女性視覚障害者における複合差別の経験とその意味づけ(その2)
-ある女性視覚障害者のライフストーリーにおける複合差別とその「生活戦略」について-
安達朗子(北星学園大学大学院社会福祉学研究科博士(後期)課程)
Ⅰ 本調査の目的と意義
2006年、国連の障害者権利条約において、女性障害者が女性であり、障害者であるがゆえに被る差別が「複合差別」(注1)として明示され、その問題意識が高まりつつある。DPI女性障害者ネットワークは、女性障害者の被る差別の実態が不可視化されている現状を踏まえ、女性障害者を対象とした複合差別に対する調査を行った。その結果、女性障害者87人への聞き取りの中で45件の性的被害が明らかとなった(DPI日本会議 2012)。そのうち、女性視覚障害者からの声も少なくなかった。
歴史的にみても、女性視覚障害者の未就学、三療業における性的被害、結婚不可論などが問題化され、それに対する支援活動や社会運動が展開されてきた。しかし、そのような差別と対峙してきた女性視覚障害者の生きられた経験は、いくつかの自叙伝に描かれているものの、差別の実態調査から窺い知ることはできない。
女性視覚障害者である筆者は、日常において友人たちから女性視覚障害者ならではと思える苦悩をよく耳にする。これまで知り得なかった女性視覚障害者の複合差別を可視化するためには、そのような個人の語りに焦点を当て、社会のあり方を紐解くライフストーリー研究法が必要であると考える。
そこで本研究は、女性視覚障害者Bさんのライフストーリーを基に、女性視覚障害者がどのように複合差別を経験し、それをどのように意味づけてきたのかを明らかにすることを目的とする。差別の実態が表面化されにくい女性視覚障害者に焦点を当てる本研究は、個人の側から差別を捉え直すことによって、差別の構造的要因の解明に寄与するだけでなく、量的調査から零れ落ちてきた女性視覚障害者の意味づけから差別研究に新たな示唆をもたらすことが期待できる点において意義があると考える。
Ⅱ 女性障害者の複合差別に関する先行研究
従来から女性障害者たちは、優生思想による強制不妊手術や施設収容、性的虐待や望まない異性介助などに対して、社会運動を展開してきた。女性障害者の結婚や生殖においては、親族からの反対や中絶を勧められるなどの差別が問題化されている。その背景には、家事やケアなどが女性の役割であるとの前提の上で、その女性役割を女性障害者には担えないとみなす社会のまなざしがあり、妊娠や出産を否定される背景には、障害者を価値のない存在としてみなす障害観がある(伊藤 2000)。
このような複合差別によって否定的な社会のまなざしを内面化させられる女性障害者も少なくないが、それは、社会における構造的な差別の結果であり、深刻な問題として指摘されている(Begum 1992:fine & Ash 1989:上野 1996)。
現在日本において、女性障害者の複合差別をテーマとする調査や研究が行われつつあるが、女性視覚障害者の差別経験は、「女性障害者」の差別経験の中に埋もれがちであり、女性視覚障害者に限定するとごくわずかである。したがって、女性であり、視覚障害者であるがゆえに被る差別を捉えるためには、個人の語りに焦点を当て、その差別経験を詳細に紐解く作業が現在求められているといえる。
Ⅲ 女性視覚障害者Bさんのライフストーリーと複合差別
1.調査方法と調査協力者
本調査は、一人の女性視覚障害者を対象に対話的構築主義に依拠したライフストーリー研究法(桜井 2002)を用いる。本調査の協力者は、女性視覚障害者である筆者の知人であり、30代先天性全盲の女性である。実施日は、2020年12月13日、12月20日、2021年1月3日の3回であり、インタビュー時間は、1度目は2時間30分、2度目は2時間40分、3度目は1時間57分であった。
2.調査の手続きと調査項目
調査手続きとして、まず調査協力者へ連絡をとり、研究の趣旨を理解してもらい、承諾を得た。研究の依頼書と同意書は、視覚障害のパソコンに対応するテキストファイルをメールで送付し、インタビュー開始時にも口頭で説明を行った。互いの日程を調整し、インタビューを実施したが、遠方のため電話を使用した。インタビューの会話は、本人の許可を得て、ICレコーダーで録音した。
インタビューでは、土屋(2018)の調査方法を参考にし、協力者の自由な語りを促せるよう「差別」という言葉を使用せず、「困難さ」や「悩み」などを詳細に聞き取ることに努めた。協力者には幼少期から現在に至るまでの人生の歩みを語ってもらったが、研究テーマである複合差別に焦点を当てるため、以下の質問を加えた。
すなわち、①女性ならでは、あるいは、視覚障害ならではと感じる悩みや困ったこと、②その出来事に直面した際に感じたこと、③恋愛や結婚、子育てにまつわる悩みや心配なこと(悩みや心配だったこと)、④視覚障害者や女性として配慮してほしかったこと、⑤人生を振り返り、自分が経験してきた差別や困難さについて感じたこと、である。
3.分析方法
インタビュー修了後、随時逐語起こしを行い、ライフストーリーの概要を作成した。そして、語られた困難であった経験に着目し、時系列に、出来事に見出しをつけ、類似の経験を収集・分類した。
その結果、1.教育過程、2.進路、3.恋愛・結婚観、4.職場という4つの場面において困難に直面していたことがわかった。さらに、それらの経験にどのような意味づけをしているかに着目し、分析した。
4. 倫理的配慮
調査協力者には自由に参加を決定していただくこと、個人情報の保護、負担や不快への配慮、録音データの厳重な管理等を説明した。また、視覚障害に配慮し、インタビューの録音時に同意書を読み上げ、後日文字に起こすことによって、了承いただけたことを示した。なお、本調査については、2019年12月11日に開かれた北星学園大学倫理審査委員会にて承認を得ている (文書番号19・研倫第49号)。
Ⅳ インタビュー結果と分析
以下では、Bさんのライフストーリーを負いながら、女性であり、視覚障害者であるがゆえに生起した困難であった経験をみていきたい。
1.教育過程
(1)晴眼者との差異から生じる劣等感
Bさんは、30代先天性全盲の女性である。
幼少期には、一般の保育園と盲学校の幼稚部を一週間ごとに行き来した。Bさんは、晴眼者の友達と遊ぶ時にはいつも「できないからだめ」と言われ、仲間に入れなかった。そして、周囲の言葉かけから、「障害者=かわいそう」、「障害者=頭が悪い」というステレオタイプ的な見方があることを感じていたという。
(2)感情に蓋をしていい子を演じる
小学部の寄宿舎生活において、Bさんは、両親と離れることにさみしさを感じ、いつも泣いていた。すると、寄宿舎の教員は、あまりにも泣き続けるBさんに「泣くな」と叱責するようになった。そこでBさんは、教員たちに怒られないよう「感情に蓋をして、いい子を演じて黙っていよう」と思うに至った。そして、この時期にBさんは、とにかく「我慢」することを身につけたという。
2.進路
(1)あきらめさせられた大学進学
高等部に入り、Bさんは大学進学を希望した。しかし、両親の離婚によって母について行ったBさんは、母から経済的自立を望まれ、大学進学を反対された。さらに、教員からは、大学進学に必要な一人暮らしに対する家事と学業の両立ができるのかと迫られた。そして、自炊をする必要のない寄宿舎がある盲学校で三療の資格を取ることが最適であると勧められた。また、理療科教員からは「あんまのサービス業もろくにできない視覚障害の生徒が大学進学するなんて無理だ」と言われていた。
この時Bさんは、先天性全盲の生徒や盲学校以外の経験がない視覚障害の生徒が、コミュニケーション能力がないとみなされ、「視覚障害者ならばあんまの道へ行くものだ」と決めつけられたことに不快感を抱いた。
しかし、親の世話になっている限り、それ以上大学進学を望めないと思ったBさんは、いつか自分の稼ぎで行くことだと思うに至った。
その時、もし私が本気で大学行きたかったら、働いて、お金貯めて、誰にも文句言われないで、行ってやるって思ったから。これで理療科に行こうって、自分の意志で決めたんだよね。
このように、Bさんは、自らの意志で理療科へ行くことを決断したのである。
(2)進路指導における葛藤
Bさんは現在、理療科教員として盲学校に勤務している。そこで生徒の進路指導に苦悩することもあるという。 Bさんは、生徒の大学進学を応援したい一方、家庭の経済状況が厳しい生徒の場合には、理療科の選択肢も考慮に入れてほしいと思うようになった。なぜなら、これまで大学進学をした視覚障害者たちが就職困難に直面しているからである。さらにBさん自身も理療科教員になったことで経済的自立を果たせた実感から、特に全盲の生徒が経済的自立を果たすには、三療が最適であるという確信を持ったからである。そのため、生徒の進路指導には複雑な葛藤が生じる。
しかし、Bさんは、自分がされて不快だった教員たちからの指導をせず、反対に自分になされなかった情報提供を行い、生徒の希望に寄り添った指導を行うよう心がけている。
3.恋愛・結婚観
(1)晴眼者の結婚相手を望む親族
Bさんは、結婚相手の障害の有無は関係ないと思っている。しかし、視覚障害者同士の結婚の反対やそれによる親戚関係の崩壊の話をよく耳にしてきた。Bさん自身も祖父から将来の結婚相手は「晴眼者じゃないとだめだ」と伝えられた。Bさんは「経済的自立をしていれば視覚障害者でもよいのではないか」と反論したがそれでも反対された。そのため、将来、結婚相手が視覚障害者であった場合、祖父の反対に対し、母がどう対応してくれるかが不安であるという。
Bさんは、目が見えることが健康であり、健康な子どもを産むことが善とする周囲の考えや「結婚を善」とする考え方に疑問がある。なぜなら、生まれてくる子どもの障害の有無によって、幸・不幸が決まるわけではないからであり、幸せのあり方は人それぞれだと考えるからである。
(2)結婚相手に求める理解
Bさんは、子どものケアよりも父の家事やケアを優先していた母の姿に違和感を覚えていた。それとは反対に、Bさんは、女性役割を期待する結婚相手を求めていない。しかし、視覚障害者であることを考慮すると不安が生じる。なぜなら、女性役割を期待する男性の場合、家事や育児をすべて任される可能性があり、必要な支援があることを理解できるかわからないからである。
4.職場
(1)女性視覚障害者教員の少なさ
現在勤務する盲学校において、女性視覚障害者教員はBさんが一人である。そこで、女子生徒への配慮に欠けた言動を目にすることも多いという。例えば、男性教員が女子生徒の体型をからかうことがある。Bさんがそこに不快感を抱いたのは、自身もよく子ども扱いをされることが多いからだという。そのため、Bさんは、視覚障害者の視点と繊細な部分にも目が届く女性の視点が教育現場に必要であると考えている。
Bさんは現在、教員という立場において、これまでの経験や学習方法などを人に伝える機会が多いという。それにより、幼少期の頃から、「我慢」をしてきたことが、すべて役に立っているのを実感するという。
今思えば、つらかったっていうのは、その時にはそうだったかもしれないけど、やっぱり、必要な、言ってみれば、いいことも悪いことも必要な体験だったんだなって思うよね。だから、これからいろんなことがたぶんあっても少々大丈夫だろうなっていうなんか変な自信がついたかな。うん。
Bさんは、これまでのどんな経験もすべて教育現場で活かされている実感がある。それがつらい経験であっても、自分で決定してきたからこそ、そこに後悔はないという。そのことから、Bさんは、これまでの差別経験を「すべて必要な体験だった」と意味づけた。
Ⅴ 考察
(1)Bさんが経験した複合差別
これまでBさんが直面してきた女性であり、視覚障害者であるがゆえに生起した困難であった経験を見てきた。
Bさんのライフストーリーから、複合差別を生起させていたと考えられる要因を抽出すると以下にまとめられる。①かわいそうな視覚障害者像、②能力の過小評価、③情報不足、④合理的配慮の不提供、⑤経済的自立を優先する自立観、⑥女性役割、⑦結婚を善とする考え方、⑧目が見えることを健康とする考え方、⑨子ども扱い、⑩家父長制である。これらの要因が人生に絡み合い、それぞれの場面で女性視覚障害者特有の複合差別を生起させていた。
1の教育過程では、分離教育を通して、晴眼者との差異を強調され劣等感を抱かされる経験をしていた。
2の進路場面においては、進路選択の希少性と就職困難という問題を背景に、生徒が情報不足の中で選択を強いられていた。そして、教員や親たちによる生徒への能力の過小評価やかわいそうな視覚障害者像とともに、経済的自立を優先する自立観のもとで行う教育が強化されていったことが推察される。
3の恋愛・結婚観では、視覚障害者の結婚相手を不適切とみなす祖父からの拒否があった。それは、視覚障害者に対する能力の過小評価やかわいそうというまなざしがあり、そこに女性という位相が加わると、女性役割が担えないとみなされ、晴眼者からのケアが必要だとみなされたことによるものと推察される。加えて、「結婚を善」、「見えることが健康」であるという社会のまなざしも背景にある。それだけではなく、経済的自立の困難さを解消している視覚障害者の結婚相手でさえ拒否されたために、Bさんのショックは大きなものとなったと考えられる。
4の職場にみる女性視覚障害者教員の希少性は、女性視覚障害者の就職困難を切実に現しているといえる。
従来から問題化されているように、女性障害者の結婚や生殖に関する周囲からの否定は、Bさんの経験にも見られる。しかしそれは、1の分離教育を通して、2の進路場面で見てきた進路選択の希少性と就職困難という問題を背景に、家父長制の中で、複数の要因が絡み合い、生起しているものであった。
このように、1から4のライフイベントごとに生じる問題は、長期の時間軸で見ると、相互に連関しており、社会的に視覚障害者の雇用が進んでいない現状の中で、複数の要因が絡み合い、Bさんを取り巻く複合差別として現出していた。
(2)Bさんの複合差別に対する意味づけ
Bさんは、これまでの複合差別について、「すべて必要な体験だった」と意味づけた。そこには、幼少期の頃のつらかった経験や「我慢」を強いられた経験も含まれている。しかしそれは、決して差別を容認したり、無力化されたというものではない。
マイノリティの立場に置かれた人々には、その状況を乗り越えようとするさまざまな立ち向かい方があり、桜井は、その固有の創意工夫や知恵のことを「生活戦略」と呼んでいる(桜井 2005:37)。
Bさんにもその「生活戦略」があった。
高等部において、Bさんが教員や親から大学進学を辞退させられた時の語りでは、周囲の抑圧によって進路を変更したことではなく、自ら辞退し、理療科へ進むことを自ら決定したことが強調された。Bさんのこの時の語りは、悲惨な「被差別者ではない」という主張であったと考えられる。
そして現在、職場において、女性教員が一人であるため、Bさんは同じ悩みを共有できる人がいない。その状況下で、指導に関して苦悩することもある。そこでBさんは、これまで自分がされて嫌な思いをしてきた大人たちからの言動を生徒にしないよう、誠実に生徒と向き合うための指導を生み出そうとしている。
つまり、Bさんは、これまでのつらい差別を自身の教訓として役立て、その状況下では、自分で選択し、決定することによって、差別の被害者になることを回避してきた。これがBさんにとっての「生活戦略」であり、複合差別を「すべて必要な体験」と意味づけた由縁である。
■質疑応答
※報告掲載次第、9月17日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はjsds.19th@gmail.com までメールしてください。
①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。
報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。