質疑応答は文章末です
自由報告一覧に戻る


統合教育における障害児いじめに関する一考察
――28歳で小学校に入学した脳性マヒ者・八木下浩一のいじめ観を通して

増田洋介(立命館大学大学院先端総合学術研究科)


1.はじめに
 統合教育について語られるとき、障害児に対するいじめがしばしば問題にされる。いじめに遭うのではないかという理由で普通学級への就学をためらう障害児の親も多く、また就学相談や療育機関などで、いじめに遭うから普通学級に入れるのはやめたほうがいいと言われる例もある(千葉県 2005; 障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク 2012: 1; 障害児を普通学校へ・全国連絡会 2008: 136-7)。しかし、障害児はいじめに遭うから普通学級に行かないほうがいいという論理は、いじめはいじめられる側に問題があると言っているのに等しい。これでは、いじめの根本的な解決にはつながらないだろう。
 その一方で、統合教育を推進しようとする立場の一部には「いじめもまた共生のプロセス」であると主張して、いじめを肯定する者がいる(斎藤 1988: 349)。彼らは自らの主張や運動を「共生・共育」と呼び、障害児を養護学校や特殊学級へとくくり出す制度や考え方に抗ってきた。そして、「共生・共育」の運動が弾圧されているという現状認識のもと、「ひとりひとりの(子どもから大人への)『発達の保障』を優先するのか、それとも、まずは今、ここの(大人と子どもの、そして子ども同士の)『相互関係の創造』に賭けるかの二者択一をせまられている」と考えた(篠原 1986: 2) [1] 。そのうえで、普通学級も支配や排除が存在する空間ではあるが、こうした支配や排除とせめぎあうことでしか「共生・共育」は成り立たないとの論理を展開した(篠原 2011: 96-7)。「いじめもまた共生のプロセス」であるという発想は、その延長線上で出てきたものであった。
 このような発想に対しては、同じように統合教育を推進しようとする立場の中からも、「反差別・抑圧運動から生まれてきた共生概念に、めざすべき価値としての意味はないのだろうか。こうした言い方では、隔離や分離への批判はできるとしても、そうでない関係の中での差別や抑圧への批判にはなりえない」(嶺井 1996: 35)といった疑義や、「いじめや差別や無視があれば、そのことに対してきちんとした対応をしていかなければならないし、子どもたちがより良い関係をつくっていくことができるように……努力することはおとながやらなければならない」(堀 1996: 109-10)といった異論が呈されてきた。
 深刻ないじめによって尊厳が傷つけられ、挙句の果てに自殺や死亡に至る多くの子どもがいる以上、いじめ問題は克服すべきものとして取り組まれなければならない [2] 。しかし統合教育に関していえば、障害児がいじめを受けないようにしようとするあまり、他の子どもとの間に何の葛藤も生じないような関係になったとしたら、障害児がただ普通学級にいるだけの上っ面なものになってしまう。それでは、どのように考えればよいのだろうか。
 本報告では、1970年に28歳で小学校に入学した脳性マヒ者である八木下浩一のいじめ観を通して、統合教育における障害児いじめについて考察する。八木下は学齢期、障害が重度であることを理由として就学猶予になったが、いつかは近所の学校に行きたいと考え続け、学区内にある小学校の普通学級に入学を果たした。のちに八木下は、全国障害者解放運動連絡会議(全障連)結成の呼びかけ人となり、養護学校義務化が施行された1979年には代表幹事として阻止闘争の最前線に立った。障害者運動を担う中で全国各地を飛び回ったが、その一方で地元の街で生きることにこだわり続けた。
 統合教育をめぐる議論が専門家や教師、障害児者の親を中心として行われてきた中で、八木下は普通学級に入学した本人として議論に加わった。普通の学齢期の小学生と違い、八木下は社会経験を積んだうえで小学校に入学したので、学校生活を送りながらその学校空間を相対視することができた。彼が主張した内容をみていくことは、本報告の主題について考察するうえで一定の意義があるだろう。
 なお、本報告における統合教育は、「障害児と健常児の共学を基本とする教育形態」(堀 1997: 379)のことを指す。

2.先行研究の課題
 前述のとおり、八木下は1970年に28歳で小学校に入学した。障害児の普通学級就学運動の先駆者と称されており、また、大人になってから小学校に入学した障害者という点でも特徴的な存在である。それにもかかわらず、八木下について真正面から取り上げた研究はほとんどない。障害児の普通学級就学運動を論じている研究は大量にあるが、八木下の就学についてはせいぜい歴史上の出来事として軽く触れられるのみである。
 そうした中、唯一みられる論考として教育学者の小国喜弘によるもの(小国 2019)がある。小国は、まず八木下が施設や養護学校をなぜ拒否したのかについて述べ、次に八木下が小学校で体験したことは何であったのかについて考察している。そして後半では、八木下と近い関係にあった者が名づけた「地域モデル」という概念(山下 2010: 13)を紹介した後、八木下が考えていた普通学級のイメージは「地域モデル」であったと結論づけている。小国の要約によれば、「地域モデル」とは「人と人とのどうにもならない関係が具体的に重なる中で編まれていく『しがらみ』」の「編み直しとして障害者運動を考えていくこと」であり、また「地域モデル」における「共生」とは「単に仲良く暮らすことではなく、『あたりまえに差別を受ける』ことであり、様々な『しがらみ』を編み直しつつ『ぶつかりあいながら一緒にやる』こと」であるという(小国 2019: 47)。そして小国は、八木下が「仲間だからいじめるのじゃないかと思う」「養護学校の一番悪いところは障害者がいじめられないということだと思う」(竹沢・八木下・平野 1979: 61)と述べていることを根拠に、八木下の考え方が「地域モデル」であったとしている。
 しかし八木下は、別のところでは「普通の子ども達が障害児をいじめる傾向が多くなっています」としたうえで「弱い者をいじめることは、認めたくありません」(八木下 1983: 160)とも述べており、これは「地域モデル」の考え方とはいくぶん異なる。また、そもそも八木下自身が「地域モデル」を提唱したわけでもない。八木下の考えが「地域モデル」であったと結論づけるのは、いささか早計なように思われる。

3.八木下によるいじめに関する記述
 八木下のことについて論じるのであれば、八木下自身が述べている内容を丹念にみていく必要があるだろう。本節では、八木下がいじめに関して述べている文章について、年代順に拾っていく。

3.1 『わたしの30年間』(1972年)
 八木下が小学校に就学してから2年目の冬、それまでの動きをまとめたガリ版刷りの冊子(八木下ほか 1972)が作成された [3] 。この冊子の中で八木下は、子ども時代に受けたいじめについて語っている。同年齢の子どもが中学生や高校生だった頃、「午後になると、学校から帰ってきた年下の仲間を集めて……野球をやったり、ビー玉やメンコをしたりした」が、「だいたい同じ年あるいは、それ以上の連中はオレをバカにして相手にしなかった。ひどいやつになると、遠くから石を投げたり悪口をいったりした」「いじめっ子が石をなげつけ、それが頭にあたることもあった」という(八木下 1972: 5-6)。
 また、この冊子には八木下の母親の文章も載せられている。母親は、「時々遠くからいじめに来る子がいたんです。そんな子をみかけるとわたしはいじめっ子を追いかけ、時にはその子の家までどなりこんだこともありました。だって浩一がかわいそうでしたから」と当時を振り返っている(八木下とく 1972: 11)。

3.2 「普通学級五年生になった和恵ちゃん」(1979年)
 『季刊福祉労働』第4号に掲載されたこの文章は、八木下と小学5年生の子どもと大人1名による対談形式で構成されている。車いすを使用している小学生の和恵ちゃんは、同級生の男の子が「ぶってきたりする」から嫌だと言い、また隣に座っている男の子からも「テストの時に見ていないのに見たとか言って文句をつけ」られると話す。その一方で、勉強でわからないところがあった時には、その男の子が「教えてくれた」と話している(竹沢・八木下・平野 1979: 51-3)。
 また、この文章の終盤では次のような会話が行われている。八木下がもう一人の対談者である平野さんに「たとえばあなたの子が和恵ちゃんに向かってビッコとか言ったらどうしますか」と聞き、平野さんが子どもをぶんなぐると思うと答える。それに対して、八木下は「僕はおかしいと思う。だって正直なんじゃないの」「怒っちゃだめだと思う。仲間だからいじめるのじゃないかと思う」と言う。そして八木下は「養護学校の一番悪いところは障害者がいじめられないということだと思う。和恵ちゃんがいじめられていやだと言っているが何故嫌なのか、また養護学校の中で嫌だということは感じないことじゃないか」と話す。それに対して、平野さんが「そうね。こないだ養護学校の中で友達同士で遊ぶのと聞いたら、重度の子は全員で遊ばないんだって、中度の子は手が動いても言葉がでないとか、その子によって状態が違うから友達同士で交流するということはないみたいよ」と返し、八木下が「だから交流がないからケンカもしない。いじめることもされない。だから和恵ちゃんのようにいじめられることが嫌だよ、ということも養護学校の子は感じない」と言っている(竹沢・八木下・平野 1979: 61-3)。

3.3 『障害者殺しの現在』(1981年)
 八木下は2冊の単著を出している。そのうちの1冊である『障害者殺しの現在』の中で、八木下は「地域社会と学校は相互関係があるのではないかと思っています。しかしながら養護学校にとって、地域社会はないと同じです」と言う。そして、「普通学級に通っている子ども達は、いやがおうでも地域社会の中でもまれなければなりません。そこでは、いじめられる関係とか、かばってくれる関係とかがあります。あの子は好きだとかこの子は嫌いだとか、同じ障害児の中でも普通学級に行った子どもは、見る目を養なえる関係が自然とできます」と述べている(八木下 1981: 72)。

3.4 『季刊福祉労働』連載(1981~1986年)
 八木下は、1981年から1986年にかけて『季刊福祉労働』誌で連載をもっている。1983年6月発行号で、八木下は「普通の子ども達が障害児をいじめる傾向が多くなっています。どうしてそんなことが起こるのか、またどうやって、対処していくのかが今後の課題です。私はこういう校内暴力や弱い者をいじめることは、認めたくありません」と言い、「障害児がこれから普通学級の中でどうやって位置づけられていくのか。なぜ、普通の子どもたちが障害児をいじめるのか。またそれをいかにエスカレートしないように抑えるか。根底にひそんでいる問題を考えていくことが私たちの課題です」と述べている(八木下 1983: 160、改行省略)。
 また1986年9月発行号では、健常児が障害児をいじめることについて「やっと普通の学校の中で、障害児が人間あつかいされようとしてきているのだと思います。今まで障害児は、いじめの対象ですらなかった。かわいそうな障害児、変な障害児ということで無視され、お客さん扱いされてきたわけです」と述べている(八木下 1986: 86)。そして、「障害者であろうと、普通の人であろうと、温室の中で暮らしていては差別には気づかない」から「そういう意味で、障害児が普通学校の中でいじめられることはいいことだ」としている。しかし、そのいじめには限度があるとして、「例えば身動きのとれない車椅子の障害児が、よってたかってぶったり、けったりされるというのは、もはや”いじめ”ではなく、リンチ、暴力だと思います。限界をどこでどう見定めるのか、周囲の大人が子ども同士の関係、いじめの中身を見る眼をもつべきだと、私は言いたいのです」と述べている(八木下 1986: 87、改行省略)。

4.考察
 前節でとりあげた記述をもとに、八木下のいじめ観について整理する。
 八木下は子ども時代、同じ年やそれ以上の年代の子から悪口を言われたり石を投げられたりした。しかし、母親がそれを見つけるといじめた子を追いかけ、時にはその子の家までどなりこみに行った。八木下がいじめられた時には、母親が助けてくれるという関係があり、ただ一方的にいじめられて終わりということではなかった。
 小学5年生の和恵ちゃんは、男の子からいじめられて嫌な思いをすることもあるが、勉強でわからないところがあるとその子から教えてもらっている。普通学級では障害児であっても他の健常児との関係の中で揉まれ、いじめられて嫌な思いをすることもあるが、それと同時にかばってくれる関係がある。しかし、養護学校の中ではそうした関係が生まれないと言い、それが養護学校の悪いところだと述べている。一方で、八木下は「普通の子ども達が障害児をいじめる傾向」について「認めたくない」と言う。ただ一方的に障害児が健常児からいじめられる関係については、八木下は否定的なのである。
 八木下は「障害児が普通学校の中でいじめられることはいいことだ」と述べているが、それは「障害児が人間あつかいされてきている」証拠だからであるという。それまでの「かわいそうな障害児、変な障害児ということで無視され、お客さん扱いされてきた」状況は、いわば障害児が「温室の中」に入れられているようなものであり、それはつまり健常児と対等な人間として障害児を扱っていないというのである。また八木下は「身動きのとれない車椅子の障害児が、よってたかってぶったり、けったりされる」ようなものは、いじめではなくリンチだとしている。すなわち、そのような激しい暴力をふるうことは、もはや人間扱いしているとはいえないと考えているのである。
 そして八木下は、いじめの限度について見定める眼をもつことが大人には必要であり、エスカレートするのを抑えることが大人の役割であると述べている。さらに、健常児が障害児をいじめることの根底にある問題を追求することが必要であり、それが自分たちの課題であると述べている。
 以上、八木下のいじめ観について整理した。ここから、統合教育における障害児いじめがかろうじて許容できる要件として、以下の3点が抽出できる。1点目は、ただ一方的に障害児がいじめられるのではなく、いじめられることとかばわれることの両方が含まれる関係が存在していることである。2点目は、障害児が他の子どもと対等な人間として扱われる関係が維持されていることである。そして3点目は、以上2点が守られているかどうかが周囲の大人によって見定められ、もし守られていなければ是正される状況が存在していることである。

5.おわりに
 本報告では、八木下のいじめ観を通して、統合教育における障害児いじめについて考察した。そして、障害児いじめがかろうじて許容できる要件を3点抽出した。この3要件は、ある意味ありきたりなものに見えるかもしれない。しかし、このようなありきたりなことすら、統合教育をめぐる議論の中ではコンセンサスを得られていないということでもある。統合教育をめぐる議論の混沌さについて、さらに詳細に検討することを今後の課題としたい。

[1] 大雑把にいえば、このような二者択一的な考え方をしたのは東京の論者が中心であった。それに対して、大阪の論者は「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」と考えなければ「子ども不在、障害児不在の論争に堕してしまう」(宮崎 1991: 127-9)といった立場をとり、東京の論者としばしば論争を繰り広げた。また、東京近辺の統合教育推進論者の中にも、「『教育=共育』などという語呂合せで何か気の利いたことを言ったつもりになってる人々がいる」(斉藤 1981: 18)などと痛烈に批判する者もいた。
[2] このことは、2013年に施行されたいじめ防止対策推進法で、国や自治体、学校、各教員に責務として課されている。いじめ防止対策推進法は、超党派による議員立法として成立したものであり、その策定過程では「ストップいじめ!ナビ」などのNPOも積極的に働きかけを行った(荻上 2018: 246)。
[3] この冊子は全編手書きであったが、翌年の1973年に活字化された冊子が「複製版」として、りぼん社から出版された(八木下ほか 1973)。

文献

千葉県,2005,「条例制定当時に寄せられた『障害者差別に当たると思われる事例』(教育)」,千葉県ホームページ,(https://www.pref.chiba.lg.jp/shoufuku/iken/h17/sabetsu/kyouiku.html).
堀正嗣,1996,「これからの『障害児教育』――『共に生きる教育』をもとめて」『ノーマライゼーション研究 1996年版年報』,pp.107-121.
――――,1997,『新装版 障害児教育のパラダイム転換――統合教育への理論研究』明石書店.
小国喜弘,2019,「大規模施設も養護学校もいらない――八木下浩一・『街に生きる』意味と就学運動」小国喜弘編『障害児の共生教育運動――養護学校義務化反対をめぐる教育思想』東京大学出版会,33-52.
嶺井正也,1996,「共生共育論の系譜と課題」嶺井正也・小沢牧子編『共生・共育を求めて――関わりを見なおす』明石書店,16-39.
宮崎隆太郎,1991,『障害児とともに学ぶ――子どものこころが見えるとき』三一書房.
荻上チキ,2018,『いじめを生む教室――子どもを守るために知っておきたいデータと知識』PHP研究所.
斉藤光正,1981,「障害者教育運動の現段階と障害者教育の未来像――二つの潮流の破綻とのかかわりで」津田道夫・斉藤光正『障害者教育と「共生・共育』論批判』三一書房,17-45.
斎藤寛,1988,「せめぎあう共生――〈分けない=くくらない〉ということ」岡村達雄編『教育の現在 第二巻 現代の教育理論』社会評論社,331-363.
篠原睦治,1986,『「障害児の教育権」思想批判――関係の創造か、発達の保障か』現代書館.
――――,2011,「『共生・共育』のなかで『教育機会の平等』を考える」宮寺晃夫編『再検討 教育機会の平等』岩波書店,91-114.
障害児を普通学校へ・全国連絡会,2008,『障害児が学校へ入るとき 新版――特別支援教育に抗して』千書房.
障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク,2012,「学校教育における差別体験」,(https://www.zenkokuren.com/infomation/PDFandIMG/sabetsu.pdf).
竹沢和恵・八木下浩一・平野栄子,1979,「普通学級五年生になった和恵ちゃん」『季刊福祉労働』4: 51-62.
八木下浩一,1972,「オレの30年」八木下浩一ほか『わたしの30年間』,5-8.
――――,1981,『障害者殺しの現在』JCA出版.
――――,1983,「あれだけ騒いだ普通学校に障害児が入った」『季刊福祉労働』19: 159-160.
――――,1986,「普通学校でいじめられる障害児」『季刊福祉労働』33: 86-87.
八木下浩一ほか,1972,『わたしの30年間』.
――――,1973,『教育と障害者のこと』りぼん社.
八木下とく,1972,「浩一の30年とわたし」八木下浩一ほか『わたしの30年間』,9-12.
山下浩志,2010,「障害が照らし出す地域――わらじの会の三〇年」わらじの会『地域と障害――しがらみを編みなおす』現代書館,11-76.


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。

〈2021.9.14 会員から〉
鶴田雅英 

 増田さんの『統合教育における障害児いじめに関する一考察』への質問です。
 最初に、増田さんからは障害といじめに関するさまざまなことを教えてもらって、とても感謝しています。
 そして、今回の報告の結語の「統合教育をめぐる議論の混沌さについて、さらに詳細に検討することを今後の課題としたい」という部分に強く共感し期待しています。
 インテグレーションが良いとされた時代からインクルーシブ教育が必要とされるという主張に変わっていった変化の過程が統合教育をめぐる議論の中で十分に議論されているように見えません(私が知らないという面も大きいと思うのですが)。そのような意味でも、「統合教育をめぐる議論の混沌さについて、さらに詳細に検討すること」は問われていると考えます。
 今回の報告での「障害といじめ」をめぐる話も、インテグレーションではだめで、インクルーシブ教育が必要だという議論の中身を深めていくことで、見えてくることが多々あるのではないかと直観しています。

 そのうえで今回の報告についての質問です。
 「障害児いじめがかろうじて許容できる要件を3点抽出した」とあるのですが、果たして、このように整理することが妥当なのかどうか、という疑問です。
 増田さんが「 「障害児いじめがかろうじて許容できる要件」を抽出する背景(あるいは前提)についてですが、やはり「いじめはなくならない」ということがあると思われ、そこは同意するところです。
 そこで、許容できるいじめと許容できないいじめに分けることの意味を考えています。それは要件によって整理するというよりも、その全体像から何が見えるのか、生徒たちにとってそれがどのような行為なのか、学校全体の教育全体の構造とどのように連関しているのか、という観点から、個々に考えることが必要とされているのではないでしょうか? また、それが発生したクラス全体で、いじめを単純に断罪するのではなく、なぜそれが起きたのかを考えられるような取り組みが必要なのではないかと思うのです。この発想は『反省させると犯罪者になります』岡本茂樹著(新潮新書)から得たものです。

参照 https://tu-ta.at.webry.info/201712/article_2.html
https://tu-ta.at.webry.info/201312/article_1.html

 教室は常に揺れ動く生き物だと思います。そこになんらかの要件を取り出して、「これは可、これは不可」と決めるのではなく、常に行為の意味を問い続けるような、少し困難な方法が求められているように感じるのでした。
 そういう意味で、インクルーシブ教育に完成形はないのだと思います。そして、その意味を問うことをやめたときに、その価値はかなり失われてしまうような気がしています。
 私が思うに、必要なのは、常に問題が水面下に隠れてしまわないようなクラス形成、そして、問題が起きたときに、時間をおかずに、すべての関係する大人と子どもが対等に話せるような土壌形成なのではないかと、そのように考えています。
 ここで挙げられた「要件」は、その取り組みの中で考えられるべき大切な要素ではあると思うのですが、そこに囚われてしまうと、動的な存在であるクラスを見失う危険があるのではないかと感じました。
 最初の質問は上記の考え方に、増田さんはどのように考えるでしょう、というものです。ざっくりした質問ですみません。

 そして、今回の報告とは直接的な結びつきはないのですが、とても深くつながっていると私が考える以下について、お聞きしたいです。
 これが今回の報告の主旨から外れていると考えられるのであれば、無視してください。

 先日の小山田圭吾氏の事件を受けて、考えたことをすでに自分のブログに書いたもの
 https://tu-ta.at.webry.info/202108/article_3.html を紹介させてもらいます。

上記に少しだけ加筆しました。
~~~
 小山田圭吾氏の問題。
 その雑誌インタビューで描かれた壮絶ないじめや傷害行為は許されるものではないでしょう。
 同時に、それが『ひどい』と非難することは必要ですが、そこで終わってしまってはダメだと思います。
 じゃあ、どうすれば、そのような行為をなくすことが出来るのか?
 障害児が同じクラスにいれば、必然的に起きるのか? 障害児だけ分けて、支援校や支援級に行けばそれでいいのか? 
 小山田圭吾氏が在学していたのが、共同教育をうたう和光学園だったということが考えるきっかけになりました。
 それを考える過程で知りえたのが、長期間にわたって和光大学の教員であり、いまは名誉教授の篠原睦治氏らの『せめぎあう共生』という考え方でした。それを増田さんのサイトで教えてもらいました。

 「いじめもまた共生のプロセス」との主張とそれに対する批判まとめ

 このサイトのタイトルにあるように、確かに篠原さんは「いじめもまた共生のプロセス」と主張しているのですが、ここで考えるべきは『せめぎあう共生』という考えの方だと感じました。
 何を「いじめ」と呼ぶか、という議論はとりあえず脇に置きます。もちろん、いじめは否定されるべきですが、根絶はなかなか難しい。大切なのは、それをできるだけ常に大人が見えるようにしておくこと。隠さないこと。エスカレートさせないこと。
 いじめをなくすというよりも、いじめを隠さないために何が出来るかを考えることの方が有用ではないかと私は考えています。
 また、2000年頃に和光学園の中学から高校に在籍していたという息子さんが語ったという以下が紹介されている文章にも出会いました。

「和光の奴らは、幼稚部・小学部時代から、障害者に優しく親切に仲良く、、といわれてきた。オレは優しく親切にされるばかりで、いつも『有難う」と感謝しお礼を言うべき立場で皆と対等になれない。ここに居たら対等な関係の友達が作れずダメになってしまう」

田中 多賀子さんによる【小山田氏の和光学園時代のいじめ行為とサブカルチャー雑誌インタビューでの自慢談話の件】 https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=4087612858027263&id=100003357675897 から

生存学研究所の田中多賀子さんのページ http://www.arsvi.com/w/tt16.htm

 ここに『せめぎあう共生』の大切さが率直に表現されていると感じたのです。そして、ここから感じたのは障害者が過度に傷つけられることなく、しかし、普通に人並みに傷ついたりしながら、ある程度安全に『せめぎあう場所』を形成する大切さがあるのではないか、ということでした。
 人と人とのコンフリクトがいじめなのか、喧嘩なのかを決めるのはなかなか難しいと思います。
 その見極めに注力するのではなく、コンフリクトを恐れないこと。それをなくそうとするよりも、それが発生したときにどう表面化させるか、表面化したその事態に対して、おとながどのように介入するか(しないか)、こども同士で解決させるために何ができるのかを考えることが大切なのではないかと思ったのでした。

 私はそんな風に考えました。
 二つ目の質問は、これについては増田さんはそう考えますか? というものです。

〈2021.9.17 報告者から〉
 ご質問いただき誠にありがとうございます。
 まず、私のスタンスについてあらためて述べますと、私はいじめ問題は克服すべきものとして取り組まれなければならないと考えており、いじめ防止対策推進法の基本理念を支持しています。また、何をもっていじめとするかについても、いじめ防止対策推進法第2条に規定されている定義を支持します。
 ただし、これらの基本理念や定義が機械的に適用された場合、子どもたちにとって必要なコンフリクトまで失われるおそれがあります。そこで本報告では、上記とやや矛盾が生じることを承知しながらも「かろうじて許容できる障害児いじめ」というものをあえて設定し、それが存在し得る「要件」について八木下浩一の著述をもとに抽出しました。

 1点目のご質問についてですが、「障害児いじめがかろうじて許容できる要件」という表現が、やや誤解を招くものだったかもしれないと思いました。おそらく鶴田さんは、個々の行為が許容できるものかどうかを判断するための要件と解釈されたのだろうと思います。私の考えをより正確に表現するなら、「かろうじて許容できる障害児いじめが成立するための要素」とでも言うべきだったのかもしれません。
 本報告では、その要件(要素)を3点抽出しました。この3点は言い換えると、(1)相互性があること、(2)対等性があること、(3)可視化され必要に応じて大人の介入があること、といえます。「介入」には「クラス全体で考えられるような取り組み」や「土壌形成」も含みます。私は鶴田さんが仰っているように、個々の行為よりもクラスの全体像や動態を捉えることが大事であるという意見に賛同します。
 ただ現実として、教員間には力量や資質や姿勢に差があり、それは取り組みや土壌形成のされ方に影響します。基本的認識や方向性を共有することは必要であり、あくまでも拙い一試案にすぎませんが、本報告のような要件(要素)を提示することには一定の意義があるのではないかと考えています。

 また2点目のご質問についてですが、本報告の「1.はじめに」で「いじめもまた共生のプロセス」という主張に異論が呈されていることを述べました。しかし異論を呈している彼らも、「せめぎあう共生」という考え方全体を否定しているわけではありません。そして私も同じくです。せめぎあい=コンフリクトと考えれば、いじめを積極的に肯定しなくても「せめぎあう共生」という考え方は成立し得ると考えているからです。
 田中多賀子さんの文章も拝読しました。田中さんの息子さんは「優しく親切にされるばかり」なのは対等な関係ではないと言っています。一方で、陰湿で一方的ないじめが生じているような状況もまた、対等な関係ではありません。対等な関係性を築くために必要なコンフリクトを促しつつ、しかしそれが対等な関係性の範囲内にあるかどうかを見極めることが、大人には必要だと思います。その意味で「障害者が過度に傷つけられることなく、しかし、普通に人並みに傷ついたりしながら、ある程度安全に『せめぎあう場所』を形成する」ことが大切であるという鶴田さんのご意見に、私も賛成します。
 今後とも何卒よろしくお願いいたします。


自由報告一覧に戻る