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先天性の障害当事者が語る「治療」に対する両義的な意味づけと葛藤:SMA当事者へのインタビューを通じて
油田優衣(京都大学大学院教育学研究科)


1. 問題と目的
 近年、これまで治療不可能とされてきた疾患や障害に対する治療法が新しく開発されてきている。それによって、障害者が「治療」という選択肢に直面する状況は今後ますます増えていくだろう。しかし、「治療」という選択肢に直面した当事者の経験については、取り上げられることが少なく、その体験について語るための言葉は十分に存在するとは言えない。そこで本研究では、障害当事者の「治療」をめぐる体験や意味付けを明らかにすることを目的とする。
 治療という選択肢の登場にまつわる当事者の経験について考察した数少ない研究としては、植村要(2017)の研究がある。後天性の視覚障害のある人へのインタビューを行ったその研究では、治療という選択肢の登場を前にした時、一部の当事者は、障害による困難を社会的に解決するという考え方と治療を望む気持ちとの間で矛盾や葛藤を感じたり、治療を選択することが同じ障害のある仲間への背信行為につながると感じたりすることが示唆されている。
 ただ、この先行研究は、後天性の視覚障害のある人に関するものであり、その他の障害のある人たちの治療にまつわる体験に関する研究は存在しない。そこで本研究では、先天性の障害であるSMA(脊髄性筋萎縮症)当事者を対象とし、先天性障害当事者の、新薬の登場や「治療」をめぐる体験や意味付けを明らかにする。

2. 方法
 本研究はSMA当事者を対象とする。SMAとは、体幹や四肢の近位部に優位な筋力低下・筋萎縮を示す神経筋疾患の一つである。成人した乳幼児型のSMAの人は日常生活動作のほぼすべてに介助を必要とする場合が多い。なお、乳幼児期に発症するSMAは劣性遺伝性疾患である。
 SMAの症状に効果があると実証され、「治療薬」として初めて認可された新薬「スピンラザ」は、2016年にアメリカで開発・認可され、翌年日本でも認可された。投与は、腰椎穿刺による髄腔内投与によって行われ、効果を持続させるためには定期的に行われる必要がある。効果については、投与する年齢が早いほど効果が大きい[1]が、本稿で対象とする乳幼児期に発症した成人のSMAの人に対しては劇的な効果はない。それは、筋力低下や筋萎縮を抑制するかもしれず、あわよくば身体機能をわずかに改善したりするかもしれない程度のものである。
 調査協力者は、筆者がピアグループや障害者運動のコミュニティを通じて知り合ったSMAの人に直接依頼して集めた。調査の実施にあたっては、京都大学臨床心理学研究倫理審査委員会による承認を得た。

3. 結果と考察
 2020年7月から現在まで10名ほどのSMA当事者にインタビューを行った。インタビュイーは、治療を受けた人や、治療を受けないことを積極的に選択した人、治療を受けたい気持ちがあるが様々な理由により受けるまでに至っていない人など、様々であった。また、治療薬の登場や実践に対しては、それをすんなり受け入れられた人もいれば、反対の立場を取る人、葛藤を覚えた人、あるいは、そのことについてなんの興味関心も湧かなかったという人もいた。
 本発表では、分量の制約上、そのうち、実際に治療を受けようとした人がいかなる否定的感情や葛藤を感じるのかに焦点を当てたい。そこで、AさんとBさんの2人を取り上げ、その語りを考察する。

3-1. Aさんの語り
 Aさんは、20代後半、SMAII型の男性である。現在は自立生活センターで働いており、24時間介助を使いながら一人暮らしをしている。Aさんは、スピンラザの投与を受けるために病院を受診したが、検査の結果、髄注をするための腰椎の隙間がなかったため、スピンラザ投与の適用にはならなかった。

【SMAをもった自分を否定するものとしての治療薬】
 Aさんは、スピンラザが登場したとき、薬に対する「興味」がわき、自分もその薬を「使ってみたいなと思った」と語った。一方、治療薬の登場は彼にとって「すごく複雑なモヤモヤした思い」を喚起させるものでもあった。
 Aさんはこれまで、筋力低下や筋萎縮が進んでいく自分の身体と付き合う中で、「動かなくなったものはもう仕方がない」、「次じゃあこうしていこう」というふうにして、自分の中で「落としどころ」を見つけ、「心を整理してきた」。Aさんは、自分の身体が動かなくなったことで、大学での友達やボランティア、介助者といった「人との繋がりは多分明らかに増え」、その中で「人に頼る感覚」を身につけてきた。それはAさんにとって「上手に暮らしていく」ためのあり方であり、Aさんは、体が動かなくなったことに、「プラスのもの」「新しいもの」を見出してきた。さらにAさんは、SMAを「闘う」べき「病気」というよりも、「共に生き」るものと感じており、SMAという身体について、「まぁ純粋にシンプルに、やっぱりこの体も、この体はこの体で悪くないと自分では思ってきた」。
 そんなAさんにとって、スピンラザを受けて身体機能を「復活」させることは、「自分のこの障害のある体」や、自分が「今までやってきたこと」を「否定」するものとして感じられた。それは次の発言にもあらわれている。

A:このSMAをもった〇〇(Aさんのフルネーム)というこの存在自体を、なんか否定すると言うかね、なんかそういう感覚にちょっとなる部分があったのは、間違いないねー

【能力主義に加担するものとしての治療】
 さらに、Aさんからは、治療の選択と能力主義の問題が語られた。

A:全然ね、薬を使うことが当然ながら悪いことではないです、もちろん。というかむしろねぇ、それで、まぁ、かなり生活の質というか、能力というか、まぁ能力という言い方もあまり良くないな。自分でできることが増えるんだったら、それに越したことはないと絶対思うし。なんかでも、それがやっぱり、こう…ね、やっぱりまぁ…だからやっぱり能力があるほうがいいんだみたいなことに、うーん、なんかこう、ちょっと結び着いちゃうのも、なんか…何だかなぁーというところもあって。

 Aさんは、「障害者と健常者とかもちろん関係なく、能力が高い人は当然高くって、ね、いろんな意味で能力が高くてとか低くてとかあるけど、それでこう…良し悪しを判断されちゃうというのがやっぱりそれは、絶対に避けるべきと言うか、あってはならない」と語り、能力の高低を命の「価値」に結びつけるような「能力主義」に対して反対している。
 能力主義に対するAさんの警戒的なセンサーはどのように培われてきたのだろうか。小中高と特別支援学校に通っていたAさんは、知的障害のある人や重複障害のある人と関わりがあったのだが、そのような人たちと、「体(が)動かないにしても、やっぱり色々考えて物言えたり」するSMAである自分を「比べてしまう」ところがあったという。また、Aさんは大学生の頃まで、「体は動かないけど、その分、頭で勝負してやるぜみたいな感じ」で、「障害者だってできるんだ」ということを証明しようとしてきた。実際にAさんは、大学で成績上位に位置し、周りから「できる子」と評され、自身もそれを「気持ちよく」思っていた。しかし、彼は2016年の相模原障害者殺傷事件の犯人の思想を知り、「ハッとさせられ」た。というのも、何かが「できる」ことで自分の「価値を高める」ようなあり方は、相模原障害者殺傷事件の犯人の思想と通ずるものがあり、自分も「誰かを抑圧する立場」であったかもしれず、「それによって切り捨てられていく人たちがいるんだ」ということに気づかされたからだ。
 Aさんは、それ以降、「能力」によって何かが「できる」ことに価値を置く考えがもつ抑圧性を強く意識するようになる。そして、それは「治療」という事柄にも当てはまる。彼にとっては、治療によって身体機能が向上し、何らかの身体的動作が「できる」ようになることも、「能力主義」に加担しかねないこととして感じられていた。これらの語りからは、Aさんが治療を望む気持ちと能力主義への抵抗の間で葛藤していることがわかる。

3-2. Bさんの語り
 Bさんは、40代前半、SMAⅡ型の女性である。15年前ほど前から、ほぼ24時間の介助を受けながら一人暮らしをしている。
 Bさんはスピンラザが出た当初は、「リアリティは正直な」く、「自分とはあまり関係のない話」と思っていた。しかしある時、「信頼している」主治医に「興味本位で」スピンラザのことを聞いたところ、その先生は、Bさんがスピンラザの投与を受けられるように病院内の手配を整えてくれており、「治療できるよ!みたいな話に急に展開」していったという。Bさんは「まだ受ける気も、そんな腹積もりもしてませんけど?」と思いながらも、「ノリの軽い」先生の話を聞いていたら、「ありよりのありかなって、急に思い出し」、「試し打ちみたいなノリ」でスピンラザの投与を受けることに決めた。

【「栄養ドリンク」としてのスピンラザと、「SMAの身体でなく」するための「治療薬」の狭間で】
 一方でBさんは、スピンラザについて「本気で考えた時に」、自分の身体が「治すべきような体」なのかという問いに直面するという。曰く、「私たちはこのSMAっていう身体で生まれてきて完璧」なのであって、その「完璧で洗練された」身体を「人為的な作用で変えないといけないものなんか」は「本当に真面目に考えたら答えがない」。この語りからは、Bさんにおいても、治療の選択と「SMAの否定」は切り離せない問題として立ち現れていたことがわかる。そこで彼女は、スピンラザを「治療薬」ではなく(「治療薬っていう言葉があかんねん!」)、「筋トレ」あるいは「栄養ドリンク」と考えることによって、その二つを切り離し、SMAの身体に対する価値下げを行わずにスピンラザの投与を受けるという意味づけを試みる。

B:ただありがたいことに、私の年齢では完治するってことはありえないから。それもスピンラザ打ってみてわかったことは、そう大して、なんも変わらんじゃねーかーみたいな(笑)。言ってたやん、前、すごい高い栄養ドリンク飲んでたりさ、もの凄い高濃度のプロテイン飲んでるような、それぐらいのレベルのものでしかなかったからね、スピンラザが。そしたらさ、みんなさ、そういう部類のことはやってるやん、筋トレみたいな。それが私ら、筋肉トレーニングができひんから、スピンラザ打っとくわみたいな感覚なんやろなって。(そう)思ったら別にSMAのこと否定しているわけではないし、SMAのこの身体をより活かして、より自分がしたいことをするかっていうところに、使えるようにちょっと足してくれる栄養ドリンクかなって思うのであれば、私の中では整理がつく。

 しかしながら、スピンラザの投与を受けることの意味を、自分にとっての意味を超えて、もっと大きな文脈で考えてみると、Bさんは再度そこに「違和感」を覚えてしまう。

B:SMAの治療薬を開発する流れの背景にある思考っていうのは、SMAという体ではなくしようっていう意図が働いてるやんか。だからSMAの体ではない、一般的に言われてる健常の人の体に変えようっていう意図やん。それに賛同するのかしないのかって話よ。

 Bさんにとってスピンラザは「栄養ドリンク」程度のものであったとしても、社会的には「SMAという体ではなく」するための「治療薬」なのである。そこで、Bさんにとっても、スピンラザの投与を受けるか否かは、治療という実践の背後に潜む「SMAの身体ではなく」して「健常な人の身体に変えよう」という意図に「賛同するのかしないのか」という立場表明に通ずるものとして立ち現れるのだ。

【背任行為としてのスピンラザの選択】
 「治療」を受けるか否かが、そのような態度表明に通ずるものであるならば、それは障害当事者同士の関係性に影響を与えるものでもありうる。Bさんは以下のように語る。

B:(治療することを)「考えるのすらおかしいやん」みたいな、「いやいや治療する必要ないやん私ら」みたいな、そういう人とはなかなか、会話が、ちょっとこう…こっちが気後れしちゃって。そういう人にとったら私らって、背任って言うの…なんていうの(笑) 背任、背徳行為? 背いてる感じ? 真理に背いてるような感じがするねんやん。すごく。で、彼女たちが思ってること、信念っていうのも、すごい理解してるし、私の中にある信念でもあるやん。やのに、その信念をもってて、じゃあなんで治療するの?って話やんか、彼女らにとったら。それはそれでめっちゃ真っ当な正論なわけよ。

 Bさんは、治療に反対している他のSMAの人たちと「SMAは治すべきものではない」という信念を深く共有しながらも、治療薬と名の付くスピンラザの投与を受けることを選択した。そのような自分は、治療に反対している人たちからしてみれば「背任行為」をしている者であるというのだ。

【矛盾を抱えたまま生きる】
 治療という実践の背後に潜む「SMAの身体ではなく」して「健常な人の身体に変えよう」という意図に反対しながらも、治療を受ける選択をしたことについて、Bさんは、それを「矛盾がある」ことだと自認する。しかし、そのうえでBさんから語られたのは、そのような「矛盾した自分」を「引き受け」るというあり方だった。それは、「一貫し」た「答えを持たないで進む」ために、「その都度揺れて考えないといけないから、苦しい」生き方でもある。しかし、Bさんは、「私はやっぱりすごい矛盾した自分っていうのを知ってるから、それを引き受けたうえで自分が後悔しない、やり方を貫くってなったら、もう矛盾を抱えたままいくしかな」いと語る。
 Bさん曰く、このように「矛盾した自分」を「引き受け」ていこうと思えたのは、歳を重ね、「世の中がたくさんグレーがあって、バランスが取れてるんだっていうことが分かったり」、「揺れることが人間らしいことである」と思えるようになったりしたことが大きいという。また、Bさんは、歳を重ねる中で、「障害」や「SMAっていうのをどう捉えるか」ということについて、「頑なな心が解け」てきた。そのことも、治療をしてみようと思えた大きな理由だったという。そこで筆者は、若い時に治療薬の話があったらどうだったかと尋ねてみると、Bさんは20代の頃だったら治療は「受けてなかったかも」と語った。Bさんは若い頃は、「頑なに」「障害をもった自分でいいんだ」と思うことで「自分を保」とうとしていた。その時は「余裕がな」く、治療の選択という問題を通じて、「自分の人生に影響を〔……〕与えてくる、その前提になるSMAをどうするか〔……〕を考えたり、いらう(いじる、触るという意味の方言:筆者注)のが、しんど」かった。しかし、歳を重ねるなかで、障害のある自分やSMAである自分を「ありのままでも、結構すごいんちゃう」と思えてくることによって「余裕ができ」でき、それによって、「遊び半分で」、つまり「ノリで」治療を受けてみようと思えたという。

4. 総合考察
 ここまで、実際に治療を受けようとした人がいかなる否定的感情や葛藤を感じるのかに焦点を当て、AさんとBさんの語りをみてきた。その結果、先天性の障害当事者の一部は、「治療」に対して両義的な意味づけをしており、そのなかで葛藤していることがわかった。治療というのは一方で、身体機能を維持・向上させたり、しんどさや疲れやすさを軽減させたりするものであり、その点で「望ましい」もの、希求の対象である。しかし他方で、治療という実践は、それを通じて自分たちの生、つまり、障害のある身体やその生を抑圧する価値観を再生産する否定的なものでもある。この意味で、一部の当事者にとって「治療」は両義的な意味をもっている。
 今回のインタビュイー2人にとって、世間で「治療の対象」とされている「SMA」というものは、生まれたときからずっとそれを生きてきた身体そのものであり、病あるいは病気として切り取ったり対象化したりできるものではない。そんな2人にとって、治療薬と名のつくものが登場することや、実際にその薬を使うという行為は、SMAと名指される身体をもつ自分自身を否定するものとして感じられていた。あるいは、身体的に「自分でできること」を増やすことに寄与する治療薬を使うという行為は、「できる」ことによって人間の価値を決定する「能力主義」に加担するものとしても感じられていた。
 治療という実践は、なんらかの特徴をもった身体を「異常」と認定し、それを治療・矯正の対象として、「健常」とされている状態に戻したり近づけたりするという政治的・社会的な意味をもつものである。そこには否応なく、障害のある身体やその生を否定する価値観や、「能力」の高低によって人間の価値付けを行う思想が入り込んでいる。治療という実践に付随するこのような社会的な意味を感受していた2人は、自分たちの生を抑圧する、SMAという身体をもつあり方を否定する価値観や能力主義に抵抗したいという意思と、「治療」によって筋力低下や筋萎縮を抑制したいという気持ちの間で葛藤することになる。そして、そのような政治的な力の場である「治療」という実践に対する態度表明や選択は、Bさんの語りが示唆するように、障害当事者同士の関係性やコミュニティの連帯や分断にも関わるものでもありうるのだ。
 本研究の限界として、本研究から明らかになったことは少数事例から導き出されたもので、多くのSMA当事者の考えを「代表」するようなものではないという点が挙げられる。先述したように、「治療」への態度や意味付けは多様であり、本発表は、その多様なものの中の一部を紹介した、ということになる。このことを改めて強調しておきたい。
 なお、今回は、実際に治療薬を受けようとした人がその中でいかなる葛藤を経験したのかに焦点を当てた。本発表で扱えなかった、①治療を受けないことを積極的に選択した人、②治療を受けたい気持ちがあるが様々な理由により受けるまでに至っていない人の語り[2]の「治療」にまつわる経験や意味付けを明らかにすることについては、今後の課題としたい。

〈引用文献〉
岩井和彦, 2009,『視覚障害あるがままにLet it be:夢は情報バリアフリー』文理閣.
立岩真也, 2018, 『不如意の身体:病障害とある社会』青土社.
植村要, 2017, 「視力回復手術を受けた視覚障害者のライフストーリー:翻身に対する内的一貫性を視座として」『障害学研究』12, 58-83.

〈注〉
[1]スピンラザを製造・販売している製薬会社「バイオジェン」のホームページの中の「乳児型(主にⅠ型)への有効性」と題されたページからの情報による(https://www.spinraza.jp/ja-jp/homepage/efficacy/motor-milestones.html【2020年11月20日最終確認】)。
[2] この点について現時点で分かっていることを少し述べると、「治療を受けたい気持ちがあるが様々な理由により受けるまでに至っていない人」の語りからは、①治療を受けるにあたって、そもそも「治療」を提供している病院にアクセスできないという問題や、入院するための人的支援(端的に言うと、通院や入院に付き添ってくれる介助者)が確保できないという問題が存在していること、さらに、②「生産性」の低い者には資源を分配したがらない社会の風潮が、当事者に治療の選択にあたって抑圧的に働くという問題が存在することがわかる(例えば、あるインタビュイーは、多大なお金やマンパワーを使ってまで、大きな効果が見込めない治療を、「私」が受ける「価値」があるのだろうかと語っていた)。本発表が、「健常的身体」なるものに向けて人々を「治療」に向かわせる社会的圧力を批判的に問う「治療からの自由」の話であるのに対して、このような②の人々の語りを分析することは、「治療への自由」についての問題を考えることになるだろう。なお、これは立岩(2018)の問題意識とも共通している。
 「(1)(自分でできるようになるために、個人にリハビリや治療をすること:筆者注)も含めて社会が手を引くことがある。社会をなおすよりも個人がなおってくれた方が楽だということも一方にはあるが、逆の場合もないではないということだ。あるいは両方とも面倒だということがある。昨今では、さらにずっと以前から、力は「なおす」方にだけかかっているというわけではない。」
 本発表が、「健常的身体」なるものを措定し、それに向けて人々を「治療」に向かわせるような社会的圧力を批判的に問う「治療からの自由」の話であるとすれば、「治療を受けたい気持ちがあるが、様々な理由により受けるまでに至っていない人」の語りを分析することは、「治療への自由」についての問題を考えることになるだろう。この2つの「自由」の問題を包括的に捉えることで、立岩(2018)が述べているような、障害のある身体やその生を否定する価値観が、一方では障害当事者を「治療」に向かわせ、他方では障害当事者を「治療」から遠ざける(アクセスを封じる)、そのありようが明らかになると予想される。


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。

〈2021.9.14 会員から〉
立命館大学大学院 先端総合学術研究科(2021年9月に博士課程修了)の駒澤真由美と申します。油田様の「当事者による当事者へのインタビュー調査」研究に関心があります。私は修士課程で「がんで配偶者を亡くした遺族」に死別体験の意味づけを聴き取りました。

本研究では、先天性の障害であるSMA(脊髄性筋萎縮症)の治療薬として世界で初めて開発・認可された新薬「スピンラザ」に対して、SMA当事者の意見は次のように分かれたようですが、

1)それをすんなり受け入れられた人
2)反対の立場を取る人
3)葛藤を覚えた人
4)なんの興味関心も湧かなかったという人

1)の分類が「すんなり受け入れた人」ではなく「受け入れることができた人」という表現を含んでいることからも、「スピンラザ」の投薬治療を受け入れることが容易でないことはわかります。しかし、これまで治らないものとされてきたSMAの症状が少しでもよくなるなら、Aさんのようにその治療を受けたいと思うのは自然な気持ちのような気もします。Aさんは、スピンラザの投与を受けようとしたがスピンラザ投与の適用にはならなかったケースです。この体験によって、むしろ能力主義によって自分が「切り捨てられていく」側にいる認識を強化させられることになったのではないかと推察しました。

4)の「なんの興味関心も湧かなかった」という人が、なぜそのように発言されたのかが気になります。今回の報告は、実際に治療を受けようとした人の「スピンラザ」投薬治療への否定的感情と葛藤そのものがテーマのようでした。だがBさん1人をとりあげてみても、以下、①→②→③→④→⑤へと心のスイッチが切り替わっています。(下線は質問者による)

① スピンラザが出た当初は、「リアリティは正直な」く、「自分とはあまり関係のない話」と思っていた
② しかしある時、「信頼している」主治医に「興味本位で」スピンラザのことを聞いた
③ 「ノリの軽い」先生の話を聞いていたら、「ありよりのありかなって、急に思い出し」、「試し打ちみたいなノリ」でスピンラザの投与を受けることに決めた
④ スピンラザについて「本気で考えた時に」、自分の身体が「治すべきような体」なのかという問いに直面する
(振り返って)このように「矛盾した自分」を「引き受け」ていこうと思えたのは、歳を重ね、「世の中がたくさんグレーがあって、バランスが取れてるんだっていうことが分かったり」、「揺れることが人間らしいことである」と思えるようになったりしたことが大きい

 最後にご質問です。本調査を通して、調査前には思いもよらなかった発見、あるいは話を聴いていくなかでご自身の考え方が以前とは変化したということはございましたか。もしそのようなエピソードがありましたら、よろしければその内容と理由を教えてください。よろしくお願い申し上げます。

〈2021.9.20 報告者から〉
駒澤さま

 コメントをいただき、ありがとうございます。

 Aさんは、スピンラザの投与を受けようとしたがスピンラザ投与の適用にはならなかったケースです。この体験によって、むしろ能力主義によって自分が「切り捨てられていく」側にいる認識を強化させられることになったのではないかと推察しました。

 まず、Aさんが治療の適用にならなかった理由についてお伝えします。治療薬スピンラザは腰椎に針を刺して、そこから投与するのですが、Aさんは側湾(背骨の変形)により、針を刺すための隙間がなかったために、治療が不適用となりました。

 さて、その上で…。「自分が治療の適用にはならないという体験によって、能力主義によって自分が「切り捨てられていく」側にいる認識を強化させられることになったのではないか」というご意見を聞いて、インタビューをした私の印象では、Aさんが、治療を受けられなかったことで、自分が能力主義によって切り捨てられる側にいる認識を強めたとは感じられませんでした。
 しかし、もしかしたら、Aさんがそのように感じる可能性もある(あった)かもしれませんし、そのように感じる人もいるかもしれません(そのような視点でスクリプトを読んだことがありませんでした)。新たな視点をいただき、ありがとうございます。

  4)の「なんの興味関心も湧かなかった」という人が、なぜそのように発言されたのかが気になります。

 このご質問に答えるのは難しいです。ここには、インタビュイーの年齢(の高さ)や自立生活運動のコミットの度合い(の強さ)、医療との距離感(もともと、薬を飲まない、医療を信じてない)などが関係しているのか?とも思いつつ、しかし、明確な傾向は見いだせません(それだけでは説明ができないと感じます)。

 現時点でわかることをお伝えすると、「なんの興味関心も湧かなかった」と語られた方は、「SMAのことを病気と思っていない」ということを語られていました。
(なお、私も、SMAを治療の対象と思っていなくて、それゆえに薬になんの興味関心も湧かなかったと語られた方に対して、「それはなぜ?」と聞きたくなった(し、少しは聞いてみた)のですが、そのように「なぜ」と聞き続けることこそが、抑圧的・暴力的だとも感じました。というのも、その質問の裏には、「SMAは「悪い」「治療すべき」もののはずなのに、なぜあなたはそうは思わないんですか?」というメッセージが隠れているからです。「なんの興味も湧かなかった(以上)」という語りは、そのような前提に対する痛烈なカウンターであると感じました。)

 なお、私は、新薬「スピンラザ」に対するSMA当事者の反応を、4つ挙げて(分類して)みましたが、「なんの興味関心も湧かなかったという人」というのは、ある意味で、(治療薬の登場という事実を)「すんなり受け入れられた人」であるとも言えそうです。ここの分類(の仕方や表現の仕方)ついては今後もっとしっかり考えていきたいと思います。

今回の報告は、実際に治療を受けようとした人の「スピンラザ」投薬治療への否定的感情と葛藤そのものがテーマのようでした。だがBさん1人をとりあげてみても、以下、①→②→③→④→⑤へと心のスイッチが切り替わっています。

 ご指摘のように、治療薬に対する考え方や距離に対しては変化があると思います(し、スピンラザが出てから4年間ほぼ変わらない人もいます)。
 治療薬に対する考え方や距離は、その人の治療薬に関する情報量(なお、治療に関する情報は、医療間関係者や他のSMA当事者や家族などから得られる場合もあるので、そのような人的ネットワークは、個人の情報量を左右する一因になります)や、治療にアクセスできる環境にあるか否かによっても、変わってくる面があると言えそうです。

最後にご質問です。本調査を通して、調査前には思いもよらなかった発見、あるいは話を聴いていくなかでご自身の考え方が以前とは変化したということはございましたか。もしそのようなエピソードがありましたら、よろしければその内容と理由を教えてください。よろしくお願い申し上げます。

 ありました。註釈で触れているように、障害のある身体やその生を否定する価値観が、障害当事者を「治療」から遠ざける(アクセスを封じる)場合があるというのが、私にとっては大きな発見でした。
 私は、この研究を始めた当初は、「治療からの自由」の問題しか視野に入っていませんでした。治療薬の登場とそれによる「SMAの治療」が喜ばれることや、SMA当事者は皆治療を望んでいるだろうと周りからみなされることに対して疑問があり、そこには「障害=悪いもの、治すべきもの」という価値観が関係しているのではないか、それが一部の当事者の葛藤を生み出しており、そこを解きほぐすためにはどうしたらいいのだろうか、という問題意識から本研究を始めました。
 しかし、調査を進めていくにつれて、もちろん「治療からの自由」も大事ですが、そもそも「治療への自由」が保障されていない人もいる。障害のある身体やその生を否定する価値観は、当事者を治療に向かわせようとするだけでなく、治療から遠ざけようともするということがわかりました。そのことは、調査前には考えられていなかった、大きな発見でした。

〈2021.9.20 会員から〉
立命館大学大学院 先端総合学術研究科
一貫制博士課程 公共領域 駒澤真由美

油田さま

門外漢な立場からの唐突な質問に丁寧に応答くださり、ありがとうございました。油田さまの実直なお人柄が伝わってまいります。私は油田さまの本報告の一端から、ふと感じたことをお話しただけです。SMAのことも、調査協力者の方々のこれまでの人生も、(当然ながら)当事者会やインタビュー時における語りも何も存じ上げません。ただ、「SMAが『悪い』『治療すべきもの』と他人に思われている」という自意識が当事者のなかに根強くあるのだなということをあらためて感じました。これまで「SMAは病気ではない」と思(うことで保)ってきたアイデンティティが、突如出現した新薬「スピンラザ」を目前に揺らいだ/揺らぎそうになったために、言葉を失った/目を背けた、というふうに読み取れたのです。同じSMA当事者の油田さまがインタビュアーであることも多少は影響しているのではないかと思いました。

〈2021.9.22 会員の石島健太郎さんから〉
 帝京大学の石島です。
ALS患者の在宅生活をフィールドに調査を行っており、最近は従来的な障害学では十分に扱うことが難しい進行や治療といった論点に患者や支援者がどう対処しているのかを考えています。
 同じく筋萎縮疾患であり、そして治療の端緒を掴んだSMAの事例を大変興味深く拝読しました。

 Aさんの事例について質問します。Aさんは治療についての葛藤を抱えています。一方、結果的に適用ではなかったものの、投与を決めて受診するところまではたどり着いています。
ということは、治療をめぐる葛藤にはなんらかの整理がついて(たとえばBさんのような治療薬への新しい意味付けによって)、治療に向かったのでしょうか。

 それとも、受診するまでこうした葛藤はなかったのでしょうか。そうだとすると、これは少し意地悪な解釈ですが、薬を使いたくても使えなかったのではなく、使わないことを自分で決めたというふうに自分を納得させるための動機の語彙として、能力主義への加担といった理由が提示されているようにも読めます。

〈2021.9.22 報告者から〉
石島さま

  コメントをいただき、ありがとうございます。
本研究を進めるにあたっては、石島さんのご研究も参考にさせていただいております。

 ご質問いただいた件について、お返事いたします。

 インタビューをし、その語りを聞いた限りでは、Aさんは、治療をめぐる葛藤になんらかの整理がついて治療に向かった、というわけではなさそうです。Aさんは、家族の後押しもあり(この「後押し」があるかどうかも、治療へのアクセスを左右する一因になるのではないかと思われます)、いわば「流れ」で病院を受診することになったそうですが、それは、葛藤を抱えた状態のままのことでした。また、治療の適用にはなかったからといって、Aさんは葛藤から解放されたわけではなく、現在もそれらの葛藤は続いているように見受けられました。

 そして「薬を使いたくても使えなかったのではなく、使わないことを自分で決めたというふうに自分を納得させるための動機の語彙として、能力主義への加担といった理由が提示されているようにも読め」るのではないか、というご意見についてですが、少なくともAさんの場合においては、それは当てはまらないのではないかと私は思いました。
 というのも、Aさんの語りの中では、「自分で、治療薬を使わないことを決めた」とするような語りはなかったからです。Aさんは治療の選択が能力主義への加担になるのではないかという懸念や葛藤を語られたその後に、「まぁそれでも、治療をだからしないという決断にはならなかったんやけどね。まぁ自分も病院に行って遺伝子検査を受けて、一時はやろうと試みていたわけなので……」と語っておられます。さらに、Aさんは、もし今後、他の新しい治療法(例えば、飲み薬)が出たら、それを使ってみたいとも語っておられました。
 ですので、Aさんは使わないことを自分で決めた(主体的に選んだ、とも言えるでしょうか…)わけではない(少なくともAさんの中では、そのように感じられてはいない)と言えると思います。「能力主義への加担」も、治療が適用ではないと分かった後に出てきた「動機の語彙」ではなく、治療ができるかを診てもらうために病院へ行く前から感じられていたことであると言えそうです。


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