障害学の風:アルメニア

ホワニシャン・アストギク(ロシア・アルメニア大学)

 アルメニアは南コーカサスにある小国である。面積は29,800平方キロメートルであり、人口は約300万人、そのうち98%近くはアルメニア人である。主な産業は農業、IT産業、サービス業であり、一人当たりのGDPは4,267米ドルである。世界で一番古いキリスト教国とされており、修道院、教会などの建築物が多い。

写真1:アルメニアの首都エレバン

アルメニアにおける障害者の歴史についてはほとんど知られていない。文学作品には知的障害者、精神障害者などの描写がしばしば見られるが、障害観、障害者福祉・政策の歴史についてまとまった研究が存在しておらず、障害学という分野もない。いうまでもなく、NGO、当事者、アルメニア政府により障害者の雇用、アクセシビリティなどについてさまざまな調査が実施されているが、それはあくまでも諸問題を明らかにするためであり、理論などを取り扱っていない。
アルメニアは1922年〜1991年はソビエト連邦の一部になっていたが、障害者政策もソ連と同じであった。ソビエト時代には障害は就労不能と強く結び付けられており、例外的なものとして視覚障害者連盟、聴覚障害者連盟では障害者が働ける工場などがあったが、特に重度の身体障害者、精神障害者の場合、就労は原則として不可能であった。ちなみに、ソビエト・アルメニアで視覚障害者および聴覚障害者はその他の障害者に比して社会的地位が高かったといえよう。1930年代にそれぞれの障害者連盟が形成され、連盟が障害者のためのアパートを建設したり、障害者が務める文化会館、教育機関、工房、工場などを経営していたため、視覚障害者および聴覚障害者が文化活動に携わっており(劇団、合唱団<注1>など)、雇用も保証されていた<注2>。両連盟は現在でも不動産を所有しており、それを貸し出すことによって費用の一部を賄っている。

写真2:アルメニアの首都エレバンの中心部にあるアルメニア聴覚障害者連盟の文化・スポーツ会館。連盟以外は、アルメニア空手連盟の事務所、旅行会社なども入っている。

また、ソビエト時代に障害は1932年より三つの級に分けられており、第1級は最も重かった<注3>。アルメニアでは独立後もそういった制度が続いていたが、2021年に施行された「障害者の権利に関する法律」では級が廃止されたため、現在は別のシステムに移行中である。

1991年以降の状況について

アルメニアは1991年にソビエト連邦から独立したあと、障害者に関するさまざまな法律が施行されている。1993年4月に「障害者の社会保障に関する法律」が制定され、機会均等化をはかろうとした。法律は障害者の健康、教育、雇用の保証、アクセシビリティ、生活保護などに包括的に触れていたが、問題点も多かった。例えば、「障害者」の定義は「知的または身体的不完全さにより日常生活の活動が制限され、社会支援および保護を必要とする者」となっていた<注4>。
この法律が2021年に廃止され、「障害者の権利に関する法律」<注5>が施行された。この法律は、内容や語彙に関して、アルメニアが2010年に批准した国連の「障害者の権利に関する条約」に強く影響されている。新しい法律では、障害や障害者の定義が変わり、個人の健康状況のみならず、物理的・社会的バリア(障害者に対する態度を含む)の影響も強調されている。ここでは、「障害者」とは「身体的、精神的、知的または感覚的な継続的な障害を有し、かつ環境のバリアの影響により他の者との平等に社会生活への完全かつ効果的な参加が制限されている者」と定義されている。ちなみに、用語も変更し、「障害者」(հաշմանդամ) は「障害のある人」(հաշմանդամություն ունեցող անձ)となっている。
新法律では、社会保障などのみならず、障害者差別、ステレオタイプや偏見の解消、障害者の社会参加、労働についての権利、男女平等、アクセシビリティ、インクルーシブ教育なども重視されており、障害の人権モデルが採用されている。また、ソビエト時代の障害の「級」が廃止され、障害は「中度」「重度」「最重度」となっており、ヘルパー制度も導入されている。

写真3:「障害者の権利に関する法律」の作成に積極的に関わった国会議員のザルヒ・バトヤン(Zaruhi Batoyan)。車椅子利用者であり、2019年1月〜2020年11月に労働・社会問題相として務めていた。写真は本人のFBページより。

上記の法律以外は、アルメニア共和国憲法、労働法、「都市計画に関する法律」などでも障害に関する規定がある。また、1991年以降には数多くの障害者支援団体、NGOが活動している。

法律と現実のギャップ

このように、法律は整備されているが、それは障害者の生活の質の向上につながっておらず、アルメニアの障害者は数多くの問題に直面している。2021年の時点で、アルメニアには195,634人の障害者がおり、そのうち93,201人は女性である。18歳以下の障害者数は9182人、63歳以上の者は85,165人である<注6>。障害者権利団体Unisonの代表アルメン・アラベルジャンによると、障害者の中では失業率が90%以上を超えており、それはアルメニアの平均(16.5%)を大きく上回っている。アルメニアの「雇用に関する法律」の第20条では、障害者の採用枠が設けられており、それは100人以上雇用している国有企業・役所の場合は3%、民間企業の場合は1%である<注7>。また、障害者を雇った場合、助成金制度、減税制度も利用できるが、それは必ずしも障害者雇用につながっていない。アラベルジャンによると、採用枠を増やす必要もあるが、障害者雇用を妨げる最大の理由は、「障害者が働けない」という根強い偏見である<注8>。
もう一つの大きい問題は、物理的なバリアである(そして、それも大きく就労機会を制限しているといえる)。アルメニアの「障害者の人権に関する法律」、「都市計画に関する法律」などはアクセシビリティに触れているが、アルメニアの町は、最近多少改善されたものの、障害者にとって非常に不便である。
まず、ソビエト時代からある建物には、基本的にエレベーターがない。あった場合も、車椅子が入れないほど狭い。そのため、身体障害者にとって外出さえ大きなチャレンジである。私の恩師、日本語教師のK先生(2019年に逝去)の例をあげたい。K先生は癌による障害があり、2016年からは車椅子利用者になっていた。働く意欲があったものの、暮らしていたアパートにも、勤務先の大学の建物にもエレベーターがなかったため、それは不可能であった。外出すら至難の技であり、業者を呼び、車椅子を4階からおろしてもらう必要があったため、特別な機会を除いて、家を出ることはできなかった。
1990年代以降に建設されたアパートでは、エレベーターの設置が義務付けられているが、狭いものが多く、車椅子利用者が必ずしも自由に使えるとは限らない。
また、町の中は階段が多く、スロープが少ない。エレバンの中心部にはある程度作られているが、勾配が大きくて使いにくいものも少なくない。さらに、スロープのすぐ前に車が止まったり、工事がされたりすることなども珍しくないため、整備されている道でも、自由に動けない場合はある。

写真4:エレバン中心部にあるショッピングセンターのスロープ。
写真5:エレバンの中心部。この状態が2週間程度続いていた。

公共交通機関のバリアフリー化も進んでおらず、車椅子利用者が地下鉄、バスなどを基本的に使えない。一部のバスにはスロープかつ車椅子スペースが設けられているが、当事者によると、多くの場合バス運転手がスロープの使い方がわからない、あるいは混み合っているときは協力しないため、整備されているバスでも乗れないことがある。
ここで問題の一部のみをとりあげたが、このようなバリアのためアルメニアの障害者が自由に外出できず、しばしば引きこもり生活を余儀なくされている。物理的なバリアによって、その他のバリアも発生する。例えば、アルメニア政府は不妊治療の経済的な負担を減らすために障害者を含む42歳までの女性の体外受精などの費用を全てまたは一部助成するが<注9>、通院が問題になって諦める障害者女性も少なくない<注10>。
当事者の話によると、問題は経済的なものだけではない。自治体、ビジネスなどがアクセシビリティを重要視しない、不便さを意識しないことが最大のバリアであるそうだ。アルメニアの障害者、またベビーカーを押している親たちが声を上げ始めているが、それが大きい運動に発展しない限り、真のバリアフリー化を望めないと思われる。

写真6:スロープの上に止まっている車。

日本のアルメニアの障害者への支援

最後に、国際協力の例として日本の草の根・人間の安全保障無償資金協力の枠組みによるアルメニアの障害者への支援について紹介したい。「草の根無償」とも言われるこのプログラムは、「人間の安全保障の理念を踏まえ、開発途上国における経済社会開発を目的とし、地域住民に直接裨益する、比較的小規模な事業のために必要な資金を供与するもの」<注11>であり、今までアルメニアでそれにより多数のプロジェクトが実施されている。その中には、障害者に裨益するものもある。その例としては、「障がい児支援のための感覚統合ケアサービス整備計画」がある。この計画が、リハビリ機材を導入し、障害児に感覚統合ケアサービスを提供することによって社会的適応や自立の促進を目指している<注12>。
「草の根無償」だけでなく、いつかアルメニアと日本の障害者の「草の根交流」も可能になることを願っている。

<注>
1.視覚障害者連盟の合唱団は、高齢化しているものの、いまだに存在している。詳しくは次のドキュメンタリーを参照(英語字幕付き)。https://www.youtube.com/watch?v=mAhXHN6j-Z8&t=2s&ab_channel=CIVILNET (2023年2月10日アクセス)。
2. 情報は視覚障害者連盟長ラフィク・ハチャトリアンとの会話に基づく(2021年5月10日)。
3.ソビエト連邦の障害者政策については次の論文が詳しい。Sarah D. Philips. 2009. “” There Are No Invalids in the USSR!”: A Missing Soviet Chapter in the New Disability History”, Disability Studies Quarterly Vol. 29, Issue 3. https://dsq-sds.org/article/view/936/1111 (2023年2月10日アクセス)。
4. 法律の全文はこちら。https://www.arlis.am/documentview.aspx?docid=127 (2023年2月11日アクセス)。
5. 全文はこちら。https://www.arlis.am/documentview.aspx?docID=152960 (2023年2月11日アクセス)。
6. アルメニア国立統計局。https://armstat.am/file/article/sv_01_22a_530.pdf (2023年2月11日アクセス)。
7. https://www.arlis.am/documentview.aspx?docid=87734 (2023年2月12日アクセス)。
8. Արմեն Ալավերդյան, Հաշմանդամություն ունեցող անձանց զբաղվածությունը որպես լիարժեք կյանքի գրավական, 17 մայիսի 2020, Սիվիլնեթ (アルメン・アラベルジャン「完全な生活の保証としての障害者雇用」2020年5月17日、Civilnet)։
9. 障害のある女性の場合、医療上の禁忌がないことが不妊治療および費用の助成の条件となっている。
10. ԿՌԿ Հայաստան, Վերարտադրողականության օժանդակ տեխնոլոգիաների հասանելիությունը կանանց տարբեր խմբերի համար. խոչընդոտները և մարտահրավերները, 2022.
(Women’s Resource Center, Armenia『さまざまな女性のグループの、生殖補助医療へのアクセス:バリアおよびチャレンジ』、2022 ).
11. https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/kaigai/human_ah/index.html#:~:text= (2023年2月14日アクセス)。
12. https://www.am.emb-japan.go.jp/files/000550691.pdf (2023年2月14日アクセス)。

香港平等機会委員会講演会と香港の今

後藤悠里
(福山市立大学英語特任講師)

2022年9月8日に、香港の人権機関「平等機会委員会」の朱崇文博士(行政総監(営運))から、条例の内容、実施状態などを伺うイベントを開催した。本エッセイの「現行の制度」の節はイベントの内容に基づいている。その他の箇所の主張や誤り等の責任は執筆者にある。

1.はじめに

香港はアクションスターを輩出した地、100万ドルの夜景の観光地として知られる。かつてイギリスの植民地であったが、1997年に返還され中国の一地区となった。「中華人民共和国香港特別行政区」が、現在の香港の正式名称である。
ところで、香港は、障害者差別禁止に関する取り組みを東アジアの中でもいち早く始めている。取り組みが始まった遠因は、1989年に中国で起きた天安門事件にある。デモ隊に対して武力が行使されたことは、香港政庁(イギリスが香港に設置した政府)および香港の人びとに大きな衝撃を与えた。実際のところ、それまで、香港政庁は「自由放任主義」の旗印のもと、香港の人権政策の向上に無関心の態度を取ってきた。しかし、事件後、イギリス植民地政府は中国返還後の人権の後退を懸念し、人権保障の取り組みを開始することとなった。
1991年には、「香港権利章典条例(Bill of Rights Ordinance)」が制定された。なお、「条例」は、たとえば日本における、法律と同等のものと考えてよい。本条例は、公的機関による差別を禁止していたが、私的機関については対象外であった。そこで、「障害者差別禁止条例(Disability Discrimination Ordinance)」が1995年に制定、1996年から施行された。中国返還を1年後に控えた年のことであった。同様の法律が韓国では2007年に、日本では2013年に制定されたことを考えあわせれば、前述の通り、香港の取り組みは早かったこととなる。
その後、中国は、2008年に障害者権利条約を批准した。中国はすでに2回(2012年、2022年)、国連の審査を経験している。先行する香港から、私たちが学ぶことがあるだろう。そこで、以下、障害者に関する現行の制度として、平等機会委員会および障害者差別禁止条例、判例について、紹介されたものの一部をまとめる(適宜、平等機会委員会のウェブサイト、判決文も参照した)。その上で、執筆者の見解も述べてみたい。

2.現行の制度
1)香港・平等機会委員会(Equal Opportunities Commission)について
香港・平等機会委員会は、政府から独立した法定機関であり、香港における差別禁止条例の実施を担っている。ここでいう差別禁止条例とは、性差別禁止条例、障害者差別禁止条例、家庭内の地位に関する差別禁止条例、人種差別禁止条例を指している。
講演者によると、平等機会委員会の業務は、リアクティブ(事後対応的)とプロアクティブ(事前対応的)な介入に分けることができる。リアクティブな介入としては、調停や法的支援が挙げられる。たとえば、平等機会委員会は、苦情申し立てがあった場合に調査をし、当事者間の調停を行う。調停がうまくいかなかった場合には、法的支援を行うこともある。プロアクティブな介入として、たとえば、政策についての研究および啓発活動がある。

2)障害者差別禁止条例について
定義について 障害者差別禁止条例の定義は、インペアメントに依拠する方式である。たとえば、「(a)身体的または精神的機能の全体または一部の喪失」「(b)身体部分の全体または一部の喪失」というような形である。また、「過去に存在していた障害」「現在の障害」「未来に生じうる障害」「障害とみなされる状態」を含んでいる。この定義は「オーストラリアモデル」に基づくとされており、実際のところ、オーストラリア障害者差別禁止法の障害の定義とほぼ同一の文言となっている。

対象者について
法律の対象は、上記の障害を持つ者だけではない。障害者の周囲にいる人たちも対象となり得る。たとえば、障害者の配偶者、親戚、ケアをする人、仕事などでの関係を持つ人たち、障害者と「真に家庭的な基礎を持って一緒に暮らしている人(a person living together on a genuine domestic basis)」も含まれる。「真に家庭的な基礎を持っている人」とは、結婚はしていないが、カップルとして同居している人のことである。一例として、同性のパートナーが挙げられる。条例の対象者の幅の広さは特筆に値する。

対象領域について
障害者差別禁止条例においては、条例の対象領域が規定されている。たとえば、雇用主と従業員といった雇用関係、財やサービスの提供者と被提供者との関係、教職員と学生との関係などである。障害者差別禁止条例に関しては、特に雇用関係の申し立てが多いという。

対象となる行為について
差別の対象となる行為としては、差別、ハラスメント、中傷という3つのタイプがある。これらに関して、平等機会委員会のウェブサイト(Equal Opportunities Commission 2023a)による説明を見てみよう。第1のタイプである差別の中には、直接差別と間接差別がある。直接差別は、「障害を理由として、同じ状況下で、障害のある人が障害のない人と比較して、より不利に扱われる時に生じる」。一方、「間接差別とは、すべての人に適用される条件や要件が、実際には障害のある人により悪い影響を与え、不利益となり、そのような条件や要件が正当化されない時に生じる」。そして、第2のタイプであるハラスメントとは、「その人が傷つけられた、侮辱された、脅迫されたと感じることが合理的に予想できる、障害を理由とした歓迎されない行為」、第3のタイプである中傷とは、「公的な場において、障害者に対して憎悪を向けたり、深刻な侮蔑や深刻な嘲笑を行ったりする行為」とされている。

3)判例について
講演では、判例についていくつか紹介していただいた。その中で、Siu Kai Yuen v Maria Collegeのケースを取り上げる。本判例は、直接差別の事例でもあるが、講演においては間接差別の事例として紹介された。平等機会委員会のウェブサイトには、本件の簡潔な紹介がある(Equal Opportunities Commission 2023b)。
原告であるSui氏は教員として14年間働いた。がんの手術を受けた後、病気休暇を取得し、3か月後に教壇に復帰をする予定であった。しかし、復帰予定の1ヶ月前に、彼は解雇された。
原告側弁護人は、がんを、定義の「(e)身体の一部の機能不全、奇形または醜状のこと」に当てはまるとして障害であると主張し、被告側弁護人も異議を唱えなかった(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 2 & 22)。直接差別についての条項(第6条(a))では、「障害のない者を扱う、または扱うだろう場合と比較して、障害を理由として、人を不利に扱うこと」とある。原告側が2名の仮想の比較対象者(産休を取った人、陪審員となったため欠勤した人)を示したところ、学校側は、この2名を解雇することはないと述べた。ここから、裁判所は、直接差別が立証されたとした(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 50)。
一方で、間接差別も認められた。学校側は、理由にかかわらず自分の授業の10%以上を欠勤することは契約に違反するという規定に基づき、Sui氏を解雇した(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 41)。この規則は、Sui氏のみならず、すべての教員に適応されるものである。したがって、障害者に対する差別的な規則ではないようにみえる。しかし、裁判所はこの規則を正当化できないとした。まず、病人は出勤できないのは明らかであるため、出勤を義務付けることは間接差別の要素となり得る(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 58)。次に、学校側は生徒の利益を保護し、教育を継続させるためにこの規則が必要であると主張しているが、裁判所はその目的が正当であったとしても、解雇という手段を取ることは、障害の結果休まざるを得なかった人にとっては不当であると述べた(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 59)。このようにして、本規則は間接差別だと認められた。
執筆者は、差別についてこれまで学んできた。大学における障害学生支援にも取り組んできた。それでも、取り扱いの違いがある直接差別に比べ、間接差別については、現実に落とし込んで考えることが難しいように感じている。差別をしないようと、心にとどめていても、間接差別を行っていることがあるかもしれない。判例を学ぶことは、間接差別への理解を深めることができるという点で、また、実践という点で、有益であるだろう。

3.香港の今:まとめにかえて
これまで日本においては、欧米諸国や韓国の事例が紹介されてきた。しかし、香港の事例からも学ぶことは多い。法律の対象者の広さは、日本においても検討されるべきことかもしれない。また、判例を学ぶことによって、差別への理解を深めることができる。
もう一点、執筆者の見解を付け加えたい。香港の事例から、私たちが学ぶべきことがある。それは、民主主義や言論の自由といった、日本に住む者にとっては当然のものとなっている理念の重要性である。
かつて執筆者は、香港の現状について、以下のように述べたことがある。

〔香港において〕デモや集会ではない形での、正式に意見を通す仕組みや対話ができる場があってしかるべきである。それがないために困難を抱えるのは障害者である。香港の障害者団体も含めて、香港社会は今後、民主主義の実現に向けて取り組むことが必要であろう(後藤 2018: 455)。

 この文章を書いた当時、執筆者は、香港の情勢がこれほど悪化するとは考えていなかった。民主主義の確立は徐々に行われていくのではないか、その可能性は高いのではないかと、楽観的に考えていた。なぜならば、香港の憲法にあたる法律「中華人民共和国香港特別行政区基本法」)に、「従来の資本主義制度と生活様式を今後50年変更しない」という文言があるためである。したがって、民主主義が大幅に後退させられることはないだろうと考えていたのであった。
しかし、近年中国は香港への介入を徐々に強め、2020年には「香港国家安全維持法」を制定した。この法律においては、国家の分裂および政権転覆、テロ活動、外国勢力との結託が犯罪行為とされている。この法律の下で、民主化運動の活動家が逮捕されるなど、香港の言論の自由は奪われつつある。2021年には選挙制度が見直され、すべての立候補者は事前審査を受けることになった。その結果、中国政府に批判的な勢力は、選挙に出馬することすらできなくなった。こうした形で、現在、香港における民主主義は徐々に力を失っている。
障害者の権利を保障するためには、言論の自由が不可欠である。障害者運動の依拠するスローガン「私たち抜きで私たちのことを決めないで」は、障害当事者の意見が重視されることを意味している。意見が尊重されるためには、まずは意見を自由に表明することができる環境が整っていなければならない。したがって、言論の自由が保障される必要がある。言論の自由が奪われている状態においては、当事者としての権利を十分に行使することができない。香港の民主主義のように、障害者の権利保障も後退していくことが、万が一にも起こり得る。
実際のところ、これまでは、香港においては言論の自由が保障されていた。執筆者が実施したインタビューにおいて、言論の自由に言及されたことがあったが、「香港の言論の自由が保障されている」とインタビュー相手は共通して述べていた。しかし、国家安全維持法のもとでは、言論の自由という、香港において確立されていた権利が、民主主義と同様に奪われているのである。
香港を対象に研究を進めている者として、執筆者はこの状況に危惧を抱いている。日本にいる私に何ができるのか。一つは、日本にいる私が自明視している言論の自由、民主主義を日々守っていくという思いを日々新たにし、その姿勢を能動的に保ち続けることだろう。

参考文献
Equal Opportunities Commission, 2023a, “FAQ-The Disability Discrimination Ordinance and I” (Retrieved January 6, 2023, https://www.eoc.org.hk/en/discrimination-laws/disability-discrimination/faq/the-disability-discrimination-ordinance-and-i).
Equal Opportunities Commission, 2023b, “Disability Discrimination”,
(Retrieved January 6, 2023, https://www.eoc.org.hk/en/legal-services/significant-court-cases/hong-kong/disability-discrimination).
後藤悠里,2018,「香港」長瀬修・川島聡編著『障害者権利条約の実施――批准後の日本の課題』信山社, 443-458.
Siu Kai Yuen v. Maria College, 2005, DCEO 9/2004, Hong Kong District Court (Retrieved February 10, 2023, https://legalref.judiciary.hk/lrs/common/search/search_result_detail_frame.jsp?DIS=44943&QS=%24%28Siu%2CKai%2CYuen%2Cv.%2CMaria%2CCollege%29&TP=JU).

謝辞
本講演をしてくださった香港平等機会委員会の朱崇文博士にお礼申し上げます。本原稿に対し、貴重なコメントをくださった高雅郁氏、田中恵美子氏、土屋葉氏に感謝します。本講演会は、障害学会の後援を受けて行われました。本講演会は、科学研究費補助金基盤研究(c)「障害女性の生きづらさの実態と解消方策の検討―制度の実効性に関する東アジア比較―」(19K02047)の助成を受けています。