熱田弘幸
優生思想と社会
報告要旨
企業内障碍者は外から実態が見えない。(研究対象になりづらい)企業(労働)こそ、今回のテーマである優生思想の根源の一つ。ナチスも国民(国家)社会主義ドイツ労働者党と「労働」を旗印。労働が優生思想の根底にありながら、労働体験が研究の対象になりづらく、これまで真の意味の優生思想の発生現場を捉えることが出来なかったのではないか。
これまでの研究も障碍者雇用率を含め、障碍者が入社するまでの研究はあっても、入ってしまえばOKと思われていたが、実際にはその後が問題。
報告概要
熱田 弘幸
※京都大学人文科学研究所招聘講義より
企業生活約40年から見えてくること
現状
企業内障碍者は外から実態が見えない。(研究対象になりづらい)
企業(労働)こそ、今回のテーマである優生思想の根源の一つ。
歴史的背景
ナチスも国民(国家)社会主義ドイツ労働者党と「労働」を旗印。
課題
労働が優生思想の根底にありながら、労働体験が研究の対象になりづらく、これまで真の意味の優生思想の発生現場を捉えることが出来なかったのではないか。
課題分析
これまでの研究も障碍者雇用率を含め、障碍者が入社するまでの研究はあっても、入ってしまえばOKと思われていたが、実際にはその後が問題。
事例紹介
1.後輩のろう者たちも万年ヒラのままであった。
2.バリアフリー設備に投資しない。
3.周囲の無理解
結果として…
企業の実態
企業の理不尽さと、表向きの顔と。その中で障碍者が労働者として生き残るのは、並大抵のことではできない。
生き残り
スキルアップを目指さない限り、どんどん辞めさせられていく障碍者。
勤続の難しさ
表向きは自己都合退職であっても、内実は窓際に追い込んで孤立させたり(身体障碍者の場合)、逆に仕事を過剰に与えて苦しませたり(精神障碍者の場合)して、退職に追い込んできた。
自己分析
スキルアップで生き残って来た私の場合、見方によっては、「能力主義」に飲み込まれてしまったと取られる可能性もある。が、蜘蛛の糸のように、次の障碍者を押しのけてでも、自分だけが生き残るのではなく、逆に、私のように、誰かが生き残ることで、次の障碍者を引っ張り込める可能性が残ると考える者もいる。
スキルアップには、能力主義とギリギリのところで障碍者の未来の世界を切り開く両面があった。
スキルアップの弊害
~二極化~
アスリート系
会社の中で、スキルアップで能力主義的に生き残る障碍者(次世代の障碍者のことを考えている余裕のない能力主義的障碍者)
非アスリート系
スキルアップできずに自己都合退職(実態は会社都合退職)する障碍者
その結果として
二極化のうち後者が現在では障害者自立生活センターに流れている。
この二つが棲み分けしてしまっている?!
”自立生活センター(ILC)“の功罪
企業
優生思想を助長する企業の在り方を変えていくという気概のある障碍者がどんどん姿を消していく現実(企業に残っているのは企業に従って能力主義的に働いている障碍者だけ)
ILC
健常者をお金で雇うことで、形の上では対等な働き方が実現しているように「見える」ものの、実際には昨今よく言われるように、障碍者と健常者(ヘルパー)の間だけで用事が済んでしまうので、関係が閉じてしまっている(例えば、駅で周りの人の応援をもらう機会もない。電動車イスもその傾向に拍車をかける)。極論すれば、職員との関係しか持つことの出来なかった施設暮しを、自立生活は看板だけで、実のところ、職員ではなくヘルパーとの関係に置き換えただけの“ミニ施設化”とも呼ばれている。ハングリーさも若い障碍者からは失われつつある。
意識
ヘルパーを電話一本で頼める社会で、障碍者も“生きる知恵”を失いつつあり、健常者も手軽にできるバイト感覚(ブラックバイトに比べたらずっと楽。運動には関心を持たない)でやっている。
問題点
人権意識の危うさ
こうした中では、最終的に起こる人権侵害には気づいて声を上げられても、それ以前の段階で優生思想的なことに関心が持てず(ミニ施設化のため)、人権侵害を許してしまうことになる(後の祭り)。あるいは、人権を保障されても、再び同じような人権侵害の可能性を残してしまう。
優生思想に敏感になるためには、つねに社会や企業の現場に身を晒す覚悟を持ちつつ、かといって企業の論理に絡めとられて能力主義に陥ることにもストップをかけられる強靭な意志と私(熱田)のような愛(♡)が必要。
これまでの体験
私(熱田)は、これまで、人権問題にも関わり、人権思想にも期待した時代もあったが、うまくいかなかった事例を数々見て来た。
また、多くの志半ばにして、企業から離れて行った仲間を見て来た。
千葉の柏では自立生活センターの実態も見て来た。
優生思想と社会
~経験を踏まえて言えることは~
まず第一に
①これまで離れていった仲間たちに戻ってきてもらえる場所づくり
②自立生活センターで、ぬるま湯育ちで来た若い障碍者に、企業などに伍してでも、能力主義的ではないやり方で生き抜いていく場所づくり
ワーカーズコープ
これらを叶えるために、2020年に法律の出来た、新しい働き方のワーカーズコープ(労働者協同組合)を立ち上げることを考えた。
基本的理念
とくに自立生活センターの良い面はそのままにしつつも、障碍者と健常者の関係が「主」としてヘルパーを通じての金銭関係でつながるのではなく、ヘルパーや手話通訳はあくまでも「従」であって、「主」は互いに同じ仕事仲間としての目標を達成するために、当然のこととしてヘルパーや手話通訳をやる(運転免許を持っている者が免許を持っていない同僚を車に乗せて運転するのが、当たり前のように!)。行政からのお金だけをアテにするのではなく、もっと事業をハングリーに見つけていく。健常者も時間単位で頑張れば自然とお金の入ってくるヘルパーバイトにあぐらをかくのをやめて、協同で働く。
優生思想と対峙するために
ワーカーズコープに限らず、企業内で、介護付き就労を認めさせる署名も、最終的な着地点は障碍者がヘルパーを雇うというよりも、チーム熱田で仕事をやるということでもある。一人が個として責任を持たせるという古い労働観は、SNSやシェア経済が発達した現代には古臭い考えである!
一人が近代の自我を持つ(自己責任)と言う考え方から解放されるには、我々は古代に目をやるべきではないか。
アイヌ(平等に獲物を分ける)、ネイティブアメリカン(7代先のことまで考えて行動)、縄文人。。。【オオカミ=大神さま】
【ここに藤原辰史さんの研究分野でもある農業観の原点もある。例、太古の人たちの野焼き。山火事が起こらないことを直感的に分かっていた】
ここに身体を晒す(=自然を受け止める)ことの意味もある。現代人は晒さずに理論武装で、自分に跳ね返ってくるものをちゃんと見ようとしない。人権思想では無理。反優生思想を相手にぶつけることは、自分にも跳ね返ってくる(内なる優生思想)。それに対して自身を晒す覚悟があるか!