質疑応答は文章末です
自由報告一覧に戻る


精神障害を生きる当事者の「生の実践」――リカバリーと就労支援の現場に着目して

駒澤真由美(立命館大学大学院 先端総合学術研究科一貫制博士課程 公共領域 )


1.はじめに
 精神保健医療福祉の領域では、精神疾患からの破局的な影響から人生を再獲得するための支援としてリカバリー概念が盛んに用いられている。リカバリー概念は、患者の症状の軽減や機能の回復を示す医学モデルを基盤とした「臨床的リカバリー」と、当事者本人の希望や主観的な満足感を重視する「パーソナル・リカバリー」に大別される。さらに近年では、パーソナル・リカバリーの到達度を就労や一人暮らしなどの客観的な指標で測定する試みがなされている(山口・松長・堀尾 2016)。精神保健医療福祉の現場では、障害者総合支援法や精神障害者の法定雇用の義務化などの制度的背景もあり、「就労」が成果物として評価しやすいことから「パーソナル・リカバリー」と結びつけられて支援の対象となりやすいという現実がある。さらに、精神保健医療福祉の枠組みのなかで障害福祉サービスを受けるには自分が「精神障害者である」ことを証明する精神障害者保健福祉手帳を保持する必要がある。
 本報告における問いは次の2つである。1つは、支援する立場ではなく支援される立場の精神障害当事者は、これまで自ら体験してきた「一般就労」「福祉的就労」「社会的就労」あるいは非就労をどのように意味づけているのだろうかという問いである。もう1つは、精神保健医療福祉と雇用制度のもとで当事者が「精神障害者になる」ということをどのように受け止めているのだろうかという問いである。これら2つの問いを検討するにあたって議論の視座を提供してくれるのが、パーソナル・リカバリー概念と社会構成主義の理論である。米国の精神障害当事者で後に心理学者となったパトリシア・ディーガンら当事者発信によるリカバリーや、それをリハビリテーションの鍵概念として取り入れたウィリアム・アンソニーら専門家のパーソナル・リカバリー概念は、精神疾患を抱えていたとしてもその破局的な影響を乗り越えて人生の新たな意味と目的を再構築し、社会に貢献するというような「前向きな指向」を前提としている(Deegan 1988; Anthony 1993=1998)。精神障害当事者で後に精神科医となったダニエル・フィッシャーがディーガンらとともに設立したナショナル・エンパワメント・センター(NEC)は、リカバリーを服薬の有無に限らず「『精神疾患患者』以外の社会的な役割でコミュニティでの参加を再開する(あるいは、始める)こと」であると定義し、リカバリーは「もはや『精神疾患』というラベルは貼られていないことを意味する」と主張した(Fisher 2016=2019: 159-160)。フィッシャーらに加えてニュージーランド出身の精神障害当事者で運動家のメアリー・オーヘイガンも、自らの生活に対する「自己選択・自己決定」の要素を何よりも重視している(Fisher 2016=2019; O’Hagan 1991=1999)。
 他方、精神障害当事者にとってのリカバリーは、個人と本人を取り巻く社会環境との「相互作用」による影響を少なからず受けることが指摘されている(Onken, Craig, Ridgway, Ralph, & Cook: 2007)。精神疾患は生物学的な障害かそれとも精神医学のための「社会的構成物」なのか、換言すると「本当に存在している/構成されている」という論争もあるが、科学哲学者のイアン・ハッキングは精神疾患というものが制度や他者との相互作用により「社会的に構成される」ものであると示唆している(Hacking 1999=2006: 232-272)。
 報告者が以上のような視座から考察するのは、精神疾患を患った人たちが地域で生活していくためにこれまで推し進められてきた、就労をリカバリーと関連づけるような制度的背景を看過できなかったからである。「パーソナル・リカバリー」は、操作的定義を行う従来の「臨床的リカバリー」に抗って、当事者本人の主観的なものを重視する概念として生まれたものである。しかしそこに、支援者が当事者のパーソナル・リカバリーの到達度を評価するための客観的指標が加わり、そのなかで「就労」はパーソナル・リカバリーの促進に貢献したいと願う治療者や支援者にとって「最も有効で効率的な介入対象である」(林 2019: 92)と見なされるようになった。そのように考えられるに至った制度的背景の1つに、1980年代および1990年代に米国を出自として欧州諸国に伝播した「ワークフェア=雇用志向の社会政策」(埋橋 2007)の影響があると考えられる。
 日本の政策も2006年の障害者自立支援法の施行によって「福祉から就労へ」と重点が移行し、当事者でもある支援者(ピアスタッフ)も巻き込んであたかも就労することがリカバリーにつながるかのような言説が国内に流布した。こうした流れのなかで精神障害者の法定雇用が義務化された2018年に本研究を開始した報告者は、いずれも米国発祥の「リカバリー」および「ワークフェア」という世界的潮流を背景にフィールド調査を行うこととなった。就労支援の現場は、一般就労こそがリカバリーのための重要な要素であると唱える者と、工賃と利用者の満足度には相関がなく福祉的就労であっても当事者の主観的なリカバリーはなしえると言及する者に分かれ、それとは別に福祉的就労に搾取の構造を見出し、支援される立場ではなく対等な立場で働く立場を主張する者がいた。

2.目的と方法
 そこで本研究では、就労支援の制度、就労の場の仕組み、支援者と当事者間の相互作用に注目することにより、精神障害当事者にとってのリカバリーと就労との関係を再考し、そこからこぼれ落ちるものを見ていく。そのために「一般就労」への移行支援、「福祉的就労」「社会的就労」の場でそれぞれ約半年ずつボランティアとして働きながら、就労現場の参与観察によりデータを詳細に収集し、支援者ならびに当事者間の相互作用も含めて描き出す方法を採用した。そのなかで14名の精神障害当事者に協働構成的な対話によるライフストーリー・インタビューを実施し、彼らがこれまでどのようにして生きてきたのか、その「生の実践」を法制度・支援システムと本人の行為の意味の複相性に着目し詳らかにしている。なお本研究の実施にあたっては、立命館大学における人を対象とする研究倫理審査委員会の承認を得た(倫理審査番号:衣笠‐人‐2017‐89)。
 まず、本調査のおおまかな順番とその経緯を述べる。一番目にライフストーリーを聞いたのは、福祉的就労(現在は就労継続支援B型)を20年続けているものの、当事者会の役員やピアヘルパー・ピアカウンセラーの役割を担ってきた実績からリカバリーしているのではないかと思われた西行さん(仮名)であった。彼を取り巻く6名の支援者にも「西行さんにとってのリカバリー」を検討してもらった。しかし、本人からも支援者からも明快な答えは得られなかった。むしろ「わからない」というのが答えでもあった。
 次に、就労移行支援を利用し一般就労を継続できている成功例として紹介された田中善子さん(仮名)のライフストーリーを聞き取った。彼女に自身の「リカバリー」をどのように捉えているかを問うた時、「リカバリーって、何でしたかね?」と逆に質問された。この2018年の調査時点で報告者は、最も文献に引用されることの多かったアンソニー(1993=1998)の言説を用いて、「元に戻るとか症状がなくなるとかではなく、症状を抱えながらも自分の人生を自分らしく生きる」というような説明をしている。それに対する田中さんの返答は、自分の「病気が良くなって」、精神障害者と認定される以前の「元気な、自分に戻れる」ことであった。そして、田中さんが「将来は給料で足りない分を生活保護で補いたい」と語ったことを受けて、この状態で「一般就労していることがリカバリーである」と言えるのかという新たな疑問が浮かび上がってきたのである。
 そこで支援される立場ではなく対等な立場で働く社会的事業所であれば、リカバリーとの親和性も高くなるのではないかと考え、社会的就労の場に向かった。しかし、「対等な立場で働く」という理念も「(働く場所が)ここしかないから」「制度なんで」という本人なりの理解を語る当事者もいて、独特の納得のされ方で組織が成り立っている様子が窺えた。

3.結果と考察
 フィールド調査の結果、報告者が明らかにしたことは、次の5点である。
 1点目として、国や就労移行の支援者らは、精神障害を開示して一般就労することが就労の継続に資すると考えて推進し、そのことが精神障害当事者本人のリカバリーにもつながると主張しているが、精神障害を開示して一般就労することが「本人にとってのリカバリー」と直接関係しているとは言いきれないことを指摘した。実際に推進されている合理的配慮などの施策が就労の現場では機能していないこともあり、精神障害を開示するか否かよりも「人間のつながり」が、精神障害当事者自身が考える「本人にとってのリカバリー」に関係していることが明らかとなった。就労移行支援の仕組み上、精神障害当事者は「制度としての障害」を受け入れざるを得ない面がある。また、最低賃金の非正規雇用では生活保護費の基準にも満たないため、就労移行支援サービスを利用して一般就労しても医療扶助のある生活保護の受給を選択しつづける可能性もあることが示唆された。
 2点目として、精神障害当事者がリカバリーのロールモデルになってエンパワメントされるというモデル・ストーリーにこだわるのは、職を得たい当事者に精神障害を開示させて「ピアスタッフとして就労したい」と言わせてしまうような社会構造があること、さらに精神保健医療福祉の現場において「当事者性を支援に活かすな」という暗黙のルールが存在するからこそ「当事者性を活かして働ける」ピアスタッフに当事者の関心が寄せられていくという構造があることが、精神障害当事者でもあり就労移行の支援者でもある一人の男性の事例からも看取できた。
 3点目として、Y作業所の利用者でもある当事者会の役員が就労継続支援B型事業所に通い続けることとリカバリーとの関係を考察した結果、支援者もまた当事者本人ですら今の状態が「リカバリーしている」と言えるのか、「これからどうしたらいいか」が明確にはわからない状態であり、実際には本人・支援者・家族それぞれの思惑と本人自身の葛藤が絡み合って福祉的な就労を続けるか否かを判断している現実を明らかにした。
 4点目として、支援者と当事者の「支援する・される」という立場を廃したZ社会的事業所では公的給付が障害者の賃金に補填されており、能力や労働量に応じて給与が支払われるわけではないが、一定の収入(月額10万7千円)が得られることもあり、従業者は職場における理念に従い「誰もが対等に働く場」が成立していること、当事者にとっては金銭的にも心理的にも「ここしかない」第三の働き場であることを明らかにした。
 5点目として、長い非就労期間と就労継続支援B型の作業所を経て現在は社会的事業所で働く一人の男性のライフストーリーから、「精神障害者として生きる」ことになった契機と「精神障害者として働いて生きる」ことを選択していくプロセスを分析した結果、精神保健医療福祉システムの構造的な枠組みに囲い込まれながらも自らそれを受け入れること、またそこからはみ出すことにも本人なりの意味、すなわち「生の論理」が存在していた。たとえば刑務所に行くよりはいいとして精神科病院へ入院する、障害年金を受給できないならパート勤務より生活保護を受給しながら家に「閉じこもる」、一般企業への就職が難しいなら社会的事業所で働く、というような生き方は本人の希望が叶っているとは言い難いが、それは従来の前向きに生きることを支援するパーソナル・リカバリー概念には収まりきらない精神障害当事者の「生の実践」であると言える。パーソナル・リカバリー概念が前提としている支援者側の規範を無理に押し付けようとすると、かえって当事者が生きづらくなる場合もあることを指摘した。

4.結論
 複数の就労現場を横断的に調査し、それを縦割りではなく、精神障害当事者一人一人のライフストーリーをマトリクス的に分析した結果、どの就労形態が精神障害当事者にとってのリカバリーにつながるのかという議論ではなく、それぞれの当事者が就労の場や制度をどのように活用し生き延びてきたのかという現実を浮き彫りにすることができた。精神障害を抱えて働く人たちの人生には希望を叶えたくてもできない現実がある。それでも制度の網の目のなかで、精神障害の当事者に「される」のではなく、本人の意思で当事者に「なる」ことも「やめる」こともできることを示し、「精神障害者になる」という方略で生き延びてきたことを明らかにした。これは当事者/非当事者の境界の曖昧さも示唆しており、「精神障害」や「当事者」を問い直すことにもつながっていく。
 以上の結論を踏まえ、本研究の学術的意義は大きく次の3つに集約できる。
 1つ目の意義は、精神保健医療福祉領域におけるパーソナル・リカバリー概念フレームの危うさを指摘した点である。パーソナル・リカバリー概念は当事者本人が望んだことを念頭に置いたフレームであるが、本論文で見られたのは、その場その場の環境や人間関係等の成り行きで決定したものや、望んだことではなく避けたかったことを判断基準とした選択の組み合わせである。
 2つ目の意義は、精神障害当事者の生存戦略を日本の独特な制度の網の目のなかで浮かび上がらせた点にある。これまでの研究では、一般就労、福祉的就労、社会的就労それぞれに調査対象が限定され、ほとんどその場で議論が終わっている。その後の当事者たちの人生についてはほとんど触れられていない。だが本論文では、どの就労形態がリカバリーにつながるということではなく、当事者らは様々な就労の場を行き来したり、法定外の制度を使ったり、ときには抵抗して家に閉じこもったり、意識的/無意識的に、なかには偶然も入りつつ、色々な手段を講じながら日々暮らしている。そのような制度の運用実態、障害者就労のリアリティが彼らの「生の実践」の叙述を通してあらわになったと言える。
 3つ目の意義は、生き延びるための手段の1つとして「精神障害者になる」という「当事者」の行為のメカニズムを詳らかにした点にある。精神疾患は他者との相互作用によって社会的に構成されるとも言われているが、「当事者になる/ならない」という重要な事柄に関して、精神障害を抱えた当事者の視点から考察するということはこれまでされてこなかった。制度は、精神障害者を「当事者」の立場に留め置こうとするが、実はこの「当事者」という境界がいかに曖昧であり、かつ自らの意思で当事者に「なる」ことも「やめる」こともできるという点は、本論文が明らかにした重要な観点でもある。最終的に精神障害者保健福祉手帳の取得や障害年金の受給を選択し、自ら「精神障害者になる」ことを本人が決断したとしても、それは「精神障害者になる」ことを積極的に望んでいるわけではなく、生活していくために仕方なくその方法を選択しているのである。あるいは、自分で選択していると感じていたとしても、実は社会の構造上そうせざるを得ず無意識的に選択させられているということがあるからである。それが「社会に包摂される」という意味でもある。精神障害の「当事者」になるにあたり、精神障害当事者の側から、この「自主性」に着目した点において、一方的に社会的に構成されるのではなく、制度のなかで他者との関係において相互に作用するというハッキングの議論を一歩前に進めたことになる。
 最後に、本研究の限界点と今後の課題を記す。一般就労やピアスタッフとして働くことがパーソナル・リカバリー概念のアウトカムとされるような構造の問題をそうしたシンプルな形で社会に表出させていること自体に、日本の資本主義経済や新自由主義的な思想が透けて見える。精神障害当事者の語りの根底にある社会構造の問題を深く掘り下げて検討するためには、彼らの「生の実践」の世界にとどまることなく、そこから飛び出さなければならない。

主要参考文献
Anthony, W. A. (1993)Recovery from Mental Illness: The Guiding Vision of the Mental Health Service System in the 1990s. Psychosocial Rehabilitation Journal, 16(4), 11-23. 濱田龍之介(訳・解説)(1998) 精神疾患からの回復――1990年代の精神保健サービスシステムを導く視点.精神障害とリハビリテーション, 2(2), 145-154.
Deegan, P. E.(1988)Recovery: The Lived Experiences of Rehabilitation. Psychosocial Rehabilitation Journal,11(4),11-19.
Fisher, D.B. (2016) Heartbeats of Hope: The Empowerment Way to Recover Your Life. Lawrence,MA: National Empowerment Center. 松田博幸(訳)(2019)希望の対話的リカバリー――心に生きづらさをもつ人たちの蘇生法.明石書店.
Hacking, I.(1999)The Social Construction of What? 出口康夫・久米暁(訳)(2006)何が社会的に構成されるのか.岩波書店.
林輝男 (2019) 精神障害者の「働きたい」を実現するために――IPS個別就労支援の効果と可能性.精神神経学雑誌, 121(2), 91-106.
駒澤真由美(2019a)精神障害当事者は「一般就労」をどのように体験しているか――障害と就労のライフストーリー.立命館生存学研究, 2, 281-291.
駒澤真由美(2019b)精神障害当事者にとっての「リカバリー」とは何か――福祉的就労施設に20年通所する利用者の語りから.Core Ethics, 15, 59-71.
駒澤真由美(2020a)精神障害者が働き続ける「社会的事業所」とはどのような場なのか――一般就労でもなく、福祉的就労でもなく.Core Ethics, 16, 71-82.
駒澤真由美(2020b)パーソナル・リカバリーと就労支援に関する一考察――「精神障害者として生きる」当事者のライフストーリーから.Core Ethics, 16, 83-95.
O’Hagan, M.(1991)Stopovers: On My Way Home From Mars. 中田智恵海(監訳)長野英子(訳)(1999)精神医療ユーザーのめざすもの――欧米のセルフヘルプ活動.解放出版社.
Onken, S. J., Craig, C. M., Ridgway, P., Ralph, R. O., and Cook, J. A. (2007) An Analysis of the Definitions and Elements of Recovery: A Review of the Literature. Psychiatric Rehabilitation Journal, 31(1), 9-22.
埋橋孝文(2007)ワークフェア――排除から包摂へ? 法律文化社.
山口創生・松長麻美・堀尾奈都記(2016)重度精神疾患におけるパーソナル・リカバリーに関連する長期アウトカムとは何か?(特集 出口を見据えた精神医療:何処をめざし如何に診るか).精神保健研究, 29, 15-20.


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。

(2021.9.20 会員から)
1.駒澤真由美さん 『精神障害を生きる当事者の「生の実践」――リカバリーと就労支援の現場に着目して』
2.植山文雄。岡山言友会、玉島湊屋作業所。

 私は岡山言友会という、どもりの当事者グループに所属しています。また、NPO法人備中玉島ファーレアッシエーメが運営している玉島湊屋作業所で週4日、精神疾患をもつ人といっしょに過ごしています。以下、二つの質問があります。

 私は「パーソナル・リカバリー」の概念について今一つ理解できていませんが、「精神疾患をもつ人がその症状とつき合いながらも、自分らしく生き、生活していくこと」かなと考えています。そう考えると、これまで過労死・過労自殺者を生み出し、多くの労働者を精神科病院に入院させるような労働環境を維持している「一般就労」の現場、またそのような労働現場への就労を目的として訓練している「福祉的就労」がパーソナル・リカバリーと結びつくとは思えません。ただ、さまざまな「労働現場」ではパーソナル・リカバリーを実現されている当事者もおられると思います。報告のなかで言及されている「人間のつながり」はパーソナル・リカバリーの大切な要素だと思いますが、他にどのような要素があるのでしょうか?駒澤さんが今まで当事者の方と関わり、インタビューしたなかで気がついたことがあれば、お教えください。
 このことが一つ目の質問です。
 また、報告の最後の文章『精神障害当事者の語りの根底にある社会構造の問題を深く掘り下げて検討するためには、彼らの「生の実践」の世界にとどまることなく、そこから飛び出さなければならない』が印象的だったのですが、私には今一つ理解できませんでした。どういう思いが込められているのか、お教えください。

 以上、2点について、よろしくお願いいたします。

〈2021.9.21 報告者から〉
植山さま

ご質問をいただき、ありがとうございます。

【ご質問1】
 報告のなかで言及されている「人間のつながり」はパーソナル・リカバリーの大切な要素だと思いますが、他にどのような要素があるのでしょうか?駒澤さんが今まで当事者の方と関わり、インタビューしたなかで気がついたことがあれば、お教えください。

 このご質問にお応えするために、まず先行研究における「パーソナル・リカバリー」の定義について触れておく必要があります。パーソナル・リカバリーは「極めて個人的で独特な過程として描かれる。それは、その人の態度、価値観、感情、目的、技量、役割などの変化の過程である。疾患によりもたらされた制限つきではあるが、満足感のある、希望に満ちた、人の役に立つ人生を生きる道」であり、「精神疾患の破局的な影響を乗り越えて、人生の新しい意味と目的を創り出すことでもある」(Anthony 1993=1998: 147)と言われています。また最近では、支援者の側が当事者の望む主観的なパーソナル・リカバリーの到達度を「ソーシャルサポートやwell-being、セルフスティグマ、エンパワメント、就労、余暇活動、独り暮らし、友人の数、希望の数、自身が把握するストレングスの数など」の客観的な指標を用いて測定する試みもなされています(山口・松長・堀尾 2016: 18)。
 しかし私が実際に就労現場でフィールドワークを行い、当事者の方々にインタビューさせていただいて気づいたことは、どの就労形態が精神障害当事者にとってのリカバリーにつながるのかという議論ではなく、それぞれの当事者が非就労も含めて就労と福祉の制度をどのように活用し生き延びてきたのかという現実でした。それは、パーソナル・リカバリー概念が言うところの「満足感のある、希望に満ちた、〔中略〕人生の新しい意味と目的を創り出す」といった成功物語に回収されることのない、その人なりの「生の実践」であると言えます。加えて、各種制度・サービスの使い方が本来の目的とは異なり、自分流であるところが驚きでもあり興味深い点でもありました。その一端を論文に記しておりますので、よろしければお目通しください。
· 駒澤 真由美,2020,「パーソナル・リカバリーと就労支援に関する一考察――「精神障害者として生きる」当事者のライフストーリーから」[R-Cube] ([PDF] 外部リンク)『Core Ethics』,Vol.16,pp.83-95.
· 駒澤 真由美,2019,「精神障害当事者にとっての「リカバリー」とはなにか――福祉的就労施設に20年通所する利用者の語りから」[R-Cube] ([PDF] 外部リンク) 『Core Ethics』,Vol.15,pp.59-71.

【ご質問2】
 報告の最後の文章『精神障害当事者の語りの根底にある社会構造の問題を深く掘り下げて検討するためには、彼らの「生の実践」の世界にとどまることなく、そこから飛び出さなければならない』が印象的だったのですが、私には今一つ理解できませんでした。どういう思いが込められているのか、お教えください。

 本研究では、協働構成的な対話によるインタビューを通して、研究協力者の行為の意味を共同で探求したことにより彼らの意味世界を描き出すことはできたかもしれませんが、他方で私自身がそこから抜け出しがたくなるという限界点がありました。ゆえに今後の課題として、研究者である私自身が彼らの「生の実践」の意味世界を超えて、精神障害当事者の語りの根底にある社会構造の問題を深く掘り下げて検討する必要があると考えたからです。その理由を以下に述べます。
 障害者枠雇用で採用されるにあたっては精神障害者保健福祉手帳が必要であり、障害者総合支援法下の障害福祉サービス事業所に通所するには精神科の主治医に受給者証を発行してもらう必要があります。障害年金の申請時には「就労不能である」とされるために、「精神障害者である」自分と向き合わなければなりません。本研究を通じて、精神保健医療福祉システムの構造的な枠組みのなかで「精神障害者になる」という、本来はネガティブなレッテルを精神障害当事者が自分に貼ることで少しは楽に生きていけることもあるという気付きを得ました。他方、生活保護や障害年金という社会保障に関連して本人が自分に対して偏見の目を向けてしまい「セルフスティグマ」を感じる精神障害当事者も一定数存在することは確かです。しかし、このスティグマの問題は、インタビューのなかで精神障害当事者本人に対して掘り下げていくというよりも、労働と所得保障に関する制度設計や運用について検討する段階で考えていくべきことであり、その構想については学会や研究会などで議論を重ねていきたいと考えております。
 以上のような思いから、本報告の最後に『精神障害当事者の語りの根底にある社会構造の問題を深く掘り下げて検討するためには、彼らの「生の実践」の世界にとどまることなく、そこから飛び出さなければならない』と記しました。

文献
Anthony, W. A. (1993)Recovery from Mental Illness: The Guiding Vision of the Mental Health Service System in the 1990s. Psychosocial Rehabilitation Journal, 16(4), 11-23. 濱田龍之介(訳・解説)(1998) 精神疾患からの回復――1990年代の精神保健サービスシステムを導く視点.精神障害とリハビリテーション, 2(2), 145-154.

山口創生・松長麻美・堀尾奈都記(2016)重度精神疾患におけるパーソナル・リカバリーに関連する長期アウトカムとは何か?(特集 出口を見据えた精神医療:何処をめざし如何に診るか).精神保健研究, 29, 15-20.

(2021.9.23 会員から)
駒澤真由美 様

玉島湊屋作業所の植山文雄です。
 質問にご返答いただき、ありがとうございました。
 最初の質問は、ご報告の内容とは少しずれてしまい、申し訳ありませんでした。
 駒澤様が書かれた二つの論文を読ませていただきました。
 2020年の論文では、リカバリーというよりはサバイバルを感じました。私自身、どもりとして、地域社会、学校社会、労働社会でサバイバルしながら生きてきました。ハンディキャップをもつ者にとって、さまざまな手段を使いながら生きていくことは大切なことだと思っています。
 また、2019年の論文では、「居場所」の大切さを感じました。「自分の症状とつき合いながら、自分らしく生きていく」ためには、ありのままに過ごせる「場」が必要だと思います。
 そういう「場」が地域で、学校で、労働現場で少しずつ創られたらいいな、と思っています。
 もちろん、駒澤様が言われるように、社会構造の問題を検討し、当事者にとって利用しやすく、選択肢が多い制度をつくっていくことも大切だと思います。
 私自身、これからも、精神疾患をもつ人の「居場所」、「生きる場」について研究していくつもりです。
 昨年、「労働」についての論文を執筆しました。もし、興味がありましたら、ご一読ください。

・植山文雄 西谷清美(2021)「精神疾患をもつ人のレジリアンスに関する研究―労働に焦点を当てて」『四国学院大学 論集』160号,19-70.

〈2021.9.24 報告者から〉
植山さま
 早速、拙論文2本をお目通しのうえ、再びご意見をお寄せくださり光栄に存じます。
 植山さまからのご質問に対して私のほうが的外れな応答をしていたようです。一般企業の「労働現場」におけるパーソナル・リカバリーの要素について問われていたのですね。大変失礼いたしました。それでしたら下記論文のほうが近かったかもしれません。ただ、これもパーソナル・リカバリーというより、精神障害を生きる当事者の「生の実践」になりますが。

· 駒澤 真由美,2019,「精神障害当事者は「一般就労」をどのように体験しているか――障害と就労のライフストーリー」[R-Cube] ([PDF] 外部リンク『立命館生存学研究』,第2号,pp.281-291.

 植山さまの論文「精神疾患をもつ人のレジリアンスに関する研究―労働に焦点を当てて」を拝読しました。この論文ではレジリアンスを「ストレスに対してしなやかに対応し、上手くつき合える力」と定義され、私の報告を読まれてパーソナル・リカバリー概念については「精神疾患をもつ人がその症状とつき合いながらも、自分らしく生き、生活していくこと(かな)」とイメージされているようでしたで、近似の概念として興味をお持ち頂いたものと思います。

 植山さまは、「精神疾患をもつ人にとっての『労働』とは、社会的なある目的に向かってさまざまな特性をもつ人たちと協働し、自らの能力を発揮していくなかで、自らの精神症状と折り合いをつけていく過程」と考えておられます。そして、労働現場で精神疾患をもつ人のレジリアンスを発展させる要素として「人薬」と「場所薬」の2つを挙げて、「人薬」として【上司・同僚とのコミュニケーション】、「場所薬」として「ティール組織(進化型組織)」を提示されています。「ティール組織(進化型組織)」については初めて耳にしました。それは「自主経営」「全体性」「存在目的」を突破口とし、「上司(管理職)は存在せず、実質的にメンバーで自主的に編成された自治組織」であり、「自社の利益を上げるために活動しているのではなく、『生命体としての組織の存在目的』のために活動しているということですが、下記論文の対象先である社会的事業所はそれに該当しませんか。

· 駒澤 真由美,2020,「精神障害者が働き続ける『社会的事業所』とはどのような場なのか――一般就労でもなく、福祉的就労でもなく」[R-Cube] ([PDF] 外部リンク)『Core Ethics』,Vol.16,pp.71-82.

 本大会における質疑は25日迄ですが、ご紹介した計4本の既刊論文を大幅に加筆修正し、書き下ろしの章を追加して全12章の博論にまとめました。書籍化も予定しておりますので、今後とも情報交換をさせて頂けますと幸いです。よろしくお願い申し上げます。


自由報告一覧に戻る