ポスター報告 11

志田圭将
アッサンブラージュ概念に基づく発達論は反発達論の問題意識に応えうるか
報告要旨

現在、発達障害概念の普及や発達支援を掲げる制度の形成などの動向に示されているように、障害児者に関わる領域において発達をめぐる諸概念・諸言説が再び社会的焦点となっている。障害学的議論において、発達概念は障害児者の抑圧・排除と歴史的に深く関わってきたものとして問題化されてきた。発達概念をめぐる批判的視点を提示した「反発達論」をはじめとする一連の議論から提起されてきた問題意識は、社会状況の変化に伴う理論的背景の変化にもかかわらず、現在も依然として重要なものであり続けている。他方、発達論に関しては、近年、個体能力論に基づき個人モデル的な抑圧や排除をもたらしてきた従来的な発達概念の見直しの必要性が(発達心理学の内部からの動きも含め)提起され、その刷新が試みられてきた。では、そのような新たな発達論は、反発達論の問題意識に応えうるものであるのか。本報告では、このことについて、アッサンブラージュ概念に基づく発達論を事例に、理論的素描を試みる。

報告概要

志田 圭将 SHIDA Keisuke

北星学園大学大学院 社会福祉学研究科 博士後期課程

1.背景と目的

・障害学においては、発達概念が障害児の社会的包摂/排除を規定してきたこと、とくに排除を促してきたことへの問題意識から、「発達にかかわらず」その存在が承認され、包摂(とくに教育における非分離処遇)がなされるべきことが提起されてきた
・一方、現在も依然として発達状況の差異を分離処遇の根拠としたり、発達を幸福の条件・基盤と位置づけたりする発想が根強くみられる
・発達をめぐる現代的動向に再び批判的に対峙することが必要
・その際、「反発達論」の問題意識を踏まえつつも、発達をめぐるオルタナティブの可能性を展望することが重要
・そこで、「反発達論」によって批判された従来の「個体能力論」的発達論からの転換を促す議論として、アッサンブラージュ概念に基づく発達論に着目する
・それは「反発達論」の問題意識に応えうるのか。発達をめぐるオルタナティブを提起しうるのか

2.研究方法

予備的検討
・「反発達論」によって示された問題意識を整理する
・「反発達論」に寄せられた問題提起を踏まえ、発達をめぐるオルタナティブの必要性とそれに求められる要素を確認する

分析
・アッサンブラージュ概念に基づく発達論のポテンシャルを検討する
・ アッサンブラージュ概念の概要を確認する
・ アッサンブラージュ概念に基づく発達論を概観する
・ 一連の議論の意義を「反発達論」の問題意識に照らして検討する

3.予備的検討

本報告における「反発達論」
・発達に関わる障害児への差別的処遇に反対した理論的・実践的立場:1970~80年代の就学運動でとくに活発な動きを見せた障害者解放運動、共生共育論、それと関連の深い発達論批判の言説
・発達概念をめぐる同様の批判的視座を共有していたという考えから、これらを「反発達論」と総称する

「反発達論」の問題意識
・ 関係性からの排除
・発達を根拠に障害児を「健常児」から分離し、同情やそれに基づく配慮の対象とするなどして、排除・周縁化することへの批判
・ 専門家支配
・障害児を関係性から排除する役割を医学や心理学、教育学等の専門家が担い、その外的な基準によって障害を「個」の問題へと還元し、障害児の自立と差別からの解放を妨げてきたことへの問題提起
・ できるようになることの価値
・「障害児」を「健常児」に近づけることを目的とする限り、必ず排除が生じる
・山下恒男『反発達論』によるイデオロギー批判:発達=生産性

「反発達論」への問題提起
・ 「学校を『生活の場』と捉えるべきという主張は(…)そもそもなぜ学校に行かなくてはならないのだという問いに対しては積極的に答え得ない」。「インクルーシブな学校・授業を正当化しうるオルタナティブな発達論」が求められる(小国編 2019)
・ 発達促進のための介入を否定し、「あるがまま」を肯定することは、既存の権力関係の温存や強化につながりかねない(野崎 2010)

オルタナティブに求められること
・・~・の問題意識を踏まえつつ、・インクルーシブな学校を正当化し、・既存の権力関係の維持・再生産に批判的な距離をとることができるような発達論の構想

4.分析

・ アッサンブラージュ概念
・語義:寄せ集め、組み合わせ、配置
・概念:ある事象(存在)およびそれについての理解(認識)を、それをそのようなものとして成り立たせている諸要素の配置(アッサンブラージュ)に基づく一時的・仮構的なものと捉える
・含意:「障害」や「能力」、「発達」などを個人に帰属するものとする見方は仮構的なもの
・含意:アッサンブラージュの組み替えによって、それらのあり方(存在)・理解(認識)は変わりうる

・ アッサンブラージュ概念に基づく発達論
・発達=アッサンブラージュにおける生成変化
・Lenz-Taguchi(2011)の事例:「少女が(主体として)砂を用いて遊んでいる」のではなく「それぞれの動きによって、少女、砂、バケツは変容のプロセスにある」。少女は「彼女が参加し、それとともにアッサンブラージュを形成するそれぞれの相互関係のなかで、自らにおいて異なる存在となる」

・「分離された人間の内部における内的な精神活動」としての学習や発達という考えを相対化
・「理性的な人間に向かう筋道を子どもの学習や発達とみなす前提」を相対化し、「子どもが常に他のものになる生成変化を捉え、規範とされる状態から逸れていく多様な変化を肯定」(楠見 2021)
・発達概念・理論もまたアッサンブラージュの構成要素として捉え直される:専門性に基づく眼差しへの反省性

・既存の権力関係への批判的視点・オルタナティブの構想
・コントポディス(2023)は、発達をめぐる既存の実践をリアリティのあるものとして成り立たせているアッサンブラージュを対象化し、それを「具体的で与えられた未来のバージョン」につながる「可能的発達」の概念によって批判的に捉える
・「いまだ与えられていない」ところへ向かう生成変化を肯定する「潜勢的発達」:アッサンブラージュの組み替えによって「無限に起こりうる社会的関係」たる「潜勢性」を顕在化させ、新たな現実のあり方を示すことで、既存の権力関係を打破する

→「自らにおいて異なるものになる」ようなオープンエンドな生成変化を発達と捉え、それを肯定し、社会変革と接続する議論が展開

・ 「反発達論」との関係から
アッサンブラージュ概念に基づく発達論においては、
・ 発達=生成変化。能力の発達という観点から序列化・階層化を行い、障害児を分離処遇する論理(関係性からの排除)を導かない
・ 専門性に基づく知見の相対化。状況への関与をめぐる反省的な姿勢がつねに要請される
・ 個体が「できるようになる」事態の認識やその価値は相対化される
・ 「多様な生成変化としての発達」をもたらす「生活の場」として学校を捉える見方が理論的に正当化される。生活の場である以上、障害児の排除は認められず、多様かつ無限の生成変化の可能性をもたらす「関係」の資源の分配を制限すべきではないことから、分離処遇への反対という結論が導かれる
・ 既存の権力関係を成り立たせるアッサンブラージュを批判的に対象化し、それを組み替える可能性が展望される

5.結論

・アッサンブラージュ概念に基づく発達論は「反発達論」の問題意識を継承し、さらにその問いを深め、新たな可能性をもたらしうる

文献(副題省略)

小国喜弘編(2019)『障害児の共生教育運動』東京大学出版会.
楠見友輔(2021)「ニュー・マテリアリズムによる教育研究の可能性」『教育方法学研究』46, 25-36.
コントポディス、ミカリス(北本遼太・広瀬拓海・仲嶺真訳)(2023) 『新自由主義教育からの脱出』新曜社.
Lenz-Taguchi, H. (2011) Investigating Learning, Participation and Becoming in Early Childhood Practices with a Relational Materialist Approach, Global Studies of Childhood, 1(1), 36-50.
野崎泰伸(2010)「分離教育か共生共育かという対立を越えて」『立命館人間科学研究』21, 25-41.