自由報告1-4

森壮也
権利条約から15年近くを経た途上国における障害当事者運動の新たなアプローチ――フィリピンの事例から
報告要旨

障害者権利条約が国連で2008年に発効してから16年がたった。東南アジアでそれ以前の1992年から障害者のマグナカルタと呼ばれる障害法を制定していたフィリピンでも、その後、同法の幾度かの改正や精神保健法の制定といった法制度の準備は進んでいるが、障害当事者たちの生活の向上は思ったようには進んでいない。その背景には多くの問題がある。これらの問題を整理した上で、近年、法制整備も停滞する中、同国の障害当事者団体は新たな取り組みによって自分たちの生活向上を目指し始めている。特に、自立生活運動を目標としたいわゆる社会への啓蒙や政府への要望といった従来の障害者運動の中心となってきた動きとは異なる動きが現地でのインタビュー調査によって見えてきた。こうした新しい動きのポイントについて報告すると共に、そこから示唆される途上国の障害者の生活向上のための取り組みのあり方について、「障害と開発」の観点から述べる。

報告概要
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「権利条約から15年近くを経た途上国における障害当事者運動の新たなアプローチ
-フィリピンの事例から-」
ジェトロ・アジア経済研究所
関西大学、早稲田大学、神奈川大学
森 壮也
報告の要旨
CRPD発効の2008年から16年
フィリピンでは1992年から障害者のマグナカルタと呼ばれる障害法
同法の幾度かの改正や精神保健法の制定
障害当事者たちの生活の向上は思ったようには進まず
その背景にある問題
近年、法制整備も停滞する中、障害当事者団体は新たな取り組みへ
これまでの障害者運動:自立生活運動が目標、社会への啓蒙や政府への要望
従来とは異なる動き
途上国の障害者の現実の生活向上のための新たな取り組みへ
問題意識
フィリピンのような開発途上国では、確かに障害者権利条約以後、国際的な障害者施策の有るべき姿や障害者の権利のあり方は権利条約によって示されたが、各国の政策で実現されたものは多いとは言えず、むしろ停滞しているケースも多い。そうした中で、当事者団体はどうしているのだろうか?
フィリピン手話(FSL)法の現在
フィリピン手話法の現在と取り組み、課題
RA No.1106(FSL法):正式名称は、「フィリピン手話をフィリピンのろう者の手話と宣言し、ろう者が関わる学校、放送メディア、職場での使用を含むすべてのやりとりにおける政府の公用の手話と宣言する法律」(2018年)
フィリピンろう連盟(Philippine Federation of the Deaf、PFD)やフィリピン・デフ・リソース・センター(Philippine Deaf Resource Center)という民間の聴者による手話やろうコミュニティを支援する団体の運動の成果⇒議員立法
FSL法
第1条 同法の名称
第2条 政策の宣言
第3条 フィリピン国の手話(ナショナル・サイン)としてのフィリピン手話
第4条 教育におけるフィリピン手話
教育手段とカリキュラム
ろう教員
教員教育プログラムにおけるフィリピン手話
トレーニングおよび評価のプログラム
第5条 フィリピン手話通訳の基準
第6条 司法システムにおけるフィリピン手話
第7条 すべての職場におけるフィリピン手話
第8条 保健システムにおけるフィリピン手話
第9条 すべてのその他の公的なやりとり、サービス、ファシリティの場におけるフィリピン手話
第10条 メディアにおけるフィリピン手話
第11条 フィリピン手話の振興
第12条 学校やこどもの発達センターにおける指導教材
第13条 実施諸規則
第14条 本法の厳密な監視と実施
第15条 予算割り当て
第16条 分離条項(同法の内容の一部が憲法に違反する,あるいは不当であると判決を受けた場合、それによって同法の他の部分が効力を失うような影響を及ぼすことはないことを述べたもの)
第17条 発効の日

FSL法の特徴
フィリピン手話自体の推進のみならず、教育、通訳、司法、職場、保健、公的サービス、メディアという手話を使用するろう者が生活上関わる様々な領域を広くカバー
教育への注力
音声言語の公用語であるフィリピノ語と同等の地位と価値をフィリピン手話に対しても与えることに国家が責任
国立フィリピン大学(UP)とフィリピノ語委員会(KWF)が協力して、FSLの研究と手話通訳制度の確立へ
政府機関職員のための訓練教材の開発ガイドライン制定

FSL法実施の課題
施行規則は、2023年11月現在で、承認は(IAC)のみ
規則の公式の承認のみならず各省庁がそれに従った施策実施をしていない
特に教育省?KWFの主管掌分野であったフィリピノ語でも同様の問題
FSLの受容やインクルーシブ教育の現場でのろう児の扱い、現場でのトレーニングの指示が出ていない(2024年1月現在)
当事者教員の訓練や彼らのアクセシビリティ対策も出ていない(同)
KWFではなく、より権力のある保健省などの管轄の方が良かった?
KWFの働きかけによる大統領令を新たに出すことで各省庁への強制施行圧力
障害関連法の停滞と
障害当事者団体
障害関連法制整備の停滞
CRPD批准以後、フィリピン政府は行政府も立法府も権利条約との調整のために積極的に動いていない
障害者のマグナカルタ(RA7277)の修正が一部あったのと、SSSによる障害者のための年金制度が高齢者に準じるものになった(正規雇用10年未満の者に対しPHP1,000/Month)他、精神保健法(医療中心)が制定された(2017)程度
NCDA(全国障害問題調整委員会)は大統領府から社会福祉開発省へと移管され弱体化(2011)
アクセシビリティ法のCRPDに準じた改正は未だならず
障害NGOの取り組みの進展
Lipa市での取り組み
マニラ首都圏南方の都市、人口372,931人、世帯数89,993(2020年センサス)、マニラ首都圏のベッドタウンとして急発展、多くの高層ビルも。
2009年同市の障害当事者リーダーが全国ベースでのトレーニングワークショップに参加
「政府予算の1%未満」は障害者・高齢者のために使用すべきという歳出法+大統領布告688号(2013年)のLGUレベルでの活用を学ぶ
障害者のマグナカルタの「政府は技術面と経済面で障害者を支援しなければならない」条項(第7条の第30項と第31項)のLGUでの実施を求める
バランガイ代議員の改選に伴う当選議員を対象とした障害センシティビティ訓練の実施要求
バランガイに障害専門担当事務所の拡大設置
Makati市での取り組み
Makati:マニラ首都圏のビジネス街、多くの日系企業もここにフィリピンの本社機能を設置、日本大使館もある。人口629,616人、世帯数186,381(2020年センサス)。
2009年同市の障害当事者リーダーが全国ベースでのトレーニングワークショップに参加
Makati市は住民は医療が無料という裕福な市、その恩恵をバランガイ・レベルまで行き渡るようにするための市からバランガイにわたる予算の仕組みについて障害当事者リーダーが学ぶ
障害当事者のために予算使用がかなうようにバランガイを動かす

 

まとめ:2つの事例から言えること
いずれも問題の在所は、政府部内の仕組みの問題?「障害問題は(福祉問題ではなく)開発問題」(元ESCAP社会問題担当官高嶺豊氏)
国内法制のCRPDへのハーモナイゼーションが進まない状況の中、既存法制を当事者団体が学ぶことにより、自国の現法制下でどのように自分たちが求めるものを得るかを学ぶ
フィリピンだと中央政府⇒地方政府⇒市⇒バランガイ(最小の行政単位)と資金が流れるような仕組みを当事者たちがバランガイや市と協力して作る
中央政府の関係官庁を動かして、政府のガバナンス回復のための取り組み
自立生活運動や権利運動という国際的に共通した運動から、国ごとのテーラーメイドのより地域社会化された運動へ