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身体障害があるダンサーの自己アイデンティティーと踊る身体の獲得

-義足のダンサーとして活動する森田かずよの一例―

森田加津世


第1章 研究背景・問題提起
 近年日本では、障害者の芸術表現活動は多様な展開へと広がり多様な展開をみせてきた。メディアなどにも取り上げられ、多くの人々に注目されるようになった。元来、障害者の表現活動は美術分野が主であったが、ダンスや音楽、演劇など舞台表現の分野へも大きく広がったのである。そして障害者の表現活動がもたらす意義や成果が着目されるようになってきた。障害者の活動といえば、福祉施設などによる余暇活動が主であったが、1990年代からは各自治体での取り組み、あるいはアート支援を実践する特定非営利活動法人、さらには芸術家自身が企画する活動など、多様になってきたというのが筆者自身の感覚と経験からも実感できる。
 2021年8月24日に開幕された、2020年東京オリンピック・パラリンピックも大きな要因となったといえるであろう。パラリンピックには特にダイバーシティ(多様性)を尊重する視点が含まれたことは大きな進展であった。開会式においても、多数の障害のあるダンサーが出演し、話題となった。
加えて、2018年6月には障害者による文化芸術活動の推進に関する法律が公布・施行された。
 障害者の表現活動では、造形・絵画など美術の分野が先鞭をつけるが、現在ではより広範な領域から障害者の活動をとらえ分析する方向へと研究が変わりつつある。先行研究では、「美学」の系譜をたどり障害者の芸術表現の形成を述べた田中みわ子(注1)の論文が傑出しているとおもわれる。また舞台表現全体、特に障害当事者だけでなくそれを取り巻く人を含めた共犯性を表した長津結一郎 の論文(注2)も見逃せない。
 障害者活動をより広範囲な領域から眺める。それは動きのある身体の表現として、ダンスや演劇が考えられる。舞踊においては視聴覚を含め、特別支援教育現場でのワークショップや創作での事例分析(注3)や教育、コミュニケーションの視点での分析(注4)がいくつか見られる 。しかし、筆者の勉強不足もあろうが、当事者の身体感覚に着目したものや「健常/障害」といった差異に触れる論文は余り見受けられないとおもわれる。
 貫成人(ぬきしげと)(1956-)は哲学者・現象学者でありダンス評論家でもある。彼は障害のある人のダンスについて以下のように解説する。「イギリスの障碍者カンパニーである『カンドゥーコ(注5)』などでは、さまざまな障碍者が健常者のさながらの演技を披露し、それはそれで感嘆に値する。だが、ハンディキャップをもった者が健常者にはできず、ハンディキャップをもった者にしかできないことが見落とされる可能性がある(注6)」
 カンドゥーコは車椅子を操作して踊るダンサーや片腕、片脚がないダンサーが存在し、健常のダンサーと共に作品創作を行っているカンパニーである。貫の述べる「このハンディキャップをもった者にしかできないこと」とは一体何を意味しているのか。健常者のダンスと障害をもった人のダンスには明らかに違いがあるだろうが、それを同じ俎上で講評することは可能だろうか。
 障害のある当事者から見るとダンスとはどのようなものなのか。実際に障害のあるダンサーは何を規範とし、踊り、身体を見せるのだろうか。障害のあるダンサーが、自身の障害を含めた身体差異に向き合いながら、障害のある人というアイデンティティーを享受し、どんな身体性を目指し、作品創作へとつなげていくのか。美しくて強くて健康的な身体が規範とされていることが多いダンスの世界において、障害のある身体はどんな身体を示すだろうか。
 今回の発表では筆者の実践から障害者としてのアイデンティティーを獲得しつつ、表現に昇華するプロセスを追う。

第2章 事例研究『アルクアシタ』ができるまで
第1節〈森田かずよ〉というアイデンティティーの形成
 筆者は先天性脊柱後側側弯症、右肋骨3本欠損、胸郭変形、右手裂手、右内反足、胸髄膜瘤、慢性呼吸不全、二分脊椎症、右足脛骨欠損の身体的な部分のほかアーノルドキアリ、脊椎空洞症の神経系統の障害がある。複合的な障害をもつ(注7)。
 現在は、右足大腿部からの長下肢義肢装具を装着し、一日のほとんどの時間、義足を装着して生活している。義足を装着しているときは二足歩行が可能であり、自身の体重は均等ではないが2本の足によって支えられている。義足を外すと立位は不可能である。歩行時には、2本の腕と2本の脚(膝)によって這うような状態で移動する。
 肺活量の低下により、12年前から外出時においては簡易電動車椅子を使用するようになった。
 筆者の幼いときから、母は障害についてこんなことを繰り返ししゃべった。
 あなたと私は別々の人間です。私は親だけど健常者です。私は障害児を持った母親の悲しみや苦しみはわかるけど、障害を持っているあなたの苦しみや悲しみはわからないと思う。二人の個性はまったく別個のものです(注8)。
 また幾度となく「森田加津世は森田加津世であって、森田加津世以外の何者でもない」と、上記にあげたような複雑な障害をすべて持った人間が〈森田かずよ〉なのだと教えられた。こうして筆者は、障害者というより障害のある身体を持つ個人としてのアイデンティティーを形成するように仕向けられたように思う。母はよく一種一級ではなく特級だともいった。自虐的ではなく、ちょっとしたユーモアも含めさせて。
 高校2年生の時にミュージカルに魅了された。それは宝塚歌劇の『ブラックジャック』と音楽座の『泣かないで』の二つのミュージカルだった。自分自身で表現することへの興味が湧いた。芸術大学への進学を希望するが、障害を理由に「学部の趣旨がわかっていらっしゃるんですか」と、受験そのものを拒否された。筆者は後に認識したのが、それは「初めて自分が障害者だと思った」ということだったとおもう。
 この芸術系大学で入試拒否という門前払いを経験して、障害者の状況に疑問を抱き始めた。障害者がなぜ健常者が経験する舞台表現に参画できないのか。それは障害者の権利を阻害しているのではないか。でもこの時、この身体ではダンスを踊ることは無理だと考えていた。理由はその当時、障害のある人が踊っている姿は劇団態変のみで、ほとんど見かけることがなかったからだ。海外では車椅子ダンスが登場し始めていた。といった情報を知るのみであったことにもある。1995年のことである。
 大学進学後、大学内部の演劇部にはいり、おそるおそる演劇活動をはじめる。19歳の時より大阪ミュージカルスクールSTAGE21にて台詞のレッスンを受け、その翌年よりジャズダンスのレッスンを受け始めた。ダンス入会時には「1週間待って欲しい」といわれたが、入会が許可された。健常者と呼ばれる人の中で障害のある身体を持つ人は筆者のみであった。
 健常者の踊るダンスの様式に全くついていけなかったと思う。真似をするのが精一杯だった。それでも障害者を受け入れてくれるダンス教室はここしかないと思っていたが、楽しかったのは事実だ。
当時は、健常者の身体との比較のみだったが、より自分の身体らしさを模索するために様々なジャンルへと手を伸ばした。2年後に車椅子ダンスを経験したが、車椅子ダンスの限界も知った。
 障害者のダンスに対する視野が大きく広がったのは、2001年当時、来日していたウォルフガングシュタンゲ(注9)のワークショップを受講したことである。ダンスが型にはまらないこと、ジャンルや型ではなく自由に踊ることを教わった。筆者の感覚では舞踊の型をそのまま自分の身体に習得することは難しい。しかしこのようにとらえることもできるのではないか。それぞれのジャンルの型を学んでいくということは、たとえると、サイボーグが身体の部位を一つずつ装着していくような感覚でもあるのだ。
 つまり全体としてフィットすることはないが、身体をバラバラの部分として捉え、部分、部分を習得していく。また他者の身体でなされた動きを自分の身体に引き寄せ、後に自身の身体で解釈するスキルを身に着けていくである。ただこれには難点がある。それを習得するには時間を要することである。しかしさまざまなワークショップやレッスンで学んだことは、後述する自身のソロ作品製作やプロジェクトへの参加などにも大きく影響を及ぼしたことは間違いがない。
 次に示したいのが、2006年のDance Circusへの参加である。筆者が初めて自分で振付を行い、ソロ作品を創作したからである。
 そのころの創作過程は、未熟で身体がついていっていないというか、はじめに漠然としたテーマを頭に描いたり、音を決めたりという過程を踏んでいた。そこに自分の身体を当てはめていくような行程であった。まだ自分の身体構造を理解しきれていなかったため、頭に描き表現したい身体が、自分の身体ではなく、追いついていない状態だったのである。言うなれば〈表現するために表現〉していたに過ぎない。
NPO法人ダンスボックス、エグゼクティブ・ディレクターの大谷燠は、後日、このソロ作品の印象を「モダンダンスのようだ」と答えている(注10)。なにかを演じ、なにかになる、イメージをつくらないと身体を動かすことが出来なかったのだ。

第2節 循環プロジェクト
 大きな変革があったと実感するのは、2008年より始まったNPO法人DANCE BOXが主催する「循環プロジェクト」への参加であった。
 このプロジェクトは障害のある美術・ダンス・音楽の3つに分かれ、それぞれのナビゲーター(美術/川井ミカコ、ダンス/砂連尾理、音楽/スカンク)と障害のある人が共に作品をつくっていくものだった。筆者は2年にわたりこのプロジェクトに参加し、すべての公演に出演することができた。
 「循環プロジェクト」の根幹になる言葉を大谷燠が残している。

「障がいのある人・ない人の境界線を、舞台を通じて、どのように越えることができるかという試みです。私たちは<差異>ということを自然に受け止め、優劣という物差しではなく独自性として発見できるように、孤立している人々や状況に橋をかけ、幾重にも循環していくような関係性をつくり出したいと考えます」(注11)

 このプロジェクトでは最初から振付があるわけでもなく、最終的に何かの目的を達成するのでもない。「プロセスの中で作品を立ち上げていこうという双方的なやり方」であった。自分たちの表現をどのように見つけるのかを、とことん対話を通して向き合っていった。
 この循環プロジェクトにおいて筆者はナビゲーターである砂連尾と何度も衝突した。考えられる理由の一つは、筆者が自身の身体と表現したいものとの齟齬に違和感がありながらも、「ダンスはこうであるもの」といったステレオタイプ的な固定観念を抱いていたことにある。
 またその当時、砂連尾自身も今まで関わってきた文脈とは違う身体との出会いと共にその身体に惹かれていったこととも重なるだろう。砂連尾はこの葛藤について彼の著書で語っている。

 「自分がどうしていいかわからないと思える場で、自分の身体でその場の一切を引き受けて、その時間を生きることだった」(注12)

 幾度となく「頭から動いている」「毎回同じことはするな」と言われ続けた。この期間は、今この身体で相手や空間とどう向き合い踊るのかということを模索し続け、「踊る」という行為自体をとらえなおす時期であったといえる。
 その後、創作したのが「アルクアシタ」である。

第3節「アルクアシタ」の創作動機
 2年間の「循環プロジェクト」を経て、筆者自身のソロ作品として創作したのが2012年に上演した『アルクアシタ』である。
 この作品においてはそれまでとの創作過程が大きく変化した。
まずテーマを設定し、それに関わるような動きをいくつも並べて、パズルのように組み合わせながら繋げるようにしたことである。
 『アルクアシタ』の創作過程については、長津が筆者のインタビューをした。そこで筆者はこの作品の着想を以下のように述べている。引用したい。

「私、人間がいちばん最初に人間として認められることって、立つこと、歩くこと、喋ることじゃないかな、って思ったんですよ。じゃあ車椅子を含め、立てない、歩けないっていうことは人間にとってどういうことなんだろう、って思ったんです。私の友人で(その人も)二分脊椎症なんですが、小学校の時に訓練に通うんですね。リハビリとか。幼稚園くらいのとき。つまり「一歩でも歩けたら親やその子にとって歩けたということが残る」っていうんですよ。それてすごくエゴイストな考え方だと思っていて、それだけの時間を使って、もちろん機能的にいいことはあるかもしれないけど、それくらい「歩く」って、人にとっては幻想的というか、そういうものなのかな、と(注13)」

 この製作期間の直前から、筆者は肺活量の低下により車椅子を使用しはじめた。車椅子を使用して歩くこと、義足で歩くこと、義足を外してから歩く(這う)こと、筆者の身体において3つの歩く行為が存在し、3つの身体性が生まれたことも、この作品の創作へと駆り立てた。

第4節 球体人形作家との出会い
 『アルクアシタ』の創作過程と並行して、もう一つのプロジェクトが進んでいた。
筆者は、自身の身体をより深く考察したいという欲求を抱いていた。そのひとつが、球体人形作家の井桁裕子との出会いである。
 『アルクアシタ』の創作過程でいろいろな疑問が噴出してきた。
「なぜ自分は踊るのか」「他者が踊るのと全く同じ動きが出来ないし、見えない」「自分の身体は人からはどう見えるのか」「身体が曲がっていることを私自身がどう認識すればいいのか」「360度自分の身体を見てみたい」などなど・・。
 自分の身体を見てみたい。ダンスにおいても、自分のイメージする身体と実際の自分の身体を一致させる必要を感じ、どうしたら自分の身体を3次元的にとらえられるのかを考えた。
それなら私自身のフィギュアを作ろう。

「人ってやっぱりだいたいの身体っていうのを想像できると思うんですよ。みんな筋肉の違いや骨格の違いはあるけれど、だいたい大まかにこんな身体だろうなって、後ろ姿とか横とか。想像が出来ると思うんですけど、私は全く出来ない。ダンスレッスンでも先生の動きを見て自分の身体にトレースすることが出来ない(注14)」

 『片脚で立つ森田かずよの肖像』という作品創作へと繋がった。制作期間は3年にわたった。こののち、このフィギュアはあちこちの場所でお目見えすることになった。
 しかし、出来上がった作品を見ると、自身の身体とは違ったものように感じられた。確かに姿は筆者の身体の形状ではあるが、全く別物としてしか見えなかった。人形独特の肌の質感や妙に冷ややかな眼球の光彩などがそう思わせたのかもしれない。井桁自身、髪型などをリアルにしすぎず人形らしさを醸し出した、と言っている。出来上がった人形は、あくまで井桁裕子の球体人形作品として完成しており、筆者自身の身体と同一視することはできなかった。その理由は未だ言語化できない。これに関しては創作経緯と共に、今後より論考を深めたい。

図2-1 井桁裕子『片脚で立つ森田かずよの肖像』2015年

第5節「アルクアシタ」の公演履歴と身体の変化
 『アルクアシタ』は2012年2月奈良県障碍者芸術祭「鹿の劇場」にて上演された。
 
今確かにここに「アル」、私が、歩くのは「アシ」で?
どこに向かって歩くのか。向こうへ、明日へ、未来へ。(注15)

(図表を含むワードファイルをダウンロードする)
図2-2 『アルクアシタ』公演写真1
図2-3 『アルクアシタ』公演写真2
公演映像リンク

図3-3 『アルクアシタ』公演動画リンクQRコード

 『アルクアシタ』は2012年の初演を経て何度か再演された。

表2-1『アルクアシタ』公演履歴

 再演にあたり全体構成に大きな変化はないが、2018年より自身の身体の状態変化により最後の立ち上がりが床からではなく、椅子を持っての立ち上がりに変更を余儀なくされた。

結論
 今回の発表では筆者の実践した事例研究である「アルクアシタ」という作品を取り上げ、創作プロセスにおける自身のダンスに対する意識変化を追った。筆者自身の障害者として、ダンサーとしての身体感覚の獲得に努めたこと、また自分の身体でしかできない作品を追求したプロセスを説明した。特に『アルクアシタ』の創作は、筆者にとって障害のある身体としてのアイデンティティーの獲得と共に、自身の身体経験が作品創作に大きく影響を与えた画期的な作品である。このように舞踊創作においては、自身の障害や身体受容は大きく影響すると考えられる。
 今回は先天性の身体障害者の一例のみを取り上げたが、障害のあるダンサー自身が「規範的身体」について問いながら、どのように表現していくのか、今後はより多数の、多様な身体を持つダンサー創作の場での質的研究を進めていきたい。


1) 田中みわ子「障害の身体におけるコミュニカビリティの研究:芸術と日常の実践を中心に」筑波大学博士(文学)学位請求論文、2014
2) 長津結一郎「舞台の上の障害者-境界から生まれる表現-」九州大学出版会、2018
3) 佐分利育代「知的障害児のダンス学習」鳥取大学教育学部研究報告 『教育科学』第 35巻第 2号、1993
4) 茂木一司「聴覚障害児とのダンスワークショップ」『群馬大学教育学部紀要 芸術・技術・体育・生活科学編』第 50巻、2015
5) 1991年、セレステ・ダンデガーとアダム・ベンジャミンにより設立。身体障害のある者とない者とが本当の意味で融合する手段としてのダンスの可能性を探り、ダンスと障害にまつわる固定観念に挑戦
6) 貫成人「ヌードを脱ぐ。”男”を捨てる」『シアターアーツ』10号、1999
7) 大阪医科大学整形外科および森ノ宮病院泌尿器科各主治医による経過報告書(2019年6月13日付)
8) 森田登代子「はじけてダンス-重度障害者の娘と共育ち」小学館、2006、8頁。
9) ダンス教師、振付家、演出家、アミキ ダンス シアター カンパニーの創設者。これまでダンスとは認められなかった障害を持つ人たちの身体の動きの中に美を見出し、共にダンスをすることによって、芸術のレベルへと高めていく「ダンス・ダイナミクス」という彼独自の哲学を提唱
10) 長津結一郎が大谷燠におこなったインタビュー(2012年7月23日)『舞台の上の障害者』より引用
11) 循環プロジェクト「≒2(にあいこーるのじじょう)」上演パンフレットより掲載 2008年4月28日・29日上演
12) 砂連尾理「とつとつダンス」昌文社、2016、69頁
13) 長津結一郎が筆者に行ったインタビュー(2012年4月23日)長津結一郎『舞台の上の障害者』2018、110頁
14) 井桁裕子個展開催時における筆者とのトークショーでの発言(2015年9月26日 会場:ギャラリー「ときのわすれもの」)。
15) 2012年2月2日上演 奈良県障害者芸術祭「鹿の劇場」プログラムより。筆者の文章記載


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。


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