ポスター19

タイトル「社会モデル的ろう者の困難とその実態」
種村光太郎

1.はじめに
本報告は、「日本手話」を用いることができないろう者の実態について、当事者の経験より明らかにするものである。
近代日本において、耳の聞こえない人、つまりろう者への教育は、ろう者にとって困難な発話訓練や、相手の話を唇の動きから読み取る読唇などによって、音声日本語の習得(口話教育)に重きを置き、聞こえる人の社会への同化を目指すものだったと言える。そのため独自の統語規則を持つ手話(以下、「日本手話」)の使用は禁止され、音声と書記での日本語教育や、日本語対応手話(文法要素が欠落した日本語ベースの不完全な手話、手指日本語とも言う)を補助的に用いる口話教育が行われてきた(金澤 2013)。しかし、こうした教育では、ろう者の日本語あるいは「日本手話」のどちらの言語獲得も中途半端になることが問題となった 。そのような時代背景において、1960年にStokoe(2016)が、手話が言語としての構造を持つことを明らかにしたことをきっかけとし、日本においては木村・市田(1995)らが「ろう文化宣言」にて「日本手話」をつかう言語的少数者としてのろう者(以下、言語文化モデル的ろう者)像がピックアップされるようになった。そして、ろう当事者から言語的少数者としての側面や「日本手話」の習得意義が主張されてきた。
しかしその一方で、言語的少数者になれない当事者から「日本手話」を操れないろう者(以下、社会モデル的ろう者)たちの存在や、「ろう文化宣言」に対する違和が指摘されるようになってきた。
それは、従来のろう者研究は、あくまで「聴者」に対するための「狭義のろう者研究」であり、ろう者間の問題を正確に理解するための「広義のろう者研究」ではないからである。つまり、従来の研究では今までの口話教育のような、ろう者を劣った存在であると考える聴者の価値観を押し付けてきたことに対し、「言語文化的」な視点からの批判がなされている。そのため、その研究では十分に対象とされてこなかった社会モデル的ろう者の存在たちが見落とされており、ろう者全体の問題を考えていくためには注目されるべきである。本報告では、社会モデル的ろう者へのインタビューを通じて、そのようなろう者の実態について明らかにしたい。

2.方法
筆者自らが、社会モデル的ろう者7名に手話(主に日本語対応手話。場合に応じて「日本手話」)を用いてインタビューを行い、同意を得たうえで録画をおこなった。後に文字起こしを作成し、内容を確認していただいたのち、公開の許可を得た。本報告では、そのうち2名の語りを用いた。

3.結果
社会モデル的ろう者は、言語文化モデル的ろう者とも緩やかに関わりつつも、そのようなろう者の存在やろう者の考え方、「日本手話」を身近に感じる中で、自己とは異なる存在であるということに気が付くことになる。そして、言語文化モデル的ろう者と自己が異なることに気が付く中で、聴者にもろう者にも所属できない、障害者として生きていかなければならない生きずらさを抱えていることが明らかになった。

4.結語
本報告では、ここまで十分に明らかにされてこなかった社会モデル的ろう者に焦点を当て、そのようなろう者の実態をインタビュー調査をもとに明らかにした。今後は、社会モデル的ろう者と言語文化モデル的ろう者の間に生じている葛藤や対立を、ろう者の行ってきた運動の中から位置づけていきたい。

・金澤貴之,2013,『手話の社会学――教育現場への手話導入における当事者性をめぐって』生活書院.
・木村晴美・市田泰弘,1995,「ろう文化宣言――言語的少数者としてのろう者」『現代思想』23(3): 354-362.
房.
・Stokoe,W 1960 Sign language structure:An outline of visual communication systems of the American deaf. Studies inLinguistic Occational Papers,8,Washington,DC,Gallaudet University Press.