自由報告1-5

障害者運動の当事者性と体制化
──1920年代の日本盲教育同志倶楽部、日本聾唖教員協会の結成と挫折

栗川治(立命館大学大学院 先端総合学術研究科/日本学術振興会特別研究員)

1 目的と方法
本報告の目的は、1920年代に日本で最初に組織された2つの障害教員団体、すなわち日本盲教育同志倶楽部と日本聾唖教員協会の結成と挫折の経過を通して、障害者運動が起ち上がるときの当事者の置かれた状況と、その運動が衰退、体制化していくときの要因を明らかにすることである。
研究方法は文献調査による。特に日本盲教育史研究会の岸博実氏が資料室の整理を担当している大阪府立大阪北視覚支援学校、京都府立盲学校所蔵の資料の中から貴重な文献をご提供いただいた。

2 問題の背景と先行研究
障害学において障害者運動史研究は重要な領域の1つであり、これまで国内外の多様な当事者団体の運動について調べられてきた。しかし、障害のある教員の運動については、教育と労働に関わる問題を含む重要な領域であるにもかかわらず、これまでほとんど省みられなかった。
盲聾学校の障害教員に関しては、従来の特殊(障害児)教育史研究の中で一定の蓄積がある。しかし、そこには障害学が提示してきた当事者運動からの「障害」に関わる既存の知や社会のあり方の問い直しは生じない。
本報告では、従来の研究では埋没していた障害教員の当事者運動に焦点を当て、障害学の知見から再検討する。

3 2つの団体の盛衰
日本で最初の障害教員の当事者団体は、1925年5月に京都において結成された日本盲教育同志倶楽部であると考えられる。全国の盲学校で働く視覚障害のある教員の有志30余名が前年から準備してきた。既存団体として帝国盲教育会があったが「建議案の検討が中心」の組織運営であり、「こんにちまであまりめざましい働きをせず、とかく盲人の教師を差別する傾向があるので、これを革新せんとして生まれた」のが同倶楽部であった。役員は全員視覚障害教員の当事者であり、教育研究の交流や互助の活動を行うとともに、全国の盲学校教員の待遇等の実態調査を行い改善も求めた。
同倶楽部は1926年に日本盲教育会と改称し、さらに1928年8月には帝国盲教育会に吸収合併され、その存在は3年余の短命に終わった。
一方、聴覚障害教員の当事者団体としては、1929年7月に22名が吉野に集まり結成された日本聾唖教員協会が最初のものであると考えられる。1920年代以降、口話主義教育が聾唖学校で支配的となり「校内で手話が排除され、聾唖教員の立場が脅かされる」という危機的状況が出てきたことに対して、「実践の現状を変える」ことをめざす動きであった。ところが、同会の中心人物である中垣内久次郎が病に倒れ、1930年8月末に免職となる。そして、聾唖教員協会の活動も漸次記録にあらわれなくなる。聾唖教員の数も、1928年には49名だったが、急減し、1945年には8名となる(勤務校は手話法も重視した大阪市立聾唖学校等に限られた)。

4 考察
両団体の結成のきっかけには、障害教員に対する差別待遇と、障害教員の存在そのものを否定する盲唖教育、特に聾学校での口話法教育に対する当事者の危機感があった。
盲教育同志倶楽部は、当事者団体として帝国盲教育会から独立して盲教育会を革新すべく活動したが再吸収合併された。両団体の会員の多くが重複していることなどが理由とされたが、結果として同志倶楽部結成の「志」や当事者性は希薄化し、改革の意欲も衰弱し、体制化していった。ここには、現代の障害当事者団体が社会福祉法人化などする中で当事者性を喪失してきている様相と共通する問題がありそうである。
聾唖教員協会は、自らの存在を否定する口話法支配の教育に抗すべく当事者団体として活動を展開しようとしたが、短期間で消滅した。これは組織の消滅だけでなく、会を構成する聾教員そのものが聾学校から排除されたことも意味する。これは障害の社会モデルの典型であり、聴者有利の社会が聾者を無力化し、差別・排除した。聴覚障害教員に対する身分的、賃金的差別は戦後も続き、ようやく1990年の西田訴訟勝訴で社会問題化し、1994年の全国聴覚障害教職員協議会の結成に繋がっている。

5 結論と課題
本報告では、日本で最初に組織された2つの障害教員団体の結成と挫折の経過を通して、その状況と要因を考察した。
その結果、当事者団体結成のきっかけは、自らの存在の危機、差別であったことがわかった。また、運動・団体の衰退の要因としては、組織の合併による当事者性の喪失、体制化と、当事者を無力化、排除する健常者支配の暴力性があったことが示唆された。
この黎明期の障害教員当事者団体の盛衰には、現代の障害当事者団体・運動が直面する課題にも共通するものがあり、今後の研究において解明されていく必要がある。

文献
盲聾教育開学百周年記念事業実行委員会編,1978,『京都府盲聾教育百年史』京都府教育委員会.
中村満紀男編,2018,『日本障害児教育史 【戦前編】』明石書店.
岡本稲丸,1989,「西田裁判が訴える障害者差別ーー聴覚障害教員の場合」『障害者問題研究』障害者問題研究編集委員会,56:70-77.
点字大阪毎日,1925,「盲同倶楽部」『点字大阪毎日』189(1925年12月17日),26.