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『障害学研究』投稿エッセイと選評に関する一考察
―「一人一人の掛け替えのない生とその経験」を書くことの試行錯誤

藤木和子
山本勝美


第1 本発表の概要と問題意識

障害学会が発行する『障害学研究』には、第1号(2005)から毎号投稿エッセイが掲載されている。『障害学研究』第17号(2022)の編集後記には、堀田義太郎障害学編集委員会委員長が「エッセイには7本の投稿があり、そのうち5本が今号の掲載になりました。どの作品も大変引き込まれる内容で、本誌がエッセイから始まることの良さと意義を再確認することができると思います。障害学も含めて人文・社会系の学問の出発点と宛先が、一人一人の掛け替えのない生とその経験であるということを、読者の一人としてあらためて強く感じさせられました。」と記している。

(第17号掲載の投稿エッセイ)
・「女性障害者が生きづらさを言葉にすることの痛み」(安達朗子)
・「普通の子になってほしい」(中江優花)
・「HPVワクチン副反応患者の10年の歩み」(酒井七海)
・「『患者会の力を社会に活かす』プロジェクト」(岸紀子)
・「“優良”と“不良”の狭間で──国際障害者年の翌年に生まれ、ひとりの女性・弁護士・障害のある人のきょうだいとして生きてきて」(藤木和子)

本発表は、『障害学研究』第17号に掲載いただいた共同発表者藤木のエッセイ「“優良”と“不良”の狭間で―国際障害者年の翌年に生まれ、ひとりの女性・弁護士・障害ある人のきょうだいとして生きてきて―」と選評を機にした一考察である。
藤木自身は、障害ある人のきょうだい・ヤングケアラー経験者としての発信について、障害のある弟や親、関係者のプライバシーや心情に配慮することによる話せる内容への制限も感じつつ、試行錯誤を続けてきた。
そのなかで、著者エッセイにいただいた選評が改めての振り返りと転機になった。また同時に、他号に掲載のエッセイと選評を再読するなかで、「一人一人の掛け替えのない生とその経験」について書かれたエッセイは、すべてそれ自体が障害学における貴重な資料であることは当然の前提であるが、「“よい”エッセイとは何か」、「自分や他者がそれぞれにとっての“よい”人生につながるエッセイとはどのようなエッセイか。」という問いが自分のなかに生まれた。

本研究では、『障害学研究』投稿エッセイ規定を確認した上で、第13号(2018)掲載の2編、第14号(2019)掲載の2編、第15号(2020)掲載の3編、第16号(2021)掲載の5編、第17号掲載の5編、合計17編のエッセイとその選評、選者による「求めるエッセイ」を検討した。考察は、共同研究者であり、長年にわたり、心理カウンセラーとして保健所で長年にわたり障害児の育児相談、優生保護法についての活動を行ってき山本との対話形式で行う。なお、本発表がインターネット上に掲載される関係で、エッセイの核心に触れる点については引用を避けている。

第2 『障害学研究』投稿エッセイと選者が「求めるエッセイ」

【『障害学研究』投稿エッセイとは】
『障害学研究』に掲載されている「エッセイ投稿規定」には、「1.本誌エッセイ欄に投稿されるエッセイは、障害/障害者を主題に据えたものであり、それらを社会との関係の中で捉えようとする視点を含むものである必要がある」とある。また、「2.投稿者は障害学会の会員に限る」、「5.原稿の長さは1,200字以降、10,000字とする。」と規定されている。

【選評と求められているエッセイ】
選者の構成から、第13号と第14号、第15号~第17号に分けて選評を分析する。
第13号、第14号の選者は、渡部沙織(大野更紗、東京大学先端科学技術研究センター人間支援工学分野、日本学術振興会特別研究員PD)、冠野文(ほんのミニコミ『ブックマーク』編集人)、倉本智明(文筆家/関西大学非常勤講師)、木村航(作家)。
第15号、第16号の選者は、安積遊歩(ピアカウンセラー)、石井政之(作家・ユニークフェイス研究所代表)、海老原宏美(NPO法人自立生活センター東大和理事長)、渡辺一史(ノンフィクションライター)。第17号は、海老原宏美から小泉浩子(日本自立生活センター自立支援事業所管理者)に交代した。

(第13号・第14号選評)
第13号の選評で、選者渡部沙織は、「障害をめぐるエッセイには、学術論文と異なる意義がある。障害のある人やその家族、支援者が、内的な苦闘を言語化し、個人的な困難を社会の共通の認識として高次なものに昇華していくプロセスは、障害の理解を深化させる重要な契機である。凝縮した知見をエッセイとして表現する機会を、自分らしい視点で最大限に活用してほしい。」、「エッセイとしては実践の活動報告の枠をこえる独自の視点が求められる」、「葛藤と成長の拮抗する過程を丁寧に考察してほしい」と記している。同号の選評にて選者冠野文は「魅力」、選者木村航は「物足りなさ」、選者倉本智明は「深み」という言葉を用いているが、示唆するものは同様と思われる。

そのような視点から、第14号掲載のエッセイ「先天性の難聴者が口話をコミュニケーション手段として聴者社会で生きるということ――ひたすら文字にして話す友人との会話をきっかけとして」(押元麻美)、「障害女性の妊娠・出産・育児」(奈良里紗)は、双方が高く評価されていた。冠野は、押元について「記述の厚さ」、奈良について「新鮮な体験談」。倉本は、両者について「読者に、読むことのよろこびやとまどい、発見や振り返りの契機を与えてくれる、一見穏やかではあるが、静かな毒を含ませた良作」。木村は、奈良について「当事者の実践報告としても貴重なものですが、なによりも豊かなドラマを感じるところが素晴らしい」と記している。

(第15号~第17号選評)
選者が変わったが、根本的な視点は変わっていない。第15号~第17号を通して、第16号の「ある若年介護者の〈家族〉をめぐる歩み」(竹田恵子)が選者による全員一致で最も高く評価されている。選者安積遊歩は、「とても感動した」、「私自身にとっても、子どもと生きるということは、自分の人生にはありえないと長い間考えていた。だから筆者が様々なプロセスを経て、(中略)素晴らしい決断に至ったことに深い共感と心からの拍手を送りたい」。選者海老原宏美は、竹田のエッセイへ「読み進めるに伴い、共に苦悩し、共に解放され、今後の著者の人生に思いを馳せることができる、素敵なエッセイでした」。選者石井政之は「当事者ジャーナリズムの成果――そしてひとりの若年介護の当事者のサバイバルと幸福」、「著者の人生と、自分の人生を照らし合わせてしまった」。選者渡辺一史は「近年ようやく論じられるようになった『若年介護者』の問題を、当事者の視点から臨場感をもって浮き彫りにした作品である。」と述べる。また、海老原の同号の他のエッセイへの「障害のある人からの体験を通して感じられたものとして、『○○障害はこんなことが不便だ』『○○障害があってもこんな風に楽しめる』など、「なるほど」と思わせてくれるものもありましたが、「その人」という個々、独自の発信としてはインパクトが薄いような気がしました。『自分にしか感じ得ないこと』を見つけられると、もっと人生が色濃くなってくるかもしれませんね」とのコメントは、「エッセイ」と「人生」を結び付ける示唆といえる。
それに対し、第17号のエッセイは、渡辺によると、「前回の第16号に比べると、今回は文句なしの佳作と呼べる作品が見当たらなかった。また、選者によって評価が大きく分かれる結果ともなった。」「5編のエッセイには、それぞれに多くの美点があるが、同時に、残念な点も多かった。」との評価であった(発表の分量の制約のため、詳細は『障害学研究』第17号を参照)。

第3 考察(対話形式)

1、投稿エッセイと選評という対話のシステム
2、書くことについての試行錯誤
3、“よい”エッセイとは

1、投稿エッセイと選評という対話のシステム

藤木:今回の自由発表は、『障害学研究』第17号に掲載いただいた私のエッセイ「“優良”と“不良”の狭間で―国際障害者年の翌年に生まれ、ひとりの女性・弁護士・障害ある人のきょうだいとして生きてきて―」と選評を機にテーマを選択しました。

山本: この投稿エッセイと選評という対話のシステムは大変意義のあるものですね。藤木さんがエッセイを投稿しようとしたきっかけは?

藤木:私は、第15号の選評で、安積遊歩さんが「私のように幼い時から障害を持って様々な権利を無視され、優生思想に追い詰められた中での文章には残念ながら出会えなかった。たとえ障害学会ではあっても学会というからにはアカデミズムな訳で、アカデミズムというのは、ある種の優生思想であると私はいつも思っている。」と述べ、エッセイ投稿者について女性が少なすぎるとの指摘されたことがきっかけでエッセイ投稿への挑戦、今回のテーマとタイトルを決意しました。障害のある弟と育ったきょうだいの立場の私は、障害当事者である安積さんとは、ある意味では真逆や裏表の形で優生思想に追い詰められました。詳細は、昨年の障害学会第18回大会自由発表「障害者のきょうだいの出生前診断への調査結果から」の考察対談にありますが、それが優生保護法裁判に弁護士兼きょうだい・家族の立場で関わっている理由でもあります。
“恵まれている”と見られていた私も、正直、“自分が生まれてきて幸せ”とは思えませんでした。だからこそ、自分の子どもを持ちたいという気持ちはあまり育ちませんでした。鼻持ちならない悩みだとしても、私にとっては切実な問題で、ヒントを求めて障害学にたどり着きました。エッセイでは「この無限ループこそが優生思想の課題そのもの」と書きましたが、堂々巡りの悩みに自分でもうんざりしている面もあり、エッセイを書いて区切りを付けたいと思いました。
「求めるエッセイ」での、渡辺一史さんの「常日頃、これだけは人にいえない、いってはならない、と思い込んでいるようなことにこそ、本当の書くべきテーマは眠っているものです。」、小泉浩子さんの「悔しさ、悲しみ、怒り、喜び、そのまんま、文字にしたら、きっと、読み手の心に伝わります。届きます。ぐじゃぐじゃな心を読ませてください。」というコメントにも背中を押してもらいました。

山本:私は1970年頃から障害者問題や優生保護法問題に関心を抱きましたが、安積さんとは集会でお会いしたことがあります。当時から安積さんは障害当事者として優生保護法に対決しておられましたが、今日ようやく同法を違憲、優生手術を受けた原告の逆転勝訴判決が大阪・東京高裁で続き、政府・国会の対応が問われる現在、安積さんから藤木さんへバトンタッチにも思えるエールを嬉しく読みました。

藤木:安積さんのコメントの「様々な形で引き継がれていく」は、「あなたの形でいいのよ」というニュアンスを感じて、ありがたく嬉しかったです。
対話という点では、安達朗子さんは、第16号では「中途視覚障害者が経験する『運による支援』」というAさんの経験についてのエッセイ、第17号では「女性障害者が生きづらさを言葉にすることの痛み」と連続で書かれていますが、第17号は「20年前の病院で寝たきりだった女子高校生の声が今、こうして社会に届いていることを一つの証として。」と正に「自分にしか感じ得ないこと」を書かれています。第16号の選評の影響を想像しました。合っているかわかりませんが。

山本:なるほど。安達さんの第17号のエッセイについては、なかなか容易に書ける内容ではありません。男性の選者である渡辺一史さんもきわめて深い問題提起だとしていますが、男性の方が強い衝撃を受けるかもしれないと感じました。

藤木:そうかもしれませんね。第17号の投稿エッセイ5編はいずれも女性が書いたものでした。それぞれが過ごしてきた10年、20年、30年と活動への思いや今後への決意が交差するのを感じました。分野や活動は違っても、先人の活動、言葉、知という土台のベースや書くことへの試行錯誤を共有した上で、声を上げて活動する勇気と継続、普通という概念への疑問や葛藤やユニークさ、社会の無理解や批判への傷付きとあきらめなさ、ピア・サポートの力と運営など、多くのヒントや今後も頑張っていこうという気持ちをもらえました。

2、書くことについての試行錯誤

藤木:ここでは、私のエッセイへの石井政之さんの選評「弁護士という鎧を脱いで書かれるべきエッセイだった」に焦点を当てたいと思います。
鎧というのは、石井さんの言葉を借りれば、「ひとりの人間が感じたことを率直に書いていく、というエッセイではなく、様々な人に対する配慮が加味された文章であることをわかってほしい」という趣旨の文章をエッセイの序盤にわざわざお願いとして書き、先回りして防御している点です。正直、自分としては空気のようになっていて全く意識していませんでした。改めて振り返ると、弁護士に限らず、闘う先輩にカッコイイと憧れて学びつつ、自分はそこまで闘えない、敵を作らず味方を増やして目的達成のためにより効果的な方法はないかと模索してきたなかで身に付けたスタイルだと思いました。

山本:きょうだいの発言は、親や障害当事者といった家族ら、障害者運動の支援者らに、しばしば反感を招きますから、その点で、一人ひとりに気を遣っている。その全方向に配慮する慎重さが、また反発を招く、鎧にも見えてしまう、ということだとぼくは受け止めました。また、藤木さんは、弟さんやご家族のプライバシーや心情を踏まえると、公開される文章で全部を明らかにできない状況にありますよね。
ちなみに、弟さんとのことについては「聞こえるきょうだいSODAの告白と当事者宣言」というエッセイも書かれていますが、今回は、「私」である藤木さん自身が主題の力のこもった文章でしたね。

藤木:はい。一応の予防線は張っているものの、自分の中では、拙い文章ですが、書いている内容自体は、これでもか!というくらい赤裸々に告白し、渾身の力を込めて問いをぶつけて勝負したつもりでした。そのような意味で、石井さんの選評での「鎧を脱いで」は当初はとても意外でした。今回の自由発表で、自分のエッセイを含む他のエッセイと選評を繰り返し何度も読み、山本さんとの討議を経て、ようやく見えてくるものがありました。家族のプライバシーや心情という課題はありますが、先があるのだという手ごたえを持てました。
石井さんの「鎧を抜いで」の他、小泉浩子さんの最後の一文、「姉が『優良』。私が『不良』。社会からはそのように扱われていたように思ってはいます。」、渡辺一史さんの「『無謬性(思考や判断に誤りがないこと)』が最後まで揺らがずに終わってしまう」等のコメントにも、もっと読み手を信じて書いてよいのかな、と感じました。

3、“よい”エッセイとは

藤木:選評を分析すると、主に①「自分にしか感じ得ないこと」、「内的な苦闘を言語化」、「丁寧な考察」、「記述の厚さ」、「深み」という固有の内容の掘り下げ、②「魅力」、「読むよろこびととまどい」、「新鮮な体験談」、「豊かなドラマ」という読み物としてのある種の感動や面白さの2要素が求められていました。

山本:ぼくには、「良いエッセイはこう」というのはあまりなじみませんが、第15号~第17号の渡辺一史さんの選評は、推敲を想定した具体的な助言をなさっていて親身だと思いました。第16号の竹田恵子さんの「ある若年介護者の〈家族〉をめぐる歩み」は①、②の要素を完璧に満たしていますね。物語として冒頭から結末まで緻密に構成された作品だと感じました。

藤木:そうですね。今回、決断、苦悩からの解放というカタルシスまで至っている竹田さんのエッセイを改めて再読して、苦悩からの解放やカタルシスという概念について言葉は知っていましたが、一度も考えたことがなかった自分に気付きました。また、「とても楽しみで、胸躍る1年が始まる。」と竹田さんは筆を置いていますが、堂々と「とても楽しみ」と書けることに素直に憧れや敬意を持ちました。数年前やそれ以前の私だったら、竹田さんのエッセイに嫉妬や傷付きを感じてしまったでしょうが、今は実験的にでも喜怒哀楽の喜や楽に焦点を当てたエッセイに挑戦することで、自分と周囲への(再)発見があるのではないかと思います。

山本:正直な告白ですね。

藤木:②の「感動」の要素については、第16号で、金坂律さんが「『手書き』できない僕が学校で経験した無理解と強要」で「もちろん感動ポルノとして利用されないように気をつけながら。」と最後の一文に書いていますが、当然ながら「感動」の中身は問われます。その上で、エッセイに、自分にとってしっくりくる「感動」を入れようとエピソードを探し、検討する作業は、自らが望む人生という意味での「“よい”人生」につながる契機の可能性を持っているような気がします。エッセイも人生もすべてが貴重であり、良い悪いはないのが大前提ですが。

山本:藤木さんのエッセイからは、「私」は、今後、子どもを産むかもしれないし、産まない別な生き方をするかも知れない。しかし、いずれにせよ、もはや、「”優良”か”不良”」か、という優生思想、能力主義ではなく、そういう価値観を越えた生き方をしていく所信を感じました。これからも現実の人生においても文章においてもひとりの障害ある人のきょうだい・ヤングケアラー経験者として「一人一人の掛け替えのない生とその経験」を体現していってほしいと願います。

【引用文献】
インターネット上に掲載されているものについては2022年8月15日閲覧
障害学研究編集員会,『障害学研究』第13号~第17号,2018~2022,障害学会,明石書店
エッセイ投稿規定、選者のプロフィール、求めるエッセイについては、障害学会ホームページに掲載。
http://www.jsds.org/

藤木和子・山本勝美,2021,「障害者のきょうだいの出生前診断への調査結果から」(障害学会第18回大会自由発表)
https://jsds-org.sakura.ne.jp/18-2021taikai/jsds2021jiyuhokoku/fujiki/

【参考文献】
(共同発表者に関するもの)
藤木和子,2022,『「障害」ある人の「きょうだい」としての私』,岩波書店
藤木和子,2022,「聞こえるきょうだいSODAの告白と当事者宣言」,『手話・言語・コミュニケーション』10号,日本手話研究所,文理閣
藤木和子,2021,「障害のある人と家族・きょうだいが共生していくには : 「障害のある人VS親VSきょうだい」にならない理解と支援を」,月刊福祉104号,全国社会福祉協議会
藤木和子,2020,「批判される家族の側から「フェアな対話」を求めて」,福祉労働167号,現代書館
山本勝美,2005,「障害をもつ子のケアとそのきょうだいたちー乳幼児相談での体験から」,福祉労働107号,現代書館
山本勝美,1999,『共生へー障害をもつ仲間との30年』,岩波書店
丸本百合子・山本勝美,1997,「産む/産まないを悩むとき – 母体保護法時代のいのち・からだ」,岩波書店

(本発表に関連するもの)
好井裕明,2022,『「感動ポルノ」と向き合う 障害者像にひそむ差別と排除』,岩波書店
荻上チキ·細見明日子「メディアと公開性―当事者がメディアを活用するために知っておきたいこと」,「当事者研究をはじめよう」臨床心理学増刊第11号,金剛出版
福祉労働編集委員会,2018,「特集『感動ポルノ』―障害者は健常者に感動を与える存在か」福祉労働161号,現代書館


■質疑応答
※報告掲載次第、9月17日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はjsds.19th@gmail.com までメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

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※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。


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