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2011年改正障害者基本法の課題
-障がい者制度改革推進会議の議論を中心として-
有松 玲(立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫性博士課程)


はじめに-なぜ今、2009年~2013年の集中的障害者制度改革の政策研究か-
 障害者は生命、医療、教育、労働、所得、税制、介助、住宅、公共交通機関やアクセシビリティ等全ての面で、常に制度と政治に影響され続ける。障害者は生きる全てにおいて健常者より直接的に制度と政策に影響されるのである。2009年-2013年の障害者制度改革(以下、制度改革)は障がい者制度改革推進会議(以下、推進会議)とその下に設けられた2つの部会等の議論により障害者に関わる全ての法制度が変わり、障害者基本法(以下、基本法)、学校教育法、障害者雇用法、障害者差別解消法等々、すべてが変化するか、新しくなったのである。
 つまり、制度改革以降の障害者の生存と生活は全て制度改革により作られた政策と制度に規定されていると言っても過言ではない。また制度改革以降、以前とは質を画する事態が障害者を巡って次々と生起した。2016年相模原障害者殺傷事件、2020年京都ALS嘱託殺人事件、出生前診断・着床前診断の無制限化等である。なぜ質を画する事態が次々と起こるのか、その一つ一つがどのような意味を持っているのかを解明するには、その直近に施行された制度改革により変化した法制度とその生成過程の政策的解明が必要であると考える。
 障害者基本法は障害者の憲法と言われる政策の理念と権利を規定する法律であるので、制度改革の全ての過程と全ての法制度に大きく影響するものである。制度改革では、全体として理念を鮮明にして権利を高めることが求められていた。だからこそ改正障害者基本法が制度改革全体の重要なポイントであった。
 本発表の目的は、理念と権利性の高まりを期待された改正障害者基本法が制度改革の最初の成果物として2011年に作成されるまでの制作過程と推進会議の議論を振り返り、2011年改正基本法の政策分析を通して、その課題を鮮明にすることである。

1.障がい者制度改革推進会議開催前の動向
(1) 障害者自立支援法違憲訴訟と衆議院選挙
 推進会議は2009年8月の衆議院選挙の結果、民主党政権が誕生したことに端を発している。
 この選挙で掲げた民主党の政策集(マニュフェスト)では、「『障害者自立支援法』を廃止して、障害者福祉制度を抜本的に見直す」と掲げられていた。それは2008年10月より闘われた障害者自立支援法(以下、自立支援法)の違憲性を争う全国的な裁判も多分に影響していたと考えられる。
 民主党は選挙で勝利し、社民党との連立政権が誕生した。その後、2009年12月8日の閣議決定で内閣総理大臣を本部長とする障がい者制度改革推進本部(以下推進本部)を設置し、12月15日に推進会議を内閣府に設置することを閣議決定した。2010年1月7日に自立支援法の違憲裁判を闘った全国訴訟団と国とが取り交わした「基本合意文書」にも推進本部を置くこととともに、障害者の参画の下に十分な議論を行うことが明記されていた。
(2) 政権交代と推進会議
 2010年1月12日に推進会議は内閣府に設置された。マニュフェストに先立って発表された民主党政策INDEX2009には「わが国の障害者施策を総合的かつ集中的に改革し、国連障害者権利条約の批准に必要な国内法の整備を行う」と書かれていた。
 その為には障害者に関わる国内法の総点検を行い、教育や雇用の制度を権利条約に見合うように抜本的に改正し、障害者差別禁止法は一から作ることが必要だった。さらに、国内の障害者の権利の監視機関も作ることは必須条件だと考えられる。それには省庁をまたぐ議論ができることが必要であり、そのために内閣府に担当大臣を据え、担当室を置いたのだった。その際の内閣府特命担当大臣として、制度改革を担当したのが社民党党首の福島瑞穂であった。
 推進会議の設置根拠は12月15日の閣議決定であった。構成員からは障害者制度改革推進法案を早期に成立させ、この会議に法的根拠を持たせるよう法案を早急に提出して欲しい、という話が第2回推進会議で出された。その後、推進法案は提出されたが国会は通らなかったため、推進会議は法的根拠がないまま議論を進めることとなった。

2. 障がい者制度改革推進会議の特徴
(1) 障害者とその関係者が構成員の3分の2を占める
 第1の特徴は国連障害者権条約策定の際のスローガンである”Nothing about us, without us!”(私たち抜きに私たちのことを決めてはならない!)に則った当事者性である。推進会議の構成員は26人のうち14名が障害者あるいは家族であった。障害種別は身体障害のみならず、知的障害者や精神障害者も含まれていた。身体障害も下肢障害や視覚障害、聴覚障害、視覚と聴覚の障害を併せ持った盲聾者など様々な障害者が構成員だった。さらに、現在の障害者運動を担っている障害者インターナショナル(DPI)や日本障害フォーラム(JDF)等に所属し、その団体を代表するような障害者が集まったのである。また、内閣府内に置かれた担当室の室長を障害のある弁護士の東俊裕氏が担った。
 この当事者性があったからこそ障害者や関係者は制度改革に大いに期待したのだ。当時、DPI日本会議事務局(2010)は「まさに『新しい形』を具現化しているメンバー構成である。今までの各省庁の審議会や分科会のメンバー選考の基準とは根本的に異なるものだ。(中略)『形式的参加から国際人権条約という人権ベースでの実質的参加へ』のパラダイム・シフトといえる。」と言って「人権ベース」での議論と障害者に対する実質的で真っ当な何らかの健常者との平等を担保するような「利益」があることを期待したのだ。

(2) 国連障害者権利条約と国内法の整備
 第2の特徴は国連障害者権利条約に見合った国内法の整備であった。つまり、自立支援法に代わる新たな障害者サービス法と障害者差別禁止法の制定であり、また、大きなウェートを占めたのが障害児教育のインクルーシブ教育への移行要請であった。
 推進会議はまず自立支援法に代わる制度の議論を行う総合福祉部会を厚生労働省の下におき、2010年4月27日に議論を開始した。さらに、差別禁止部会が内閣府にでき、議論の開始は2010年11月22日であった。両部会とも推進会議の下に置かれるという形を取ったので、議論の経過や中身は推進会議に報告された。2つの部会の議論は紆余曲折を経て障害者総合支援法と障害者差別解消法になったが、当初の国連障害者権利条約に見合うような形として目指された総合福祉法と差別禁止法とはかけ離れたものとなった。
 障害児教育に関する議論は文科省の下に「特別支援教育の在り方に関する特別委員会」を設置して2010年7月20日から議論が開始された。こちらも推進会議に議論や経過が報告されるという形を取った。だが、結果的に特別支援教育はインクルーシブ教育であるという詭弁を持って分離教育をさらに拡大させるものとなった。

3. 改正障害者基本法作成までの議論の流れ
 推進会議は2010年1月12日から2012年3月12日まで、合計38回開催された。そのうちの1回から14回(2010年6月14日)までを第一次意見の議論に、15回から29回(2010年12月17日)までを第二次意見の議論に、そして30回から31回(2011年4月18日)までを基本法の議論に充てた。後ほど詳しく見ていくが、第二次意見は基本法をこのように改正すべきだということを推進会議としてまとめたものであり、第二次意見が議論された時間も含めるため、実質的には第15回からが基本法の議論であると言える。
(1) 第一次意見
 推進会議の第1回から14回は障害者制度改革の全行程を決定することが主な目的だった。その中でも、雇用や教育など具体的な事柄が話し合われて様々な要望や制度的な問題点が出され、議論された。また各省庁や関係団体に対するヒアリングも行われた。その議論の帰結が第一次意見である。この第一次意見は2010年6月29日に開かれた第2回制度改革推進本部で小川推進会議議長から推進本部長である菅直人総理大臣に手渡された。
 第一次意見書では、「はじめに」で国際的な障害者の権利の動向と国内における障害者制度改革の必要性が記述されている。そして「障害者制度改革の基本的考え方」として「『権利の主体』である社会の一員」、「『差別』のない社会づくり」や「社会モデル」などが挙げられている。さらに「障害者制度改革の基本的方向と今後の進め方」では、2010年中に第二次意見を政府に提出し、それ以降は提出した意見に基づいて基本法の改正案や制度改革の推進体制に関する法案を2011年の常会に提出すべきであるとされている。また労働及び雇用や教育、医療、所得保障等障害者の生活のあらゆる場面についてなされていた議論の帰結として、その場面での「推進会議の問題認識」と「政府に求める今後の取組みに対する意見」を具体的に示している。
(2) 第二次意見
 第二次意見は基本法の項目に沿って目的や定義等について推進会議の認識と政府に求める事項に関する意見を示している。そこでは、障害の定義に社会モデル的な観点を取り入れることや差別の禁止を明確に打ち出すこと、障害のある女性や子供の権利を確保することを明確化することなどが書かれ、従来の基本法にはなかった項目も積極的に追加され、「障害の予防」については削除されている。また以前の障害者基本法にはなかった「前文」も入れた方がいいという推進会議内の議論を経て「はじめに」という「前文」に当たる部分が入った。その「はじめに」にはこれまでの障害者基本法の経過を振り返り、国外の障害者差別禁止法制に触れ、今後は権利条約に見合うような制度を日本に作っていかなければならいと書かれている。
 第二次意見は15回にわたり議論された(第15回から29回)。しかし基礎としてあるのはあくまでも第一次意見であるので、第1回からの議論の帰結である第一次意見から生み出されたものであると言っても過言ではない。
(3) 改正障害者基本法まで
 第二次意見の議論が2010年12月17日に終わって、そこから約2か月後の2011年2月14日の第30回会議で基本法改正案(以下改正案)が事務局から出された。その改正案は総則における「国際的協調」、基本的施策における「障害者である子ども等への支援」や「選挙における配慮」「刑事手続きにおける配慮等」「国際協力」「障害者政策委員会」は新たに追加された。しかし「前文」や「障害のある女性」についての項目は入っておらず、また、第二次意見では精神障害者に対する強制入院や社会的入院について言及していたが、改正案では全く触れられていなかった。そして「地域社会における共生等」や「医療、介護等」「障害者である子ども等への支援」において「可能な限り」という権利に制限をかけるような言葉が付いた。これは主に地域生活に関する部分に付いていた。その他、挙げればきりがないほどの問題のある、第二次意見を無視したような改正案が出されたことに構成員は「私ども推進会議の問題意識と大きくずれているのではないでしょうか」(尾上委員)「こういうことでは本来私たちが望んでいた今回の改正の抜本的趣旨が失われていると思います」(竹下委員)「基本的に、これまで私たちが議論してきたことが、ほとんどこれには反映されていないということを非常に残念に思います」(松井委員)という批判的な意見が多く、全体を通した肯定的な意見は全く見られなかった。そうした意見とともに「今日が最後ではございません。ここからまさしく議論を始めていっていただきたいということでございます」という政務官の言葉を信じて、少しでも第二次意見に近づけるための訂正案を出し合っていた。
 しかし東日本大震災後、4月18日に開催された第31回の推進会議で出された2つ目の改正案は第二次意見とさらに距離が開いた。
 前回提出した改正案での議論で出てきた問題点は手つかずのまま残り、いままで「可能な限り」がなかった教育において入ったのだ。さらに「障害者である子ども等への支援」は削除され、前回入っていないと指摘した「前文」や「障害のある女性」、精神障害者に対する強制入院や社会的入院は入っておらず、「地域社会における共生等」や「医療、介護等」の「可能な限り」は放置された状態だった。第30回の構成員の言葉を借りるならば、「本来私たちが望んでいた今回の改正の抜本的趣旨が失われている」改正案と言わざるを得ない。しかも第31回推進会議の時点で手続き上は閣議決定のみとなっているため今から変更することは難しいと強弁したのである。構成員の議論を反映させないこのようなやり方は1998年に楠敏雄が政策決定過程への当事者参加について以下のように言及したことと同様のことのように思える。

 「もちろん、(障害者の)数だけそろえればそれでよいというわけではない。参加した障害者一人ひとりがそれぞれの施策に関して、その問題点を分析し、今後の課題を提供できる力を身につけ、発信することである。行政側が出してくる文章を単に追認し、あるいはせいぜいのところそれぞれの団体の諸要求を羅列するだけでは、ほかの各種審議会と同様、その存在意味は極めて乏しい」楠(1998)「自立と共生を求めて 障害者からの提言」

4. 改正障害者基本法について
 上記のような議論の経過で改正案は作られ、上記の問題点に関しては手付かずのまま国会を通過した。「可能な限り」という文言は改正前の基本法では1か所だったのに対して改正基本法では6か所に増加したのだ。
 障害者基本法は障害者の憲法と呼ばれる権利法である。であるならば、権利を制限する「可能な限り」が6か所もあるのは権利法として成り立っていないということである。そして、最も権利性が問われる地域生活と教育に主に付いていることは障害者の生活と生きる力を削ぐものである。担当室長だった東(2011)も改正基本法に関して「権利性が十分に確保されているとは言えない」と述べて権利性が十分でないことを指摘し、批判している。
 改正基本法の意義の1つとして第2条で「社会的障壁」が定義され社会モデルが導入されたと言われている。だからと言って、医学的な診断のみで障害者を等級分けする障害者手帳制度やそれに付随する障害者年金制度、介助における障害程度区分が社会モデルを取り入れた形で変化したということはない。いくら良いとされる文言が入ったとしても、実質的に良い方向に変化がなければギリギリの生存を続ける障害者には何の利益にもならない。岩崎(2004)が言っているように権利が付与されるからこそ単なる理念、単なる言葉ではなくなるのである。

おわりに
 改正基本法は改正前の基本法と比較しても権利性という観点では後退している。合理的配慮や社会モデル、インクルーシブ教育の文言が入り評価できるという指摘もあるが、権利性を軸に考えると良い文言であればあるほど、その2者の乖離が問題であると思う。改正基本法における権利性の後退に帰結した政治の在り方は第1に社会における障害者の政治的後退を示している。相模原障害者殺傷事件とその後のネット上の憎悪に満ちた障害者へのバッシングはその表れと言える。
 第2に総合支援法が自立支援法と基本的に違わない形で障害者サービス法として成立したことである。そもそも制度改革が障害者自立支援法に対する大きな反対運動の中で自立支援法を廃止し新たな法律を作るというところから出発しているにも関わらず、自立支援法と見間違えるほど酷似している法律になった。総合福祉部会副部会長の茨木は次のように指摘している。
 
 「なぜ総合支援法が、障害当事者たちが描いた設計図(骨格提言)から遠い形の法律として施行されるに至ったのか。」「あるべき方向に向かう具体的な議論が当事者を中心に開始されなければならない。そうでなければ障害者制度改革は『頓挫』したままになってしまう。」
茨木(2013)「障害者自立支援法から総合支援法への道程と総合支援法の課題-『頓挫』したその先をどう変えられるか」季刊福祉労働139号

 改正基本法とその成立過程は様々な角度から詳細に分析されなければならない。このことを抜きにして障害者政策の現状と課題は見えてこない。また、改正基本法は制度改革の中で制定された他の法制度に大きな影響を与えた。2012年に制定された総合支援法や2013年制定の障害者差別解消法と教育・雇用等11の法律の改正に権利性の後退した改正基本法はいかなる作用をもたらしたのかを詳細かつ全面的に分析し、研究する必要がある。

引用文献・資料
民主党マニュフェスト(2009)
http://archive.dpj.or.jp/special/manifesto2009/pdf/manifesto_2009.pdf
民主党政策INDEX2009
http://archive.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/img/INDEX2009.pdf
DPI事務局(2010)「DPIわれら自身の声」vol.25-4
障がい者制度改革推進会議第30回議事録
障がい者制度改革推進会議(第30回)議事録 – 内閣府 (cao.go.jp)
障がい者制度改革推進会議第31回議事録
障がい者制度改革推進会議(第31回)議事録 – 内閣府 (cao.go.jp)
楠敏雄(1998)「自立と共生を求めて 障害者からの提言」解放出版社
東俊裕(2011)「障害者基本法改正から総合福祉法・差別禁止法へ」季刊福祉労働133号,現代書
岩崎晋也(2004)「障害者施策における差別禁止戦略の有効性と限界」社会政策研究4号,東信堂
茨木尚子(2013)「障害者自立支援法から総合支援法への道程と総合支援法の課題-『頓挫』したその先をどう変えられるか」季刊福祉労働139号,現代書館


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。

〈2021.9.6. 会員から〉
長瀬修(立命館大学)

障害者基本法という重要な法律の改正過程に関する貴重なご報告、ありがとうございます。
以下、二つ質問させていただきます。

1.障害者政策に関して重要な役割を果たす改正障害者基本法の「政策分析」という本研究の手法からして、綿密な分析が求められますが『いままで「可能な限り」がなかった教育において入ったのだ』と述べられている教育に関して、改正前後を以下、比較してみると、以下のとおりです。

●改正前
(教育)
第十四条 国及び地方公共団体は、障害者が、その年齢、能力及び障害の状態に応じ、十分な教育が受けられるようにするため、教育の内容及び方法の改善及び充実を図る等必要な施策を講じなければならない。

●改正後
第十六条 国及び地方公共団体は、障害者が、その年齢及び能力に応じ、かつ、その特性を踏まえた十分な教育が受けられるようにするため、可能な限り障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ、教育の内容及び方法の改善及び充実を図る等必要な施策を講じなければならない。

確かに改正後は「可能な限り」が加えられているが、「障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ」という改正前にはなかった、障害者権利条約に基づくインクルーシブ教育を指向する文言も加えられています。後者が新たに加えられた点についてどうお考えか、うかがえれば幸いです。

2.「障害者基本法は障害者の憲法と呼ばれる権利法である」という記述がありますが、以下同法の目的部分に一言も「権利」という文言がない点をどうお考えでしょうか。また、そうした記述がある文献があればご紹介をお願いします。よろしくお願いします。

第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり、全ての国民が、障害の有無によつて分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本原則を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。

よろしくお願いします。

〈2021.9.11 報告者から〉
ご質問ありがとうございます。

2つご質問を頂きましたが、2つ目のご質問から回答させていただきます。

〇「障害者基本法は障害者の憲法と呼ばれる権利法である」という記述に関して、基本法の目的に一言も「権利」という文言がない点をどう考えるか、また、そうした記述がある文献を提示して欲しい、というご質問だったと思います。

まずDPIの尾上氏が「障害者基本法は、障害者分野の憲法であるとも言われています。」(DPI日本会議,2012)と述べています。さらに1993年障害者基本法が全ての障害者制度に関与する法制度になったことを指して厚生省(当時)の板山氏も「『障害者基本法』は障害者の憲法」(板山,1997)とはっきり述べています。そうであるならば楠氏が障害者基本法について「目的の中に『権利保障』の規定を盛り込むことが不可欠であると考えています。厚労省の官僚は推進会議のメンバーたちに『権利という用語は日本社会になじまない』とか『権利性を明記するのは時期尚早だ』と広言しているようですが、これらはまったく的外れな指摘です。」(DPI日本会議,2012)と述べているように権利という言葉が、その目的に入ったほうが自然であると考えます。さらに、東氏が「成立した改正基本法も権利規定が不明確である」(東,2011)「制度改革により障害者政策員会が設置されたが、これは、パリ原則からすると、独立性がなく、しかも実施を促進し、保護し、及び監視するといった全般的権限を付与されているものでもない」(東,2019)と述べて、障害者基本法の権利性に言及しています。

<文献>
DPI日本会議編(2012)「最初の一歩だ!改正障害者基本法」解放出版社, p3, p17
板山賢治(1997)「すべては出会いからはじまった 福祉半世紀の証言」エンパワメント研究所, p80
東俊裕(2011)「障害者基本法改正から総合福祉法・差別禁止法へ」季刊福祉労働133号, 現代書館, p35
東俊裕(2019)「権利の実施体制と日本障害者の置かれている基礎的な社会構造からみた評価」季刊福祉労働163号, 現代書館, p11

〇本報告にて取り上げた改正基本法における教育の法文に対して「可能な限り」とともに「障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ」という文言が付け加わり、障害者権利条約のインクルーシブ教育を指向する方向性が示されたが、後者が加えられた点についてどう考えるのか、というご質問であったと思います。

確かに「障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ」という文言は本報告で取り上げた改正基本法で初めてつけられた文言です。しかし、上記質問で回答したように障害者基本法は障害者の憲法と言われるような障害者の権利が明記された法律でなければならないはずです。そのような障害者基本法に「可能な限り」という権利を制限する文言はあってはならないはずです。権利条約に見合った文言が入ったにもかかわらず、権利を制限する文言を多用している改正障害者基本法の矛盾は文部科学省の「特別支援教育はインクルーシブ教育と同じである」という論の下、特別支援学校は子供の数が減っているのに10年間で2倍に増え、そこに通っている児童の親はそこを自主的に選んでいるわけではなく、外的な圧力により選ばざるを得ない状況に追い込まれる現実があります。権利の後退が分離教育の増大を招いているとも言えるわけです。むしろこの現状を変更する術を考えていかなければならないのではないかと思います。

以上です。

〈2021.9.16 会員から〉
長瀬修(立命館大学)

丁寧なご回答、大変ありがとうございます。
御研究対象の推進会議には私も携わったため、関心があります。研究のご発展を願います。

御礼まで。

〈2021.9.10 会員から〉
  有松 玲さんによる報告「2011年改正障害者基本法の課題
-障がい者制度改革推進会議の議論を中心として-」
 への意見です。

   松波めぐみ(大阪市立大学ほか非常勤講師)

**
(前提)
 まず、2009年-2013年の障害者制度改革について、議事録や提出資料に基づいて研究がなされること自体、大きな意味があると考えます。
 高い理念をもって改革が行われ、その過程での資料は公開されているにもかかわらず、研究が乏しい現状は非常に残念だと思ってきました。

 私の立場は、その期間まるまる地域で条例制定運動に関わっており、推進会議の動向や文書に注目してきました。全体として、「当初は大変わくわくしていたのに、思ったほどの成果は得られなかった」という印象は(現場の実感として)確かにあります。

(意見1)分析について
 ただ、推進会議の委員を出している障害者団体にも、その他の関係団体にも多様で入り組んだ政治的立場やこれまでの経緯があり、いったん先進的な理念のもとに「第一次意見、第二次意見」策定に至っても、そのまま基本法に反映されるのはもとより困難であり、様々な力関係の結果として一定、押し戻されることは、想定内だったとも感じています。
 その力学は、当時の議事録を追うだけでは考察しきれないものではないと考えます。
 特に、「3. 改正障害者基本法作成までの議論の流れ」の箇所で、分析が不十分だと感じました。各委員のコメントが引用されていますが、それらは額面どおりに受け取るものではないと考えます。

 またインクルーシブ教育については、その定義であれ方向性であれ、制度改革以前から複数の勢力による対立、葛藤があり、第一次意見以降も紆余曲折がありました。こうしたことについてどの程度、読み込まれているのか、疑問に思いました。)

 今後、各委員の背景となる団体の歴史(政策との関係を含む)等も調査を進め、関係者へのインタビューなどを実施し、さらに詳細な研究を進めていかれることを期待したいです。

(意見2)改正障害者基本法の評価について
「4. 改正障害者基本法について」から「おわりに」にかけて、基本法の改正を「権利性が後退した」ものと評価されていますが、その根拠が乏しいように感じられました。

「…であるならば、権利を制限する「可能な限り」が6か所もあるのは権利法として成り立っていないということである。そして、最も権利性が問われる地域生活と教育に主に付いていることは障害者の生活と生きる力を削ぐものである。」

と、断言されていることには、やや疑問を覚えます。

 運動的な立場から、「可能な限り」という文言にいら立つ思いの人がたくさんいたことは、私自身よく記憶しています。

 しかし法律の制定は、多くのステイクホルダーを巻き込み、合意形成を重ねていく過程にほかなりません。制度改革以前にはまったく存在しなかった「社会的障壁」という文言を含めた障害の定義、まったく存在しなかった「差別禁止」の法制度を実現させていくためには、水面下での(議事録には表れないところでの)駆け引きや妥協も多くあったことは間違いありません。
 「前進だった」と言いたいわけではなく、簡単に評価を下すべきことがらではないと考えます。

 改正基本法は、まちがいなく障害者差別解消法制定の根拠となりました。それがいくら限界があり、施行後に多くの問題が露出させているにしても、「差別禁止」の法制度が「流れる」(成立しない)可能性もあったことを考慮すると、改正基本法の意義は過小評価してはならないと考えています。

 「おわりに」のところに、

「改正基本法における権利性の後退に帰結した政治の在り方は第1に社会における障害者の政治的後退を示している。相模原障害者殺傷事件とその後のネット上の憎悪に満ちた障害者へのバッシングはその表れと言える。」

 とありますが、残念ながら、雑な印象論に思えます。 政治的「後退」という文言もまた、特定の立場からの主観的な文言に思えます。

 「後退」と断じる前に調べること、考慮すべきことは山ほどあるように思えます。 

 最後のほうに「改正基本法とその成立過程は様々な角度から詳細に分析されなければならない」と有松さん自身が書かれています。その通りに進められることを期待します。 

以上です。

〈2021.9.16 報告者から〉
松波様

ご意見ありがとうございました。
今こそ制度改革の政策分析が重要だと思っておりますので、基本法だけではなく全面的な制度改革の政策研究にすでに着手しております。当初より主要な方々へのインタビューは予定しておりましたので、着々と進めております。障害児教育については、拙稿「障害児教育の現状と課題-特別支援教育の在り方に関する特別委員会審議の批判的検討」(Core Ethics9)及び「ニーズ教育(特別支援教育)の“限界″とインクルーシブ教育の”曖昧”:障害児教育政策の現状と課題」(立命館人間科学研究28)をご参照ください。


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