第二当事者であるがゆえのジレンマ-障害者家族におけるきょうだいの生活史から-
藤井梓(立命館大学大学院 先端総合学術研究科)
1 問題の所在と調査概要
1.1 問題の所在-障害者家族におけるきょうだいに着目する意義
障害のある子どもが成人期となる障害者家族において、「親亡き後」問題は主要テーマの一つであり、親が障害のある子どもへのケアをいかに手放してゆくか、というプロセスを中心に議論されてきた。
麦倉泰子は、障害児の出生後、親が周囲との相互作用を通して「不安」や「疎外」を経験し、その対抗戦略として「障害児の親」としてのアイデンティティを獲得するものの、そのアイデンティティが強くなればなるほど「ケアを丸抱えする傾向」が強まること、そして体力の衰えを自覚しその責任を果たせなくなることを予測した結果、「施設に託すことによって今後の子どもの生活における予測不可能性を可能な限り減らそうとする」(麦倉 2019:109)ことを明らかにした。また知的障害のある子どもを持つ家族が成人期にあたってモデルとするストーリーがなく、施設入所後の生活について親が具体的に語ることの少なさから、「子どもの施設入所という出来事は、親たちの語るストーリーの中では『物語の終わり』として存在している」(麦倉 2019:113)と指摘する。
染谷莉奈子は、障害者総合支援法の下、通所サービスを利用する成人期以降の知的障害者の親を対象として調査をおこない、以下の点を明らかにしている。染谷は、母親がケアを手放せない様を、「離れ難さ」と呼び、通所サービスを中心とした福祉サービス利用が当たり前となったからこそ、母親が自身と他者によるケアを比較することが可能となり、自身が代替不可能な存在であることを意味付けることにより、積極的にケアを引き受けてしまうという(染谷 2019)。
一方で、こうしたプロセスを歩まない親の姿を描き出そうとする研究も近年見られる。中山妙華は、「家族との同居からの自立」が「脱家族介助化」の実現にあたり必要な要素として位置づけられている(中山 2010:51)にも関わらず、既存の研究では「脱家族介助化」に寄与する家族側の取り組みやその意義について明らかにされていないことを指摘し、子どものための社会資源を、自らの手で地域社会の中に獲得しながら、子どもの介助役割をある意味積極的に徐々に自分以外の他者へと開放していく母親の姿を描いている(中山 2010:51)。また染谷は、グループホームから再度親元へと知的障害のある子どもを引き取った親が、「負担」ゆえに「仕方なく」ケアを引き受けてゆく母親の存在を明らかにしている(染谷 2020:176)。中山や染谷の研究は、既存の研究が、積極的に代替不可能な主体として自らを位置付け、子のケアを引き受ける母親の存在を明らかにしてきたのとは対照的に、そうではない母親の姿を描き出すことによって、親亡き後への移行プロセスの多層性を示した点において、意義がある。
一方で、こうした親のケア役割の縮小に伴い、引き継ぎを期待される(鍛冶 2016:11)きょうだい[1]は、どのように取り上げられてきたのだろうか。
中根成寿は、きょうだいに負担をかけたくないと思いつつも口に出せない期待を抱く親の姿や、親は実質的なケア提供ではなく「配慮すること」をきょうだいに期待し、親からきょうだいへとケアが移行する際には親が担ってきた役割の分節化が行われている(中根 2006)と指摘する。しかし、きょうだいは障害者家族において、親の役割を引き継いだり分節化される受け手としてのみ存在しているのではない。実際には、成人期以前から親亡き後の問題について考え、進路選択や結婚・出産などのライフイベントにおいて葛藤を抱えたり、自身の社会生活の変更を余儀なくされることも少なくない中、きょうだいは障害者家族研究において透明化されてきたともいえる。本稿で、きょうだいに焦点を当てることは、障害のある本人と親に主たる対象をおいてきた障害者家族研究の射程を広げるという観点において意義があると考える。
きょうだいのライフコースの特徴について、笠田舞は、親亡き後のケア役割の移行が、「きょうだいの役割と親役割が混在する形」で進み、「きょうだいとケア提供者という二重構造に変容」するため、「きょうだいとして付き合い続けるという選択が難しくなる」(笠田 2013:235)ことを指摘する。さらに親に代わって障害のある兄弟姉妹のケア役割を担ってきた経験を持つきょうだい5名を対象としたインタビュー調査から、壮年期以降の知的障害者のケア役割が親から健常な兄弟(きょうだい)へ移行されていくプロセスと、その移行プロセスにおいてきょうだいが経験する困難とその緩和につながるサポートについて明らかにしている。それによれば、「ケア役割の移行プロセスは、ケア役割の再構成のプロセス」であり、親がこれまでと同様に障害のある兄弟姉妹のケアを担えない状況になった場合、きょうだいは「ケア役割を担いながら、きょうだいの関係を両立させようとする」。しかし「親と同じケアを求める社会・文化的圧力によって、ケア役割を抱え込みケア提供者の役割に固定されてしまう」という。そして「親が役割の移行を想定して準備を整えておくことがサポートとして機能」すると結論づけている(笠田 2017:72)。ここでは、きょうだいがケア役割に巻き込まれてゆく要因が、「親と同じケアを求める社会・文化的圧力」 とされているが、本稿では、こうした社会的・文化的圧力がない場合においても、当事者でも親でもないがゆえに決定権を持てず、ケア役割に巻き込まれてゆくきょうだいのジレンマを明らかにする。
1.2 調査概要
本稿では、20名のきょうだい(障害のある兄弟姉妹を持つ人)への聞き取り調査によって得たデータを分析する。調査対象者は知人のつてや、研究協力者からの紹介などスノーボール形式で募った。聞き取り時は、非構造化面接の手法を採用し、基本的な属性、家族構成、兄弟姉妹の障害種別等を尋ねたあと、きょうだいの生活史を時系列に沿って聞き取った。また現在までに、調査対象者のうち3名に追加インタビューを実施している。調査期間は2021年5月-現在で、各調査の所要時間は80-120分程度である。なお本研究は、立命館大学における人を対象とする研究倫理審査委員会の承認を得て実施した(倫理審査番号:衣笠-人-2021-51)。研究対象者から研究参加の同意を得る際に、文書及び口頭にて研究目的や内容、データ収集・保管方法等を説明し、またデータは目的外使用をしないこと、および研究への不参加や途中辞退による不利益がないことなどについて口頭及び文書で説明した上で、文書による同意を得て実施した。本稿ではそれらのデータのうち、親の入院や他界により、障害のある兄弟姉妹へのケアを急に担うことになった2名の語りを取り上げ考察する。
2 結果と考察
2.1 Aさんの事例
Aさんは、実家近郊で別居していたが、身体・知的障害のある弟がおり、親の急な入院によって、親が担っていた役割を一部引き受けることになった。もともと実家とは別れて生活していたが、「弟のことも結構こまめに聞いてた」こともあり、「情報は父より私の方が持ってた」という。そのため母が倒れた時には、父親からの連絡で駆けつけ、ケア役割を一時的に担うこととなった。Aさんの弟は生活介護を利用しているため平日日中のケアについては外部化がなされているが、それ以外の訪問サービスは利用していない。生活介護事業所への送迎については「お姉ちゃんがやればいいでしょ」と家族であることを理由に求められ、通院時の付き添いについては、「やっぱり通院が家族でって言われちゃうことが多」く、ヘルパーの利用も制度上は可能だが「通院だと時間がちょっと読めなかったりとか、長時間になるし、そうなってくると家族でできるならやった方が」と、実質的な利用の制約によって、親が担っていた役割を結果的にAさんが担う現状がある。こうした中、Aさんは入浴時のヘルパー利用を希望するが、スムーズに利用可能とはならず、その理由について、Aさんは以下のように語る。
――その辺は、ヘルパーさんとかは特に入ったりはしてないんですか?
A:入浴は入ってなくって、やっぱ父が嫌がるんですよね。あんまりヘルパー使いたくないってゆうか。やっと、あの母が入院して退院するタイミングで、母だけだとできないから、ヘルパーを入れるぞって言って私が説得して、その本当に送り出しと受け入れの部分のところだけは許可が出て、そこは(ヘルパーを)入れられるようになったんですけど、なんかそれ以外は一切だめで、入浴とかもできなくって、だから今どうしようか今後のこと、って言って入浴の問題が今出てるところなんですね。
――そこはやっぱり親の意見ときょうだいの意見が、違いますか?
A:そうですね。結構なんだろう、やっぱり親の意見が尊重されるってゆうか、きょうだいがいくらこうしたほうがいい、ああした方がいいって言っても、親が「うん」って言ってくれないと相談員さんとかも動けないから、まずは説得してくださいって言われるんですね。
―ーなるほど。
A:いや、こういう風にしたほうがいいから、あなたが説得してください、みたいな。で、説得が本当に大変だから、何とかしてほしいって言うんですけど、やっぱりそれでもめちゃうと困るって言われて、今使えてるサービスも使えなくなったら困るし、だからなるべく家族でって感じですね。
このように、きょうだいが福祉サービスを利用したいと思っても、どちらかの親が健在である場合、サービス利用の決定者は親となるため、きょうだいと意見が異なる場合には、親の意向が優先されたり、サービス利用にあたっての親への説得が、きょうだいに求められてしまう。ここに、実質的なケア負担を担っていたとしても、親ではないがゆえに、決定権を持てず、結果としてケア役割を担わざるを得ない第二当事者としてのきょうだいのジレンマが存在する。
2.2 Bさんの事例
次に、ひとり親で知的障害のある弟と実家で生活していた父親の他界により、知的障害のある弟のケア役割を担うこととなったBさんの語りを考察する。Bさんも実家から離れて生活していたが、父親が他界したことで「最初通いで弟の様子を見に行こうと思ってた」が、実家のすぐ近くに住む親戚から、「弟のことどうするつもりなんだ」と言われ、「こっちもやるからいいよみたいな感じ」で実家に一度戻ることとなる。実家に戻り、弟が福祉サービスを利用していない状況であることを知ったBさんは、すぐに相談支援事業所に行き、弟のことを相談する。その際の語りが以下である。
まず最初に、相談支援センターに行ったときのその相談員の人が、親の介護であれば終わりは見えるけど、きょうだいのことは終わりがないから。お姉さんはお姉さんの人生ですからっていう話をされて。別で住むことを考えてもいいんだなって思うようになりました。
親が不在となったBさんは、相談支援員から、「きょうだいはきょうだいの人生を優先してもよい」と言われ、親役割ではなく、きょうだいとしての立ち位置を継続しようとする。しかしAさんと同様にサービスの利用はスムーズには進まなかった。例えば就労支援事業所の利用にあたっての語りが以下である。
最初に相談しに行ったのが夏ぐらいで、そっから就労する施設をいろいろ紹介してもらって、見学しに行って体験してみたいなのを繰り返して。でも、弟はそこに行きたがらなくて、ルールを破って勝手に帰ってきたりとかっていうのが何回も続いたので。
B:本人の意思がすごく尊重してくれるのは分かるんですけど。それで全然進まないことに結構イライラしてました、私は。
――本人の意思を尊重っていうのは、やっぱり大前提としてあるというか。
B;実際そうですよね。支援センターの人は家族とも面談はしますけど、こっちの気持ちもちゃんと聞いてはくれますけど、結局本人の意思になってくるし。本人がもう話したくないですみたいな感じになっちゃうと、支援センターの人たちはちょっと時間をおいてみましょうみたいな感じになって。何にもできない期間があってっていう感じだったんで。なんも進まないなって思って、半年待ってました。それぞれの立場もあるんで、しょうがないなとは思うんですけど。
親がいないBさんのケースにおいても、就労支援やグループホームなどの利用にあたっては、「こっちの気持ちもちゃんと聞いてはくれ」るものの、「結局本人の意思」となり、本人がサービス利用への抵抗感が高い場合には「ちょっと時間をおいてみましょう」と「何もできない期間」が発生し、その後、本人が通おうと思える事業所が見つかったことで就労支援事業所の利用は開始されるまでの実質的なケア役割はきょうだいが担わざるをえない。またBさんは、その後グループホームの利用も検討し、弟に見学や体験を促すが、「脱走したりとか、他の入居の人とトラブルになったりとかっていうのがある」ことから、うまくいかず、「結局そこを断られて」しまう。
――でもいくらきょうだいはきょうだいの人生があるからっていうふうに言ってもらっても、使えるものっていうのは本人の意思が必要になるというか。そこのもどかしさってありますよね。
B:そうですね。こっちとしては、やっぱりグループホームに入ってもらったほうが安心というか。トータル的に生活を見てもらえるから安心っていうのもあるので、最終的にはそうしたいんですけど。結局断られてしまったら、こっちは何もできないので。相談支援センターの人とケアマネさんと3人で話し合うことがよくあったんですけど。最初はグループホームに入るって方向で動いてくれてたんですけど、やっぱり入れないってなったら次の手段を考えるしかないので。また違うグループホームっていう希望は出してたんですけど多分、田舎なんでそんなに数もないし。最終的に本当に最後の最後にグループホームじゃないともう選択肢もない、1人暮らしは無理ってなったときに、どこも入るところがないってなると大変だからって言われて。結局、今、家で調整するっていう話になって。
このように、Bさんの意向のみではサービスの利用を決定できず、結果としてBさんがケア役割を担うことになる。ここでも、本人の意向が尊重されることにより、実質的なケア役割を担わざるを得ない第二当事者としてのきょうだいのジレンマが存在するといえる。
3 まとめと今後の課題
ここでは、字数制限の都合上、AさんBさんに共通する語りについて整理する.Aさんは、ケア役割を担うことになったきっかけが母親の入院であったことから、障害のある弟のケアに関する決定権が依然として親にあり、実質的にはAさんが担うケア負担が大きいにも関わらず、Aさんの意向が尊重されずにすすんでいく。福祉事業所からも、家族の説得はAさんに求められ、その期間のケア負担はAさんに課せられる。
Bさんは、きょうだいにはきょうだいの人生があると相談支援員に言われ、弟のケアを手放していこうとするが、サービス利用にあたって弟本人の意向が尊重され、本人の気持ちの変化を待つ期間のケア役割はBさんに課せられる。
二人の語りに共通するのは、きょうだいであるがゆえに、実質的なケア負担を軽減しようとしても、親や本人の意思が優先されることにより主たる決定者になれず、その帰結としてのケア負担はきょうだいに課せられるというジレンマである。笠田(2017)では、「親と同じケアを求める社会・文化的圧力」によって、きょうだいがケア役割に巻き込まれていくことが指摘されているが、Bさんの事例にみられるように、明確な社会・文化的圧力がない場合でも、サービス利用の主体が本人や親に帰属していることから、きょうだいの意向は結果として尊重されず、結果としてきょうだいがケア役割に巻き込まれてゆくことが明らかとなった。
本稿で明らかになったことは少数の事例から導き出されたものであるため、すべてのきょうだいに汎化できるものではない.本研究では、親の急な入院や他界によりケア役割を担うことになった2名を取り上げたが、本稿で扱えなかったこれ以前の時期、すなわち「親が健在である時期におけるきょうだいの親亡き後に向けた実践や葛藤」について明らかにすることは今後の課題としたい。
文献
笠田舞,2013,「知的障がい者のきょうだいのライフコース選択プロセス――中年期きょうだいにとって,葛藤の解決及び維持につながった要因」『発達心理学研究』24:229-237.
笠田舞,2017,「壮年期以降の知的障がい者のケア役割が親からきょうだいへ移行するプロセス――きょうだいの困難とその緩和につながるサポート」『対人援助学研究』6:60-74.
鍛治智子,2016,「知的障害者の親によるケアの『社会化』の意味づけ――地域生活支援における親の役割の考察に向けて」『コミュニティ福祉学研究科紀要』14 :3-14.
染谷莉奈子,2019,「何が知的障害者と親を離れ難くするのか――障害者総合支援法以降における高齢期知的障害者家族」榊原賢二朗(編)『障害社会学という視座――社会モデルから社会学的反省へ』新曜社,88-114.
染谷莉奈子,2020,「知的障害者のケアを引き受ける母親の消極的な側面――グループホームを辞めた事例に着目して」『年報社会学論集』33:169-179.
中根成寿,2006,『知的障害者家族の臨床社会学――社会と家族でケアを分有するために』明石書店.
中山妙華,2010,「知的障害者の母親たちの『脱家族介助化』過程――成人知的障害者の母親に対するインタビュー調査の結果から」『社会文化論集』11 :51-76.
麦倉泰子,2019,『施設とは何か――ライフストーリーから読み解く障害とケア』生活書院.
注
[1]きょうだいとは、障害者家族において障害のある兄弟姉妹を持つ人をさす。
■質疑応答
※報告掲載次第、9月17日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はjsds.19th@gmail.com までメールしてください。
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