自由報告1-5

好光百合
ラオスにおける身体障害者の生活――都市部における共同作業所の事例から
報告要旨

障害研究があまり進んでいないラオス人民民主共和国(以下、ラオス)では、障害者の数量的なデータや具体的な生活実態が把握されていないのが現状である。また、福祉や障害者支援も県や郡レベルに留まっており、十分に支援が届いていないともいわれている。そこで、本発表では、修士論文執筆で行ったフィールド調査の結果からラオスの首都・ヴィエンチャン特別市にある共同作業所を事例に、ラオスの身体障害者たちがどのようにケアをされ、生活を送っているのかに着目した内容を報告する。都市部で生活をするラオスの身体障害者たちは、NGOや自助グループによるケアと親・兄弟姉妹といった同居者によるケアの2つを享受しながら生きているが、そのようなラオスにおける障害者ケアの実態やどのような課題があるのかを明らかにする。

報告概要

ラオスにおける身体障害者の生活―都市部における共同作業所の事例から―

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
東南アジア地域研究専攻 博士一貫課程3年
好光百合

本日、報告いたします京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科東南アジア地域研究専攻博士一貫課程3年の好光百合です。本日は、今年3月に提出した修士論文の内容をもとに、修士1年次から半年間行ったフィールド調査先である共同作業所の事例から、ラオスの身体障害者の生活実態と今後の課題について報告させていただきます。
はじめに、簡単にラオスの概要について説明します。ラオスは正式名称をラオス人民民主共和国と呼び、首都はヴィエンチャン特別市で、本州ほどの面積に人口約700万人が暮らし、その人口の7割が農業に従事している国です。本報告の表題にあります都市部とは、このヴィエンチャン特別市を指しています。また、周りを中国、ベトナム、タイなどに囲まれた東南アジア地域の唯一の内陸国で、政治形態は社会主義体制をとっているため、同じ社会主義国家である中国やベトナムと政治経済的に関係の深い国となっています。後ほど詳細を語りますが、「障害」というテーマにおいてラオスについて語る上で外せないのが、不発弾問題です。1970年代にはベトナム戦争時に南ベトナム解放戦線への補給路であった「ホーチミンルート」が中立国ラオスに通っていたことで、アメリカ軍の攻撃を受け現在も約8,000万発の不発弾が埋まっており、現在はアメリカをはじめとした外国資本によって処理支援を受けていますが、処理を完遂するには残り100年ほどかかるとも言われ、ラオスの社会課題となっています。
そんなラオスで、地域研究という分野でなぜ障害者対象とした研究を行っているのか。ラオスで障害者研究をしていると話すと、このような質問を多く受けます。私の研究関心の原点は学部1年生の時に遡ります。2週間ほどラオスのヴィエンチャン県郊外にある農村でボランティアに参加した際に、1名の知的障害者の男性と知り合いました。彼は、すでに成人していましたが、会話をすることはできず、文字の読み書きもできなかったため、住人たちとボディランゲージでコミュニケーションを図りながら生活し、彼のことを住人たちが面倒をみながら共に農作業に従事して生きていました。そのような彼らの姿を見て、「ラオスの障害者はどのように生活しているのだろうか、誰にケアをされているのだろうか」といった疑問を抱き、大学院での研究テーマとして選んだ次第です。では、実際にラオスでは障害者がどのような生活をしているのか、具体的な内容に入る前にラオスにおける障害者の現状について研究背景に触れたいと思います。
まず、ラオスの障害者数(5歳以上)は、2015年時点で約16万人、全人口の約3%いると言われており、また、ラオスの障害者への支援は郡や県レベルに留まっており、ラオス政府による福祉支援や障害者手帳の発行など管理体制も整っていないのが現状です。また、障害の原因となっている事由は、東南アジア地域の他の国々とあまり変わりなく、先天的遺伝的な要因や交通事故、感染症が挙げられます。ラオスでは、飲酒をしたまま車やバイクを運転するドライバーが未だ多く、私も渡航中に何度も交通事故を見かけましたが、このような運転が原因で手足の切断や後遺症を抱える人は少なくありません。そして、障害をもつ要因の中で、ラオス特有だとも言えるものは2つありますが、1つは先ほど述べましたベトナム戦争による不発弾事故、そしてもう1つはワクチン由来のポリオ感染が挙げられます。ラオスでは、北部のシェンクワン県に一番不発弾が埋まっていると言われており、また南部のセコン県、アッタプー県でも不発弾事故が発生しています。実際に、シェンクワン県へ不発弾事故により失明した男性が経営するマッサージ店へ調査で訪れた際に、昨日事故があり4名ほどが被害に遭ったといった情報が入るなど、今この瞬間にも起きている問題であることを痛感しました。このような障害の現状がある中で、課題となっていることは障害者に関するデータは身体障害者に限られていたり、政府による調査やラオスの障害者をテーマとした研究が十分ではなく先行研究が不十分であったりと、障害者全体の実態を把握することが難しいという課題があります。こういった背景がある中で、本報告の研究目的は、障害者の実態が把握しにくいラオスにおいて、身体障害者の生活実態を把握し、『ラオスの身体障害者がどのように生活しているのか』に問いを立て、それらを明らかにすることとしています。今回、調査対象を敢えて身体障害者に限定しているのは、ラオス語を使用しての調査であり、意思疎通が可能であることを前提したため、調査のしやすさを鑑み、「身体障害者」を視覚、聴覚、肢体不自由に限定しました。
ここからは、実際に行ったフィールド調査の結果から、『ラオスの身体障害者がどのように生活しているのか』という問いを明らかにしていきます。まず、調査地として選んだのは、日本のNPO法人である「アジアの障害者活動を支援する会(ADDP)」(以下、ADDPとする)の事業の障害者雇用促進支援の1つとして運営されている「みんなのカフェ」です。ADDPは、1992年から日本で活動を開始し、ラオスへは1990年代にラオス経済政策が変わり開発援助として様々な外国資本の国際支援が流入した時代に、1998年から先駆的に活動を始めた団体です。近年は、障害者スポーツ、ろう教育支援やインクルーシブ教育の促進などをJICAと協働して進めるなど精力的に活動しています。そんなADDPが運営する「みんなのカフェ」は、主に聴覚・肢体不自由などの約20名の身体障害者が勤務をし、それぞれキッチン、会計、接客などをこなしながら手話やカードでのコミュニケーションをベースとしたコーヒーやケーキ、クッキーなどを提供するカフェです。カフェで勤務する身体障害者を対象に、生活史法を用いたインタビュー調査と非構造化インタビュー、参与観察、そして障害の種別、重度、時期、家族構成や出身地、性別といった基礎情報のデータ収集と分析を行いました。聞き取り結果の内容を、①出身地、②障害の種別と原因、時期、③共同作業所以前の生活、④共同作業所に辿り着いた経緯、⑤共同作業所での生活、⑥障害があることで経験したハンディキャップの6つの項目に抜粋し、これらの回答からみえてきた本報告の問いを明らかにします。①の出身地ですが、ラオス北部から南部まで広く分布しています。しかし、首都・ヴィエンチャン特別市内での共同作業所をメインとして聞き取りを行ったため、ヴィエンチャン県出身者が比較的多い結果に。②障害の種別と原因、時期は、視覚、聴覚、四肢不自由など種別や重度、時期に偏りが特にあるわけではなく、やはりラオスならではの特徴として不発弾による怪我、ポリオワクチンによる罹患が原因となった身体障害が見受けられました。③共同作業所以前の生活は、基本的には両親と兄弟姉妹と同居生活を送り、家庭内での世話は親兄弟、特に母親と姉妹からのケアを受け、家業の農業や家事などを手伝いながら生活を送る傾向にありました。学校教育では、初等部までは大半が通うことができている一方で、進級するにつれて学校が遠くなるため自分の脚では通えない、学用品が買えないとった家庭の経済理由や身体障害を理由に通学を断念するケースが多いです。④共同作業所に辿り着いた経緯は、2つのケースが見受けられました。1つは、知り合いやFacebookなどのSNS等を通じて自ら連絡するケース、2つ目は、障害者支援団体のスタッフが地方の県に派遣された際にスタッフから紹介を受け辿り着くケースです。⑤共同作業所の生活ですが、全員が両親や兄弟姉妹の定位家族、或いは生殖家族や配偶者などと同居し日常生活の補助を得ながら、作業所へ通い仕事をしていました。⑥障害があることで経験したハンディキャップの項目は一番難しい質問となりました。当たり前ですが、身体障害の種別、重度、先天か後天かによって回答がさまざまでした。特に片手や片足などが不自由な場合や聴力障害者で読み書きやコミュニケーションを図る手段を持っている場合は日常生活や社会生活に支障をきたすことは少ないが、視覚障害など生活の大半で人の補助が必要となる場合は日常生活や社会生活に支障をきたしていると感じたり、家族の迷惑になっていると考えたりする傾向にありました。一方で、家族で生活をしていた場所が地方ではなく、支援に比較的辿り着きやすいヴィエンチャン特別市内にあり、かつ先天的に身体障害がある身体障害者の場合はハンディを感じたことはないと答える人が数人おり、これは調査地が都市部ゆえの結果かもしれません。
これらのインタビュー結果から、「ラオスの身体障害者はどのように生活しているのか」という問いへの答えとしては、主に親兄弟、特に母親や姉妹といった同居者によってケアを受けながら、支障のない範囲で家業の手伝いをしながら生活をしていて、さらに共同作業所といった市民団体からのケアに辿り着けた場合でも、身体障害者が一人で自立して生活するわけではなく、市民団体からのケアと同居者からのケアの両方を享受しながら生活をしていると言えます。つまりは、上野千鶴子氏の『ケアの社会学―当事者主催の福祉社会へ―』(2011)を参考に説明すると、ラオスの身体障害者は、同居者によるケアを私セクターとして、基本的な衣食住の世話、移動での補助、外部とのコミュニケーションの補助を受け、マッサージなどの職業訓練、障害者雇用、義手義肢の提供、ラオス手話やパソコン技能の学習サポートといった市民団体からの、つまりは共同作業所、協セクターからのケアを行き来して生活を送る存在であると考えられます。一方で、生活の多くの部分で親兄弟や配偶者のケアの負担は大きく、未だ身体障害者のケアは私的領域に依っているとも言えるでしょう。
身体障害者の生活の実態として、以上の結論を出しましたが、正直不十分な点は否めません。ラオスの身体障害者の生活実態をより明らかにしていくためには、社会モデルを念頭に考えるならば、身体障害者たちの障害の種別や重度、原因、年齢、性別、出身地、民族、家族構成、経済的環境などそれぞれの環境や背景を追い調査を重ねる必要がありますが、個人が置かれている属性や環境があまりにも多様で追うべき事例が多すぎると言う懸念点がありました。そこで、ここからは、現在の博士後期課程での課題としているのですが、より調査対象範囲を絞ることで、ラオスの身体障害者の実態をより深掘りしていけるのではないかと考え、女性身体障害者に着目して調査を行いつつあります。最後に、ラオスにおける女性身体障害者についてと、今後の展望について触れていきたいと思います。
まずは、なぜ女性身体障害者に着目したのか。ここ近年、女性と障害の交差性からみえる「社会の障害」として障害学のみならず、社会学分野やジェンダー学分野などでも注目されています。実際に、障害をもつ女性は結婚、妊娠・出産、子育てといったライフステージで障害を理由にライフステージに参画できない、或いは非障害者女性と比べて大きな負担を強いられる問題があります。実際に、ラオスで生活をしていると必ず聞かれるのが、結婚をしているのか、いつするのか、子どもはいつ持つのかといったライフステージに関わる内容が多く、そしてそれらが当たり前であるとする風潮にあります。しかし、ラオスにおいて障害とジェンダーは個別の事象として捉え、その社会的要素の交差分析は限られているのが現状です。よって、ラオスの身体障害者の生活や社会課題をより分析するための要素として、この女性身体障害者が抱えるであろう「社会の障害」を捉えることで、さらにラオスの身体障害者の生活や課題というものを明らかにできるのではないだろうかという考えから女性身体障害者に着目しました。
では、ラオスの女性たちが置かれている状況としてラオスの女性規範について簡単に説明します。ラオスの家族社会は基本的に双系的社会でありますが、ラオスの多くを占めるラオ族は、ラオ族同士の結婚において夫が妻の両親の家で同居するのが伝統的とされています。また、家庭のことは夫婦の間で決められ、男性が家長となる一方で、女性が家庭の経済管理を行います。その中でも、女性の決定権が強いのは、日常生活のための費用に関する問題で、家族のための食べ物、日用品、衣服などの購入は女性としての役割として大部分を任されていて、一方で家の建築、投資、土地購入など金額の多い出費・取引部分は男性の仕事という性別役割意識が強い傾向にあります。つまりは、ラオス女性は日常生活での介在的責任や家事・育児についての役割を求められ、家庭内での女性の役割負担が大きいと考えられます。そこで、ラオスでは障害者であり、女性であるがゆえの二重差別ないし、社会課題を抱えている可能性があるという仮説を立て、調査を始めています。
現在、着手している調査場所は、引き続き首都・ヴィエンチャン特別市で、日本をはじめとした団体から資金援助を受けた女性身体障害者のPhouth Alee氏によって立ち上げられ、身体障害者たちの職業訓練や雇用支援を実施している「XonPao Disabled Working Group」です。ここには、主に四肢不自由の身体障害者の男女16名がアクセサリー・靴などの制作に従事しながらともに寮生活をしている共同作業所になります。ここでは、「みんなのカフェ」同様のインタビュー調査を行い、ライフヒストリーから結婚、出産、子育てなどのライフステージについて女性8名に聞き取りと参与観察を実施しています。そこでのインタビュー回答として、2つの特徴が見えました。1つは、「結婚できる障害者もいれば、結婚できない障害者もいて、そこには男女の差はない」「子どもも望めば持つことができる」と結婚、妊娠・出産に関して、そこには「障害があるから」また「女性であるから」といった差はないとする主張。2つ目が、日々の生活での苦労やしんどさを語る時に、「女性である」ことの苦労よりも「障害がある」から苦労したといった内容が大半で、移動面での苦労や雇用を見つけることの苦労など、先に出てくるのは「身体障害者」である故に受けたものであり、女性であるからこその苦労を感じたことはあるかと問うと、「特にない」「よくわからない」といった回答が多数でした。実際に、作業所内で障害者同士が結婚したり、最近では子どもが生まれたりとライフステージを経ている障害者が多いです。これらの回答の要因には、共同作業所という場所に辿り着き自力でお金を稼ぐ機会を得れたということ、比較的障害が軽度であること、そして障害者同士が相互扶助を行う関係が築けているということが挙げられます。現在は、まだ1つの作業所の事例しか扱えていないので、女性身体障害者の結婚や妊娠出産、子育て事情などについて調査の母集団の数を増やしていく必要があります。また、調査場所が共同作業所という支援施設に留まっているため、ラオス身体障害者の家族コミュニティの中に入った調査に入る必要があります。他施設との比較、都市部と農村、さらには民族によって母系社会であったり、父系社会であったり、精霊信仰やクリスチャンであったりとそもそもの社会を構成する仕組みが異なったり、基準としている規範が異なる可能性もあるので、そこまで今後は調査の範囲を広げていこうと考えています。
本報告は以上となります。ありがとうございました。