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「障害」は動かない – 天畠大輔『しゃべれない生き方とは何か』の批判的検討

鈴木悠平(立命館大学大学院先端総合学術研究科)

愼 允翼(東京大学大学院人文社会系研究科)


はじめに
本稿の目的は、天畠大輔著『しゃべれない生き方とは何か』(以下、天畠(2022)または本書)の議論をもとに、本書のテーマである「介助」と「情報生産」という営みそのものの性質を吟味し、天畠の事例および主張の特異性ないしは普遍性を批判的に検討することである。

天畠大輔は、医療ミスによる後遺症で、四肢麻痺・発話障害・視覚障害・嚥下障害など重複障害を抱える「発話困難な重度身体障がい者」となった。自ら重度訪問介護事業所を運営しており、五十音の読み上げとサインによる「あ、か、さ、た、な話法」を習得し、天畠の思考やニーズを踏まえた「先読み」等を行うことができる20名以上の「通訳者」(介助者)と共に活動している。

天畠(2022)は、「発話困難な重度身体障がい者」である天畠が、「通訳者」とともに論文などの知的財産を生み出す「情報生産者」となる過程で、「他者の介入を受けた自己決定」の比重が大きくなり、特定の「通訳者」への依存を強めたり、自身の能力が”水増し”されているのではというジレンマを経験したりしたことを踏まえ、グループで思考をブラッシュアップしながらアウトプットする「多己決定する自己決定」というあり方が社会で認められるべきだと提言した。また、こうした主張をすべき背景に、健常者(マジョリティ)と障害者(マイノリティ)の非対称性があると指摘している。つまり、障害の有無にかかわらず、本質的には誰もが日々他者の介入を受けながら思考しアウトプットしているのに対して、天畠のような常時介助を必要とする重度身体障害者は、他者の介入がいわば「ガラス張り」状態で第三者から見えてしまい、また介入の度合いも相対的に大きいため、健常者と違って自身の能力や寄与が低く評価され、不当なまでに弁解や説明責任を要求されてしまう、という非対称性である(天畠2022:333-337)(註1)。実際天畠は、自身の博論執筆をサポートする「通訳者」の一人から「はたしてこれは大輔さんの書いた論文と言えるのか」(339)という問題提起を受け、「通訳者」の先読みや文案作成を伴う自身の論文執筆スタイルに対し「これでいいのか」(31)と思い悩む経験をしている。

天畠(2022)は、等身大の〈わたし〉=天畠大輔自身の体験を掘り下げ、その困難の正体を発見し、オルタナティブな社会規範や知識を立ち上げようとする「当事者研究」である(熊谷2020:57)。天畠のような「発話困難な重度身体障がい者」が大学院に進学し博士号を取得したのは、未だ極めて稀なことであり、その過程を博士論文のテーマとして詳細に分析したこと自体に大きな意義があると言えよう。

本稿の第一著者(鈴木)は、重度訪問介護制度のもと、第二著者(愼)の介助者として働いている。また、福祉系企業でのメディア事業の運営・編集長を経験したのち独立し、小規模事業の経営者として企画・文筆・編集・研究といった「情報生産」業に長く携わってきた。第二著者(愼)は、遺伝性疾患の脊髄性筋萎縮症(SMA)Ⅱ型の当事者であり、右手の先を除いて自由に動かせず、体位の転換や飲食といった日常生活動作の全てに24時間の介助を必要とする「発話可能な重度身体障害者」である。また、大学院の仏文科修士過程でルソー研究に携わる「情報生産者」でもある。天畠と共通の属性を複数に分割して分有する本稿の筆者らは、これまで述べた天畠(2022)の意義をまず認めた上で、「介助」と「情報生産」における自らの「当事者経験」も参照しつつ、本書の議論を批判的に分析し、発展させることを試みる。
障害者の介助において「情報生産」活動だけが常に特別に難しいと言えるか
天畠は、研究に関わる会話やメール、論文執筆等の介助は、入浴や排せつ、食事の介助と異なり「ルーティン化」が不可能であると述べている(187)。少なくとも天畠のケースにおいて、博論執筆を含む「情報生産」活動の介助に携わる「通訳者」に一定の専門性(235-237)が求められ、その業務のルーティン化が困難に思われたということは、本書の分析の通りであろう。しかしそれは天畠以外の障害者の介助においても、常に当てはまると言えるだろうか。研究の介助、つまり本書のテーマである「情報生産者」としての活動の介助が、食事、入浴、排せつといった「生活介助」より常に難しいと言えるだろうか。たとえば、ある障害者は「食」へのこだわりが非常に強く、日々の食材の仕入れや、メニューの検討、調理や配膳において、介助者の高い知識や技術と、利用者との細やかなコミュニケーションを求める場合、ルーティン化は困難であろう。逆に、メールや原稿執筆といった「情報生産」の介助でも、何をどう伝えるかが明瞭で、過去の書きもの等のストックを再利用可能なものなど、ルーティン化が不可能なものが無いわけではない。つまり、必ずしも介助業務のカテゴリに依存する問題とは言えないだろう。

天畠が「事実」として経験したジレンマや困難は、介助自体に内在するものではないとしたら、何によって引き起こされたのか。他の障害者も別の場面でそのようなジレンマを経験しうるとしたら、何が真の要因と言えるのか。それは、介助を利用する障害当事者個々人の価値観と、それに基づく日常生活の優先順位付けである。医療ミスにより14歳で中途障害者となった天畠にとって「表現」すること、すなわち「情報生産」を通して社会に参加することは自身の生についての価値基準に関わる重要事項であったという。

自身に残されたのは「思考すること」だけであり、だからこそ思考を文字に残すことによる「表現」の世界に行き着いた。(56)

また、天畠は自身の「承認欲求」の強さを自覚し、本書で度々自省的に言及している。

ここまで「多己決定する自己決定」としての「グループで思考する」ことの枠組みを指摘してきた。しかし、(中略)筆者が大学院に進学し、博士論文を執筆したいと考えた動機には、「もっと誰かに称賛されたい」という思いがあった。そして、その賞賛は「私一人」に向けられたものであってほしかった。その意味で博士論文は、「オーサーシップが一人」であることが原則であることから、筆者の承認欲求を満たすのに「うってつけ」であった。(341)

しかし天畠のこの自己分析は、やや正確を欠いているように思われる。彼が望んだのは、社会からの「承認」というよりも、自己についての「理解」と言うべきだったのではないだろうか。「思考すること」しか残されていないと考えてしまう自己像を、しかもそのような苦しい自己像についてなかなか周囲に伝えることが出来ないという自身の「障害」を、そのような「障害」と共に生きようとする自身の現実を、周囲に「分かってほしい」だけでなく、自身も「分かりたい」という切なる願いが天畠にはある。そして、その二重の願いを叶える手段としての位置づけを、論文執筆を含む「表現」あるいは「情報生産」活動に固有に見出しているからこそ、それらが「生活介助」よりも「特別」な行為となり、結果「通訳者」に求める水準も依存度も高まり、本人のジレンマや困難も生じている、ということではないか。

ここで言いたいのは、そのような天畠のあり方を批判することではない。重要なのは、介助を利用する障害者誰もが一人ひとり異なる欲求を持っていること、その中には「ルーティン化」して適当に済ますわけにはいかない、自身の生に対する価値基準と深く関わる欲求と、その欲求に紐づいて介助者に要請される行為が個別・固有に存在していることである。介助の現場で重要なのは、「情報生産」か「生活介助」かという業務カテゴリではなく、個別的かつ固有の欲求を利用者自身が自覚し、介助者もその欲求を理解し、利用者にとって望ましい仕方で介助し実現していくプロセスにおける、利用者と介助者の対話と協働そのものであろうし、その協働のプロセスにこそ介助の「専門性」が存在する。

「情報生産」による他者の介入が問題になるのは(あるいは、ならないのは)いかなる場合で、「障害者」特有の事情はあるのか
本書では、重度の身体障害がある天畠が「情報生産」活動に携わるなかで経験した問題として、1)個別性・専門性が高く代替不可能である他者の介入を受けざるを得ないこと(152)、「情報生産」に介入可能な「通訳者」は限られており、天畠の「不在」(330)を埋めることが出来るほど貢献度が高いゆえに、2)自身と他者の能力や寄与分の評価および「オーサーシップ」の問題が生じること、3)特定の、限られた他者への「依存」が強まり、そこから抜け出しにくくなること(207, 211-212)、の3つが挙げられた。果たしてこれらは、天畠のような重度身体障害者特有の問題なのだろうか。世の中一般の「情報生産」カテゴリに属する仕事と比較検討する。

まず1つ目の問題だが、専門性・個別性・代替不可能性が高い第三者の介入が不可欠であるのは、天畠の論文執筆に限られたことではない。たとえば政治家の演説原稿を起草するスピーチライター、著名人の書籍原稿を執筆するブックライターは、本人の思想をよく理解し、あたかも本人が自ら筆を取ったかのような文体でドラフトを作成し、本人との確認・議論を通してを原稿を完成に導く役割を担う。仕事の遂行には一定の時間やコミットメントを要し、政治家や著名人と個人的な信頼関係を築き上げることが不可欠であり、代替不可能性も高い。

また多くの場合、ライターへの「外注」を必要とする著者は多忙であり、天畠と同様、原稿作成過程で「不在」である割合も大きい。しかし、新たにつくろうとする演説や書籍で「何を言いたいか」は本人の中にあるし、それを表現するための原稿執筆を他者に委託しても、最終的にその内容を承認し、自らの言葉・文章として世に出すのは本人である。演説であれ書籍であれ「情報生産」の成果物たる知的財産の「オーサーシップ」は当然その政治家・著名人らのものとされ、ライターが「オーサーシップ」を主張することは通常ない(註3)。

天畠(2022)第9章で描写される、天畠と介助者による論文執筆過程では、天畠の発言量が少なく(≒「不在」である)、「通訳者」複数名が議論や修正作業を行う比率が相当に大きい行程もある。それでも、政治家や著名人の演説・書籍制作過程と同様、「情報生産」活動の「入口」(天畠自身が「何を言いたいか」に基づく、問いや意見の表出)と「出口」(主張の確定)に間違いなく天畠はコミットしており、それを「通訳者」が代行することは不可能である。天畠の経験や問題意識を元に研究を行い、得られた知見をまとめた知的財産である天畠(2022)は、政治家の演説や著名人の著書作成といった類似の「情報生産」と比しても、天畠が「オーサーシップ」を主張をすることに何の問題も存在しないと言える。以上より、2つ目の「オーサーシップ」問題も障害者に限られたものではなく、かつ解消可能であることが示された。

最後に、専門性・個別性・代替不可能性が高い「情報生産」活動における第三者への「依存」の問題についても検討する。天畠は、自立とは「依存先を分散」することであり、健常者は障害者よりさまざまなものに広く依存することができているのだという熊谷(2012)を引きながらも、天畠の研究活動については分散が難しく、天畠から特定の介助者への依存が強まってしまうと述べている(211)。天畠がこの問題に悩み苦しんだことは間違いないが、やはりこれも、「発話困難な重度身体障がい者」である天畠だけに特有の問題ではない。企業であれ個人であれ、一人では完遂不可能な仕事を行うためには、必要な人材を採用し、育成し、マネジメントする必要が生じるが、その難易度は仕事の希少性に左右される。介助もライティングも、利用者/発注者/著者をよく理解してこそ可能な仕事であり、そのための「信頼関係」構築に時間がかかる。天畠の表現を借りれば「誰と行うか(With Who)」が極めて重要であり(268)、「代替不可能」性も高く、「入れ替わり」に伴う採用・育成コストも大きいため、「慢性的な人手不足」に陥りやすい。そのような仕事が可能な人材が希少で「偏在」しており、「依存」が強まりやすいのは普遍的で、目下のところ障害の有無を問わず解消不可能な問題であると言えよう。

以上の検討により、個別性・専門性が高く代替不可能である他者の介入を必要とする「情報生産」業は、天畠の論文執筆介助に限らず、社会一般に一定存在し、そこでは「オーサーシップ」の問題は個別に解消可能であること、また、協働する他者への「依存」は普遍的な問題であることを示した。天畠が悩み苦しんだことは事実であるが、それは天畠だけに特有な、不当に課せられた「痛み」ではない。天畠の身体機能障害(impairment)ゆえに、介助者の介入や実際の作業量が大きく、また時間がかかることは事実であったとしても、それは他の「介助」と比べての量的な差異であって、質的な差異ではない。よって、そのような手法を天畠が取ることも、また天畠以外のものが同様の手法を取って「情報生産」することも、なんら問題にならないはずである。
しゃべれない「困難」と、しゃべれない「生き方」
天畠は本書の結論として「多己決定する自己決定」を提唱したが、そのようなあり方自体が「さまざまな位相のジレンマや問題を解消することはできない(341)」とも述べている。これはどういうことだろうか。天畠は「通訳者」とのコミュニケーションの中で自己決定し「情報生産」を行う上で、1)「”水増し”された能力」と「本質的な能力」の間、2)「便宜性」と「着実性」の間、3)「健常者性」と「障がい者性」の間を揺れ動く三つのジレンマがあると分析した。しかし1)と2)に関しては、本稿の分析を踏まえると、他者との協働を要する「情報生産」活動で普遍的に生じる問題であり、究極的には量的な差異として問題にならないと思われる(註4)。となると、天畠にとって解消されずに残る問題は、「健常者性」と「障がい者性」との間で揺れ動く自分の「生き方」への迷いではないだろうか。

筆者の「障がい者性」は現実であり、第三者からみれば障がい者として認識されている。筆者自身、障がい者役割を演じることがあるが、それは配慮を得るためであり、実際には「障がい者性」を受容していない。配慮を活用するために障がい者を演じながらも、障がい者性から自由であろうとしている。(317)

実際、本書の結論部に当たる終章において、天畠の語りは揺れ続けており、また揺れを残したまま締めくくられる。他者のフィードバックを積極的に取り入れながら多己決定/自己決定する自らを、青い芝の会に見られた「強い主体」性と比較して、「弱い主体」としての障がい者と名指し肯定しようとする一方で、ネットワークに換言できない「個」としてありたい欲求、「私一人」への賞賛を願う気持ちを吐露しているのだ(337-342)。ここにこそ、本書が解決できなかった、そしてこれから取り組まなければならないはずの真の問題がある。本書で仔細に分析され、また本稿の筆者らがその議論を引き継ぎ相対化していった「しゃべれないことによる”困難”」をいくら個別につぶしていっても、本書がそのタイトルに冠した「しゃべれない”生き方”とは何か」という根源的な問いには答えることができない、という問題である。

残された問題に本稿で答えることは困難であるが、その手がかりは天畠が批判的に乗り越えようとした青い芝の会にある、と考えられるかもしれない。「電動車いすが普及し始める中で、障がい者のなかに『自分にできることは自分でやった方がいい』と考える者が現れていた」ことに危機感を抱いた横塚晃一(93)と、「障害者である自らと戦い、他の脳性マヒの障害者に対しても、脳性マヒの当事者として真に主体的に生きること、健全者に、健全者の価値観にからめとられないように生きること」を呼びかけた横田弘(94)は、電動車いすを利用するか否かという選択の違いはあれど、「できること」が多いに越したことはないという「健全者の価値観」にからめとられず、自分自身と闘うことを選んだ、言い換えれば「ジレンマ」に陥ることなく、障害者としての主体的な「生き方」を讃える思想を打ち立て、またその思想を生きたという点では共通している。

「健常者性」と「障がい者性」のどちらを選ぶか、ではない「生き方」をいかに見出し肯定するか。これは天畠だけでなく、本稿の筆者らを含む、固有の身体を生きるあらゆる<わたし>に課せられた普遍的な課題である。

註:
1)以後、本書からの引用・参照はページ数のみを記載する。
2)本書の第1章でも引き合いに出された、佐村河内守と新垣隆の係争のような例外はある。
3)もちろん、量的差異を埋めることは簡単ではないという「現実」はある。だからこそ、天畠自身も「介助付き就労」を広めるための研究やアウトリーチを行う「一般社団法人わをん」を立ち上げ、活動しているし、2022年の参議院選挙に出馬・当選し、国会議員として「立法府」に飛び込んだのであろうが、本稿では紙幅の関係で量的差異を埋めるための具体的な制度・政策の議論は割愛し、ただその問題の性質を指摘するに留める。

文献リスト:
天畠大輔, 2022, 『しゃべれない生き方とは何か』生活書院
熊谷晋一郎, 2020, 『当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復』岩波書店
熊谷晋一郎, 2012, 「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」, 『TOKYO人権』(56):1-4