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旧優生保護法の運用実態と優生手術の様相――1950~60年代の公文書から

利光惠子(立命館大学生存学研究所 客員研究員)


はじめに
 日本では、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的に掲げた旧優生保護法(1948年制定、1996年に母体保護法に改定。以下、旧法と略す)のもとで、遺伝性とされた疾患や障害のある人々に対して、本人の意思の基づかない優生手術(不妊手術)が行われた。特に、第4条では、別表に掲げる遺伝性とされた疾患を対象に、「(医師は)その疾患を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、都道府県優生保護審査会(以下、審査会)に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請しなければならない」とし、審査会が認めれば、本人の同意がなくとも強制的に優生手術を行うことができると規定していた。また、第12条では、「遺伝性のもの以外の精神病又は精神薄弱にかかっている者」についても、保護者の同意と審査会の決定によって本人の同意なしに優生手術を行うことを認めていた。
 2018年1月、長年沈黙を強いられてきた優生手術の被害者らが国賠訴訟を提起したことをきっかけに、旧法のもとで何がどのように行われたのかについて実態解明を求める声も大きくなっている。それに押されて、国および各自治体が保有、あるいは死蔵していた旧法に関連する資料・記録も徐々に公表され始めている(注1)。
 旧法の実際の運用は、国の機関事務として都道府県が担ったため、優生保護行政の実務や優生手術実施に関する具体的な資料や記録の多くは、各都道府県に存在する。資料は、大別すると、行政機関が保有するものと公文書館に収蔵されたものに二分される。ただし、保存期間満了等の理由で既に廃棄処分されたものも多く、残っている公文書も単年度あるいは一部の期間のみの場合も多い。また、行政機関が保有する文書については情報開示請求の手続きを必要とするが、開示される文書の種類や範囲、プライバシー保護を理由とした墨塗(マスキング)の程度も各自治体によって様々である。自治体によっては、開示された文書の大部分が墨塗り状態ということも多い。
 従来から旧法に関連して、多くの研究が蓄積されてきた(松原 1998,松原 2000,優生手術に対する謝罪を求める会 2003,横山 2015,ほか)。しかし、これまで、国や各自治体が保有する優生手術に関する資料・記録はほとんど公表されてこなかったため、優生保護法の実際の運用実態や被害の解明、および実証研究に基づいた戦後優生政策の検討はほとんど行われてこなかった。最近になって、公表され始めた国や各自治体の資料等を用いた実証研究が行われ始めている(利光 2017,舟津 2018a,舟津 2018b, 利光 2019,船橋 2019,小森 2020,利光 2020ほか)。
 本稿では、主として、1950~60年代の優生手術実施に関する事例について相当数の公文書が残されており、かつマスキングが比較的少ない長崎県、神奈川県、大分県、京都府について取り上げる。公文書から見えてくる旧法運用のあり様や優生手術の実態の一端を明らかにしたい。

1. 都道府県優生保護審査会の構成
 優生手術の適否を決める審査会について、旧法第18条では、委員は10人以内、必要に応じて臨時委員を置くことができるとし、「医師、民生委員、裁判官、検察官、関係行政庁の官吏又は吏員その他学識経験ある者の中から」知事が任命すると定めている。また、厚生省事務次官通知(1953年6月12日、厚生省発衛第150号)には、さらに詳しく、標準的な人選として「副知事、衛生主管部(局)長、地方裁判官判事、地方検察庁検事または都道府県国家地方警察隊長、医科大学教授(精神科又は内科)又は病院医長(精神科又は内科)、都道府県医師会長、開業医師、民間有識者、民生委員」が挙げられている。審査委員の定数10人中5人は公務員の中から、他の5人は民間から任命することとされた。審査会には、幹事(優生保護法主管課長、担当主任の事務吏員または技術吏員)と書記も出席した。
 表1は、1960年代における各県の優生保護審査会の構成を示している(注2) 。各自治体によって多少の違いはあるものの、医療分野では県を代表する大学病院の精神科・神経科教授、公立精神科病院院長、民間精神科病院院長、公立及び民間病院の産婦人科部長や県産婦人科医会長、医師会会長、法曹界からは地方裁判所や家庭裁判所の判事や地方検察庁検事、加えて県会議員、民生委員、自治体の担当責任者らが委員を務めている。審査会委員長には、副知事もしくは自治体の衛生部(局)長、大学病院精神科教授等が就いた。
 ちなみに、神奈川県では、それまでは行政庁枠の委員として副知事と県衛生部部長を任命していたが、1968年に、「副知事の職務が多忙かつ激務である点を考慮して、この際、委員を解任し衛生部部長を充て、他の1名は衛生部次長を任命する」(注3)としている。青森県では、開示された「優生保護審査会委員名簿」(1965年~1987年)によれば、一貫して県警本部防犯課長を委員の一人として任命している。また、表に示した1960年代においては、委員のうち、女性は民生委員の一部と宮城県の県助産婦会長のみで、大半は男性委員で占められていた。

2. 都道府県優生保護審査会における審査状況
 審査会では、申請医から提出された「優生手術申請書」、「健康診断書」に加えて、「遺伝調査書」(4条の場合)、親や配偶者など保護義務者による「同意書」(12条の場合)などをもとに優生手術の適否が決定された。また、申請医や保健所職員・自治体の担当者らが、家族や近親者らに聞き取りを行い、生活史や生活環境、現在の症状、家庭の状況、家系図、手術に対する考えなどを詳細に記載した「検診録」や「調査書」を作成し参考にした場合もあった。

(1)長崎県の場合(注4)
 表2は、長崎県優生保護審査会における審査状況を示している。1959年度から1969年度までの10年間に15回の審査会が開かれ、98人について優生手術の適否が審査された。そのうち約8割が女性(注5)で、4条による申請が92人、12条が6人である。申請の際に記載された病名は、「精神分裂病」(統合失調症)43人(44%)、「精神薄弱」(知的障害)39人(40%)、「接枝分裂病」(知的障害と統合失調症の合併症)5人、躁うつ病など6人、てんかん1人、ろう・聾唖3人、「心因反応」1人である。
 98人のうち却下されたのは、申請理由を「遺伝防止のため」とし、病名「心因反応」で12条による申請が行われた1例だけである(注6)。82人は優生手術実施は「適」と判断された。9人については「条件付き適」とし、いったん保留としたのち、知能検査実施、内科医の診断書に替えて精神科医の診断書提出、病名の照会等を経て、優生手術の実施を認めた。残る6人(注7)については、1959年度第2回審査会(1960年3月24日開催)の議事録がないため、審査結果は不明である。
 ところで、1959年度~1969年度(1959年4月~1970年3月)の審査会で「適」と判断された優生手術が実施される可能性がある1959年~1970年の間に、長崎県で実施された優生手術の件数は、政府が集計する統計(『衛生年報』および『優生保護統計報告』)によれば、24件(全て第4条による手術)に過ぎない。上述のように、長崎県が保有する公文書を見る限り、1959年度~1969年度の審査会では、却下された1件と結果が不明な6件を除く少なくとも91件については優生手術の実施を認めている。また、「優生手術費負担金個人別明細書」は1966年度~1968年度の3年分しか残されていないが、それによると、1966年度に優生手術を実施された人は8人(男性2人、女性6人)、1967年度は女性ばかり10人、1968年度は10人(男性3人、女性7人)となり、多少の差異はあるものの審査会で優生手術実施「適」と判断された人数――1966年度は7人(男性1人、女性6人)、1967年度は女性が6人、1968年度は11人(男性3人、女性8人)――とほぼ一致することから、審査会で優生手術実施が決定された人の大半が手術を受けたと予想される。とすれば、国の統計上、優生手術を受けたとされる人数は、長崎県については、実態と大ききかけ離れている可能性が高い。
 申請医の診療科名は、精神・神経科51件、産婦人科18件、内科2件、残る27件についてはマスキングのため不明である。診察科の判明している71件中、精神科・神経科は72%、産婦人科は25%で、他県に比べて、比較的産婦人科医が申請医となっている例が多いのが特徴である(注8)。昭和38年度第2回審査会(1964.2.24.開催)には、産婦人科医が申請医となっている事例が4件諮られたが、そのうち3件は、精神科病院に入院中の女性患者について、手術実施予定の産婦人科医が申請したもので、疾患等の診断は精神科病院の院長が行っている。産婦人科医が申請医である場合には、病名についての精神科医による診断書を添付している場合も多く、1960年代後半には、審査会としても、「専門医の診断書」を条件に「適」とすることも多くみられる。
 98人中、同意書の提出が確認されたのは74人である。第4条による申請であっても、同意書を添付している場合が多い。また、未成年の場合には、両親の同意書が原則とされた。1969年7月24日に開催された審査会では、「精神薄弱」を理由に第4条での申請を行った例では、本人、妻、町長の3人、あるいは夫とふたりの姉の3人の同意書が添付されていた。「強制不妊手術」であっても、極力、保護者の同意を取得しようとしたことがうかがえる。
 また、旧法の規定にも違反しているとみられる例も散見される。昭和34年度第1回審査会(1959.12.3.開催)で、「躁病」および「そううつ病」を理由に、いずれも第4条により優生手術実施「適」と判断された二人の女性について、「優生手術実施報告票」の「優生手術を受けた年月日」は「昭和34年12月4日」と記載されており、審査会の次の日に早々と手術が実施されたことを示している。旧法第6条には、「優生手術を受けるよう通知を受けた者は、その決定に異議があるときは、2週間以内に再審査を申請することができる」と定めている。この猶予期間さえ置かずに、手術を実施したということだ。さらに、昭和35年度第1回審査会(1960.12.23.開催)で、「精神薄弱」だとして第4条による優生手術が「適」と判断された男性の「優生手術実施報告書」には、審査会翌日の12月24日に「睾丸摘除術(右)、精管結紮術(左)」の手術が行われたと記されていた。優生保護法施行規則が定める術式(男性の場合は、精管切除結紮法や精管離断変位法。いわゆるパイプカット)に加えて、より侵襲性の高い睾丸摘出も行われたのである。

(2)神奈川県の場合
 神奈川県公文書館には、1962年度と1970年度の「優生保護審査会綴」が残されていた。表3は、神奈川県優生保護審査会における審査状況を示している。神奈川県の審査会については、舟津(2018a)、利光(2017、2019)に詳しい。
 1962年度は、1年間に6回の審査会を開催し、38件の申請について審査した結果、全ての例について優生手術実施は「適」と判断した。男性4人、女性34人で、約9割が女性である。また、4条該当が11人、12条が27人である。12条による申請が多いのは、神奈川県では1956年に「優生手術費補助規則」を策定し、12条による手術についても県が補助する仕組みを作っていたためだと考えられる(注9)。申請時の病名を見ると、「精神分裂病」15人、「精神薄弱」14人、「精神薄弱及び精神分裂病」2人、「精神薄弱」及びてんかん4件、てんかん性精神病1人、躁うつ病/躁病2人であり、主として、統合失調症を中心とする精神疾患や知的障害のある人々が対象とされたことが分かる。
 1970年度は2回の審査会が開催され、12条に基づく申請10件について審査が行われ9件が「適」、1件のみが保留と判断された(注10)。申請された10人のうち8人が女性である。申請時の病名は、「精神分裂病」1人、「精神薄弱」8人、「精神薄弱およびてんかん」1人であり、大半が知的障害者を対象としたものである。

(3)大分県の場合
 大分県公文書館には、1957年度と1960年度の『優生保護審査会一件綴』が収蔵されていた。
 表4は大分県の1957年度と1960年度の審査会の審査状況を示す。特徴的なのは、全て4条に基づく申請であるという点である。
 1957年度は1年間に4回の審査会が開催され、68件の申請について審査が行われ、64件については「適」、保留が1件、否決が2件、却下が1件という結果だった。申請された68人中、男性は31人(46%)、女性は37人(54%)で、男女比がほぼ同じである。申請の理由とされた病名は、「精神分裂病」52人、「精神薄弱」1人、「接枝分裂病」3人、「精神薄弱および躁うつ病」1人、てんかん・てんかん性精神病4人、躁うつ病・躁病5人、進行麻痺2人で、統合失調症を理由とする申請が8割近くを占めている。
 保留とされたのは、「精神薄弱」を理由に申請された女性で、昭和32年度第3回審査会の議事録(1957.12.25開催)には、「年齢的に児童福祉法との関連性も考慮のうえ、いったん保留」と記載されていることから、低年齢を理由に保留と判断されたと考えられる(注11)。否決とされたのは、第4回審査会(1958.3.12開催)に「進行麻痺」の病名で二つの医療機関から申請された男性2人で、「申請理由」には「遺伝防止のため」と記載されていたものの、梅毒による症状であるとして否決されたと考えられる。進行麻痺(梅毒性脳炎)が「晩発性遺伝性麻痺性痴呆」と呼ばれていたことを背景とする申請であったと思われる(岡田 2002:50)。また、同じ第4回審査会に「精神分裂病」として申請された男性については、既に他病院で優生手術を実施済みであったとして却下されている。
 申請件数68件について、申請医の診療科名は、神経科/精神科医は66件(97%)、産婦人科医が2件だった。また、第1回審査会(1957.5.20.開催)に、精神・神経科医Oから「精神分裂病」として申請された精神科病院入院中の女性の場合、申請書の「附記」に「(優生手術)実施場所:O医院の予定。実施者:Oの予定。術式:マドレーネル氏法」との記載がみられることから、精神科病院内で優生手術が行われることもあったことを示している。
 全例が第4条での申請で、申請書の「申請理由」欄も「遺伝防止のため」としているにもかかわらず、付された調査書(遺伝調査を含む)の「家系の状況」には「遺伝関係なし」「遺伝関係はない模様である」との記載が大半を占めるという矛盾も見られる。
 1960年度は、1年間に4回の審査会が開催され、延べ42件について審査が行われ、37件が「適」、5件が保留とされた。ただし、第1回審査会(1960.7.25.開催)に民間精神科病院から提出された「精神薄弱」を理由とする女性5人の申請は、「5名とも同様の診断の様に見受けられ、事実診断した結果によるものか疑問がある」として保留とされたが、次回審査会(1960.10.14.開催)に再提出されれ全て「適」とされた。よって、実質的には37件の申請が全て「適」と判断されたということである。37件中、女性が25人(68%)、男性が12人(32%)である。申請の理由となった病名は、「精神分裂病」25人、「精神薄弱」8人、「接枝分裂病」1人、「精神薄弱および躁うつ病」1人、てんかん・てんかん性精神病1人、てんかん性精神薄弱1人である。37件の申請について、申請医の診療科名は、神経科・精神科は35件(95%)、産婦人科医は2件であった。

(4)京都府の場合
 京都府の京都府立京都学・歴彩館(公文書館)には、1958年度の『強制優生手術関係綴』が残されていた。1958年度には4回の審査会を開催し、表5に示すように、12人(男性7人、女性5人)の申請について審議している。4条による申請は10人、12条によるものは2人である。申請時の病名は、「精神分裂病」6人、「精神薄弱」5人、てんかん1人である。申請医の診療科名は、精神科8,産婦人科2,小児科・内科2だった。
 第2回審査会(1958年9月19日開催)に、「興奮性精神薄弱」の病名によって第4条による手術を申請された女性の場合を見てみよう。申請書には、「精神発育不良で、しかも性的発達が早いため、性的交渉のみに没頭し、その為に徘徊…両親も本人の性的放縦に対し、監護困難なため優生手術を切望している」と書かれており、何度か入退院をくりかえしたが、「相変わらず徘徊、性的交渉が続く」ということで入院中だった。特筆すべきは、申請医と父から、優生手術を行なう医師は、精神科の医師が適当であるとの意見書が審査会に提出されており、おそらく、入院中の精神科病院で手術を受けたのではないかと思われる。14日間入院して、卵管結紮の手術を受けたが、尿閉・発熱等の症状がみられたという。同じ病院に入院中で、「精神薄弱」として第4条による手術を同じ審査会に申請された女性の場合も、優生手術を行なう医師は、精神科の医師が適当であるとの意見書が審査会に提出されている。
 又、1958年11月19日に開催された第3回審査会で、手術の実施「適」と判断された女性の場合を詳しく見てみよう。申請医は産婦人科医で、申請書類には、「遺伝性精神薄弱症であるため遺伝を防止するため公益上必要である」(申請理由)、「現在○○に収容されておるが、放浪性が強く判断力に欠け、無断出所し売春行為を行い警察の厄介に度々なる」(現在の症状)と記載されている。「優生手術実施報告書」によると、11月13日に入院し、翌日の14日に卵管結紮による不妊手術が行われ、10日間の入院の後24日に退院していることが分かる。つまり、審査会で判定が出る5日も前に、既に手術を受けさせられてしまったことを示している。

むすびにかえて
 以上見てきたように、強制不妊手術の対象となったのは、主に、知的障害者および統合失調症を中心とする精神障害者であり、審査会に提出された申請のほぼ全てが「優生手術の実施は適」と判断されたことが示された。また、自治体により多少の差はあるものの、対象者の多くが女性だった。審査会の構成員の大半が男性で占められているのとは、好対照である。申請医は、申請の理由とされた病名から予想されるように精神・神経科医が多いが、産婦人科医による申請も相当数あることに留意したい。
 また、公文書を詳細に見ると、優生手術の孕む差別のすさまじさに加えて、ずさんな法運用による二重の人権侵害が引き起こされていたことが分かる。優生手術実施が決定された場合でも、その後2週間は再審査を申請できる期間であるにもかかわらず、早々に手術が実施されたり、あろうことか、審査結果が出る前に手術を実施していた例までみられた。また、多くの精神障害者や知的障害者が優生手術の対象とされるに至った申請および審査内容も、多くの疑義と矛盾を含んでいることが明らかになった。
 加えて、同じ1960年代前後で比較しても、全例第4条による申請が行われている大分県と、第12条による申請が全例の約7割強を占める神奈川県というように、地域によって大きく異なっている。全国的にも、優生手術実施件数は各都道府県ごとに著しい差異を示しており、経年ごとの推移も異なる様相を呈していることは既に知られている(利光 2017:12)。そこで、戦後の優生政策の歴史的分析を深めるためには、自治体個別の動向に注目し、「優生学の地域史」(舟津 2018a)を明らかにすることが必要との指摘もされている。各自治体ごとの政治・医療・福祉・教育体制やその歴史的経緯も踏まえながら、旧法の存在のもと、各地域でどのような優生施策が進められたのかを、さらに詳細に検証する必要がある。
 本稿に用いた資料は、各自治体および公文書館によって、氏名、年令等個人情報に関する部分はマスキングした上で公表されたもので、対象者の匿名性は確保されている。また、表記等は、差別的表現に注意を払いつつも、原則として資料に記載されている表記を用いた。

(表1から表5のPDFファイルをダウンロードする)

■注
1) 厚労省および地方自治体に保管された優生保護法関連資料のうち、障害や病を理由とする不妊手術やや人工妊娠中絶に関する資料・記録を収載した資料集(松原洋子編・解説,2019,『優生保護法関連資料集成』全6巻,六花出版.)も出版された。
2) 青森県、宮城県、神奈川県、奈良県、滋賀県については、各県への情報公開請求に取得した公文書から抽出した。東京都、愛知県、大阪府に関しては、神奈川県公文書館が所蔵する『昭和47年度優生保護審査会関係書類』(保健予防課)に含まれる「神奈川県優生保護審査会委員の任命替えについて」(昭和43年9月6日)の参考資料 資料2に記載された委員構成の表を参考とした。なお、『昭和47年度優生保護審査会関係書類』には、昭和35年4月~48年1月までの、神奈川県優生保護審査会の委員の任免、推薦、委嘱、発令に関連する資料が含まれている。自治体によっては、名簿が公表されても、委員のうち民間人についてはマスキングを施していたり、構成区分が不明なものも多い。ここに示したのは、その中でも、1960年代について、全ての委員の構成区分が分かる自治体である。
3) 「神奈川県優生保護審査会委員の任命替えについて」(昭和43年9月6日)
4) 長崎県が開示請求により公開した公文書は、(1)1959年12月~1969年7月の間に開催された15回の審査会に関連する資料。審査会議事録、審査委員名簿(ただし、民間人はマスキング)、申請・審査・優生手術実施に関する資料――具体的には優生手術申請書、健康診断書、遺伝調査書(家系図を含む)、優生手術適否決定通知書、優生手術実施医師指定通知書、同意書、優生手術実施報告書、優生手術実施報告票(ただし、住所、現住所、氏名、生年月日、発病後の経過、現在の症状、家系図などは、全てマスキング)である。(2)上記申請書~優生手術実施報告票を個人ごとにまとめたものが51人分(ただし、全ての書類が揃っているわけではない。特に、「優生手術実施報告書」を含むのは8人分のみである。)(3)1966~1968年度の優生手術費負担金個人別支出明細書である。
5) 98人中、男性17人、女性78人。3名についてはマスキングのため性別不明。
6) 「心因反応」を理由とする申請については、審査会(1962.3.6開催)で、12条による申請であれば遺伝性以外のものでなければならないのに、「申請理由の遺伝防止のためとあるのはおかしい」などとして、書類不備を理由に、必要であれば再申請を認めることを条件に却下された。
7) 第4条により申請された女性6人(申請理由は「精神分裂病」4人、「精神薄弱」1人、躁うつ病1人)
8) 1966年3月16日に開催された審査会で、委員から「(申請医に)産婦人科医が多いが、県でPRしたのか」との質問が出され、「保健所を通じております」とのやり取りがみられる。
9) 4条による不妊手術の費用は、国費で賄うことが定められていたが、12条についてはその定めがなく、手術費用等の一部を自己負担する必要があった。「優生手術費補助規則」(神奈川県規則49号)は、1956年8月3日に公布された。第1条には「この規則は、神奈川県優生保護審査会において、優生保護法第13条に基づき、優生手術を行うことが本人保護のために必要であると決定した精神病又は精神薄弱にかかっているものに対し、手術費を補助して同法適用の普及を図ることを目的とする」と定められている。同規則は、1970年3月31日に廃止されたが、「優生手術援護費支給要領」(1970年4月1日制定)に引き継がれた。
10) 「精神薄弱」を理由に申請された男性について、昭和45年度第1回優生保護審査会(1970.7.15)で、「諸調査が不十分なため、再調査の上、次回審査会にかける」として保留とされた。
11) 『大分合同新聞』(2018.3.10)の報道よると、女性は当時12才であったとしている。

■引用/参考文献
船橋秀彦,2019,「子どもをつくる権利を奪われた人たち――優生保護法下、強制優生手術をされた人たちの実像」『季刊セクシュアリティ』90:108-113.
舟津悠紀,2018a,「優生学の地域史――神奈川県優生行政の実態」『日本歴史』841:54-65.
舟津悠紀,2018b,「北海道の優生保護法運用と精神衛生行政」『大原社会問題研究所雑誌』722:70-85.
小森淳子,2020,「岐阜県における障害のある人達に対する強制不妊手術に関する一考察――岐阜県優生保護審査会議事録から見えてくること」『岐阜協立大学論集』54(2):57-73.
岡田靖雄,2002,「国民優生法・優生保護法と精神科医」齋藤有紀子編著『母体保護法とわたしたち――中絶・多胎減数・不妊手術をめぐる制度と社会』明石書店:49-59.
利光恵子,松原洋子監修,2016,『戦後日本における女性障害者への強制的な不妊手術』立命館大学生存学研究センター.
利光恵子,2017,「1960年代の日本における障害者への強制不妊手術―神奈川県の場合」障害学会第14回大会(2017年)ポスター発表。http://maedat.com/jsds2017/program/poster_28/
利光恵子,2019,「優生思想・政策の歴史――特に強制不妊手術の概況」『障害学研究』15:116-129.
利光恵子,2020,「さぽーとSEMINAR 優生思想と現代―強制不妊手術から考える(3)」『知的障害福祉研究さぽーと』日本知的障害者福祉協会,67(10):42-48.
松原洋子,1998,「中絶規制緩和と優生政策強化―優生保護法再考」『思想』886:116-136.
松原洋子,2000,「日本―戦後の優生保護法という名の断種法」米本昌平・松原洋子・橳島次郎・市野川容孝『優生学と人間社会―生命科学の世紀はどこへ向かうのか』講談社,170-236.
横山尊,2015,『日本が優生社会になるまでーー科学啓蒙、メディア、生殖の政治』勁草書房.
優生手術に対する謝罪を求める会,2003,『優生保護法が犯した罪―子どもをもつことを奪われた人々の証言』現代書館.


■質疑応答
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