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聴覚障害者と聴者の社会生活における認識とは
~聴覚障害理解に向けた聴覚特別支援学校教員の視点からの検討~

中西裕子(鳴門教育大学大学院学校教育研究科)


Ⅰ.問題と目的
 障害者の権利に関する条約第24条教育の条項において「手話又は点字について能力を有する教員(障害のある教員を含む。)を雇用し、並びに教育に従事する専門家及び職員(教育のいずれの段階において従事するかを問わない。)に対する研修を行うための適当な措置をとる。」とされているが、文部科学省(2020)によると2019年6月現在における障害者雇用の状況は、法定雇用率2.4%に対し、実雇用率は1.87%となっており、障害のある教育職員に対する入職後の合理的配慮やティームティーチングを行うにあたり相互理解が求められるであろう。西村・高橋・津田(2016)は、障害のある教員の強みや学校内での協働体制を可視化することの重要性を述べている。
 聴覚障害教職員の総数は2019年度において501名と報告されている(全国聴覚障害教職員協議会,2019)。
 聞こえる人は聞こえにくい・聞こえづらい障害のある人を「聴覚障害者」、聞こえる人を「健聴者(健常者)」と言う。しかし、聴覚障害のある人は聞こえる人のことを「健聴者(健常者)」ではなく「聴者」と言うことがある。これは、自分が「ろう者」であるか「難聴者」であるかによって異なると考えられる。ろう者にとって「聴覚障害がある人」=「障害者」という認識ではなく「ろう者(日本手話を使っている人)」と認識しているからである。「健聴者」=「聴力が健常もの」という言い方に違和感をもち「聴者」=「聞こえる人」と言うと考えられる。主とする言語が「手話言語」か「音声言語」か、生育歴・教育歴の差異によって、自分が「ろう者」か「難聴者」かの認識も異なると推測される。
 聴覚障害は目に見えない障害と言われており、外見からは気づかれにくい。そのため、日常生活において「無視している、できるのにやらない」などと誤解を受けてしまうことがある。勝谷(2012)は、「外界からの音が康な人よりも入りづらいだけではなく、さまざまな情報源からの情報が入りづらくなるため、日常生活でのさまざまな面でのストレスにつながりうる」と述べている。聴覚障害のある人は、音声言語中心である社会生活において、他者とのコミュニケーションに困難な面があり、必要な情報を的確に得ることが難しい。そのため、聴者とのやりとりの中でも情報共有が十分ではないため認識にずれが生じると考えられる。また、聴者も聴覚障害のある人との関わりが少ない中で、「聞こえない・聞こえにくい状態とはどういうことか」「どのような場面が困難であるのか」など想像しづらいため、コミュニケーション面において「きちんと伝えたのに話が通じていない」とストレスを感じる場面もあると考えられる。これらは、相互の認識不足により生じると考えられることから、聴覚障害者と聴者がお互いを尊重しあい、よりよい関係を築いていくためには相互理解が不可欠と考える。
 そこで、本研究では、今後の障害のある教員の学校内での協働体制や相互理解に関連して、聴覚特別支援学校の教員が感じている「言語・コミュニケーション面」と「行動面」での聴覚障害者と聴者の認識の差異についてどのような場面で生じているかを整理し、聴覚障害理解に関する項目を検討することを目的とする。

Ⅱ.研究方法
1.調査協力者
 聴覚特別支援学校に勤務する教員8名(内訳は聴覚障害職員3名,聴教員(聞こえている教員)5名/年齢内訳は20歳代1名,30歳代3名,40歳代2名,50歳代2名,性別内訳は男性2名,女性6名/勤務歴内訳5年未満3名,6~10年1名,11~15年3名,15年以上1名)を対象とした。A県の聴覚特別支援学校に勤務する教員に協力を呼びかけた。倫理的配慮として、ブレインストーミングの参加者には、研究の趣旨及び、研究は自由意思であること、所属名や個人名は特定されないこと等をよく説明し、同意を得ている。

2.調査内容
 聴覚障害者と聴者の認識について「学校・職場」「日常(家庭)生活」において「言語・コミュニケーション面」と「行動面」で両者の差異がどのような場面で生じているか具体的場面や事柄について調査を行う。

3.調査方法
 聴覚特別支援学校教員8名に対し、聴覚障害者と聴者の認識の差異について両者間での関わりにおいて日々感じていること、事例等を整理するワークシートを事前に配布し記入を依頼する。その後、聴覚障害教員3名と聴教員5名の二つのグループに分け、各グループでワークシートに記入されている内容に基づき、ブレインストーミングを実施する。

4.分析方法
 分析は調査協力者である聴覚障害教員グループと聴教員グループに分かれて,各グループでブレインストーミングを実施し、合議によりカードをグループにまとめ項目ごとに分類・カテゴリー化を行う。
 図解化については、著者1名が最終的に収集されたグループ間の関係性を考えながら、矢印や記号を使って示す。

Ⅲ.結果
 聴覚障害教員3名と聴教員5名の二つのグループからは、それぞれの立場から「職場・学校」と「日常(家庭)生活」の場面において「言語・コミュニケーション面」での認識の差異や誤解、「行動面」での差異など多くの意見が出された。当初は、「学校・職場」「日常(家庭)生活」と生活場面を分けて「言語・コミュニケーション面」「行動面」の差異について分類していたが、カテゴリー化を考える中で生活場面ごとに分けるよりも日常生活全般として考える方がよいとの意見が出された。そのため、場面では分けずに「言語・コミュニケーション面」と「行動面」におけるカテゴリー化を行った。
 社会生活における認識の差異について、聴覚障害教員3名より49個、聴教員5名より44個、合計93個の意見が出された。これらの意見をグループにまとめた結果、聴覚障害者と聴者の認識の差異について「きこえに関すること」「相互理解に関すること」の二つのユニットにまとめられた。なお、ユニット以前の段階であるカテゴリーは四つであった。図1は、まとめられたユニットとカテゴリーを図解化したものである。
 以下、それぞれのユニットごとに、その内容と関係性、聴覚障害者と聴者の相違点・類似点について、ブレインストーミングから得られた情報を引用しながら記述する。なお、補足については( )で示した。

(1)きこえに関すること
 「きこえに関すること」に対しては、聴覚障害者と聴者の日常の「きこえの実態」について示された。

きこえの実態
<言語・コミュニケーション面>
 聴覚障害教員では、「補聴機器を装用しても聞き取りには限界がある」「口形や音声が似ている場合、聞き差異がある」「大きすぎる声、不自然なリズム感で話されると分かりにくい」「集団での話し合いでは話し手が分かりにくい」などが挙げられた。聴教員では、「意識していなくても自然に周囲の音が耳から入ってくる」「最近ではマスクを常時着用することになり音声が聞こえづらいと感じる場面が増えた」等の意見が出された。
<行動面>
 聴覚障害教員では、「ドアの開閉音や足音等の生活音は気づきにくく、音マナーが分かりづらい」、聴教員では、「横や後ろから話しかけられても気づく」「音や声を聞きながら作業することができる」という意見が挙げられていた。

(2)相互理解に関すること
 相互理解に関することは、「認識の差異」「聴覚障害理解」「他者理解」から構成されており、きこえに関することが相互理解に影響することが明らかになった。

認識の差異
<言語・コミュニケーション面>
 聴覚障害教員から「(自分の思いを)手話ではより深く話せるが、語彙数(日本語)が少ないので、どのように伝えていいかわからないときがよくある」「自分の言っていること(日本語)が間違っているかわからないときがあるので、間違っていたら教えてほしい」という日本語理解に関する意見が出されていた。聴教員からは、「丁寧な言い回しをすると分かってもらえない」「二重否定の言葉が伝わりにくい」「聴覚障害児が分かっているということと教員が思っている内容にズレ(誤差)があるように感じる」といった意見が出された。
<行動面>
 聴覚障害教員の意見の中で「音がない生活はあまり不便だとは思わない」「話し合いや活動の場面でわからないとき、目で訴えることがある」といったことが出された。聴教員では「話の途中で指さしされるとびっくりする」「やり取りの中で、返事をはっきりと言われるので、心が傷つくことがある」「OKかダメかの二択の返事で、中間の感覚が伝わりにくい」という意見が出された。

聴覚障害理解
<言語・コミュニケーション面>
 聴覚障害教員より聞こえない人との関わりについて「伝える方法は手話だけではないので、身振りや筆談、空書き等いろいろな方法があることを知ってほしい」「伝えようとする気持ちが見えると、心が温かくなる(手話でなくても)」「音声と手話で話していても、コミュニケーションが取れていたら、だんだんと早口になり、口の動きが小さくなることがある(気を付けてほしい)」「(話し合いの中で)細かいことも書いて、知らせてくれると分かりやすい」「新しい漢字や聞きなれない言葉、人名等は文字(ルビ付き)で確認したい」など様々な意見が出された。聴教員からは、「聴覚障害の人に声をかけたいけれど、手話がわからず、どのように関わればいいか躊躇することがあった」「障害のことをどこまで聞いていいのか気を遣っている」「何気ない言葉の意味を聞かれたとき、あいまいな答え方をしてしまう時があり、聞こえていてもニュアンスで使っている言葉があると感じる」など関わり方と情報の伝え方に関する意見が出された。
<行動面>
 聴覚障害教員は「100%情報が得られない中で、どう動いていいのかがわからない。」「優先順位が分かりにくい」「周りの人たちの会話から偶発的な学習ができない」「(視覚的に情報を得ているため)目が疲れやすい」という意見が出された。聴教員からは、「説明や文が長くなると、理解してもらいにくいので、簡潔に伝えるようにしている」「手話通訳をしていても、聞き取れない場合や、言葉の意味が分からず通訳を止め短く省略してしまうことがある(申し訳ない気持ちになる)」「きこえにくい人に対して、『聞いて』などと本人にとって難しいことを言ってしまい、後で反省することがある」「必要な情報を聞こえないからという理由で伝えない場面を見たことがあり、不快に感じた」など、情報提供に関する意見が出されていた。

他者理解
<言語・コミュニケーション面>
 聴覚障害教員から「音の情報が分かりづらく、情報不足で不安になる」「何が分かっていないかもわからない状況の中で、どのように聞けばよいのかも分からない」「敬語等の発音や言葉の使い方が難しく、ため口になってしまうことが多い」「伝わることとマナーのどちらを優先すべきなのか戸惑う」、聴教員からは「きこえる人同士でもお互いに100%理解して伝えあっているわけではない」といった意見が出された。
<行動面>
 聴覚障害教員からは「わからないことがあっても、忙しそうにしていると聞けず、結局分からないまま後で迷惑をかけてしまうことがある」「聴者の表情が分かりにくいため、気持ちも伝わりにくく感じる」「相手に気持ちの余裕がないときは話が限られ、互いの理解が不十分に終わってしまう」といった他者との関わりにおける不安や戸惑いについて、聴教員においては「自分の思いが上手く伝わらず、違和感(もやもや)を感じることがある」といったことが挙げられた。

(3)ユニットとカテゴリーの関係
 図1では、ユニットとして「きこえに関すること」が「相互理解に関すること」に影響を与えることを示している。「きこえに関すること」のカテゴリーは「聞こえの実態」である。「相互理解に関すること」のカテゴリーには「認識の差異」「聴覚障害理解」「他者理解」があり、互いに影響し合っていることを示している。

Ⅳ. 考察
(1)きこえに関すること
①きこえの実態
 聴者は、意識していない状態でも周囲の情報を自然に耳にしているため、音がない状態を経験したことがない。そのため、聴覚障害者の「きこえない・きこえにくい」状況をイメージすることが難しい。難聴体験として耳栓やイヤーマフ等を使い「きこえにくい状態」を体験することは可能であるが、「小さく、こもった音」としてきこえている。そのため、大きな音や声を出すと聞こえる、補聴機器を装用すると音が大きくはっきり聞こえるようになると思う傾向がある。しかし、大きすぎる声や一音ずつ区切って話をされると逆に分かりづらいということはあまり認識されていない。また、聴覚障害者が話を聞くときは、話し手の口形や表情を見ながら読話しているが、音声でのやりとりができる場合、聴者は「きこえている」と認識する。聞き差異(読み差異)があっても、本人からの聞き返しがない場合、「話の内容が伝わっている」と思うため、後に話がかみ合わないと「きちんと伝えたのに伝わっていないのはなぜか」と疑問を持つことになる。1対1のやりとりで問題がない場合は「やりとりできる」と判断するため、話し手が複数となる集団においても困り感に気づきにくい。音マナーについても、様々な音が気になる聴者と周囲の音がきこえない・きこえにくい聴覚障害者では、生活音に対する意識が異なる。聴者から日常生活において、音の有無や大きさについて指摘を受け、音を意識しなければならない状況があることを知り、音マナーについて学んでいくと考えられる。
 聴者が思っている「きこえない」状態と聴覚障害者のきこえの実態は大きく異なる。そのため、コミュニケーションや行動面における誤解を減らすには、まずお互いの実態について知ることが重要となるのではないかと考える。

(2)相互理解に関すること
①認識の差異
 日本語理解に関する意見が両者から出されたが、聴者が話す日本語とろう者の手話では音韻や語彙、文法体系が異なるため、主に使う言語による認識の差異が要因となっていると考えられる。日本の手話は大きく二つに分けられ、音韻・語彙・文法体系の異なる独立した言語である「日本手話」と音声日本語に手話単語を付け、言語的には日本語の表現方法の一つと考えられる「日本語対応手話」がある。この二つの手話の間には、中間的な段階の手話も存在する。手話の音韻は手の形や位置、手の動きや表情で表現され、語彙は日本語の語彙と1対1対応していない。そのため、微妙なニュアンスが伝わりにくいと考えられる。お互いが「わかりにくい」「伝わりづらい」と感じる背景には、日本語と手話の言語の差異が存在することを意識する必要があるだろう。行動面においても、ろう者の生活では一般的なことであっても、聴者の視点では違和感をもつこともあるが、ろう文化による認識の差異があると理解することで、誤解や戸惑いも少なくなるのではないかと考える。
②聴覚障害理解
 聴覚障害理解のカテゴリーにおいて、実際の関わりの中で生じている事柄が挙げられている。まず、関わり方に関することについて聴覚障害者に対するイメージとして「手話ができないと話ができない」と思っている人は多いのではないかと推測される。しかし、聴覚障害がある人すべてが手話で話すわけではないので、「関わる方法はいろいろあり、個々によって異なる」ことを広め、ためらわずに関わることができるような働きかけも重要である。また、音からの情報を得ることが難しい聴覚障害者にとって、情報収集は必要不可欠なものである。これまでの方法に加え、さまざまな情報機器を活用した情報提供のあり方も考えられるであろう。
③他者理解
 他者との関わりにおける不安や戸惑いは、障害の有無に関係なく誰もが経験していることである。聴覚障害教員と聴教員の双方から出された意見は、情報収集や情報共有におけるコミュニケーションのあり方、意思疎通に関するものであり、音声言語を中心としたやり取りの中で生じる事例であった。社会生活において、コミュニケーションは音声言語が中心であり、手話の使用や筆談等聴覚障害者への支援も広がりつつあるが十分とはいえない状況である。社会には多様な人が存在することを意識し、誰もが必要な情報を受け取り共有できるようになること、お互いが尊重し合えるコミュニケーションのあり方とはどのようなものかをさらに検討していくことが望まれる。
 本研究では、聴覚特別支援学校の教員が感じている「言語・コミュニケーション面」と「行動面」での聴覚障害者と聴者の認識の差異について両者からの意見を整理する中で、聴覚障害理解に関する項目として、「きこえに関すること」「相互理解に関すること」を柱に考える必要があることが明らかになった。日常生活における支援だけではなく、主な言語や文化の理解、相互の特性を理解したコミュニケーションのあり方を考え相談しながら生活することで不安や戸惑いが軽減されるのではないかと考える。
 今回の研究は少数の聴覚特別支援学校教員の意見を参考にまとめた。しかし、聴覚障害の程度の差も大きく、「ろう者」と「難聴者」による認識の差異もあると考えられる。したがって、多様な知見を得るためにも、「きこえに関すること」「相互理解に関すること」を基に聴覚障害理解について継続して検討していく必要があるだろう。

<参考・引用文献>
勝谷紀子(2012)難聴者が日常生活で経験するストレスとは,日本心理学会大会発表論文集.
全国聴覚障害者協議会(2019)現勢調査の報告<https://www.zencyokyo.org,2021,8,24閲覧>
西村愛志・高橋眞琴・津田英二(2016)障害のある教員の勤務の状況と課題-海外での研究動向を手がかり
に-神戸大学大学院人間発達環境学研究紀要 9(2), 115-123.
福島哲夫(2016) 臨床現場で役立つ質的研究法,新曜社.
文部科学省(2010)参考資料3,障害者の権利に関する条約(抄).
文部科学省(2020)教育委員会における障害者雇用に関する実態調査,国立教員養成大学・学部における障
害のある学生の支援に関する実態調査.
脇中起余子(2009) 聴覚障害教育これまでとこれから,北大路書房.


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。

〈2021.9.21 会員から〉
森 壮也 ジェトロ・アジア経済研究所

 障害のある教員、特にろう・難聴教員とそれ以外の聴教員との間での問題を「言語・コミュニケーション面」と「行動面」に特に注目して、ある聴覚特別支援学校での調査を元にまとめられたものかと存じます。興味深く拝見させて頂きました。

① 聴覚特別支援学校での状況という意味で、ここで得られた知見はどのくらい一般性を持つと思われますか。この学校では、ろう・難聴教員は3名と少ないようですが、関東ではそうした教員が10名以上と非常に多い学校や教頭に手話を使う当事者の教員がついている学校があることはご存知かと思います。そうした学校と当事者教員が少ない学校で感じられている問題に違いがあるかどうか、どのように感じておられますでしょうか。

② Deafhoodということばをご存知かと思います。イギリスのパディー・ラッドが提唱した概念で、日本では宮城教育大学の松﨑丈先生が熱心にこれをろう教育に取り込むにはどうしたら良いかという研究と実践をされておられますが、こうしたろう者の特性を非常にポジティブに捉える見方では、ディスコースが重要視されます。今回の調査で先生方から出てきた回答や発言というのもこのディスコースになります。今回の調査では、そうしたディスコースのあり方については意識的には分析されておられないかと思いますが、当事者の語りを重視する障害学的には非常に重要な観点かと私は思います。Deafhoodを念頭において、今回の分析結果を見直すとより興味深い分析が得られるのではないかと思います。

〈2021.9.27 報告者から〉
森 壮也 様

 ご質問ありがとうございます。また、障害学的な観点からの分析についてもアドバイスをいただき大変感謝申し上げます。
 質問につきましては、コミュニケーションの面から回答させていただきます。

①-1
聴覚特別支援学校での状況という意味で、ここで得られた知見はどのくらい一般性を持つと思われますか。

⇒一般社会において、ろう・難聴の方々と関わる機会は少ない状況だと思いますが、コミュニケーションについては、世代間で差があるように感じています。高齢の方は「手話ができないから話せない」と戸惑う様子を見かけることがありますが、若年の方は「どうすればいいですか」と尋ねて、筆談や携帯電話のメモ機能等を活用したやりとりができる場面が増えているという話を聞きます。簡単なやりとりについては、いろいろ情報があることを理解し、道具の活用も定着しつつあるのではないかと思います。

①-2
ろう・難聴教員が10名以上と非常に多い学校や教頭に手話を使う当事者の教員がついている学校と当事者教員が少ない学校で感じられている問題に違いがあるかどうか、どのように感じておられますか。

⇒人数も関係があると思われますが、当事者教員間のコミュニケーションのあり方の違いにもよると思います。現在、全国の聴覚特別支援学校で使われている手話は日本語対応手話や中間的手話と言われるものが中心となっています。そこに勤務する当事者教員間でもコミュニケーション方法(日本手話や中間手話、難聴の場合は音声と文字など)が異なっていることが考えられるため、問題は同様にあるのではないかと考えています。しかし、日本手話で授業を実施している聴覚特別支援学校においては、ろう者の第一言語である手話でのやりとりが日常的に行われているため、今回、私が挙げている問題についての差異は少ないのではないかと考えます。

② Deafhoodという言葉については聞いたことはありましたが、その言葉の意味や捉え方について深く考えたことはありませんでした。Deafhoodを念頭においての分析やろう教育のあり方についても検討していきたいと思います。


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