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質疑応答は文章末です


高次脳機能障害の受け入れとは何か

澤岡友輝(立命館大学大学院先端総合学術研究科)


 

1.はじめに
 本報告は、高次脳機能障害の受け入れとはどのようなことなのか、本人の手記を用いて考察する。これまで障害受容については、障害受容プロセス(Cohn 1961)、上田(1983)などによる議論がある。のちに、Yoshida(1993)が障害受容のプロセスには揺り戻しがあると指摘した。また田島(2009)は、「障害受容」が支援者によってしばしば用いられてきたことや、本人が一度受容していても再燃する可能性について論じている。
 本報告で着目する高次脳機能障害は事故や病気を契機として後天的に生じるものではあるのだが、障害自体には身体的特徴がない。そのため後天的に生じたもので可視的な障害のように、身体機能の喪失や変化に伴う悲嘆(田垣 2007)、日常生活動作の変更が即座に生じることは多くない。高次脳機能障害者の場合は、本人が生活・働くなどする社会において、障害を受容も拒否もできないまま生きる存在であるという報告(林 2015)がある。本人は高次脳機能障害による症状1)を知り、それに対する適応や行動があれば障害を受容したことになるのだろうか。それでは、支援者が捉えた「障害受容」になるだろう。身体的特徴がないうえ、後天的でかつ認知機能の障害である高次脳機能障害を有する本人にとって高次脳機能障害の受け入れとはどのようなことなのだろうか。
 本人が高次脳機能障害を有することを認めたうえでなら、その属性を隠すこと/開示することができる。属性の開示は就労の可能性だけでなく、本人が望む配慮や理解を周囲から得ることができる場合もある。本人らによる自己開示2)は、就労の場だけでなく場面に応じて方法や程度を選択するなど戦略が確認された(澤岡 2022a)。自らにある症状が障害であることへの気づきや、本人が障害を認めて他者に示すことができる一方で、ある場面では隠す/隠すことができない/隠す必要がないなどといった特性のある高次脳機能障害の受け入れとはどのようなことなのか。本報告では、本人の手記を用いて考察する。

2.目的・方法
1)目的
 障害自体には身体的特徴がなく、後天的かつ認知機能の障害である高次脳機能障害の受け入れとはどのようなことなのか検討する。

2)方法
 高次脳機能障害のある本人の手記を収集した。結果は、高次脳機能障害者3人の手記から引用した。手記の中で、症状の不可視性と受け入れがうかがえる記録に着目した.考察にかんする部分には下線をつけた。

3.結果
1)山田規畝子のケース

何があってもあまり動じないほうだと思うが、さすがに今回だけは、事態は深刻そうである。実際、毎日が自分にがっかりさせられることの連続なのだ。子どもの幼稚園に持っていくものを忘れる。お休みの日に登園してしまう。お迎えの時間を間違える。探し物が見つからない。自分の住所や名前を書かずに郵便物を出してしまう。そんなことばかりだ。そして何より、次々と失敗をやらかす自分を、私自身がなかなか受けれられない。情けなくてしょうがない。「何やってんだろう、私」そう。高次脳機能障害の本当のつらさがここにある。おかしな自分がわかるからつらい。意議レベルが低い状態なら、まわりには迷惑をかけるだろうが、自分としてはたいして気に病むことはないかもしれない。でも高次脳機能障害では、知能の低下はひどくないので、自分の失敗がわかる。失敗したとき、人が何を言っているかもわかる。だから悲しい。いっこうにしゃんとしてくれない頭にイライラする。度重なるミスに、われながらあきれるわ、へこむわ、まったく自分が自分でいやになる。見た目には「ちょっとトロい人」くらいにしか見えないため、街に出ても他人様は冷たい。肉親くらいは優しくしてくれるかというと、ところがどっこい。病気前のイメージが抜けないせいか、もう治ったと思いたいのか「しっかりしろ」と容教ない。さらに落ち込む。(山田規久子 2004: 90-91)

「脳卒中の後遺症のおもなものに、記憶障害と注意障害があるんです」なんて言ったら、健康な人は、なんだか大変そうでかわいそう、と思うかもしれないが、実際は健康な人でも高次脳機能障害と似た経験はしているのである。たとえば、眼鏡をかけていながら「眼鏡がない」と探したり、電車の切符をどこにしまったか忘れて改札の前でアタフタしたり、考え事をしながら探し物をしているうちに「何探してたんだっけ?」と立ちすくんだり。ボーッとしていたり、極端に疲れていたり、寝ぼけているときなど、自分でもあきれるような思い違い、勘違い、見間違いといった「うっかりミスをすることは誰にでもある。もともと注意力散漫な傾向のある人や、高齢者ならなおさらだろう。最初は「なんて悲惨な障害」としょげていた私だが、「なんだ、うっかりしてる人とたいして変わらないじゃないの」と気づいてからは、だいたいのことは「バッカでー。またやってもうた」ですませるようになった。神経の図太さが、私をなんとか立ち上がらせてくれた(山田規久子 2004: 93-95)

2)柳浩太郎のケース

自分は障がい者。どこか普通の人と比ベてレベル的に劣る気がしていた。「だけど、こんなオレでもいいんだ」心から、そう思えた。病院でもリハビリの間もずっと考えていた。「今後どうやって生きていこうか」「退院しても芸能界でやっていけるのだろうか」いつまでも負の感情を抱えて「なんで事故に遭ったのだろう」と考えていても、元の身体に戻るわけではない。考えて元の身体に戻ることができるなら、いくらでも考える。でも、それは無理なのだ。(柳浩太郎 2010: 130-131)

「どうしてそんな前向きになれるんですか」と聞かれることがたまにある。簡単なのは、自分を好きになることだ。でも、それがなかなか難しくてできないから、みんな悩むのだと思う。だからボクは言う。別に好きにならなくてもいいから、自分のことをわかって、自分の状態を受け入れれば十分だと思うんです、と。「受け入れる」と「好き」というのは、もしかしたら言い方が違うだけかもしれない。でも好きになれない人でも、「受け入れる」だったらできやすいんじゃないかなって思う。ボクも自分を受け入れたから、自分の身体の状態が少しずつわかっていって、「じゃあ、こういう時はこうしたらいい」という前向きな考えができるようになった。そうすると心に無理もしないし、頑張りどころでちゃんと頑張れるようになった。まあ、そうなれるまでにもちろん何年もかかったけど。でも、コツコツとだけどそうやって自分を受け入れてきたから、今こうして普通に生活することができている気がする。(柳浩太郎 2010: 146-147)

完璧主義ではなく、チャランポランなところがあったからこそ、「ここまでできたけど、ここからはできなくて仕方がない」と思えて、前に進めた。人生、「欠点」に救われることもあるのだから、やっぱり自分を受け入れてみるものだ。「障がい者」という言葉にはマイナスのイメージがあるかもしれないけど、しょせんただの言葉だから、マイナスに思う必要もなければプラスの意味を見出す必要もない。ただ普通に障がい者である自分を受け入れて、そこから人生が始まっていくんだと思う。(柳浩太郎 2010: 152)

3)大和ハジメのケース3)

この変化した脳を――おかしな頭を――プラスに働かせることはできないだろうか?「事故は無駄じゃなかった」――更に言えば――「事故にあって良かった」とそう思えるような行動をとれば良いのではないか?これからそういう生き方をすれば良いのではないか?私は前を向いて生きられるのではないか?あるのだろうか?――あるとすれば――「人と違う」という要素が欠点にならないようなこと?芸術?創作?――漫画?(大和ハジメ 2019: 206)

どうやら私は「新しいこと」に慣れるまで極端に時間がかかるようだ。ディレクターも何度かやらせてもらえば恐らくできるようになっただろうが――問題のある人間は二度と使われない。思考に「抜け」が多いのも問題だ。多い上に抜け方が「普通では考えられない範囲」のため「こいつはおかしい」と思われる。仕事が全くできないというわけではなかった。通常の販売は2年間続け 優秀ではないがなんとかやっており少しは自信があった。しかし――新しいことや少し複雑なことをやらせると途端に駄目になる。その差が極端であり「異常」だと認識される。世の中は健常者用に最適化されている。当然 社会では「普通の成長」を要求される。私に健常者と同じ成長及び行動は――できない。(大和ハジメ 2019: 240)

成績は――トップだった。(中略)『2年間の営業経験は無駄ではなかった』『最初は異常者扱いされるが 時間をかけて頭を整理することで 健常者並みに仕事ができる可能性がある』そう考えられるようになったのが大きい。『障害が消えないからといって 成長できない訳ではない』と思うことができたのだ。(大和ハジメ 2019: 253)

営業経験を下地にして確固たる「技術」を身に着けることができた。この技術の効果で仕事や日常生活での「ずれ」も気にならなくなった。とは言え「ずれ」が消えたわけではなく……場違いな行動をすることがある。おかしなことを言うこともある。私の異常さを感じ取り警戒される時もある。しかし――ある程度は自分でフォローできるようになったし感情的にならないことで周りが見えるようにもなった。健常者との差に怯えながら暮らしていた私にとってこれは非常に大きかった。仕事に助けられた。恐怖に動かされる生活が終わったのだ。(中略)強引な方法かもしれないし完璧でもないが 障害を接客スキルで上書きできたと感じた。(大和ハジメ 2019: 261-262)

そして――――脳挫傷から4000日以上が経過した。私は――「目標」を達成した。長い長いリハビリがついに……終わった。800万円分社会に認められた。私は「健常者」になったのだ!これは就職活動の時に――いや就職をあきらめた時に決めたこと。障害等級8級と認められ保険金が親の口座に入金された。しかし8級に障害者手帳は発行されない。援助は継続的なものではない。つまり状況から考えれば私は「800万円あれば健常者並みになれる」と国に判断されていることになるのだろう。私が変わらなければせっかく下りた保険金も無駄になってしまうのではないか?(中略)――800万円貯めることができたとしたら――健常者並みになったとそう思っても良いのではないか?(中略)そう――漫画を描くのも仕事をするのも全ては機能回復(リハビリ)のため――自分で設定したリハビリが終了し実に晴れやかな気分だ。そうだこれを機に何かを始めよう。健常者として一歩を踏み出そう!(中略)事故の体験を漫画にして人に伝えられたら誰かの役に立つかもしれない。事故を思い返すことや調べることにかなり抵抗はある――が――障害を乗り越えた今なら向き合えるはずだ!(大和ハジメ 2019: 263-267)

4.考察
1)障害受容と自己受容
 高瀬(1956)が説明した自己受容(障害のために変化した諸条件をこころから受け入れること)を挙げて、南雲(2002)が「障害のために変化した身体的条件をこころから受け入れること」4)だと説明を加え、障害受容と自己受容を批判している。本報告でとりあげた手記では、はじめこそ困惑する様子が見られたが、のちに自分の状態や生じる症状に納得しているのがうかがえる。症状を知って適応した行動をとる(山田・柳)/設定した目標を達成する体験(大和)を経ることで、「障がい者である自分を受け入れ」や「障害を乗り越えた」などの表現を確認した。それは、本人にとっての「自己受容」と言えるのではないだろうか。
高次脳機能障害が可視的な障害ではなく、その症状は障害のない他者にもある程度は共通することである。発症後はおかしくなった自分がわかり、その症状が他者から過剰だとみなされてしまうこともある。他方で、その症状は誰にでもあることじゃないかと本人は処理することもできる。高次脳機能障害の受け入れには、本人が高次脳機能障害の不可視性をどう受け止め、対処するかが関わっていると考える。

5.結論と今後の課題
 高次脳機能障害の受け入れには、自分のことを理解して生活する、発症後に設定した目標を達成するなどの経験があり、「障がい者である自分を受け入れ」、「障害を乗り越えた」などとする場合を確認した。そこでは、高次脳機能障害の不可視性をどう受け止め、対処するかが関わっていた。
 本報告では「障害受容」を取り上げたが、高次脳機能障害の症状による困難は状況や環境によっても変化するため、本人が高次脳機能障害をいったん認めていたとしても、能力の低下を何度も考えることになる。障害受容には揺り戻しがある(Yoshida 1993)ことは指摘されているが、今後は症状の変化が本人の受け入れとどのようにかかわっているのか、あるいは、かかわっていないのかを検討する。

注1)高次脳機能障害の主な症状に、記憶障害(新しく何かを覚えられないなど)、注意障害(集中力がないなど)、遂行機能障害(物事を計画して実行することができないなど)、判断力の低下・易疲労性(精神的に疲れやすい)などがある(橋本 2007)。
また、高次脳機能障害には認知と意識が乖離する病態がある、「気づき」の障害とも説明されることもあるが(大東 2013)、本人は生活の中で障害による困難に直面し、あるいは他者から指摘され、当時はよくわかっていなかった高次脳機能障害という診断名と自らにある症状が結びつくことはある(澤岡 2022b)。

注2)自己開示(self-disclosure)という言葉を早い段階で学術的に論じたものに、ジュラードの『透明なる自己』(Jourard 1971=1974)がある。榎本(1997)は自分の性格や身体的特徴,考えていることなど「自分がどのような人物であるかを他者に言語的に伝える行為」と定義している。森山(2010)は性的少数者が用いるカミングアウトについて、現在の用法が「自身の特徴や属性、特に差別や抑圧の「理由」となるようなそれについて、今までに明かしていない情報を他者に伝達すること」だと述べている。

注3)コミックエッセイで句読点がなかったため、句点を補って引用した。読点で補うのが相当でないと判断した箇所はスペースをあけた。

注4)南雲は、脳の障害について以下のように補足している。
 脳に傷害を受けると、言葉や知覚や認知などの心の動きが低下し、元どおりにならないことがあります。これは心理的条件と見るべきかもしれませんが、脳を身体の一部と考えて、ここでは身体的条件に含めることにします(南雲 2002: 35-36)。

【文献】
Cohn, N, 1961, “Understanding the Process of Adjustment to Disability,” Journal of Rehabilitation, 27: 16-18.
榎本博明,1997,『自己開示の心理学的研究』北大路書房.
橋本圭司,2007,『高次脳機能障害――どのように対応するか』PHP新書.
林眞帆,2015,「ソーシャルワークにおける高次脳機能障害のある人の対象認識に関する研究――〈受容なきままの覚悟〉をもって生きる存在」『社会福祉学』56(2): 63-74.
森山至貴,2010,「ゲイアイデンティティとゲイコミュニティの関係性の変遷――カミングアウトに関する語りの分析から」『年報社会学論集』(23): 188-199.
南雲直二,2002,『社会受容――障害受容の本質』荘道社.
大東祥孝,2013,「「気づき」の障害」『高次脳機能研究』33(3): 293-301.
澤岡友輝,2022a,「高次脳機能障害と戦略的自己開示――就労とジレンマに焦点を当てて――」『立命館人間科学研究』44: 1-14.
――――,2022b,「高次脳機能障害がどのようにしてわかるのか――受傷の契機と本人の気づきに着目して――」『コア・エシックス』18: 87-97.
田垣正晋,2007,『中途肢体障害者のおける「障害の意味」の生涯発達的変化――脊髄損傷者が語るライフストーリーから』ナカニシヤ出版.
田島明子,2009,『障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ』三輪書店.
上田敏,1983,『リハビリテーションを考える――障害者の全人間的復権――』青木書店.
山田規畝子,2004,『壊れた脳 生存する知』講談社.
大和ハジメ,2019,『交通事故で頭を強打したらどうなるか?』KADOKAWA.
柳浩太郎,2010,『障害役者~走れなくても、セリフを忘れても~』ワニブックス.
Yoshida, K. K., 1993, “Reshaping of self: a pendular reconstruction of self and identity among adults with traumatic spinal cord injury,” Sociology of Health & Illness, 15(2): 217-45.


■質疑応答
※報告掲載次第、9月17日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はjsds.19th@gmail.com までメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

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※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。


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