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家族関係を変容させる軽度障害者の主体性―片耳小耳症・外耳道閉鎖症当事者のライフストーリーから

田中 裕史(名古屋大学大学院)


【1. 目的】
 本報告は,タブー視されてきた小耳症の話題を母親と話せるようになるまでの,小耳症当事者のライフストーリーを記述する.これにより,軽度障害者の家族関係を長期的な視点から分析し,自立とは異なる形で家族関係を変容させていく軽度障害者の主体性を指摘する.
 小耳症とは,先天性の耳介欠損であり,外耳道閉鎖症を併発する場合は,伝音性難聴を伴う.そのため,小耳症には外見の問題と,聴力の問題とがある.外見に関する問題について,小耳症の当事者は欠損している耳を隠すために,髪の毛を伸ばしたり,義耳を装着したりすることがある.また,肋軟骨を耳に移植する耳介形成手術が確立している.聴力の問題に関しては,外耳道閉鎖症を片耳のみ発症するか,両耳とも発症するかによって経験が大きく異なってくる.片耳のみ外耳道閉鎖症の場合は「一側性伝音難聴」(片耳難聴)と呼ばれており,当事者は場面によって聞こえにくさを感じることになる.
 本報告は,片耳小耳症・外耳道閉鎖症を軽度障害として把握し,とある女性当事者が母親との関係を変容させていく過程に注目する.障害学では2000年代半ばごろから,可視的ではない障害を持つ人びとや自身を重度障害者として認識していない人々,つまり軽度障害者に関する議論が行われるようになった(田垣 2006; 秋風 2013).そのため,軽度障害者に関する知見は蓄積され始めたばかりであり,様々な課題が残されていると言える.
 こうした課題の中で,本報告は軽度障害者の家族関係に注目していく.軽度障害者の家族関係に関する議論は,疾患の外見的側面に注目した研究を中心に展開されている.例えば,やけどによって幼児期に指を欠損した女性の経験に注目した浜田寿美男(1997)や,顔にあざのある女性のライフストーリーに注目した西倉実季(2009)が挙げられる.
 しかしこれらの研究は,幼年期や青年期において,当事者が家族関係の中で経験する抑圧や困難を指摘することに留まっている.そのため,成人期以降を含めた長期的な家族関係の変容の分析ができていない.さらに,困難や抑圧の経験など,家族関係における当事者の受動的側面を強調する一方で,主体的側面について十分に議論できていない.こうした家族関係の描き方は,「脱家族」の主張や障害者自立生活運動など,抑圧を生じさせる家族関係を変容させていく障害者の主体性に注目してきた,障害学の学問的見地からすれば,一面的と言わざるを得ないだろう.
 以上の理由から,本報告は,家族関係を長期的に変容させていった片耳小耳症・外耳道閉鎖症の当事者のライフストーリーに注目する.これによって,軽度障害者の家族関係の変容を長期的な視点から分析するとともに,家族関係における主体的側面に焦点を当てていく.

【2. 方法】
2.1 研究パラダイム,研究方法,データ採取,データ分析,再帰性について
 研究パラダイムは構成主義,研究方法はライフストーリーを採用した.半構造化インタビューを計2回行った(2021年1月と2月).初回は,小耳症にまつわる経験をまとめた経歴書のようなものを事前に送っていただき,それに基づき,時系列に沿ってインタビューを進めた.2回目は,初回のインタビューを通して新たに生じた疑問や気になったことを,研究参加者に事前に送り,その質問リストに沿ってインタビューを進めた.2回とも,Covid-19の流行から,Zoomを用いてオンライン上でインタビューを行った.ICレコーダーでインタビューの音声を録音し,逐語録を作成して分析を進めた.
 データ分析にはSCAT(Steps for Coding and Theorization)を用いた.SCATは,

マトリクスの中にセグメント化したデータを記述し,〈1〉データの中の注目すべき語句,〈2〉それを言い換えるためのテクスト外の語句,〈3〉それを説明するためのテクスト外の概念,〈4〉そこから浮かび上がるテーマ・構成概念,の順にコードを付していく4段階のコーディングと,〈4〉テーマ・構成概念を紡いでストーリー・ラインを記述し,そこから理論を記述する手続きとからなる分析手法である(大谷 2011: 155).

 ストーリー・ラインとは,「データに記述されている出来事に潜在する意味や意義を,主に〈4〉に記述したテーマを紡ぎ合わせて書き表したもの」(大谷 2008: 32)であり,ストーリー・ラインから重要な部分を抜き出して,理論を記述する.
 なお,報告者は男性であり,片耳小耳症・外耳道閉鎖症である.こうした報告者の特性はインタビュー,さらには研究全体に影響を与えている可能性がある.

2.2 研究倫理に関する配慮
 倫理的配慮に関して,本研究は大きく以下の4点に注意を払った.第一に,説明書と同意書にもとづき,研究参加の同意を得た.第二に,同意の撤回を保証した.同意の完全撤回だけでなく,部分的な語りの撤回も可能であることを説明した.第三に,個人情報の保護に関して,研究参加者の特定可能性を高めるような周辺情報の匿名化を行った.
 第四に,心的に侵襲性の高い過去の経験を想起させる可能性を考慮して,以下の手続きをとった.まず,研究参加者の同意を得る時点で心的に侵襲性の高い過去の経験を想起させることがありうることを強調して説明した.次に,インタビュー時は研究参加者が休息,延期,中止を求めた時点で,即刻それに応じることを説明した.また報告者の質問に対して,研究参加者は「語らない」権利を有しており,必ずしも語らなくてもよいということを説明した.インタビュー終了後は,語りの部分的に撤回したり,状況の再構成を行ったりすることが可能であり,心的に侵襲性の高い過去の具体的な経験が公表されることによる危害・不利益を防ぐことが可能であると事前に伝えた.
 本研究は名古屋大学大学院教育発達科学研究科倫理審査登録システムから認可を得ている(承認番号19-1399「小耳症当事者の心理的・社会的困難と対処法―ライフストーリーを用いた社会学,障害学的観点からの探索的解明―」).

【3. ライフストーリー】
 研究参加者であるAさんは,片耳小耳症・外耳道閉鎖症の40代後半の女性である.報告者とはSNSを通じて知り合い,個別に研究参加の依頼をした.以下はAさんのライフストーリーである.

3.1 幼小期・小学校
 Aさんは,物心がついた時からすでに髪の毛が長く伸ばされており,耳が隠されていた.後々,家族に聞いたところ,髪が伸びていない新生児のころは,外出時には,耳が隠れる帽子を被っていた.写真を撮る時は,同様に帽子を被るか,小耳症側の耳が写らないようにされていた.そのため,手術前の耳が写っている写真は一枚もない.
 Aさんが周囲の人と耳が違うという感覚を持つようになったのは3‐4歳頃であり,小学校に入学してからは,小耳症を周囲にオープンにすることはなかったが,仲の良い友達には特別に見せることもあった.「普通」とは違う耳をしていることは分かっていたが,そのことを否定的には考えることはしなかった.

3.2 中学校・高校
 Aさんは中学・高校の段階で否定的な価値観を強めていく.まず,大きな影響を与えたのが,母親主導で行われた手術であった.Aさんは小学4年生(10才)から中学1年生(13才)までの間に耳介形成手術を計4回行っている.
 Aさんはその後の人生の中で,手術によるメリットとデメリットを比較しながら,手術をするべきだったかどうか,長期的に葛藤していくことになる.Aさんにとっての手術のメリットは,眼鏡やマスクを掛けられるようになったということと,入院によって今まで想像もつかない状況にいる子どもの存在を知ることができたということであった.
 手術のデメリットとしては,まず,思うような耳にならなかったということが挙げられる.インターネットによって情報を収集できる時代でもなかったため,AさんもAさんの母親も「完璧なもの」ができると考えていた.しかし,現在(2021年)から30年以上前の技術であることもあってか,「相応のもの」ができたが,「(耳を)出していて全然周りから気づかないねっていうレベルのもの」ではなかった.そのため,手術をしたものの,耳を出すことができなかった.Aさんは落胆したが,Aさんには何も言わない母親が,Aさん同様に落胆していることを察知して,がっかりした振る舞いをしないようにしていた.
 次のデメリットが, 手術痕による外見の問題である.Aさんの場合,耳介を形成するために,肋軟骨を切除し,両側の鼠径部(足の付け根)の皮膚を移植した.そのため,胸の辺りと鼠径部に傷痕が残った.その傷痕は,年を重ねてからパートナーと交際をしたり,親密な関係を取り結んだりするにあたって,コンプレックスになっていった.インタビュー中,Aさんは10代前半でつく傷によるしんどさが,10代後半・20代と増していくことを,「時限爆弾的」と例えていた.こうした手術によるメリットとデメリットを比較しながら,Aさんは手術をするべきだったかどうかを長期的に葛藤していくことになる.
 これらのことに加えて,学校で流行したポニーテールができないことや,学校での会話で,聞こえないことや,聞こえないが聞こえたふりをすることが増えていった.Aさんはいじめられた経験はないが,こうした経験が重なる中で,「ちょっとしんどいな」という気持ちを抱えるようになっていった.
 
3.3 大学
 このように自身の小耳症に対して否定的な価値観を強めていったAさんにとっての転機が,大学時代であった.Aさんは,小耳症による不便さを感じつつも,人間関係が広がり,自由で楽しい大学生活を送っていた.こうした日々の中で,明確なきっかけは思い出すことができないものの,「自分のことを『かわいそう』って思うことをやめよう」と思うようになった.
 こうした考え方の変化によって,障害を「乗り越えるべきもの」だと思っていたAさんは,障害を「ずっと付き合っていくもの」として考えるようになっていく.

3.4 結婚・出産
 大学卒業後のAさんは,フリーターとして働き,20代前半で結婚して,男児を出産する.この時は初めての育児で忙しく,色々なことを考える余裕がなかったという.そして30歳頃に女児を出産した時に考えに大きな変化が生じた.Aさんの子どもはどちらも健常児であったが,もし出産した子どもが聞いたこともない疾患・障害をもっていることの衝撃を考えた時,本人よりも親の方がしんどいかもしれないと考えるようになった.

3.5 当事者コミュニティへの参加
 同時期にAさんは,インターネットを通して当事者コミュニティに参加するようになった.コミュニティでは共通するような経験を聞くことができるだけでなく,異なる経験をしてきた当事者や,異なる価値観を持つ当事者との交流することができた.例えば,Aさんは小耳症のこと周囲にオープンにしてこなかったが,コミュニティで知り合った人の中には,耳を見せる髪型をしていたり,初対面で耳が聞こえにくいことを積極的に打ち明けたりする方がいた.また,家族の間で小耳症の話題はタブー視されていたが,交流した当事者の中には,家族の間でも小耳症の話題をオープンに話す方がいた.
 こうした他の当事者の経験を知ることで,Aさんは職場で近しい人には,片耳が聞こえにくいことを伝えるようになった.また,小耳症の子を持つ親のコミュニティにも参加することで,「親の方がしんどい」という気持ちをいっそう強めていった.

3.6 母との関係の再構築
3.6.1 転機
 こうした経験をする中で,Aさんは母親との関係において転機を迎えることになる.母親と2人で外食に行った時,Aさんは,母親に対して当事者コミュニティに参加していることを伝えた.これは,手術関係の事務連絡的な会話を除けば,Aさんにとって母親と話す初めての小耳症の話題であった.
 その会話の中で,Aさんの母親は「できることだったら五体満足で産んであげたかったって今でも思っている」と述べた.Aさんは母親のこの発言に衝撃を覚えた.それは,紆余曲折を経て,小耳症を「ずっと付き合っていくもの」として前向きに捉えるようになったAさん自身の人生を否定されたようなショックでもあり,成人をして10年近く経ち,自立もしている子どもに対して,母親がいまだに負い目や苦しみを抱え続けていたことへのショックでもあった.

3.6.2 関係の再構築
 この経験を機に,Aさんは母親のため,そして自分自身のために,母親の抱える苦しみを軽減したいと考えるようになった.先述の通り,入院したことで今まで想像もつかない状況にいる子どもの存在を知ることができたことなどを伝えて,小耳症や手術によって,良い経験ができたこともあると話すようにした.また,今は充実した生活を送れていることも伝えた.
 さらにAさんは,母親を小耳症のコミュニティに連れていくようになった.自分以上に前向きに明るく生きている当事者の姿を見せることで,負い目を軽減させようとした.また,「自分の子どもは小耳症であり,こんなふうに考えている」ということを誰にも言えずにきた母親のために,小耳症の子どもを持つ親と交流させた.こうして,1 0年以上の時間をかけながら,家族の間でタブーとなっていた小耳症の話題について,母親と少しずつ話すようになっていった.

3.6.3 立場の違いによる分かり合えなさ
 その一方で,Aさんは同時に,「小耳症ではない親」と「小耳症の子ども」の間に存在する「分かり合えなさ」を感じるようになった.例えば,Aさんの母親は小耳症について話せるようになった後も,Aさんに対する負い目を感じ続けていた.Aさんは負い目を感じれば自分が救われるわけではなく,自分をそんなに責めないでほしいと語っていた.

3.6.4 妥協点
 しかしAさんは,「分かり合えなさ」を感じながらも,「どっちがしんどいかって言ったらやっぱり親」と語っている.そこには子どもの小耳症について誰にも話すことができないまま過ごしてきた母親の大変さ・心労への理解が大きかった.
 こうした考えから,葛藤し続けてきた母親主導の手術経験に対しても,親の愛や誠意として受け容れる気持ちや,現実に起きたことを受け容れていく気持ちを持つようになった.

【4. 考察】
 小耳症の話題がタブー視された家族で育ったAさんは,疾患に対する否定的感情を持ち,家族主導の手術経験に対する葛藤を抱えながらも,家族と小耳症について話すことはなかった.こうした状況から,Aさんは,(1)「障害の克服」から「障害との共存」への価値観の移行,(2)出産・育児経験による「母親―母親関係」の成立,(3)当事者との交流による障害がタブー視されていた家族関係の相対化,という3つの変遷を背景に,家族関係を変容させていった.以上のAさんの経験から,本報告は2つのことを指摘する.
 第一に,家族関係の変化とともに,家族関係に内在する葛藤の性質が変化していくということである.幼年期における葛藤は,親から子への一方向的な性質を帯び,抑圧を生じさせていた.それに対して,30代以降,母親と小耳症について話をするようになった段階における葛藤は,双方向的な性質を帯びており,抑圧を生じさせるものというよりは,相互理解の不可能性として残存していた.家族関係に内在する葛藤が完全に解消されることはなかったが,当事者が受容可能なものへと,葛藤の性質が変化していった点が特徴であると言える.
 第二に,家族関係における障害者の主体性を,自立以外の観点から描くという可能性である.Aさんは自ら小耳症の話題を切り出すというタブーの打破を行った,その会話での,母親からの「親の負い目(≒子の障害に対する否定的価値観)」の告白は,母親との関係を変容させる転換点になった.Aさんにとっての母親との関係を変容させることは,「親の負い目」の軽減のためであり,「子の障害に対する否定的価値観」の否定のためであった.Aさんは10年以上の年月をかけて,母親と対話を続け,時には他の当事者と交流させるなどして,タブー視されていた小耳症について母親と相互理解を進めていった.こうしたAさんの実践は,自立という枠組み以外から,家族関係における障害者の主体性を描ける可能性を示唆している.

【5. 結論】
 本研究は,片耳小耳症・外耳道閉鎖症の当事者のライフストーリーを通して,タブー視されていた小耳症の話題を母親と話すようになるまでの過程を記述してきた.本研究の意義は,以下の2つにまとめられる.まず,軽度障害者の家族関係の変化を長期的な視点から分析したことにより,葛藤の性質の変化を指摘した点である.次に,家族関係における障害者の主体性を,自立という枠組み以外から描ける可能性を指摘した点である.
 しかし,本研究では明らかにできなかった課題が残っている.例えば「母親―母親関係の成立」に見られるように,ジェンダーの影響が示唆されるだろう.また,家族関係における障害者の主体性について,当事者が行う様々な方策を明らかにしていく必要があるだろう.これらの解明は今後の課題としたい.

[文献]
秋風千惠,2013,『軽度障害の社会学―「異化&統合」をめざして』,ハーベスト社.
浜田寿美男,1997,『ありのままを生きる―障害と子どもの世界』,岩波書店.
西倉実季,2009,『顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学』,生活書院.
大谷尚,2008,「4ステップコーディングによる質的データ分析手法SCATの提案―着手しやすく小規模データにも適用可能な理論化の手続き」,『名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要(教育科学)』,54 (2): 27-44.
――――,2011,「SCAT: Steps for Coding and Theorization―明示的手続きで着手しやすく小規模データにも適用可能な質的データ分析」,『感性工学』,10 (3): 155-160.
田垣正晋,2006,『障害・病いと「ふつう」のはざまで―軽度障害者 どっちつかずのジレンマを語る』,明石書店.


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。

〈2021.9.10 会員から〉
①どの報告に対する質問か。
田中 裕史「家族関係を変容させる軽度障害者の主体性―片耳小耳症・外耳道閉鎖症当事者のライフストーリーから」

②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
矢吹康夫

 端的に言うと、先行研究のレビューが十分ではないために、キー概念である「自立(以外)」や「主体性」が何を意味するのかが明確ではなく、その結果、本報告が結論で指摘した「家族関係における障害者の主体性を,自立という枠組み以外から描ける可能性」がどのような点でオリジナルな知見と言えるのかがよくわからない、というコメントです。
 冒頭で、軽度障害者に関する先行研究に対しては、「成人期以降を含めた長期的な家族関係の変容の分析ができていない」「困難や抑圧の経験など,家族関係における当事者の受動的側面を強調する一方で,主体的側面について十分に議論できていない」と指摘されており、続けて「抑圧を生じさせる家族関係を変容させていく障害者の主体性に注目してきた」自立生活運動や障害学への言及があります。つまり、先に踏み台にした軽度障害者に関する先行研究の問題点を乗り越える視座を提供するものとして、自立生活運動に関する研究を位置づけているように読めます。だから、自立生活運動に関する研究を援用して、どうやって問題点を乗り越えるのかを先に示したうえで議論を展開していく必要があります。
 おそらく、結果としての家族関係の変容は、自立生活運動に関する先行研究ですでに明らかにされているという認識で、本報告は、結果ではなくそこにいたるプロセスが先行研究とは異なるということを示そうとしているのだと思います(違っていたらごめんなさい)。そして、家族関係の変容を促す「主体性」が「自立以外」の枠組みから生まれていることを示せば、先行研究が示した「自立」という枠組みから促される家族関係の変容とは異なる、新しい知見を導くことができるということになります。しつこいようですが、だから、自立生活運動における「自立」とは何かを先に示しておく必要があるということです。
 ただ、自立生活運動ではピアカウンセリングが重視されており、これは、Aさんが当事者コミュニティに参加して、他の当事者から経験知を継承したこととよく似ています。そうなると、当事者コミュニティへの参加を本報告の結論である「自立以外の枠組み」の論拠にしてよいのか、この論拠は先行研究と何が違うのかという疑問が生じます。
 また、もうひとつのキー概念である「主体性」は、自立生活運動が旧来的な自立観(身辺自立・経済的自立)ではない自立のために重視した「自己決定」ともよく似ているように思えます。「自立」と「自己決定/主体性」を不可分なものととらえるならば、「主体性」を発揮した時点でもうそれは「自立」と呼べるのではないか、「主体性」がある「自立以外」はどのようにして可能なのかがやっぱり疑問です(このあたり、障害学会にはもっと詳しい人がいると思うので、間違っていたらご指摘ください)。
 とまあ、いろいろと書いてみて、そもそも「自立/以外」という対立軸を設定することが適切ではないような気がしてきました。
 以下は無責任な提案なので、無視してもらってもかまいません。本報告では、家族関係の変容を促す転機として「(1)「障害の克服」から「障害との共存」への価値観の移行,(2)出産・育児経験による「母親―母親関係」の成立,(3)当事者との交流による障害がタブー視されていた家族関係の相対化」の3つがあげられています。このうち、大学時代の(1)と結婚・出産の(2)は非運動的な経験によるものであり、「運動/以外」という枠組みのほうが理解しやすいかもしれません。
 それから(3)との関連で、本報告が最初に踏み台にした「疾患の外見的側面に注目した研究」においても、当事者コミュニティへの参加が転機となり、障害についてオープンに話せるようなったり、社会に発信するようになるなど、主体的に運動にコミットしたり日常生活を変容させていった事例がいくつもあります(西倉 2009:第4章、矢吹 2017:第7章第1節、吉村 2019など)。自立生活運動の中では制度化されたピアカウンセリングによって家族関係の変容が促されているのに対して、軽度障害者に関しては、結果としての家族関係の変容が運動に組み込まれていないと見なすこともできます。本報告の事例と比べると、プロセスが同じで結果が違うわけで、このあたりも事前に整理できていれば、議論がよりクリアになると思います。
 以上です。

参考文献
西倉実季, 2009,『顔にあざのある女性たち── 「問題経験の語り」の社会学』生活書院.
矢吹康夫, 2017,『私がアルビノについて調べ考えて書いた本──当事者から始める社会学』生活書院.
吉村さやか, 2019,「「女性に髪の毛がないこと」とは,どのような「障害」なのか──スキンヘッドで生活する脱毛症の女性を事例として」榊原賢二郎編『障害社会学という視座──社会モデルから社会学的反省へ』新曜社.

〈2021.9.16 報告者から〉
矢吹 康夫 様

 拙稿に対するコメントありがとうございます。特に,報告者自身が悩んでいた先行研究の整理に対して的確な指摘とアドバイスを下さり,大変感謝しております。以下の返答では,まず,拙稿における「主体性」という概念について説明をします(1)。次に,先行研究に対する報告者の課題意識を整理し(2.1),最後に矢吹先生のご提案を踏まえて,研究の知見を考案します(2.2)。

1. 「主体性」に関して
 まず,拙稿における「主体性」という概念が不明確になった理由は,異なる文脈で用いられている「主体性」という語を明確に区別しないまま用いてしまったことにあります。具体的に,ライフストーリーを通して描こうとした「主体性」と,自立生活運動における主体性との差異を考慮しないまま議論を進めてしまいました。
 拙稿は,軽度障害者の家族関係に関する先行研究の課題として,家族関係において経験する困難や抑圧を強調する反面,当事者の主体的側面・主体性を十分に描けていないことを挙げています。先行研究の多くは,ライフストーリーを用いて,当事者が経験する困難と困難に対する対処の長期的な変遷について分析しています(西倉 2009)。ここでは日常生活のレベルで生じる困難に対処していくという,局所的で多元的な「主体性」が想定されています。
 拙稿の問題点は,こうした「主体性」と,自立生活運動における主体性と同義に用いていることでした。そのため,2つの主体性の差異を捨象することになり,さらに,自立生活運動における主体性が何を指すのか明示しないまま議論を展開することになりました。結果として,「主体性」,さらには「自立」というキー概念の理解が難しくなったのだと考えています。

2. 先行研究の整理と知見
2.1 課題意識の確認
 加えて,こうした拙稿におけるキー概念の分かりにくさは,「自立」の位置づけが不明瞭であることも関係しています.そこで以下では,報告者の課題意識を整理し直します。報告者は,重度障害者の家族関係と,軽度障害者の家族関係に関する先行研究は,それぞれ次の課題を抱えていると考えています。
 まず重度障害者の家族関係について,介助・ケアをめぐる問題や公的な福祉制度のあり方を中心とする議論が,軽度障害者の家族関係に当てはまるとは限らないという課題です。例えば,障害者家族に関する議論では土屋葉(2002)や中根成寿(2006)など,成人期以降も含めた長期的な家族関係の変容に注目した質的研究は,介助やケアの問題を中心に家族関係を描き,福祉制度など社会システムと関連づけた議論を展開しています。近年では,家族の多様化や障害者がつくる家族への注目がされていますが,家族の問題を社会との関係の中でとらえるという視点は続いています(土屋 2017)。こうした視点では,介助をほとんど必要とせず,公的な福祉制度の対象にもなっていない軽度障害者の家族関係を把握することが難しいと考えています。
 一方,軽度障害者の家族関係に関する議論に注目すると,軽度障害者に対する関心が高まったのは2000年代以降であり,そもそも議論自体が限定的です。さらに,こうした議論を概観すると,当事者の「主体性」に注目する方法論・理論的枠組みを採用しているにもかかわらず,家族関係に関しては,当事者が経験する抑圧や困難の指摘にとどまっています。そのため,家族関係において生じる抑圧や困難への対処する当事者の「主体性」への注目が不十分であり,長期的な家族関係の変容や,そして家族関係を変容させていく当事者の主体的な試みについての議論が蓄積されていません。こうしたことから,軽度障害者の家族関係における「主体性」に注目していく必要があると言えます。
 以上が報告者の課題意識です。この課題意識は,介助を必要とする重度障害者を中心に家族関係を論じてきた先行研究との差異が明確でない点に問題を抱えていると考えています。

2.2 知見の修正
 最後に,矢吹先生のご提案を踏まえ,現時点での本報告の知見を考案しました。ただし,そもそも先行研究の整理が十分に整理できていないため,コメントには限界あると思われます。

A)制度化された当事者コミュニティでの経験だけでなく,非制度的な日常生活における経験が組み合わさることによって,家族関係の変容が可能になっていた。
B)特に,非制度的な日常生活における経験の重要性が示唆された。
C)重度障害者と比較して,介助や公的支援の必要性が少ない軽度障害者の家族関係に注目する意義を指摘した。

 以上です。よろしくお願いいたします。

参考文献
中根成寿,2006,『知的障害者家族の臨床社会学−社会と家族でケアを分有するために』,明石書店.
西倉実季,2009,『顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学』,生活書院.
土屋葉,2002,『障害者家族を生きる』,勁草書房.
土屋葉,2017,「障害のある人と家族をめぐる研究動向と課題」,『家族社会学研究』,29(1):82-90.


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