『障害学研究』19号 エッセイ募集

学会誌『障害学研究』第19号(2023年9月刊行予定)のエッセイを、下記の要領で募集いたしますので、ふるってご投稿ください。

※ 当初予定よりも募集時期が大幅に遅れてしまい申し訳ありません。積極的な応募をお待ちしています。

■ 分量:1200文字以上 10000文字以内(詳しくは末尾の審査規定を参照)
■ 締切:2023年5月31日
■ 送付先:yukara「あっと」akashi.co.jp
(送信の際は「あっと」を@に変えてください)

【担当者】 明石書店 辛島悠さん

【備考】
1.送付にあたっては、

1)原稿は添付ファイルとし、
2)メール本文には投稿者の氏名と所属、エッセイタイトルを記し、
3)メールの件名を、「障害学研究第19号 投稿論文」としてください。
受領しましたら、こちらから確認のメールをお送りいたします。万が一、送信後3日を経ても確認メールが届かない場合は、事故の可能性がありますので、恐れ入りますが、その旨を記した上、再度原稿をお送りください。

2.掲載にあたって、会員名簿にご登録のお名前とは別のお名前(ペンネーム等)をご使用になる場合は、そのペンネーム等に加えて、学会名簿にある名前を原稿に併記して、ご投稿ください(投稿資格の有無を確認する際に必要になります)。加えて、どちらの名前での掲載を希望するかも明記してください。

障害学会・第9期編集委員会
委員長 堀田義太郎

『障害学会』エッセイ審査規定

19号 エッセイ選者・プロフィール・求めるエッセイを掲載します。

◆ 伊是名夏子(いぜな・なつこ)さん/コラムニスト。著書に『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)。
◇ あなたが悩んできたことを、驚いたこと、悔しかったこと、傷ついたことのもやもやを、まずは言葉に、文にしてみてください。飾らない、まっすぐな思いが、意外にも多くの人の気づき、共感になります。一番よくないのは自分の感じたことを、これくらいのことは仕方ない、とないものにしてしまうこと。悩みながらも書くことは、自分を取り戻し、力を得ることでもあります。あなたの悩んだ経験が、書くことで、あなたと誰かの財産になります。時間はかかり、苦しいこともあると思いますが、あきらめずに書いてみて下さい。

◆ 川口有美子(かわぐち・ゆみこ)さん/アドボカシー、NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会副理事長。重度の身体障害をもつ人々の在宅療養支援に携わる。著書に『逝かない身体』(医学書院)、『末期を超えて』(青土社)など。
◇ 論文にはできない/したくない、けれど世界に知らせたい主張があるでしょう。あなたのそんな絶対的なオピニオンを、譲れない思いを、自由に存分に書いてください。お行儀は問いません。あなたの心の叫びが伝わる文章を期待してます。

◆ 齋藤陽道(さいとう・はるみち)さん/写真家、文筆業。著書に『異なり記念日』医学書院、『声めぐり』晶文社、『育児まんが日記 せかいはことば』ナナロク社など。
◇ 私ではない誰かが書いた物語や番組に浸かっていると、無意識に、そうした言葉をあてがってしまい、自分自身の本当の感情を見失ってしまうことがあります。注意深く、そうした言葉を注意深くはぶいて、私の感動、私の悲しみ、私のこの感情を、大事にした、正直な、切実なことばを、書いてみてください。それはきっと、みんなにとっての宝です。

◆ 杉野昭博(すぎの・あきひろ)さん/元大学教員(関西大学・関西学院大学・東京都立大学)。著編著に、『スポーツ障害から生き方を学ぶ』生活書院、『よくわかる障害学』ミネルヴァ書房など。
◇ 障害学研究のエッセイコーナーは、会員からの提案を受けて本誌創刊時に作られたもので、当学会独自の取り組みとして、初代編集委員長の倉本智明さんや故斉藤龍一郎さん(アフリカ日本協議会・障害学会理事)をはじめ、歴代選者のみなさんのご尽力で20年間継続してきました。「学術論文とは異なる基準で著述業のプロの方に選者を依頼する」という方式も、理事会や総会での議論を経て定着したものです。私自身はこの選者としての資格は不十分ですが、これまでの経緯を知る者として選者を引き受けさせていただきました。家族や支援者も含めて「当事者」としての立場でしか知り得ない経験を多くの方に伝えられる文章を期待します。

コロナ禍における調査――現地に行ってわかったオンラインインタビューの仕方

伊東香純(日本学術振興会特別研究員PD/中央大学)

 『障害学研究』の最新刊に、「障害と開発」分野で先駆的な研究をしてこられた森壮也さんが拙著『精神障害者のグローバルな草の根運動』(伊東2021)の書評(森2023)を書いてくださり、私もリプライ(伊東2023)を書きました。拙著は、2020年9月に立命館大学に提出した博士論文が基になっています。博士論文では、2016年度にニュージーランド、2018年度と19年度に欧州8か国(うち2か国はオンライン)で、インタビュー調査や文書史料収集をおこない、精神障害者の世界組織の社会運動の歴史を描きました。2019年度の終わりからコロナ禍の世界が始まったことを考えると、私は非常に運がよかったと思います。博士論文の審査は、口頭試問(2020年4月)も公聴会(同年7月)もオンラインで実施されました。口頭試問の際、どうしたわけか指定されたミーティングルームに入れず、忙しい合間を縫って参集くださっている4名の審査員を5分ほどお待たせしてしまい、開始早々冷や汗をかいて謝るというハプニングもありました。
その後2021年度から現在の特別研究員(PD)に採用され、アフリカの精神障害者の社会運動の調査を始めました。このエッセイでは、1年目はオンライン、2年目はオフラインで実施した2年間の調査から、調査の仕方について私が学んだことをお話します。この研究プロジェクト応募当時(2020年5月頃)は、日本で最初の緊急事態宣言が発令された時期でした。海外渡航はできない状況でしたが、このような状況がこれほど長期に渡るとはまったく予想しておらず、博士論文が書けたら、フィールドワークを再開するぞと意気込んでいました。応募書類には、現地でのインタビューや史料収集を盛り込んだ研究計画を書きました。運よく研究員に採用されたものの、2021年度になっても海外渡航がほぼ不可能な状況は変わっていませんでした。このまま研究員の採用期間が終わってしまったらどうしようという焦りもあり、オンラインでインタビューをすることにしました。
欧州での調査でお世話になった方を頼ったり慣れないSNSを駆使したりして、2021年度は最終的に6名の方にインタビューにご協力いただけました。これは、私にとって予想を上回る成果でした。オンラインでのインタビューはコロナ禍前から経験していたので、現地の様子がわからなかったり信頼関係が築きにくかったりといったデメリットは始める前から予想していました。しかし、それらより私にとってはるかにデメリットだったのは、アフリカのネット回線の弱さです。10分以上お互いに音声が届かないことが、1回のインタビューで何度もあり、途切れた状態が30分以上続くこともありました。突然、音声が途切れると、私が日本でいくら大きな声で状況を伝えても相手には届きません。そして、聞こえていないのを知らずに、ずっと話し続けてくださっているのです。「Can you hear me?」を多いときには20回も繰り返して、やっと回線が復活すると、ひれ伏す気持ちでこの話の後から聞こえていなかったからもう一度話してほしいとお願いしました。二度も、時によっては三度も同じ話をしてもらうのは非常に忍びなく、話のテンポも悪くなるし、私は苛立つと同時に、インタビュイーが腹を立てはいないかとびくびくしていました。時差のため、ほとんどのインタビューは、日本時間の夜から深夜におこないました。実際に話を聞けていた時間は1時間程度でも、オンラインに接続して緊張していた時間は2時間近くになる場合が多く、へとへとになりながらオンラインのスイッチを切った深夜を覚えています。しかし、インタビュイーの方は、画面をオフしていたので実際のところはよくわかりませんが、私の心配とは裏腹に嫌な顔一つせず、熱心にインタビューに応じてくれました。コロナ禍で急増したオンラインのイベントでは、機材トラブルで数分間でも時間がロスすると主催者が謝ったり、トラブルを未然に防ぐためのシミュレーションを事前におこなったりといった対応を経験してきました。この経験と照らすと、私はインタビュイーの人たちがトラブルに落ち着いて非常に寛容に対応してくれたことが、個人の性格では説明しきれないように思えて不思議でした。
この寛容な対応は、2022年度、アフリカに来てすぐ腑に落ちました。私がアフリカでの調査で最初に訪れたのは、ウガンダの首都カンパラです。最初のインタビューは、カンパラからさらに東に移動した、ケニアの近くのムバレという地域でおこないました。ウガンダでよく使われる交通手段の1つにマタツと呼ばれる10人乗りくらいのミニバスがあります。歩いていると、乗れ乗れとたびたび車内から声を掛けられました。最初のインタビューの日、私の泊まっていたホテルからインタビュイーのご自宅まで、ホテルの近くに住んでおられるインタビュイーのご家族のジェーンさんが送り迎えしてくださいました。行きは、スーパーハイヤー(日本でいうタクシー)で、30分ほどかけてインタビュイーのお宅まで行きました。用事が済んで帰ることになり、帰りはマタツで行こうと誘ってもらいました。沿道に出ると間もなくマタツがやってきました。そこで、私が乗ろうとすると、ジェーンさんは乗るのはまだだと言います。もう少し人が乗ってからでないと車内で長時間待つことになるというのです。そして、客引きをしていた乗務員に乗客が集まってから声を掛けてくれと言って、沿道で待つことになりました。待っていると近所の人が椅子を出してくれ、ソーダと呼ばれる炭酸飲料を買ってきてくれ、スコーンとパンの間のようなお菓子を出してくれて、煮干しを仕分けたり菜っ葉を刻んで売ったりしているのを見ながらおしゃべりしました。その間、マタツは、300メートルほどを行ったり来たりしながら、お客を集めていました。30分以上経って、もう待っても人は集まらないということになったようで、私たちはマタツに乗り込みました。やっと帰れるかと思ったら、1キロほど走って人家が多いところにくるとまた客引きです。30分以上同じ道を行ったり来たりして、乗れ乗れと声を掛けます。そこでようやく座席が埋まり、市街地に向かって走り出しました。マタツを降りたときには、帰ろうかと言い出してから2時間以上が経過していました。驚いたのは、マタツは時間が来たらではなく、席が埋まったら発車するのだと聞いたときです。

沿道に停められているマタツ (2022年8月20日ジンジャ(ウガンダ)のバス停にて筆者撮影)
ジェーンさんたちといっしょにマタツの乗客が集まるのを待っていたところ (2022年8月12日ムバレ(ウガンダ)にて筆者撮影)

翌朝、渡航してから最初の停電を経験しました。アフリカでは、よく停電が起きると事前に読んで知っていたので、これかと思いました。その日は、ジェーンさんに地元のお祭りを案内してもらうことになっていて、前日同様ジェーンさんがホテルまで迎えに来てくれました。私は、ボダボダと呼ばれるバイクタクシーで、ドライバーとジェーンさんの間にできるだけ身を薄くして挟まれながら、今朝の停電の話をしました。そうすると「そんなのこっちじゃよくあることだから、わざわざ話題にしないよ」と笑われました。なんだか恥ずかしい気持ちになりました。そのお祭りは、皆がお酒を飲んで騒ぐから慣れていない外国人を連れていって危険な目に遭わせては大変だとのジェーンの友人の助言により、その日は結局ジェーンさんのお宅にお邪魔して、1日を過ごしました。庭の果物や普段より品数を増やした家庭料理で厚いおもてなしを受けました。
コロナ禍の調査を通じて学んだことの1つは、現地に行けない時期にもできることは思った以上にたくさんあることです。もう1つは、現地に行けない時期の調査をより実りあるものにするために、行ける時には行くことが重要だということです。インタビューの内容に関してより適切な質問を考えたり解釈したりするためには、現地の暮らしを知ることが役に立ちます。さらにそれだけでなく、インタビューの外形的な実施方法を考える上でも、自文化との違いを知ることは重要でした。私は、オンラインでのインタビューに時間がかかってしまって申し訳なく不安に思っていましたが、時間の経過ではなく聞くべきことを聞けたらインタビューを終わりにしてよい、聞けるまではインタビューを続けてよかったのだと知ることになりました。

[文献]
伊東香純,2021,『精神障害者のグローバルな草の根運動――連帯の中の多様性』生活書院.
――――,2023,「書評へのリプライ」『障害学研究』18:360-365.
森壮也,2023,「書評/伊東香純著『精神障害者のグローバルな草の根運動――連帯の中の多様性』」『障害学研究』18:354-359.