自由報告2-5

生きやすい人生を目指して
堀江幸生(名古屋大学情報学研究科社会情報学専攻)

人間は、すべての生物と同様に、傷つき、老化し、病にかかるような身体をもっている。加えて、死を認識できるような高度な意識、耐えがたい苦痛も認識できる心ももっている。それゆえに生まれてくることは、その本人にとって、常に災難である。なぜならば、苦痛は必ず快楽を上回る。例えば、美味しいものを食べたとしても、新たに美味しいものを食べたならば、以前の美味しいものは不味いものとなる。
私たちは、すべからく苦痛という病をもつ病人であり、そこに優劣の差はなく、すべての人は劣っているのでグレードアップするべきである。病は駆逐されなければならない。私たちは苦痛から自由になるべきである。脳深部刺激療法は、ロバート・ガルブレイス・ヒースによって、1970年代から確立された精神疾患の治療法である。一時期、向精神薬の登場で、この治療法は停滞の時期に移るが、最近注目されている治療法である。この治療法によって患者の感情や痛みさえコントロールできることが明らかにされてきた。恐れが、苦痛から呼び起こされるとしたら、苦痛を失くしてしまえば、私達は、恐れからも開放される。
トランスヒューマニズムは、生体工学に支えられているが、私は、それに脳科学の応用も含めるべきだと考える。もし耐えられないほどの精神的苦痛を被る人がいれば、この治療法をもってして彼らの人生を変えることができるのではないだろうか。人の人生から苦痛を取り除くことで、人はより良く生きられるのではないだろうか。一般的にトランスヒューマニズムは人の力で自然をコントロールするという傲慢な思想ととらえられる場合もあるが、どのような手段でも生きやすい自分を見つけることであると考える。
ただし、自分が快楽しか感じられないとしたら、それは本当に自分なのかという疑問も生じるであろう。私は、自身が鬱になった経験を持ち、向精神薬で闘病した経験を持つが、鬱なのが本当の自分なのか、向精神薬で治療しているのが自分なのかわからなくなった経験がある。確かなことは、自分が自分でなくなっても、心地よいほうが生きやすいと感じたことである。闘病中の自分が、医師の指示に反して、断薬を試みた時もあったが、覆われる気持ちの重さに耐えきれなくなった記憶もある。
死を選択するよりも、心地よく生きることが重要であると考える。
すなわち、脳科学によって、私たちは、どのような文脈でも、喜びを感じられる存在となることができるのであり、そのような世界は楽園だと言えないであろうか。

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