活の中で自分自身を観察し、仮説を立て、検証するために実験をし、結果を仲間と共有する営みのことです。
綾屋の当事者研究:まとめあげ困難仮説
私は当事者研究を通じて、自分の特徴についての仮説を立てました。それは、「私の意識は身体内外からの情報をこまかくたくさんの情報を受け取っているため、それらの情報を絞り込み、意味や行動にまとめあげるのがゆっくりである」というものです。これを「まとめあげ困難仮説」と呼んでいます。また、私は別の言い方として、「予測」と「現実を伝える感覚」のズレ、すなわち「予測誤差」に気づきやすい、とも表現してきました。
具体的に見てみましょう。私は、体の内側からの情報も外側からの情報も、多くの人よりも細いレベルでたくさん受け取ってしまうようです。体の内側からの情報の例としては、私の場合、お腹がすいたという感覚が分かりにくいことが挙げられます。手足が冷たい、肩が重い、頭皮がかゆいなど、私にはいつも色々なたくさんの情報が体のあちこちから届けられています。それらの中から新しい変化がやってきても、「風邪?」「鬱?」「何か悩み?」「疲れ?」「寒い?」など、たくさんの推察が生じ、そのうちの1つとして「空腹?」という候補も含まれているという状況が長く続きます。やがてそれらのいくつかの感覚が、共に大きくなったり小さくなったりしているということが判明し、最終的にこれらの情報を全てまとめて「私は空腹だ」と分かるまでに、2食分を抜いたぐらい時間がかかります。また「気づいた時にはもう動けない」ということもあるので、長年、「空腹かどうかに関わらず、時間を決めて食べる」という方法を用いています。しかしそれですと、「時間だけど空腹ではないし、食べずに作業を続けよう」と判断してしまうことも多いので、家族や同僚に「お昼を一緒に食べましょう」と声をかけてもらうことが良い助けになっています。
次に、体の外側からのいろいろな情報に対しても、私は多数派の人々より解像度高く注目しているようです。視覚における例を挙げますと、私は普通に生活していても、シューッと吸い寄せられるように あちこちのモノをアップで見てしまいます。自分の感覚を伝えるために写真を撮って友人に見せてみると「うわ、気持ち悪い」と同意してくれましたが、それと同時に、「でも私はそこまでアップで見ていないな」と言われました。
聴覚情報に関しても、細かい音を拾いがちです。ファミレスや居酒屋のような賑やかな場所では、声や食器の音、BGMなどいろいろな音が聞こえてきて、すぐに圧倒されてしまいます。そんなとき、相手の声だけを選んで聴くのはとても難しいのです。
どうやら多数派の人々は聞きたい音だけを抽出して聞き取ることが可能だそうですが、私は言葉の意味の判別の邪魔をするさまざまな物音や残響音などを全て拾ってしまいます。同様の理由で、私は相手の話し声を聞き取れないだけでなく、自分の話し声も聞き取りづらいので、自分が何を話しているかわからなくなり、うまく話せなくなりがちです。
解像度の違い
別の視点から見てみますと、私はより細かいレベルで世界をカテゴリー化する傾向があるとも言えます。言葉は世界をカテゴリー化して意味付け、他者と共有する道具です。しかし、世界をカテゴリー化する粒度には個人差があり、世の中に流通している日常言語は、多数派の粒度にカスタマイズされています。私は、多数派よりもカテゴリー化の粒度が細かいせいで、日常言語で表せない経験を重ねてきた可能性があります。
専門用語は日常言語に比べると、カテゴリー化の粒度が細かく、私が直面した解釈的不正義を是正してくれることがありました。例えば、周囲の人々が野原を指さして「一面の紫色の雑草」と呼ぶとき、私は「異なる色々な紫系の花」と認識しており、自分の感覚や世界の実在性に自信が持てなくなっていました。しかし、植物図鑑を買ってもらったことで、細かい分類が実在していると知り、安心しました。
まとめあげ困難以外のさまざまな身体症状
しかし、まとめあげ困難仮説だけでは説明がつかない経験として、耳抜き、嚥下、発声、表情筋の線維束性攣縮、胃腸症状など、三叉神経、顔面神経、舌咽神経、迷走神経などに由来すると考えられる困難もあります。少なくとも私にとっては、これらの経験はコミュニケーションやまとめあげの困難と同等か、それ以上の苦しみです。
発生学的には、これらの脳神経は、咽頭弓から分化しています。これは、咽頭弓に関連する脳神経の機能に、自閉症でみられる症状を対応付けたものです。社会モデルに基づくと、多数派とのミスマッチであるコミュニケーション障害と、個人の特徴である神経多様性を区別して記述する必要があると思われます。
このスライド(20)では、私の当事者研究の出版物と、自閉の人々の身体的特徴として報告されている先行研究を照合し列挙しました。最近は特に内臓や筋肉、骨格、からの感覚である内受容感覚に関心を持っています。
発達障害の仲間たちとの当事者研究:自閉的認識的コミュニティ
以上は私個人の当事者研究でしたが、2011年から、発達障害者が中心となって運営・参加し、Tojisha-Kenkyuを行う「Otoemojite」をスタートしました。Homepageにて5つの動画を公開していますので、ぜひmeetingの様子をご覧ください。
おとえもじてでは、毎回テーマを掲げて、自分たちの経験を表す言葉やフレーズを探ります。現在までに179回のミーティングが開催され、延べ人数は3,537人となりました。各回のミーティングの内容は要約してHPに掲載しています。
2014年12月1日に行った当事者研究会では、温度の感覚に関する特徴をテーマに話し合いました。このスライド(23)は、語られた内容の一部を分類したものですが、ゆるやかな体温変化には気づきにくい一方、急な気温変化には敏感であるという特徴が示唆されました。体温変化は内受容感覚、気温変化は外受容感覚に分類されることを考えると、興味深い対比と言えます。
チャップマンとカレルは、自閉の人々の解釈的不正義を是正するために必要な4つの条件を挙げています。その3つ目に、自閉の人々ならではのニーズや嗜好を反映した言葉を開発する「自閉的認識的コミュニティ」が挙げられています。「おとえもじて」も、そうしたコミュニティの一例と言えます。
予測誤差への敏感さ
一連の当事者研究や科学者との共同研究を通じて、私だけでない自閉の人々に、ある程度共通する身体的特徴として、予測誤差への敏感さという特徴があるのではないか、と考えるようになりました。この仮説は、脳を予測や推論を行なう器官としてモデル化する予測符号化理論からも提案されており、その分野の研究者と共同研究を行なってきました。こちら(スライド25)は、私たちの当事者研究と、予測符号化理論の共同を紹介したものです。
社会変革:私の身体的特徴に合った社会環境デザインの提案
さて、当事者研究によって自分たちを説明するだけでは、その知識を個人モデルの考え方に利用される可能性が高まります。ゆえに自己理解に基づいた社会変革も重要なものです。
例えば私は、自身の文字の読みづらさに関する身体的特徴の理解をふまえ、文字の書式を変更しています。また、声と手話を同時に使ったり、声と文字を同時に使ったりすることで、情報の意味をより明確に受け取ることができると感じています。それ以外にも、振動と音を同時に受け取ることも役に立ちます。つまり、それぞれの感覚情報が曖昧でも、まったく同じタイミングでマルチモーダルな感覚情報があれば、情報の意味を絞り込むことができるようです。
字幕を使ってテレビを見ていると、たとえ音が小さくても、より明確に「意味が聞き取れる」ようになります。しかし、生放送を見る場合、音と文字のタイミングが少しでもずれると、ますますわからなくなります。マルチモーダル情報の 「同期提示」がとても重要です。
人と会う時間を減らし、途中で仮眠をとること、クロストークではなく一人ずつ順番に話すコミュニケーションルールを用いることも、私に適したコミュニケーションデザインとなっています。私の身体的な特徴は変わらなくても、こういったデザインを用いることで、著しい疲労や、状態の悪化を回避できるようになりました。
さらに、コンクリートの打ちっぱなしの壁や吹き抜けの空間は避け、音を吸収する素材を用いた空間を選ぶなど、音が聞き取りやすい物理的環境のデザインも提案してきました。
こうした提案の一部は、実際に私の所属する研究室で実現しています。例えば、一部の発達障害者は、残響の高い部屋でおこなわれるミーティングに参加しにくいことが分かり、吸音性の高い布を天井に貼り、高い効果を確認しました。また視覚過敏に対応するため、調色調光ライトも設置しました。
当事者研究や科学者との共同研究によって得られた、自閉の人々にとって快適な環境についての知識を、社会の変革につなげるために、私は講演会や研究会、研修プログラムの作成などを通じて、企業、政治、医療、学術、メディア、障害団体などへのアウトリーチや連携をしてきました。
まとめ
本日の内容をまとめます。
・自閉の人々は証言的不正義と解釈的不正義の両方に置かれています。
・日本における自閉および発達障害者たちの当事者研究は、専門用語や日常言語では表しきれない自閉の人々の経験を表わす概念やフレーズを生み出し、解釈的不正義を是正しています。
・自閉の研究者と科学者との共同研究を通じて、自閉の人々発の知識の社会的信用性を高めることは、自閉症をめぐる証言的不正義の是正にある程度の貢献をしていると考えられます。
・当事者研究や科学者との共同研究によって得られた自閉の人々にとって快適な環境についての知識は、企業、立法、医療、学術、メディア、障害者団体などと連携することで社会に変革をもたらしうると言えるでしょう。
以上です。ご清聴ありがとうございました。