ポスター16

「心のバリアフリー」の陥穽–援助行動における援助者自身への思いやりの影響–
熊谷晋一郎1・松尾朗子1・田中友理2・勝谷紀子1・Kuma Lab. UR Team1
(1東京大学先端科学技術研究センター・2多摩大学)

援助を行なう際、「思いやり」という言葉をよく耳にする。一般に、他者への思いやりは,援助行動に結びつく可能性が高いと考えられており、社会的に望ましいとされる。援助行動とは、実体のある報酬を期待せずに、他者の利益やウェルビーイングの向上を意図した行動である(Nadler, 2020)。援助行動は被援助者の利益のために行なわれるが、援助者自身にも影響する。援助を行なう場合、実体のない報酬として自尊心の高揚などが生じることが知られているが、これは被援助者の評価とは独立した援助者自身へのポジティブな影響と言える(新谷, 2020)。援助行動が思いやりに基づいて行なわれた場合、行動の内容にかかわらず援助者によってポジティブに解釈され、援助者自身にもポジティブな影響をもたらす可能性がある。
確かに、思いやりは援助行動のための重要な要因である。しかし、思いやりを伴う援助行動が社会的にも個人的にも過大評価される可能性がある。特に、被援助者が苦境に立たされている障害者などの場合、思いやりに促された援助行動を過大評価し、実際は被援助者の利益になっていないにもかかわらず内実の伴わない援助行動を行なうことは望ましいとは言えない。反対に、思いやりの有無が援助者の障壁になり援助行動に結びつかない、つまり、思いやりがない援助は無意味とみなし援助行動自体をとらない、となれば重要な問題である。したがって、本研究は、思いやりを援助行動の先行要因としてとらえ、思いやりの有無で被援助者の主観的な援助行動への評価と自己概念が変化するか検討する。研究において思いやりの有無を操作するには、タスクは同じでも、より思いやりを喚起するような条件が必要である。そこで、予備調査として、思いやりを喚起するタスクを考案し、その妥当性を調べた。
クラウドソーシングサービス上で実験参加者を募集した。筆者によって作成された調査ページがワーカー募集ページに掲載され、関心を持った回答者が調査ページに進んだ。最終的に144名(女性69名、男性75名、平均年齢41.50、標準偏差10.31)のデータを分析対象とした。調査の実施にあたって、多摩大学で倫理審査を担当する委員会より承認を得た。手続きにおいて介入と侵襲は伴わないと考えられ、データは匿名化の上で処理された。
研究目的を隠すため、実験参加者には「音声の文字起こしに関する仕事」として実験への参加を依頼した。文字起こし作業中に思いやりを持つ程度が操作するために、2種類の表紙ページが使用された。思いやり条件では、「文字起こしボランティアの募集」とタイトルがつけられ、仕事概要として「当プロジェクトでは、日本語音声の聞き取りに困難がある学生に学びの機会を提供するため、録画された講義映像に字幕をつけ、学生がいつでも視聴できるように提供するサポートをしています。」「様々な困難を抱える学生が、安心して大学で学べるように、あなたの力を貸していただけませんか。」と書かれていた。統制条件では、「文字起こしアルバイトの募集」というタイトルで、仕事概要は「講義映像に字幕をつけるため、音声を文字に起こしてデータ化するお仕事です。」と書かれていた。どちらの条件でも、作業の概要の説明(音声が1分程度であることや、謝礼の金額、作成された文字データがろう・難聴の学生や、日本語が得意でない留学生、発達障害などで聞き取りに困難がある学生に学びの機会を保障するために用いられることなど)や、作業時の注意点(音声の内容を外部に漏らさないようにすること、謝礼の支払い方法は最後のページに説明があることなど)は同じ内容が記載されていた。参加者には、これらの表紙ページのうちどちらか一方が表示された。表紙ページにて参加へ同意した参加者は、続いて文字起こし作業をおこなった。1分程度の音声ファイルを再生しながら、その内容を文字データに変換する作業をおこなった。その後、参加者は続く質問に回答した。例えば、「どのくらい心を込めて文字起こしデータを作成しましたか」「どのくらい、この音声が届く学生のためを思っておこないましたか」などである。これらは「思いやり感情」、「思いやり思考」、「思いやりその他」という項目群から構成されていた。
思いやり感情、思いやり思考、思いやりその他の信頼性係数はそれぞれα= 0.75、 0.86、 0.82であり十分に高いと考えられるので、平均値を算出し合成変数とした。条件(思いやり vs.統制)を独立変数、思いやり感情・思いやり思考・思いやり作業をそれぞれ従属変数としてWelchのt検定を行った結果、すべての従属変数について、統制条件よりも思いやり条件のほうが有意に高い平均値が確認された。今後は、このタスクを用いて思いやりの有無を操作し、援助者の心理的プロセスについて検討を行なう予定である。