1880年代前半ロンドン慈善組織協会における失業者救済と「虚弱者」の処遇について
―「排除の政治」史から「排除の複合体」史へ―
高森 明(中央大学大学院博士後期課程2年)
(はじめに:「排除の複合体」史とは何か)
本研究の目的は、1880年代前半のロンドン慈善組織協会が失業者救済事業において、障害者の労働市場からの排除にいかなる理由で関与していたのかを「排除の複合体」史の観点から明らかにすることである。
「排除の複合体」が何であるのかを明らかにするためには、先に報告者の着想の元となっている「福祉の複合体」とは何であるのかを示して置く必要がある。 「福祉の複合体」とは、「家族、企業、地域社会、相互扶助団体、慈善団体、商業保険会社、宗教組織、地方公共団体、国家、超国家組織などの多様な歴史主体と多元的な原理によって構成された構造的複合体」のことを指す(高田,2012,p.6)。
国家の福祉に対する関与が相対的に少なかった19世紀末のイギリスにおいて、「福祉の複合体」に注目する研究は、1970年代以降確実に増えていった(Harris,1972;Thane,1996)。
「福祉の複合体」における供給体は「それぞれ固有の共同性の原理に基づき、特定の対象を特定の様式で救済していた」ため、包摂と排除両面の機能を有していたとする認識は研究者の間で広く共有されている(高田,pp.7-8)。
しかし、従来の「福祉複合体」史研究においては、多元的な福祉の供給体を再評価することに力点が置かれていたため、排除という側面に十分な注目が与えられてこなかった。
「福祉の複合体」を構成する団体、組織が「救済」の対象とする障害者にとってこの複合体は「排除の複合体」ともなりうる。ある障害者は「救済」の対象から除外されることによって、ある障害者は社会参加を阻害するような様式の救済によってである。
各福祉の供給体の有する原理・実践、あるいは供給体間の対立・連携・妥協による原理・実践の修正により、障害者の排除はむしろ進行してしまうこともある。「排除の複合体」史は、国家だけではなく、「福祉の複合体」の何が障害者の排除を進行させているのかを明らかにすることを歴史研究と位置づけることができる。
本報告が特に注目する福祉の供給体は、ロンドン慈善組織協会(以下、COSと略す)である。失業者、障害者救済の担い手であるとともに、救貧・教育行政に対する圧力団体であったCOSは、『生活困窮者の処遇方法』(1883)と題する協会の指針を示した手引書において、失業者救済の対象となる生活困窮者の限定を行っていた(Roch,1883)。
同手引書の中でCOSはどのような生活困窮者を失業者救済の対象とすべき/すべきではないのかを理由を示しながら簡潔に説明している。結論から言えば、COSは労働市場にあって「心身の虚弱な無能力者」を失業者救済の対象から除外したのだが、それはいかなる理由からだったのだろうか。以下、手引書だけではなくCOS関係者によって著された報告書、著作も参照しながら、分析を進めていく。
(先行研究:オリバー、ボルゼイの研究を手がかりにして)
イギリス障害学において、近代における労働市場からの障害者の排除は障害学立ち上げ以来の重要な主題であった。最も重要な問題提起を行ったのは言うまでもなく、マイケル・オリバーだろう。オリバーによれば、近代における資本主義の勃興による新たな社会問題を解決するため、障害者の生活への国家介入が進行した。その際に、主な社会統制の手段として採用されたのは、施設であったとされる(Oliver,1990=2006,pp.70-77)。
しかし、国家福祉中心の時代に生きていたオリバーは、19世紀のロンドンにおいて国家以外にも多元的な福祉の供給体が存在していたことを看過していた。特に失業者・障害者処遇における①慈善団体、②宗教組織(救世軍など)、③職業別協働組合といった福祉の供給体を無視することはできないだろう(③は組合員の加入条件の策定、受傷した組合員への手当の給付を通じて、障害者処遇に関与している)。
一方、産業革命以降のイギリスにおける障害者政策史を網羅的に研究したアン・ボルゼイは、経済的救済の供給体として、COSについて詳しく言及した。ボルゼイによれば、COSの救済方針は個人主義を強化するための自助、道徳化に力点が置かれ、失業者問題が浮上した1880年代は「精神欠陥者」の訓練に対する国家の支援を求めていたとする。
ボルゼイの歴史記述は完全に誤っている訳ではない。少なくとも、1890年代には「精神薄弱(軽度知的障害)者」、「正気のてんかん者」の職業訓練に関する指針がCOS内で策定されていたことは確認できる(Family Welfare Association,1893)。しかし、本報告が扱う1880年代前半の時点で、「精神薄弱者」、「正気のてんかん者」はCOSによる訓練の対象には含まれていない。
労働市場における障害者排除の担い手となる福祉供給体は、国家以外にも存在するという想定の下で分析を行う点において本研究はオリバーと視点を異にする。同時に、1880年代前半という時期のCOSによる失業者救済の原理を歴史的文脈に基づき丁寧に解きほぐそうとしている点で、本研究はボルゼイの研究をも乗り越えようとしている。
(概要:COSと『生活困窮者の処遇方法』)
ここでは主にCOSを社会事業史の観点から考察した高野史郎の研究に基づき、COSと『生活困窮者の処遇方法』について、主に失業者救済に関連づけて概要を示す。
COSはロンドンにおける慈善団体の協働と浮浪者の撲滅を目的として1869年に結成された。設立時から失業問題は慈善活動の介入しえない自由主義経済の領域であるとする前提を有しており、失業者の救済は慈善の領域からは原理的には排除するという原則が確立されていた(高野,1985,p.181)。
ただし、1870年代における失業の長期化を踏まえ、1877年より厳冬期の屋外労働における失業のような「例外的」困窮についてのみ、失業者救済を行うとする軌道修正がなされていた(高野,1985,p.181)。1877年の修正原則は基本的に『生活困窮者の処遇方法』の指針に踏襲されている。
『生活困窮者の処遇方法』初版は、1875年にCOS総書記に就任し、1912年までの実質的な運営責任者であったチャールズ・スチュアート・ロックの手によってまとめられた(高野,1985,p.209)。同手引書は、改訂を重ねながら、19世紀末を通じて、ロンドンCOSの基本的指針であり続けた。手引書の失業者の処遇に関する記述は簡潔であるが、失業対策に対するCOSの基本原則を把握する上で貴重なドキュメントである。
(方法的アプローチと研究方法)
本研究の方法的アプローチは冒頭に挙げた「排除の複合体」史である。研究方法はCOSおよびその関係者が残した出版物の内容に焦点を当てたドキュメント分析を採用する。
中心となるドキュメントは概要で紹介した『生活困窮者の処遇方法』初版(1883)である。初版がその後どのように変化したのかを辿るために、必要に応じて第二版以降も参照した。また、後に1869-1912年のCOSの歴史を一次資料に基づき編纂したCOSの重要人物ヘレン・ボザンケの『ロンドンのソーシャルワーク:1869-1912』を歴史的背景を確認するための補助的なドキュメントとして参照した(Bosanquet,1912)。
(分析)
『生活困窮者の処遇方法』初版は雇用の欠如の要因として産業における変動、特定の職業における周期的な性質、病気と不運、例外的な無能、不摂生と怠惰の五種類に分類する。その上で失業者は①労働組合の加入者、②労働組合未加入の河岸労働者、③塗装工などの季節的労働者、④病気による失業、そして⑤雇用を求める浮浪者、⑥心身の衰えた無能な人々という六種類のタイプに分類された。
⑥のタイプの失業者が本研究において重要なのだが、全体像を把握するため①~⑤のタイプの失業者を先に確認し、簡潔に救済の対象としたのか、した/しなかったとすればその理由は何だったのかを示す。
まず、①であるが、労働組合の加入者は業務中に起こりうる事故に対して自らを守る方法があるので、慈善の対象からは除外している(Roch,1883,p.44)。ここで言う労働組合とは職業別労働組合(旧組合)である。1880年代後半になると臨時雇用、あるいは非熟練労働者が入会可能な新組合も続々登場するが、『生活困窮者の処遇方法』初版の段階ではまだ話題としては登場していない。
労働運動史研究を専門とする浜林正夫によれば職業別労働組合は徒弟期間などを組合入会条件に定め、非組合員の職場への入職を防ぐための雇用規制を行っていたとされる(浜林,2009,p.113-114)。 職業別労働組合の雇用規制は非熟練労働者の入職を防止する機能も果たしていたのである。組合の雇用規制が障害者の労働参加にどのような影響を与えていたのかは興味深いテーマであるが、本研究では深く立ち入らない。
次に②労働組合未加入者であるが、周期的慈善は労働組合の共済の代替にはならないという理由で不適当と判断している。「例外的」困窮のみ失業者救済の対象とすることを原則とするCOSにおいて、周期的な対応が必要とされる慈善は望ましくないと考えられていた。そのため、わずかな手当であっても本人たちの自助努力が損なわれることが不適当の理由として挙げられた(Roch,1883,pp.44-45)。
次に③塗装工のような季節労働者も原則としては、周期的慈善が必要となるため、慈善の介入は望ましくないと判断された。塗装工およびその家族は、夏の繫忙期には浪費に明け暮れ、冬の閑忙期には借金、近隣の援助、慈善に依存し、貯金をしないというのがその理由として挙げられた。ただし、例外的に、就業の見込みがある場合は、友愛組合への加入、義務の教育を条件に、慈善が認められるとした(Roch,1883,pp.45)。
④病気の理由にした慈善の申請については、申請者が生計を立てる新しい方法を実施するのであれば認められるが、申請者が生計を立てる新しい方法を実施させることができないのであれば、教区の医師に診察してもらった上で判断するとしている。そして、⑤雇用を求める浮浪者については、無軌道であり長続きしないと断定され、事実上、慈善の対象とは想定されていない(Roch,1883,pp.45)。
①~⑤を見ても分かるようにCOSの原理においては、失業者救済の対象となる生活困窮者の範囲は極めて狭く限定されていた。慈善以外に失業時の手当を受けるあてがある場合、自助を損ない依存を強化すると判断された場合、短期間で就業に結びつく見込みがない場合は、失業者対策の対象とは認められなかった。殊に②~⑤は職業別労働組合、慈善いずれの救済対象からも外れており、「福祉の複合体」の限界を示していると言えよう。
上記のことを踏まえて、⑥「心身の衰えた無能な人々」を見ていくことにしよう。『生活困窮者の処遇方法』初版によれば、都市にはしばしば多数の雇用がない「心身が衰えた無能な人々」がいるとされる。これらの一群の人々は、不景気であれば最初に解雇され、仕事を維持することができないと認識されている。言わば、「不道徳」ではなく、「不健康」、「不健全」が要因となって生活困窮に陥りやすいと見なされた人々であった。
「心身が衰えた無能な人々」が具体的にどのような診断カテゴリーに含まれうる人々なのかは判然とはしない。初版において障害者のカテゴリーとして確認できるのは「盲人」、「聾者」、「唖者」「狂人」、「痴愚」、「白痴」であるが。彼女/彼らはアサイラムにおける施設救済の対象であり、失業者救済の対象ではない(Roch,1883,pp.74-82)。
先に少し話題になった「精神薄弱」、「正気のてんかん」、「不具」、「畸形」が同手引書で明確に救済の対象と位置づけられるよになったのは、第五版(1895)からである。「心身が衰えた無能な人々」の中にこれらの軽度障害者が含まれていた可能性ならばある。
また、ヴィクトリア朝の時代であれば、結核などの感染症患者、栄養状態の悪さに起因する発育阻害状態にある生活困窮者も、「心身が衰えた無能な人々」に含まれた可能性がある(小川,2016)。いずれにしても、「心身が衰えた無能な人々」は救貧行政、COS双方が救済の対象とは見なしていなかったのである。
では、COSは「心身が衰えた無能な人々」を失業者救済において、どのように位置づけていたのだろうか。結論として、COSは⑥に属する人々を慈善の対象とはしなかった。理由として挙げているのは、これらの人々が「不健全」、「不健康」だからではなく
(1)大規模に雇用を行えば、労働市場における賃金を下落させてしまう
(2)労働組合に加入している労働者を慈善に引き寄せ、組織の形成を妨げる
など慈善が労働市場へ介入することへの悪影響を懸念してのことであった。
緊急時を除いて、慈善は非熟練労働の供給に介入することを避けるべきである。(Roch,1883,pp.45)
「心身が衰えた無能な人々」にカテゴライズされた人々は。労働組合に未加入の非熟練労働者の一部分を構成する集団として位置づけられ、慈善の対象からも除外されたのである。
(考察)
最初の問いに戻ろう。COSはいかなる理由で障害者の労働市場からの排除に関与していたのだろうか。本報告が導き出した答えは、「心身の衰弱した虚弱者」を低賃金で労働市場に積極的に参入させることが、主に職業別労働組合から雇用を奪い、労働市場における賃金を低下させ、自律的な労働組合活動を阻害することを危惧していたというものである。
順を負って説明していこう。高野史郎、あるいはイギリスにおけるアンダークラスの起源を研究したジョン・ウェルシュマンが指摘したように、1880年代後半以降のロンドンでは失業問題に関心を有する職業別労働組合、慈善組織、ジャーナリストの間で「身体的不適格者」、「精神的不適格者」という概念が頻繁に使用されるようになる(高野,1985,pp.402-403;Welshman,2006,pp.9-11)。
まだ、1890年代のように医学カテゴリーの範疇では論じられていないが、失業問題に1880年代の段階から強い関心を示した論者にとって、労働市場で不利が集中しやすい人々の中に心身の「不健康」、「不健全」を抱えた人々が多く含まれているという認識は共有されていた。
失業要因として道徳の欠如を重視する傾向にあるCOSも例外ではなく、1880年代初頭の段階で「心身の衰弱した虚弱者」が労働市場において不利益の生じやすい人々であることを認識していた。しかし、『生活困窮者の処遇方法』初版の段階におけるCOSの関係者は、「心身の衰弱した虚弱者」を医学的カテゴリーとしては位置づけず、非熟練労働者を構成する一集団として処理した。
その結果、「心身の衰弱した虚弱者」はアサイラムに収容されることもない代わりに、失業者救済の対象として位置づけられることもなかったのである。繰り返しになるが、彼女/彼らがCOSにおいて障害者と正式に位置づけられ、障害者コロニー、授産施設などの訓練施設で処遇することが原則に盛り込まれたのは、1890年代のことである。
(本研究の達成と課題)
失業者救済におけるCOSの原理に焦点を当てた分析、考察を行うことにより、本研究が目指したのは、障害者の賃労働からの排除に対して、「障害の政治」ではなく、「障害の「複合体」」という分析視角を提示することであった。
「障害の政治」と「障害の「複合体」」はいずれも障害者というカテゴリーを産出し、選別し、処遇することにより、結果的に障害者を労働市場から遠ざける制度を構築する。
しかし、「障害の政治」においては、国家が排除における中心的な担い手として想定されていたのに対して、「障害の「複合体」」においては官民の様々な福祉供給体が排除の担い手として想定される。
さらに複数の福祉供給体が協力、対立、妥協を積み重ねていく過程で、単一の供給体だけでは産出されることのなかった排除の仕組みが生じることがある。本研究で明らかにしたように職業別労働組合に配慮した慈善団体の原理が、結果的に「心身の衰弱した虚弱者」の雇用を抑制する原理として機能していたこともその一例と言える。今回は取り上げなかったが、労働組合側の原理と比較参照することで新たな知見を得られる可能性もある。
一方、本研究の限界としては、あくまで福祉供給体の原理を分析した研究であり、COSが実際に「心身の衰弱した虚弱者」に対してどのような処遇を行ったのかを明らかにできる研究ではなかった点が挙げられる。利用できるドキュメントに限りがあるため、難しいかもしれないが、今後は各福祉供給体の処遇の実態を明らかにする研究にも挑戦していきたいと考えている。
【参考文献】
Borsay,A.,2005,Disability and Social Policy in Britain since 1750,New York:Macmillan
Bosanquet,H.,1912,Social Work in London: 1869-1912,London: John Murray
浜林正夫,2009,『イギリス労働運動史』,学習の友社
Family Welfare Association,1893, The Epileptic and Crippled Child and Adult:a Report on the Present Condition of These Classes of Afflicted Persons, with Suggestions for Their Better Education and Employment,London:Arno Press
Harris,J.,1972,Unemployment and Politics:A Study in English Social Politics
1886-1914,Oxfordshire:Oxford at the Clarendon press
Jones,G.S.,1971,Outcast London, Oxfordshire:Oxford University Press
小川 眞里子,2016,『 病原菌と国家―ヴィクトリア時代の衛生・科学・政治―』, 名古屋大学出版会
Oliver,M.,1990,The Politics of Disablement,London:Macmillan(=三島 亜希子・山岸倫子・山森 亮・横須賀 俊司訳,2006,『障害学の政治 イギリス障害学の原点』,明石書店)
Roch,C.S.,1883,How to Help Cases of Distress: A Handy Reference Book for Almoners,
Almsgivers,and Others,London: Longsmans,Greens,& CO.
Roch,C.S.,1895,How to Help Cases of Distress: A Handy Reference Book for Almoners and Others,5th Editon,London: Longsmans,Greens,& CO.
高田実・中野智世編,2012,『近代ヨーロッパの探究⑮ 福祉』,ミネルヴァ書房
高野史郎,1985,『イギリス近代社会事業の形成過程 -ロンドン慈善組織協会の活動を中心として-』,勁草書房
Thane,P.,1996,Foundations of the Welfare State,2nd edition,London,Longman(=深澤和子・深澤敦監訳,2000,『イギリス福祉国家の社会史 -経済・政治・文化的背景』
Webb, S & Webb, B,1897, Industrial Democracy, London: Longmans, Green and Co.
Welshman,J.,2006,Underclass:A History of the Excluded,1880-2000, London:Habledon
Continuum
山本卓,2012,「福祉の分業の隘路 -ロンドン慈善組織協会と「リスペクタブルな」失業者-」,岡村東洋光・高田実・金澤周作編『英国福祉ボランタリズムの起源 -資本・コミュニティ・国家-』,ミネルヴァ書房
■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。
①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。
報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。
精神障害者の就労現場で調査研究を行っている大学院生の駒澤真由美(所属:立命館大学大学院 先端総合学術研究科)と申します。
「排除の複合体」史とその着想元である「福祉の複合体」という観点に引き寄せられて本報告を拝読いたしました。もとはと言えば「浮浪者の撲滅」を目的として結成されたCOS(ロンドン慈善団体)が、1880年代に「心身の虚弱な無能力者」(盲人、聾者、唖者、狂人、痴愚、白痴)を救済の対象から除外することで障害者を労働市場から排除する機能を有していたこと、その背景に職業別労働組合に配慮した原理が存在していたというご考察を踏まえて、1点質問させてください。
最後に「労働組合側の原理と比較参照することで新たな知見を得られる可能性がある」と書かれていましたが、これについてよろしければ現時点でのお考えをお聞かせいただけますでしょうか。これとは関係ないかもしれませんが、2022年10月に施行される労働者協同組合法は、イタリアの社会的協同組合のように障害者にも働ける余地を作り出すことができるのか疑念があります。よろしくお願い申し上げます。
〈2021.9.13 報告者から〉
>最後に「労働組合側の原理と比較参照することで新たな知見を得られる可能性がある」と書かれていましたが、これについてよろしければ現時点でのお考えをお聞かせいただけますでしょうか。
労働組合側の原理を知る手がかりとしては、労働組合の規約、労働組合間の協約が考えられます。例えば、組合入会の条件、傷病による退職時の手当を支給する基準等を確認することにより、労働組合の基準などが明らかにできます。
現在まで資料、先行研究から明らかなことは、産業別労働組合は、低賃金で非熟練労働者が雇われることが労働者の賃金の低下につながると考えておりました。では非熟練労働者にはどのような人が含まれるかという点ですが、子ども、高齢者、「身体の欠陥」などが現時点では確認できます。
また、退職時手当は全盲、麻痺、虚弱等が原因の場合に支払われていたようです。手当が払われたということはその労働者が労働不能と見なされたことを意味します。
現時点で参照しているのはドイツの社会政策学者ルヨ・ブレンターノの『イギリス労働組合史』ですが、将来的には労働組合が残した資料を手がかりにして実証しようと考えております。
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN00547013
ちなみに、産業別労働組合は第二次世界大戦中に若い兵士の替わりに障害者が工場に雇用されることにも反対声明を出していたことがアン・ボルゼイの研究で明らかにされております。
https://academic.oup.com/occmed/article/56/1/69/1374583
いわゆる割当雇用という制度が成立するまでは、労働組合にとって障害者は組合労働者の雇用を脅かす存在と認識されていたのです。
>これとは関係ないかもしれませんが、2022年10月に施行される労働者協同組合法は、イタリアの社会的協同組合のように障害者にも働ける余地を作り出すことができるのか疑念があります。よろしくお願い申し上げます
福祉分野に関して言えば、労働組合と障害者の間には利益背反する場面が確かにあります。例えば、立岩先生の著作『病者障害者の戦後――生政治史点描』でも労働組合が職員の雇用を守る観点から施設存続を主張する場合があったことについて述べていたと思います。
また、生計を立てるため、一時的に労働組合の強い福祉職場で働いたことのあるわたしは、労働組合が職員の業務範囲を強く線引きすることにより、柔軟な支援がしにくくなるという場面にも立ち会うことがありました。福祉職員の雇用および業務範囲の拡大を防ぐことと、当事者にとって使いやすい支援を行うことの間には確かに矛盾があるのだと思います。
高森さま
早々に回答をくださり、ありがとうございました。大変勉強になります。
退職時手当が全盲、麻痺、虚弱等を理由に支払われていたということは、当然のごとく、そのような障害を負った場合には退職せざるを得ず、「労働不能とみなされ」て「手当が払われた」ということ。私の研究では精神障害者を対象としていますので、見た目ではわかりづらいため通院していることを隠すこともできます。障害年金の受給や障害者手帳の取得に伴って「障害者とみなされること」「障害者と認めること」に根強い抵抗を示す人もいます。
福祉職員の雇用を維持するために施設が存続しているのだとすれば、福祉職員の俸給にまわっている助成金を当事者主体の事業所に給付(障害者の賃金に補填)し障害種別の異なる障害者やその他の就労困難者が助け合って事業を運営する(下記のような企業組合や協同組合の)ほうが好ましいとも思えます。
駒澤 真由美,2020,「精神障害者が働き続ける『社会的事業所』とはどのような場なのか――一般就労でもなく、福祉的就労でもなく」[R-Cube] ([PDF] 外部リンク)『Core Ethics』,Vol.16,pp.71-82.
しかし、ここでもまた、障害者や刑務所出所者、シングルマザー、薬物/アルコール依存症者、元ホームレスの人たちを1つにまとめてソーシャルファームと称して雇用する企業(貧困ビジネス)が出現する可能性があります。
https://www.shigotozaidan.or.jp/koyo-kankyo/joseikin/documents/SFichiran20210909.pdf
高森さまのご研究からは逸れてしまったかもしれません。失礼いたしました。
大阪社会福祉史研究会の樋原裕二と申します。高森明様の今回のご報告、障害者の歴史研究の立場より、興味深く読ませていただきました。実証された部分についてはとてもおもしろいご研究だったと思います。以下、「排除の複合体」という点について質問させていただきます。
①「排除の複合体」という議論が、高田実さんの「福祉の複合体」史の議論からきていることは、ご報告のなかで述べられております。「福祉の複合体」史は、福祉国家の成立・発展に注目した従来の福祉史研究と異なり、国家権力以外の多様な主体が福祉を担っていることと、その相互の関係とに注目した議論であると理解しております。参考文献の高田論文には、「福祉の複合体」の構成要素について「それぞれの量と相互関係が変化することで、全体の形がいわばアメーバー状に変化してきた」と表現されています。
その点を考えたときに、今回のご報告はCOSによる労働市場からの障害者の「排除」については明らかにできていると思いますが、そういった「排除」が国家権力といった他の「排除」の担い手と「複合」している様子については、明らかにできていないと思います。COSのような民間による「排除」が、他の民間団体や国家の政策による「排除」とどう関係し、影響を及ぼし合っていたのかといった点への注目が十分でないなら、「排除の複合体」の議論にはならないのではないかと思うのです。
今後は労働組合による「排除」についても明らかにされることで、国家の政策も絡めてどう相互が影響し合っているかといった、「複合」している様子が明らかにされるかと期待しております。
②ご報告のなかでは、「障害の「複合体」においては官民の様々な福祉供給体が排除の担い手として想定される」と述べられています。しかし障害者の排除について明らかにしたいのであれば、何も福祉団体が研究対象になる必要性はなかったのではないかと思います。福祉の担い手がじつは差別の担い手に(結果として)なってしまっていたことに注目する意義について、ご説明いただきたいです。
また国家権力以外の様々な主体が排除に加担していたという視点は、西洋史はともかく日本史のほうではすでに明らかにされてきたと思います。仏教などの宗教団体、村などの地縁団体、ハンセン病問題に取り組んだ医者、儒学者や教職者など、多様な主体が障害者に対する偏見や差別の強化に(意図せずして)一役買ってしまったことは、国家権力以外の多様な主体が福祉を担うことが(とくに大阪のような町人の町においては)当たり前だったことと同様に、日本ではあまり目新しい視点ではないように感じました。イギリス史のような西洋史の先行研究が、国家権力による排除ばかりに注目しがちであり、高田さんのいう「中間領域」による排除にはあまり注目してこなかったことを、もう少し詳しくご説明いただければと思います。
〈2021.9.19 報告者から〉
>今後は労働組合による「排除」についても明らかにされることで国家の政策も絡めてどう相互が影響し合っているかといった、「複合」している様子が明らかにされるかと期待しております。
ご指摘されていることはまさにその通りだと思います。
この報告の当初の目的は低賃金で障害者が大量に雇用されることを防ぐための慈善団体と労働組合の間に生じた共闘関係を明らかにしようと構想しておりました。
しかし、言い訳になってしまいますが、今年の8月になってわたしが利用できる大学図書館2か所で図書館書庫の入庫、外部図書館からの資料の取り寄せに制限がかかり、労働組合関連の資料入手、先行研究が遅れてしまい、COSを中心に扱い、産業別労働組合にはわずかに存在をほのめかすという体裁になってしまいました。
9月にようやく書庫入庫ができたので、その知見も加えて説明すると労働組合の中でも特に非熟練労働者(おそらく「身体欠陥者」を含む)の入職制限、傷病による退職を積極的に進めていたのは、合同機械労働組合だと思われます。この組合の規約などを最終的には分析していきたいと考えています。
なお、複合体ということで、今のところわたしが知っている事例としては以下のようなものがあります。
①労働災害補償を忌避しようとする船舶会社の雇用主、産業別労働組合、営利保険会社の行動が、医学検査による障害者、慢性疾患者の採用拒否という傾向を生み出した(20世紀初頭)。
②(学校事例ですが)学校への障害児受け入れを全面忌避する教育当局と軽度障害児の施設受け入れを忌避する慈善団体のせめぎあいの結果、学校には軽度障害児を対象とした特殊学校が成立した。
>福祉の担い手がじつは差別の担い手に(結果として)なってしまっていたことに注目する意義について、ご説明いただきたいです。
19世紀のロンドンで障害者の雇用を促進しようとする勢力があるとすればそれは障害者の職業訓練と職業の斡旋を担った一部の慈善団体だったからです。
基本的に19世紀の段階で、救貧法において「労働不能者」という扱いになっていた障害者は救貧行政と連携する慈善団体が救済の対象としていましたが、慈善団体の原則の中には「自助」という価値観があります。従って、障害者の職業訓練、雇用促進とはそれほど敵対的ではなかったのです。
実際、ボランタリー団体の歴史などを読み解くと、COSの勢力が拡大する以前のロンドンなど都市部では障害者訓練、保護雇用促進の担い手は慈善団体でした。盲人・聾者の職業訓練施設、肢体不自由者の授産施設、精神・知的障害者の職業訓練、そして雇用主に対する障害者の就職の斡旋などは主に慈善団体を通じて行われていました(この点はウェッブ夫妻の『産業民主制論』にエピソードが登場する)。
しかし,1868年以降に勢力を拡大したCOSの場合、保護雇用には積極的ではありません。むしろ、労働市場に介入しない、 産業別労働組合の雇用規制を尊重するという姿勢なので、障害者の職業訓練、雇用促進いずれに対しても抑制的です。 COS台頭による慈善団体間のパワーバランスの変化、そしてCOSによる方針策定とそれに基づく実践が慈善団体の障害者の処遇をどのように変化させたのかという点は非常に興味深いのですが、まだ実践の分析までは進んでおりません。
>西洋史の先行研究が、国家権力による排除ばかりに注目しがちであり、高田さんのいう「中間領域」による排除にはあまり注目してこなかったことを、もう少し詳しくご説明いただければと思います。
イギリスに関して言えば、戦後福祉国家体制下でもてはやされたウェッブ史観に基づく福祉の記述の影響が大きいです。ウェッブ史観というのは、ナショナルミナマムの提唱者であるウェッブ夫妻の歴史記述に基づく歴史認識のことなのですが、基本的に福祉における行政機構の役割を重視し、慈善団体など中間団体の営みは過小評価します(大沢真理『イギリス社会政策史』参照)。そして、福祉に対する行政の役割が大きかった戦後~1970年代には実生活においてもリアリズムがあったと考えられます。日本でも1980年代前半までのイギリス福祉の歴史はウェッブ夫妻の受け売りのような説明が目立ちます。
状況が変わり始めたのは、サッチャー政権以降福祉削減が進行した1980年代後半で、ここで福祉複合体史が登場し、福祉における中間団体の再評価が始まります。
一方、初期イギリス障害学(1980年前後)の歴史観は、微妙な時期に生まれています。障害学の主な担い手となる論者は戦後福祉国家の障害者福祉の下で差別、排除に苦しんでいたので、その仮想敵は国家、行政部門となりがちです。福祉複合体史はこの段階ではまだそれほど主流にもなっておりません、そのため、マイケル・オリバーらの歴史理論では中間集団は周辺的な役割しか与えられていないのです。さすがに、アン・ボルゼイの研究では中間集団の記述は増えてきますが、それでも主題は「障害政策史」です。
しかし、19世紀後半、そしてネオリベラリズムの時代となった今日のような時代では政府、行政部門の障害者福祉に対する役割は小さくなり、中間団体の役割が相対的に大きくなります。こういう時期を分析する際には、複合体史のような分析視点の方が有効である場合があると考えております。