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神経難病患者の地域移行という選択
――長期入院患者の事例をもとに――
坂野久美(岐阜医療科学大学/立命館大学)


キーワード
神経難病 地域移行 選択 QOL

【背景】
 地域包括ケア体制がすすめられるなか、医療依存度の高い疾患患者の地域移行も増加している。全国27カ所に設置された現在の国立病院機構である国立療養所の筋ジストロフィー病棟(以下、筋ジス病棟)には、筋ジストロフィーのみならず神経難病患者が多く入院している。神経難病については未だ根本的な治療薬が確立されておらず、徐々に運動機能や呼吸機能が進行するため、車椅子や呼吸管理が必要となり入院が長期化する場合が多い。また、年齢とともに医療依存度も高くなるため、神経難病患者の地域移行には様々な支援の手が不可欠である。筋ジス病棟には、幼少時に発症した筋ジス患者への教育と医療を提供するための病弱養護学校(現特別支援学校)が隣接しているため、入院しながら教育を受けられるという理由から、小学校から高等学校までの就学期間を利用する患者(親)も多い。しかし、その後高校卒業と同時に退院し在宅療養に移る患者もいれば、そのまま入院を継続する患者もいることから、入院期間が30年を超える患者もめずらしくはない。
 昨今重要視されるようになってきたのが、QOLの考え方である。世界保健機関(WHO)では、1947年に発表された健康憲章の中で、「健康とは、疾病がないというだけでなく、身体的・心理的・社会的に満足のいく状態であること」と定義している。さらに、1998 年には「spirituality」を健康を定義する概念の中に加えられた。これが現在のQOLの概念に相当し、怪我や病気によって障害があっても、その人らしい満足いく生活が営めるように生活の質を高めることは、健康で幸せな生活を送るうえで重要である。医療における疾患の治療による治療率や生存率などの客観的な指標よりも、患者自身の意志や満足感などの主観的な側面が重視されるようになった。
 厚労省が掲げる「健康日本21」においてもQOLが重要視されており、QOL指標については、「死亡や健康障害により日常生活に制限を受けることが無くとも、生き甲斐を持って自己実現を果たせるような日常生活を過ごしているか否かを評価するものである」と説明している。
 このような背景から、長期にわたり入院生活を送っている神経難病患者が、自身の将来の生活を思い描き実現しようとすることは当然の権利であり、決してかなわない夢ではない。しかし、地域生活の実現が可能となったとはいえ、彼らの両親はすでに高齢を迎えており、両親が医療依存度や介護依存度の高い子どものケアをすることは現実的ではない。では、地域での生活支援状況はどうであろうか。「地域生活支援拠点等の全国の整備状況」についての調査によると、令和2年4月1日時点で、469市町村(うち、圏域整備:66圏域272市町村)において整備されている(全国の自治体数:1741市町村)。また、「地域生活支援拠点等の全国の整備状況の割合」についての調査によると、令和2年4月までに整備済は469(26.9%)であり、今後の課題について、主に「地域の社会資源が不足していること、整備・運営に係る財源の確保」等があげられている。これらより、神経難病患者も含め医療依存度や介護依存度の高い患者の地域での支援体制は、まだまだ十分とは言えない。
 今回、QOLの向上を目指して病棟から親元ではなく地域へ生活を移したSMA(脊髄性筋委縮症)患者A氏の事例を取り上げ、インタビューデータをもとに考察した。

【目的】
 本研究の目的は、医療依存度の高いA氏が、病院から親元ではない地域への移行を選択したのはなぜか、そしてどのような方法で地域移行を進め、その過程での障壁をどのように乗り越えたのかを、A氏本人のインタビューデータをもとに明らかにし、考察することである。
これらを明らかにすることにより、神経難病患者をはじめ全国の医療依存度の高い患者の地域生活の実現に向けての方策についての示唆を得る。

【方法】
1.研究デザイン
半構造化面接法
2.調査方法
 筋ジス病棟から地域に生活拠点を移したSMA患者のA氏へのインタビュー調査を実施した。A氏の病状が安定しており、100分程度の会話が可能であることを確認した。対象者へのインタビューは、インタビューガイドをもとに実施した。
3.研究対象者の抽出および研究協力の依頼
 自立生活センター職員を通して研究対象者の紹介を依頼し、研究対象者に研究の趣旨を文書と口頭で説明し文書で同意を得た。面接場所については、プライバシーが確保でき、対象者が負担にならない場所の選択をA氏本人に依頼した。また、研究協力を拒否する権利、拒否することによって不利益を被らないこと、データの適正な扱いと厳重な保管・破棄の方法,データ公表が予測される媒体等の明示、個人への研究結果のフィードバックについて説明した。なお、新型コロナウイルス感染症対策としてオンラインにて実施した。
4.データの収集方法
 面接時間は100分程度で、本人の同意を得たうえでICレコーダーに録音、ビデオカメラにて録画、またメモをとり、その後逐語録を作成し分析した。
5.インタビューは研究対象者の許可を得てICレコーダーで録音した。インタビューの内容については、逐語録と逐語録の分析が一通り完了した時点で対象者に内容を開示し確認をとり、公表の承諾を得た。また、対象者の体調については十分な配慮に心がけた。本研究は、研究者が所属する機関の研究倫理審査委員会の承認を得て実施した(人を対象とする倫理審査番号:衣笠-人-2017-21)。
6.A氏のプロフィール
1974年 生まれる
1976年 脊髄性進行性筋萎縮症(現:脊髄性萎縮症SMA)と診断される
1981年1月 国立療養所B病院へ入院、療養生活が始まる
同年4月 B病院併設の養護学校・小学部へ入学
1993年3月 同校・高等部を卒業
1999年 夜間のみ人工呼吸器を使い始める
2009年9月 独立行政法人国立病院機構A病院・退院
同日 自立生活が始まる。
2010年5月 生活介護(週1回)で自立生活センターへ通所
2018年6月 24時間、人工呼吸器を使い始める
現在 自立生活センターの職員(ピアサポーターとしても活動)

【結果】
(1)入院の理由
 いや、僕の入った頃はまだ物心ついてすぐぐらい、6歳かな、なので、まあ僕の希望というよりも親が入れたみたいな感じですね。
 養護学校に来る人が、まあたいがい入院する理由は、養護学校に通う理由で入院する人もいてはったので。

 当時6歳のA氏は、入院の理由については理解していなかったが、後に就学しながら療養できるといったメリットの大きい入院であったと理解した。

(2)指導員や保育士とのかかわり
 指導員は、当時は1、2…、当時は3人かな。2人か3人か。僕らが作業棟って言ってた患者が集まる活動室みたいなのがあるんです。まあそこで主に、たとえば学校行ってる人はグループワークをここでやったり、雑誌が置いてあったら雑誌を読んだり、新聞読んだり、あと行事をやったり。だからそういうお手伝いをまあ保母さんとか指導員、まあ児童指導員ですね、がやってくれて。患者と関わるのはそこで日中活動か、いわゆる日中活動の「手伝い」。それ以外のときは病棟に行って「食事」介助、食事介助もやってたし、あと入浴介助もやってました。

 学童期は、指導員や保母(保育士)が複数人勤務しており、作業等での活動に親身に付き添い、食事や入浴介助にもかかわってくれたことを好意的に感じていた。

(3)入院継続の選択
(退院の)選択肢はあったけど、なかったんですね。それなぜかっていうと、なんかまあもともとこう、たいして体があんま強くないので、風邪をひいて肺炎起こすっていう。で、家帰ったらたぶんそうなるから、そうなるから病院入ったんですね。だから結局そうなったときに大変な結果になるのもわかってたから、「じゃあここは、じゃあまあ病院で」、まあ。僕が二十歳でまあ、学校卒業した頃はそこまで病院のルールも厳しくなかって、まあ厳しくなりはじめた頃で。比較的まあ自由にできてたんで、外泊もしてたし、旅行も行ってたしね。だからそんなんで、「まあここでいいんじゃない?」みたいな。

 A氏は、小学校から高等部までの12年間を筋ジス病棟で過ごし、それなりに楽しく不自由だと感じていなかった。呼吸器疾患に罹患しやすく重症化しやすい体質を優先し、高等部を終了した時点で入院継続という選択をした。何人かの友人は退院を選択したが、A氏は容易に医療が受けられる筋ジス病棟での生活を選択した。

(4)何かあるごとに厳しくなった入院生活
 2003年か、自立支援法っていうこと、まあそこも一つ転機であったし。あとその前で言うたら、まあ措置入院やったんですけど、だんだん病院の経営もまあ圧迫してきたのか、なんかだんだん僕たちに対する締め付けが肌身に感じてくるようになって。
 O157ぐらいからね、あれからがらっと変わりましたね。で、あとなんか、一人患者がたとえば何かやらかす、やらかすっておかしいけど、たとえば喉つめたとか、何かきっかけがあるごとにだんだん厳しくなっていく。
   
 1996年に国内において集団感染となったO-157により、病院のリスク管理は強化された。それ以降、両親や面会者からの食品の持ち込みが禁止され、病院食以外は口にすることができなくなった。2004年に国立病院の統廃合が実施され、病棟内でも制約が増えた。何か問題が発生するたびに、ヒヤリハット、インシデント対策といった医療安全面での管理も増え、その影響は患者にも向けられるようになってきた。また、自分が引き金になると、規則がエスカレートしてくることが目に見えていたため、失敗しないように、嫌われないようにと病院生活に順応できるように気を配った。

(5)退院という希望
 (友人の)Eさんが先、出たんです。僕の中では(退院の計画が)全部できてきて、で、もう「いついつで退院したい」って。何がそろった…、えー、まあ一番は介助ですね。介助者、介助がいないと地域で暮らせないから。その介助者の確保ができるのを待ってたんです。1か月前ぐらいかな、えーと、病棟師長に「話があるから時間作ってくれ」って。で、師長とドクターとうちの両親と、だから僕と、三者か、四者か、で面談、時間取ってもらって。で、師長さんが「何?」ってなって、「いや実は」って。「ああ、いつかやるんちゃうかなーって思ってた」って言われたけど。

 友人のE氏は2年前に筋ジス病棟を退院しており、A氏とは退院後もメールで連絡を取り合っていた。E氏の生活の状況を知り、外出の際には実際にE氏の住居にも足を運び、自らの目で確認した。入院生活が厳しくなるなか、A氏の退院への思いが増していった。
 2006年から重度訪問介護が開始されていたが、A氏は内容が不十分だと感じ、制度が拡大するのを待っていた。自ら自立生活センターに相談し、地域生活をする上での人員確保や医療を受ける病院などの準備を進めていた。

(6)両親の理解
 親父が「お前の人生やから、お前が好きなようにしたらええ」とか、まあ「体だけは心配や」とか。なんかそれ覚えてますけど。

 このようなケースでは、両親の賛同の有無が地域移行の障壁となることが多いが、A氏の場合、両親の賛同が得られたことにより、地域移行への話が円滑に進んだ。

(6)退院後の自信
 呼吸器も僕24(歳)からつけてて、呼吸器を在宅で、まあコンパクトになって家でも呼吸器を使えるってなったのが一番おっきいですね。まあ呼吸ができたら基本死ぬことないからね。

 呼吸器の取り扱い方法をA氏自身が熟知しており、介護者に伝授することで不安は払拭された。マイナス面ばかり考えるのではなく、やってみてできたら自信につながるというプラス思考のA氏の性格が退院を後押しした。
    
(7)自立生活についてのプライド
 2時間人がいないときやったから、「そんなら2時間ぐらいやったら出て…行けるから行くわ」って母親は言ってくれてたんですけど。
 今はたぶんそんなことはないと思うんですけど、ただ僕が出てきた頃はそういうのがすごく強かった時代で。身を削って自分の生活をつくるっていうスタンスがあって、まあたしかにかっこ悪いなと思って。それやったら交渉して、必要な時間を取りに行くっていうほうに力を注ごうということになって。だから交渉、交渉、交渉。
     
 自立生活を求めて地域移行を決心したA氏は、不足していた2時間の援助を両親に求めなかった。A氏は、「自立」を身を削って自分の生活を作ることだととらえ、他人に甘えることなく、可能な限り自分でという思いが強かった。これは、A氏のプライドでもあった。

【考察】
 筋ジス病棟への入院は、親にとっても筋ジス患者にとっても、療養しながら就学できるというメリットがあった。幼少期のA氏にとっては、状況が理解できない間に入院し(させられた)、そのまま年月が経過していたということになる。高等学校卒業時に退院の機会があったが、当時の入院環境はそれほど劣悪ではなかったため、病弱なA氏は医療体制の整備された入院継続を選択した。その後、国立病院の統廃合の影響を受け、入院環境が変化していった。その一方で、2003年の支援費制度の導入、2005年には障害者自立支援法が制定され、患者にとって必要なサービスが安定的に利用できるようになった。医療依存度の高い神経難病患者が自身の人生をどのように描くのか、障害があってもその人らしい満足な生活、いわゆるQOLの向上が叶えられる場所が、A氏にとっては病院ではなく地域であったということであろう。
 今回のA氏の事例は、病状が安定していたことが大きく、A氏自身の自己実現につながったと考える。神経難病の患者が、地域であっても病院であっても、その人らしく満足した生活が送れる環境や支援体制の整備が望まれる。

【まとめ】
 本調査により、以下のことがわかった。
・筋ジス病棟の入院生活には、療養と就学の目的が果たせるというメリットがある。
・筋ジス病棟での医療体制は整備されているが、長期入院患者のQOLを満たせる環境が
整備されているかについては十分とはいえない。
・地域においても、医療依存度が高い神経難病患者が安心して生活できる支援体制が必要
である。

【文献】
1)立岩真也.1018,病者障害者の戦後.青土社.
2)厚生労働省.「健康日本21」:参考1 健康指標の意義と算出方法 第5節 QOL指標
https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/kenko21_11/s1.html
3)厚生労働省.「地域生活支援拠点等の全国の整備状況について」(令和2年4月1日)
(概要)厚労省障害福祉課https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000755762.pdf)


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

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