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理念的必然性を持った障害者雇用
阿地知 進


キーワード;障害者雇用、太陽の家、中小企業家同友会

本文

はじめに
 障害者の雇用を考える時、多くの場合、障害者は健常者と待遇も給与も同じ労働者にはなっていない。今回は、まず障害者の雇用義務の法的根拠や、制度の数値の問題点を考察する。そして、先駆的な太陽の家の活動から、障害者支援の方向を理念的必然性を持った障害者雇用として考察する。

1.障害者雇用の問題点
(1)ダブルカウント制度と特例子会社
 重度障害者の雇用促進のための制度とされるダブルカウント制度がある。しかしダブルカウント制度は、障害者の権利として雇用を保障するものではなく、健常者(雇用の場合は経営者になる)の恩恵や同情を背景に、障害者雇用促進法に基づく、経営者の不利益を解消することを眼目としているような制度である。障害者雇用促進法における諸制度の中で、ダブルカウント制度の問題点は、障害者の職能とは関係なく、手帳の等級で、雇用者数のカウントを、1人の雇用で2人雇用しているように数えるという点である。それを立案し、制度として運用している健常者にとっては、障害者の為に工夫し、納付金や調整金の動く、当該制度の根本的な部分の1つとして運用されているということになっている。しかし、当事者としての障害者にとっては、その成り立ちの最初から、望ましい制度とは方向が違うと感じられるものである。そのような制度で、障害者雇用の促進が目的であるというのだが、多くのディスアビリティを障害者にもたらす存在ではないかと思われる。
 同じように特例子会社という制度もある。これも、大きな企業の雇用促進法の雇用者数を有利にカウントするもので、企業の事業主が障害者のための特別な配慮をした子会社を設立し、一定の要件を満たす場合には、その子会社に雇用されている障害者を親会社や企業グループ全体で雇用されているものとして算定できるというものである。そうすることで、雇用率1.8%(今は2.3%)を確保し、雇用率を達成しないと、不足人数1人当り月額5万円の雇用納付金を納付する義務を回避できるというものである。
 しかし、障害者としての視角で考えるとき、特例子会社でも、障害者は、多くの場合、非正規雇用で雇用され (健常者は、正規雇用なのだが)、作業内容は就労継続支援A型に近いもので、障害者の労働能力を正しく反映した、ディーセントワークとは程遠いものである。つまり、障害者の権利として雇用を保障するものではなく、健常者の恩恵や同情を背景に、障害者雇用促進法に基づく、経営者の不利益を解消することを眼目としているような制度だと言える。
 特例子会社での障害者の仕事は、名刺の印刷や清掃業務など、安い賃金での単純作業で、障害者を使う理由は、雇用促進法の法令遵守と安い労働力でしかありえない。
最近、農業分野での特例子会社というものも増えているが、その内容を調べてみると、工場で何かを製造するのと同じ考えで農業を捉えて、単純作業の安い労働力で、雇用促進法の法令遵守を目指すような方向としか思えないものがほとんどである。 1)
 農水省も、好意的にこのような活動を報告しているが、水耕栽培の工場をつくって、計画的に栽培して、全国に販売し、工場(水耕栽培の農場ですが)では、正社員の健常者の職員と、パートの障害者が働いている構図は、農作業の持つ全体性や、大地を耕作する循環型の生産体系といった農業の素晴らしさとは程遠い、資本主義的工場労働のパートで雇用された障害者でしかない。農水省の考える農業の在り方が、これでいいのかと甚だ疑問である。農業の、第6次産業的発展は、必要なことだが、特例子会社が農業部門に手を伸ばしてゆくやり方には、賛成できない。 2)

(2)割当雇用制度
 障害者雇用の諸制度の中で、割当雇用制度あるいは義務雇用制度の法的根拠は、「障害者の雇用の促進等に関する法律(昭和三十五年七月二十五日法律第百二十三号)」である。
 こういった障害者雇用の推進制度は,世界的には,割当雇用制度から始まる。それは、第一次世界大戦後の傷痍軍人への対策が障害者対象へと拡大して行ったものである。
 現在、各国の制度は、割当雇用制度のみ、割当雇用制度を廃止して差別禁止法のみ、両者の併用と多様だが、全体の流れは割当雇用制度から差別禁止法による制度へと動いている。
 これらの制度の問題点は、割当雇用制度(義務雇用制度)には、障害者を雇用する義務の根拠が示されないため、健常者の恩恵や同情を背景とする雇用になる点。また、ダブルカウント制度の、ハーフやトリプルなどではなく、なぜダブルかという点。さらに、障害者雇用促進法の雇用率がなぜ2.3%なのかなどが明らかにされていないことである。
 そして、ダブルカウント制度などは、障害者を多く雇っていることが、経済競争上不利になるという、事業主にとっての“不公平感”が、当然のこととして制度に反映している点が問題で、ここに、障害者は「デキナイ労働者」と言うことが、暗黙の理解・了解となり、この点が障害者にとってのディスアビリティをもたらしていると考えられる。

(3)障害者を雇用する義務の根拠がない割当雇用制度
 「障害者の雇用の促進等に関する法律(昭和三十五年七月二十五日法律第百二十三号)」の「総則」で、「障害者の雇用義務」の言葉は出てくるが、義務の発生の根拠等は述べられてはいない。

第一章 総則
(目的)
第一条  この法律は、身体障害者又は知的障害者の雇用義務等に基づく雇用の促進等のための措置、職業リハビリテーションの措置その他障害者がその能力に適合する職業に就くこと等を通じてその職業生活において自立することを促進するための措置を総合的に講じ、もつて障害者の職業の安定を図ることを目的とする。

 「第一章第五条」に、事業主の責務ということで、その義務が、「社会連帯の理念」から発生することが述べられている。

(事業主の責務)
第五条  すべて事業主は、障害者の雇用に関し、社会連帯の理念に基づき、障害者である労働者が有為な職業人として自立しようとする努力に対して協力する責務を有するものであつて、その有する能力を正当に評価し、適当な雇用の場を与えるとともに適正な雇用管理を行うことによりその雇用の安定を図るように努めなければならない。

 同じく、「第三章 身体障害者又は知的障害者の雇用義務等に基づく雇用の促進等 第一節 身体障害者又は知的障害者の雇用義務等」として「第三十七条」で、「身体障害者又は知的障害者の雇用に関する事業主の責務」が述べられるが、やはり、なぜ責務が発生するかは判然とせず、結局、責務の根拠は、健常者(事業主)の恩恵や同情を背景に、障害者雇用促進法に基づく、経営者の不利益を解消することを眼目とするような部分が見えてくる。

第一節 身体障害者又は知的障害者の雇用義務等
(身体障害者又は知的障害者の雇用に関する事業主の責務)
第三十七条  すべて事業主は、身体障害者又は知的障害者の雇用に関し、社会連帯の理念に基づき、適当な雇用の場を与える共同の責務を有するものであつて、進んで身体障害者又は知的障害者の雇入れに努めなければならない。

 明確な障害者を雇用する義務の根拠は示されず、「義務」な存在に終始している。なぜ障害者を雇用しなければならないかは明示されず、事業主としても、納付金を払っても障害者を雇用しないという選択肢は出てきても不思議ではない。

(4)障害者雇用率の式について
 ダブルカウント制度は、重度障害者を雇用するとどうして2人雇用した(ダブルカウント)とするのかが全く述べられていない。同様に、割当雇用制度の雇用納付金の達成基準の障害者雇用率の数値も根拠が曖昧である。

障害者雇用率の式

障害者雇用率=(身体障害者及び知的障害者である常用労働者+失業している身体障害者及び知的障害者の数)÷(常用労働者数 - 除外率相当労働者数 + 失業者数)

 一面では、妥当な内容の式に見えるが、この式に関しても、ダブルカウント方式と同様に、数値その他について、十分な精査がなされているとはいえない。
 ここでは、三つだけ問題になる点を挙げておく。
①なぜ、障害者雇用率は、最初の1.5%に決められたのか。障害者の全人口に占める割合は、はっきりした数字は分からないが、いくつかの統計資料によれば6%から15%の間である。だとすると、雇用されるべき水準の障害者雇用率が、1.5%では、あまりにも低いし、この数値を、現在の障害者雇用率より大きな数値以外で説明している資料もない。
②「失業している身体障害者及び知的障害者の数」という数字だが、平成25年の数字で、身体障害者19.1万人+知的障害者6.7万人で厚生労働省職業安定局の最新調査の数という説明の資料がある。その数値は、ハローワーク等の発表している「有効求職者数」のように、本当に、働きたくて働くところを探している障害者の数とは、必ずしも一致しない。つまり、ハローワークに求職票を出して就職できなかった数に過ぎず、障害者の求職に対する状況は、ハローワークに求職票を出してもどうせ仕事がないだろうという諦めや、何度もハローワークに行けないという状況、また、そうやって職業を探す方法を知らないといった割合がかなりある。同様に、厚生労働省職業安定局の最新調査の数と言うのも、極めて、信憑性が薄い。
 さらに、現在、多くの数を占めるようになった精神障害者の点も、問題が残る。
③今回、実数で計算した障害者雇用率が、2.072%なので、法定雇用率を2.0%にするという厚労省の見解だが、「第48回労働政策審議会障害者雇用分科会」による、上昇改定の数値は、除外率相当労働者数という障害者にはできない仕事と言う規定による人数を取り除けば、改定雇用率は2.072%から3.326%に上昇する。また、ダブルカウントせず、カウントではなく実数で計算する等加味すると、障害者雇用率は3.290%にもなり、今回のように、0.2%の上昇ではなくて、1.3%程もあげる必要があると述べている。  3)
 他にも問題点はあるが、このような数値を1.6%から1.8%、2.0%、2.3%とあげてみても、障害者の視角からは、すこしも状況は変わってはいないはずである。

2.就労の場として始まった太陽の家
 特例子会社の先行事例としての(太陽の家の)共同出資会社調査を1つの目的として太陽の家の調査をおこなった。
 今回は、障害者雇用におけるたくさんの問題の中から、特例子会社と共同出資会社、つまり、太陽の家の活動について、障害者という視角に立った、現地調査の一部を簡単にまとめる。
 特例子会社ではないが、大企業と障害者雇用の協力という面で、太陽の家の活動がある。太陽の家の設立が1965年で、特例子会社の法制化が1986年なので、20年も時間的にずれがあり、現在からは、56年も遡ることになるが、継承すべき点はたくさんある。特に、太陽の家での障害者の能力というもののとらえ方に、50年以上も遡るものとは思えない斬新なものがある。 4)
 障害者を、デキナイ人と捉えれば、コストと効率、あるいは効率性と費用対効果という面から、経済学的には、障害者の労働力は問題外ということにされているが、中村裕博士(太陽の家の創設者)は、デキナイ人とはとらえていなかった。
 「身障者の真の幸福は慈善や同情ではなく、彼らに働く機会を与えることである。今後とも雇っても損をしない身障者を養成するため、研究を続け報告するつもりである。」
 「保護より働く機会を No Charity but a Chance!」
 「被護者でなく労働者である。後援者は投資家である。」
 「私は社会福祉のベースは単なる観念的・慈善的・宗教的なものでなく、あくまでも科学であると信じている。」
 「足りないところは科学の力で」
 以上の語録にみられるように、中村博士は、作業環境を整えることで、障害者は十分働けると考えていた。さらに、「太陽の家の中では十分に働ける準備ができた人たちを、一般就労として送り出したのだが、人間関係その他でやめてくる人たちが見られ、それなら太陽の家で働ける場所をと、共同出資会社を立ち上げた」 (以上小田博道氏・太陽の家法人本部総務人事課・工学博士よりヒアリング) と聞いた。そして、「共同出資会社で働く障害者が、共同出資会社の社長になった例もあれば、働く社員同士が結婚し、住宅を持ったという話も何例かある」そうだ。(徳田氏・太陽の家法人総務・脊椎損傷で車いすを使用している方よりヒアリング)
 太陽の家の示すものは、障害者が同じように大きな企業で働く場合でも、経営サイドの障害者のとらえ方が違えば、大きく結果が変わってしまうということである。特例子会社において、障害者が社長になるなどと言うことは、考えられない。障害者を健常者に近づけようとするのではなく、仕事の出来上がりは、健常者近づけ、もっと言えば、健常者をも上回る仕事が、作業環境を整えることで、可能になりうるという考え方であろう。
 ここではあまり詳しくは述べないが、例えば、障害者の状況により、1つの製品を、最初から最後まで任せてしまう。その結果、ソニーのマイクロフォンでも、マイケルジャクソンなどが購入する、特注の何百万円もするものが、1人の障害者の製品として納入されたり、逆に、健常者の一つの工程を、複数の障害者が担当するといったことなど、個々の障害者に合わせた労働の工夫の、多くの事例があった。
 ただ、太陽の家においても今日的課題ということでお話をうかがった際、「中村先生の時代は、ほとんどが身体障害者で、それに対応するような体制をとってきたが、近ごろは、精神障害者の数が増えてしまって、身体障害者の求人を東京方面にまで出している」(奥武あかね氏・太陽の家就業支援担当よりヒアリング)という事でした。
 この点は、障害者が、就労の現場でどのような不都合があるかに、障害ごとの特性があることを示しており、精神障害者の特性を、職能としてはどう評価すればいいのかは、これからの課題でもあろうかと思われる。
 特例子会社と太陽の家の共同出資会社は、どちらも大きな企業が障害者を雇用していて、福祉就労とは違った位置にあるという点では同じであるが、特例子会社は、雇用を権利としてとらえるのではなく、健常者の恩恵や同情を背景に、障害者雇用促進法に基づく、経営者の不利益を解消することを眼目とするという点で、多くのディスアビリティの見えてくる、障害者に望ましい在り方ではなく、共同出資会社の様な成り立ちの在り方に、特例子会社は、根本的な転換が必要ではないかと考える。

3.障害者雇用における理念的必然性
(1)理念的必然性
 障害者を雇用するかしないかにおいて、雇用主にとって障害者の雇用に何か必然性があるものと、障害者の雇用に必然性のないものがある。この必然性を障害者雇用の「理念的必然性」とする。障害者の雇用に必然性のない場合、いわゆる「恩恵や同情」と納付金の圧力で雇用に至る場合と、雇用に必然性がないので不採用に至る場合に別れ、「恩恵や同情」と納付金の圧力では、雇用には至らないことが多い。半数以上の企業が障害者を雇用せずに納付金を納めているのが現状である。
 障害者の雇用義務を主張する法律があっても、障害者を雇用する根拠がどこにも明示されていない現状で、障害者をデキナイ労働者という暗黙の了解の中では、「恩恵や同情」に頼ることは、本当に脆弱なものに依存することになろう。
 そして、雇用に至ったとしても、意味のある仕事を準備している場合は少なく、多くの特例子会社のように、本社の業務とは関係のない、社員の名刺の印刷や、水耕栽培の単純作業といった障害者だけの部門に割り振っていることが多い。

(2)理念的必然性を持った雇用のモデル
①太陽の家
 前回の、東京パラリンピックに大分県から選手を引率し、大会を終えて、中村先生が、選手に感想を聞くと、試合の事より、外国の選手は仕事をしながらスポーツに参加しているが、(日本の)我々は働いていないというものだったという。それで、中村先生は、大分県に帰って太陽の家を立ち上げたのである(太陽の家調査より)。そして、中村先生が、最初に雇用したのが、介護職員ではなく工学博士を持った3人の職員であったそうである。(その中の1人に取材)
 太陽の家では工学的な工夫で失われたものを補えば、障害者にも輝くものが必ずあるという方向(労働者観)で、障害者と道具を育て、自信をもって企業に送り出したが、障害者が全部戻ってきた。仕事に問題があるのではなく、人間関係などがうまくいかなかったということで、それならば自分のところでと、共同出資会社に進む。
 「工学的な工夫で失われたものを補えば、障害者にも輝くものが必ずある」という理念的必然性があるものだと考えられます。「世に心身障害はあっても仕事に障害はありえない」という言葉も残され、トップに理念的必然性があれば大きく動いていくことが分かります。
②中小企業家同友会の活動
 中小企業家同友会の健障者委員会の活動についてのヒアリングに基づいて簡単に述べておく。 5)
 「中小企業の宿命として、地域と密着しなければならず、障害者等の就労困難者を雇用することは避けられない」という理念的必然性がある。つまり、大企業の店舗は、何らかの失敗や業績の悪化するような要因があったときは、閉店して他所に移転することも可能だが、中小企業は、場所を変えることは不可能なため、障害者等の就労困難者も重要な顧客であり従業員の候補であるとのことである。
 したがって、むしろそのような人たち(障害者等の就労困難者)の雇用が新たな顧客を呼ぶことになる方向を考えている。
 このような、中小企業には、障害者等の就労困難者を雇用する理念的必然性があると言える。
③雇用する障害者
 障害者が雇用主となる、あるいは、多くの発言権を持つ経営体では、障害者が、経済力を持ち自立できることは、自分自身の問題として切り離すことができないと考えられる。それは、割当雇用制度に見られる、障害者の数だけが問題であるような障害者は「デキナイ労働者」という観念からは、費用対効果という物差しで測ってゆけば、障害者を雇用することは、いかにも不利に考えられ、障害者の雇用の条件は、賃金をはじめとして、不利なものとなっていることを理解していれば、障害者の雇用には理念的必然性があると考えられる。
 この点の詳細は別の機会に譲るが、「雇用する障害者」は、運営の主導権(雇用権)を障害者が持っている場合で、人事に関与できる公務員なども含む。
 「雇用する障害者」の障害者雇用に対するとらえ方は
・職能以外の障害者のデメリットを考えない
・職場に障害者がいることに違和感がない
・障害者の困っている点はピアサポート的に理解されてくる
などが考えられる。
 また、「雇用する障害者」の困難な点は、
・仕事は作れるが、障害者の生活費を賄う賃金が払えるか
・健常者と障害者が共存する時、費用対効果の価値観に対抗しうるものを提出できるか
などが考えられる。

4.まとめ
 ディスアビリティの多い障害者雇用の場面で、理念的必然性のある雇用の存在は、障害者の権利としての労働を保障し、障害者の就労や社会生活、経済生活のディスアビリティの減少につながる。雇用環境も、新しいものが良くなっているかというと、共同出資会社が特例子会社になったことが発展になったとは言えない。
 障害者が雇用されることについては、矛盾やディスアビリティが大変多い。
 障害者目線からすれば、障害者雇用の常識を、根幹で割当雇用制度等が形作っていて、それが、いいものとは決して言えない。国の制度は、障害者の社会参加を有効に支援するものとはなっていない。
 障害者の雇用は、理念的必然性を持たない場合、雇用時点での合否や雇用後の、待遇や給与など、特別な意味を含んだ雇用になる点で、ディスアビリティの多いものになっている。
 太陽の家的、中小企業家同友会的、雇用する障害者などの障害者を雇用することに理念的必然性のある雇用の割合は少ないと言える。
 国の施策の、障害者を雇用することの経済的不利益を前提とする制度の成り立ちには失望するものが多く、民間企業でも同様の傾向がある。制度の問題点を挙げても、それが改善されるには、気の遠くなる時間がかかりそうである。経済生活において障害者には待つことは出来ない。中途障害においては、一層時間がない。いつまでも待たされることで、貧困に埋没してしまいそうである。理想的な雇用環境を待っているのではなく、すぐにでも間に合う社会参加の方法が望まれる。
 理念的必然性のある雇用の増加や(今回は触れられなかったが)農業を中心に置いた6次産業化した営業体などの、権利としての労働が確保されディスアビリティを減らす方向の雇用の増加が期待される。


1)「農業分野における障害者就労と農村活性化-障害者施設における農業活動に関するアンケート集計結果及び特例子会社の農業分野への進出の現状と課題について-」農村活性化プロジェクト、研究資料第5号、農林水産政策研究所、平成24年10月
2)障害学会第17回大会「農業における障害者雇用――農福連携への一考察」(阿地知)など参照
3)峰島厚、岡本裕子(2012)「障害者雇用の推進方策のあり方」『立命館産業社会論集』第48巻第1号 204-206
4)太陽の家の共同出資会社の第1号は、1972年オムロン太陽株式会社。
太陽の家の調査で、質問用紙による回答を文書で頂いた際、共同出資会社を特例子会社と呼んでいる方もいらっしゃいました。
太陽の家=共同出資会社ではなく、中に、ほとんどすべての障害者雇用の事業所を持ち、その1つとして共同出資会社があります。ソニー、ホンダ、オムロン、富士通、三菱商事など、日本の大きな会社の共同出資会社を、大分という場所に集めています。
そして、職員と利用者が一緒になった、労働組合のような「むぎの会」を持っています。
5)障害学会第11回大会「割当雇用制度の限界と新しい障害者雇用への動き
~新たに検証したい活動」(阿地知)など参照


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。

〈2021.9.10 会員から〉
①「理念的必然性を持った障害者雇用」への質問
②鶴田雅英(東京都大田福祉工場)

「障害者雇用における理念的必然性」について

「障害者雇用における理念的必然性」という問題提起がとても興味深いものでした。そもそも「障害者雇用における理念的必然性」とは何か、それがあるとすれば、どのように存在するのか、ほんとうにあるのかなど、この問題提起をさまざまな方向から考えました。そしてそのように思考することは、おそらく私以外の多くの人にも、大切なことだと思いました。

阿地知さんはこの論文で「障害者雇用における理念的必然性」について、それがある雇用とない雇用があるとされています。必然性がないという説明はとてもわかりやすいです。【いわゆる「恩恵や同情」と納付金の圧力で雇用に至る場合】とされています。それでは「ある」場合とは何かを考えると、雇用主のベネフィットにつながるということだと思います。

そこで気付くのは、その必然性のあるなしは「あれかこれか」という性格のものではない、ということです。

「納付金の圧力」も雇用主のベネフィットということは出来ないでしょうか? ほとんどの企業は「納付金(の圧力)」のことを考えていると思います。同時に戦力になる、あるいは企業イメージを高める障害者を雇用したいと考えます。それはゼロか100か、という話ではなく、両者のバランスの中で採用するかどうかが決まっていくという性格のものだと思うのです。

「障害者雇用における理念的必然性」という、この阿地知さんの大切な問題的から、気付かせてもらったのは、それがあるかないかというゼロサムの話ではなく、グラデーションでつながるバランスの中で、雇用が実現されるということでした。

このように考えたとき、障害者雇用に関わる多くの要素は「これは必然性に含まれる」「これは必然性に含まれない」というようにリジッドに分けられるものではないと思うのです。雇用率や同情心も、ときとして必然性であり得ると思います。「採用」とか「不採用」という結果も、その時点での条件の積み重ねという「必然性」の結果、生じるということも出来ると考えます。逆に言えば、条件が変化すれば、必然性も変化するとも考えられます。就労支援はこの条件を採用側に動かしていくことだということができるかもしれません。

そして、阿地知さんの問題提起から、企業の障害者雇用「外注」の中で行われている雇用に,企業には雇用率の達成以外に全く利益をもたらさない仕事があるということを想起しました。

*毎日新聞 2019/11/7 東京朝刊記事
記者の目 企業の障害者雇用「外注」 分断広げる「数合わせ」=山田奈緒(東京社会部)参照
https://mainichi.jp/articles/20191107/ddm/005/070/017000c

同時に、複数の特例子会社が集まって、どのように企業に利益の出る障害者雇用を作れるかということを考える「職域研究会」のような場も開催されています。逆に言えば、そのようにしなければ、企業に利益をもたらす職域を開拓できない現実があります。

そのような状況もあるので、「障害者雇用における理念的必然性」について考えることは意味のあることではないかと考えたのでした。

以上、阿地知さんの問題提起から、想起したことを雑駁に書かせてもらいました。

そこで質問です。

1-1,
「雇用主にとって障害者の雇用に何か必然性があるものと、障害者の雇用に必然性のないもの」を分ける基準は何でしょう?

1ー2,
「雇用主にとって障害者の雇用に何か必然性があるものと、障害者の雇用に必然性のないもの」というふうに、二分することに無理があると思いますが、その点についてどう考えられるでしょう?

2ー1,
「本社の業務とは関係のない、社員の名刺の印刷」や「水耕栽培」は意味のない仕事でしょうか? 意味のある仕事と意味のない仕事を分かつものは何でしょう?

2-2、
また、阿地知さんのように考えたとき、農業の環境のない都市部に住む知的障害者に出来る意味のある仕事とはどんな仕事になるでしょうか?

〈2021.9.15 報告者から〉
 ご質問いただきありがとうございます。
 一つだけ確認しておきたいのですが、私の研究は、障害者目線で社会現象を見直すというという立ち位置です。
 14年前に、脳内出血の後遺症で1級の身体障害者になった私にとって、生き難さをインペアメントとディスアビリティで考えてゆくとき、社会の中で、障害者に起こっている多くのことを違った視角で、私に示してくれるような気がしています。例えば、障害者の為に行われているはずの制度が、障害者にとってはいくつものディスアビリティを生むものになっているのではないかと言う点です。それは作意のディスアビリティばかりではなく、気が付かれていないものもあります。
 そういうわけで、「雇用主のベネフィット」の前に(雇用の)「理念的必然性」を置く体系になるため、ご質問の意図とは、やや違った方向の答えになってしまったらご容赦ください。

1-1,
「雇用主にとって障害者の雇用に何か必然性があるものと、障害者の雇用に必然性のないもの」を分ける基準は何でしょう?

 「理念的必然性」があれば、障害者にとって、理不尽な不採用や、簡単に雇用が打ち切られることがありません。採用の後も、ディスアビリティの無い雇用又はディスアビリティが配慮されている雇用であり続けるはずです。
 ディスアビリティの要素(福祉的雇用ではない一般雇用で)は
   ・賃金、昇進、雇用期間などの不公平
   ・勤務内容や職種の不平等
   ・施設、用具などの障害対応の欠如
   ・その他
などです。すなわち、ディーセントワークが考慮されていることとも言えます。
 福祉的雇用ではない一般雇用としたのは、福祉的雇用では、別の問題もあり、詳しいことは、紙幅の関係もあり、別の機会に譲ります。ただ、シェルタードに障害者を集めて健常者がお世話をするような形ではなく、インクルーシブに健常者と障害者が一緒に働いてゆくのが自然だとは思います。私は、障害者になってから、3つほどNPO法人を作り、就労Bの事業所を立ち上げて、福祉的雇用の場面ではいくつか思う事もあるのですが、この点は別の論文で述べているので、省略いたします。
 さて、必然性のありなしの基準は、結局、上記のような雇用の継続の意図のありなしなので、基準というのはそのありなしという事でしょうか。
 
1ー2,
「雇用主にとって障害者の雇用に何か必然性があるものと、障害者の雇用に必然性のないもの」というふうに、二分することに無理があると思いますが、その点についてどう考えられるでしょう?
 
 障害者の雇用が安定して続いている企業の性質を、「理念的必然性」という言葉で代表させるという事で、表面的には、偶然に障害者を雇用することの対象概念ととらえています。単に必然性というのではなく、「理念的必然性」には、いろいろな内包を簡潔に代表させているので、障害者を雇用しない、あるいは、障害者を雇用することが重荷になってすぐに雇用をやめてしまう、劣悪な雇用環境で障害者が長続きしないなどの企業の行動の理解に使っています。
 「雇用主のベネフィット」の前に、不利だとされる障害者を雇用する障害者雇用の場面を説明するのが「理念的必然性」です。「雇用主のベネフィット」をもたらすと信じますが、あくまで「雇用主のベネフィット」の前に「理念的必然性」が来ると思います。
 したがって、ありなしの二者一択になり、二分することに無理はないものではないでしょうか。

2ー1,
「本社の業務とは関係のない、社員の名刺の印刷」や「水耕栽培」は意味のない仕事でしょうか? 意味のある仕事と意味のない仕事を分かつものは何でしょう?

 印刷屋さんが名刺を作るために障害者を雇用する時は、意味がある仕事を作ることができます。例えば、イラストレーターで作ったオフセット印刷用のデーターは、障害者が作ったものも健常者が作ったものも差が出ません(実は、NPO法人の就労Bで印刷もやっていました)。1人で作っても、何人かで作業を分割しても同じです。しかし、障害者が、納付金の圧力のための頭数では意味が違うと思います。データーつくりなどは健常者がやるのでしょうから・・・。この辺も、追い込むと長くなりそうなので省略します。すいません。
 水耕栽培も工場で作る野菜の機械の監視等で、これならやれるだろうという仕事をあてがうことで、やはり障害者は使い捨ての頭数だけです。
 すでに述べてきましたが、ディーセント・ワークという観点から考えていて、何ができるかではない、人数のみが必要な雇用ではなく、本来の業務を障害者も一緒にやるような雇用が、意味のある仕事(を生む)ととらえます。
 
2-2,
また、阿地知さんのように考えたとき、農業の環境のない都市部に住む知的障害者に出来る意味のある仕事とはどんな仕事になるでしょうか?

 6次産業化(生産から加工・販売まで)した農業には、人事、経理、販売、接客など、作物を育てる以外に、多くの職種を持つ事になります。
 農園からの農産物を販売するのは都市部になると思われますので、販売や袋詰め、直売店が持てればさらに多くの業務が考えられます。
 農業、広い意味で食にかかわる業務が嫌でなければ、やりがいの持てるものになると思います。
 障害学会でも何回か現在行っている農業の報告をやっていますが、資料が必要でしたらご連絡ください。

〈2021.9.12 会員から〉
精神障害者の就労について調査研究を行っている大学院生の駒澤真由美と申します。
(所属:立命館大学大学院 先端総合学術研究科 一貫制博士課程)

本報告では、現在の障害者雇用の待遇や給与が健常者と同等ではないことを問題とし、「太陽の家」という先駆的な事例を中心に障害者就労のあるべき姿を模索されていることに共感を覚えました。以下、3つの質問がございます。

1. 共同出資会社と特例子会社の雇用条件の違いについて
 勉強不足でよく存じあげないため教えていただきたいのですが、特例子会社の多くは(健常者は正規雇用で)障害者は非正規雇用のパート勤務で低賃金であるのに対して、共同出資会社では「同一待遇・同一賃金」なのでしょうか。「太陽の家」のHPを拝見すると、社会福祉法人となっており、募集欄は「採用」と「利用」の2つに区分されていました。制度の都合上そのようにされていて、法人内では設立当初の理念に従った事業運営がなされている(あるいは過去にはそのようになされていた)ということなのでしょうか。

2.太陽の家における障害者と健常者の職場定着率について
 作業環境を整えることで「太陽の家の中では十分に働ける準備ができた人たち」が一般就労では「人間関係その他でやめてくる」という人事課・工学博士の方へのヒアリング結果から言えることは、障害者の同僚と一緒に働く場のほうが就労継続に資するということになりますか。太陽の家の所属人数を確認すると、ざっくり障害者10:健常者7の割合でした。こちらでは(条件次第ということにもなるかもしれませんが)健常者の従業員のほうの定着率はどうなのでしょうか。なぜこのような質問をさせて頂いたかと申しますと、私がフィールド調査を行った「誰もが対等に働く場」を理念に掲げる社会的事業所では、支援する立場の健常者が現場におらず、身体・知的・精神に障害を抱える人たちが「(働く場所が)ここしかないから」と言って助け合って働かれていたからです。

駒澤 真由美,2020,「精神障害者が働き続ける『社会的事業所』とはどのような場なのか――一般就労でもなく、福祉的就労でもなく」[R-Cube] ([PDF] 外部リンク)『Core Ethics』,Vol.16,pp.71-82.

3.「雇用する障害者」の障害者雇用に対する捉え方について
 「職場に障害者がいることに違和感がない」「障害者の生活費を賄う賃金が払えるか」「健常者と障害者が共存する時、費用対効果の価値観に対抗しうるものを提出できるか」といった事項を挙げておられましたが、もしよろしければこれらについてもう少し詳しい解説をお願いできませんか。農業を中心に置いた6次産業化した営業体は、その突破口になりますでしょうか。大変重要な観点かと存じますので、ご教授頂けますと幸いです。

以上、よろしくお願い申し上げます。

〈2021.9.15 報告者から〉
質問1について
 太陽の家では、いろいろな訓練所、就労支援事業所等を持っており、最初は本人の希望で選んでいただき、一定の期間で、本人の適正に基づいて所属を決めていくそうです。これが「採用」と「利用」のわかれるところで、原則、まずは福祉施設の利用で適性を見て採用になる人がいるという話でした。
太陽の家の職員に、最初に雇用されたという工業博士の話をでは、入所の振り分けの面接は 、今ではメーカーが作っていないのですが、おもちゃの機関車の分解と組み立てをやってみるというものでした。知育玩具のようなものですが、部品の組付けの順番を間違えれば、ちょっと時間がかかりそうなものでした。結局、組み立てるスピードなどだけを見るのではなく、ちゃんとできなくても、失敗の仕方や、辛抱強さなどを見るということでした。

 少し話がずれてしまいましたが、配属される部署によって収入は変わってくるとのことです。多分、一番上位の共同出資会社では、障害者と健常者の賃金の差別はなく、本文に書いたように、障害者が社長になることもあるそうです。ちなみに、共同出資会社は、それぞれ「ホンダ太陽株式会社」のように、株式会社になっています。
私の用意した調査用の質問用紙は、共同出資会社を特例子会社と書いていたのですが、話を聞くうちに、全然違うものだとわかってきました。太陽の家の担当者は、特例子会社と書いてある私の質問用紙に特段異論を唱えることなく回答をくださいました・・・。

質問2について
中村博士は、健常者と遜色がないと自信をもって送り出した障害者が、理不尽な扱いを受けたり(いわゆるディスアビリティ)、障害者であるからといじめられたりで戻ってきたという事です。それなら、そんなことが起きないように、当時、まだ創成期のホンダやソニーの創始者たちを巻き込んで、それぞれの会社を作ったそうです。中村博士はそれらの創始者とは、面識もないところから交渉を始めたというのですから、ちょっと驚きでした。1.の回答でも書きましたが、共同出資会社は、株式会社で一般就労です。介護職員ではなく、みんな対等な社員です。なので、共同出資会社においては、職場定着率高いと思われます。きちんと伺ったわけではないのですいません。システムとして、授産的施設から始まって就労Aまで上がってきてからの共同出資会社であれば、障害者の定着率も予想できると思います。健常者のもう一つの職員は介護職員ですが、これは、意識になかったので、ちょっとわかりません。
 外に出すときも、共同出資会社でも、最初から健常者と同等というところから始まっているようです。こんな障害ならこの道具をというのをはっきりさせることは確立していたようで、考案した道具の展示場もありました。
 余談ですが、受付の業務が、全員道具等を使った障害者(例えば伝票を回すのも装置でするそうです)である、大分銀行太陽の家支店や障害者だけでやっているサンストアというスーパーなどもあります。

 「支援する立場の健常者が現場におらず」という点は、太陽の家の人たちは、障害者の同僚と働く事がいいと言うより、ディスアビリティの問題が大きかったと思います。共同出資会社で一緒に働く障害者の中には、健常者に馬鹿にされないようにと、かえって障害者に対して大変厳しい先輩もいたそうです(今は、ほとんどいないですが、ポリオの後遺症の方たちは、特にそういう傾向が強かったそうです)。現代的ではありませんが、良かれと思っての厳しさだったので、後々感謝されることが多かったとも聞きます。
 この辺りも、まだまだ考えることもあり、再調査で伺ってみたいこともたくさんあります。

質問3について
〇「職場に障害者がいることに違和感がない」
 これは、雇用するのが障害者なら、健常者には見られないような、障害者独特の所作や行動といったものに問題を感じないという事です。違和感としたのは、微妙なところがあって、嫌悪感、無関心、反発、誤解といった感情を角をとって「違和感」にまとめました。同じ障害なら健常者と違ってしまう日常のことなど、無条件に分かると思いますし、違う障害でも類推したり、理解するのが容易いと思います。ピアサポートは最近よく使いますが、雇用者がケアサポーターになる感じです。
たとえば、脊損で車いすの女性で、コンピューターの能力がずいぶんあったので、全国規模の製薬会社の特例子会社に就職したのですが、健常者の上司の何気ない「トイレが長いね」という言葉に傷ついて退社してしまいました。オストメイトや車いすからの乗降を考えれば長くなって当然なのですが、そんなことを20代の女性が説明できるものではないことだと思います。 障害者の上司なら起こらないことでしょう。
また、市役所などで、雇用率のために雇用された障害者が、配属された部署で、上司が何をやってもらったらいいか(どう扱ったら良いか)わからないので、ただ座っていればいいと言われたという話は、障害学会の質疑応答でも出ました。
このような、視覚障害者に、道案内を頼まれても、どう対処すればいいかわからないから障害者が怖いというたぐいのことも、「職場に障害者がいることに違和感がない」に含めています。
長くなりそうなので、別の機会に。

〇「障害者の生活費を賄う賃金が払えるか」
仕事を作ることは比較的簡単だと思いますが、障害者が生きて行ける賃金を支払い得る仕事を作らなければならないということです。労働の再生産費的賃金を考えていて、「障害者の賃金のありかた」(2018年障害学会 第15回大会)のPPを見て頂ければ幸いです。(もし見つからないようならご連絡ください)

〇「健常者と障害者が共存する時、費用対効果の価値観に対抗しうるものを提出できるか」
資本主義的な価値観では、健常者と障害者が同等の賃金であることには、健常者の側に不満が残ります。本来の資本主義には福祉は存在せず、資本主義が行き詰まれば社会主義という圧力の中で(1929年世界恐慌などの対応)、修正資本主義の形で資本主義が変化し、福祉国家も議論されますが、根本的な価値観の中では、費用対効果などは依然と主流です。(長くなるのでこのくらいで)
特に、健常者と障害者が一緒に働く場面では、出来高による賃金かベーシックインカム的な賃金を考えています。「障害者雇用の賃金とその意味」(2017年障害学会 第14回大会)のPPを見て頂ければ幸いです。(もし見つからないようならご連絡ください)
〇農業を中心に置いた6次産業化した営業体
昨年の障害学会の報告「農業における障害者雇用」を読んでください。すいません。
障害者と農業に少しでも関心を持っていただければありがたいと思います。私たちの活動も、コロナ禍で、いくつか変化させられていることはありますが、本質は変わりません。農業の活動の報告や資料は必要でしたらご連絡ください。

ご質問ありがとうございました。なかなか簡単にはまとまらなくてすいませんでした。

以上

(2021.9.20 会員から)
立命館大学大学院 先端総合学術研究科
一貫制博士課程 公共領域 駒澤真由美
http://www.arsvi.com/w/km35.htm

 回答しづらい抽象的な質問に対して懇切に応答くださり、ありがとうございました。
 太陽の家というグループのなかに、社会福祉法人の就労支援事業があり、就労継続支援B型、A型を経て、「適性のある人」だけが一番上位の共同出資会社で採用されて初めて、障害者と健常者間の差別なく「同一待遇・同一賃金」が保障されるということなのですね。阿地知さまのご説明を伺い、和歌山県にある社会福祉法人麦の郷の表1「障害程度に応じた就労支援モデル」(柏木 2013: 12)が浮かびました。麦の郷では、最初は全員、就労継続支援B型事業(時給250円からスタート)に配属され、平日週5日間責任を持って就労できれば就労継続支援A型事業のメンバーとして認められ最低賃金(時給731円)が保障される仕組みとなっています(柏木 2016: 72-79)。麦の郷の最終ステップは麦の郷で職員になるか一般企業への移行のようですが、太陽の家では最上位が共同出資会社での一般就労になるのだと理解しました。創成期は、中村博士がホンダやソニーの創始者にかけあって障害の有無に関わらず「同一待遇・同一賃金」を実現していたものが、自立支援法の成立以降は、共同連の参画組織のように、たとえ就労継続支援A型事業の助成金を活用していたとしても組織内では「理念的必然性を持った」運営をされているのでしょうか、というのが質問1でした。どうやら、そうではなさそうです。

表1 障害程度の応じた就労支援モデル


 就労レベル作業内容実労働時間賃金レベル経済的自立レベル
重度軽作業・訓練製菓・自主商品 1~1.5万円作業での支援が常時必要
中度保護的就労食品加工製造5時間4.5~6万円障害年金と給料5万円
軽度社会的就労Ⅰクリーニング、印刷7時間9~12万円最低賃金保障と社会保険、年金
自立社会的就労Ⅱ法人職員7時間以上15万円非常勤、アルバイト
 一般就労一般企業 15万円以上一般雇用

(柏木2013を参考に筆者作成)

 他方で、障害のある人もない人も「対等な賃金」を保障すると、障害のある人の定着率は高くなるが、障害のない人が辞めていきます。そこで質問2で、太陽の家における「健常者の従業員の定着率」についてお聞きしました。大分銀行太陽の家支店やサンストア(スーパー)の取り組みは非常に興味深いです。たとえば、サンストアは最初から障害者だけで事業を立ち上げられたのか、健常者もいたが退職率が高く、いつのまにか障害者だけになってしまったのか、気になるところです。
 次に挙げる阿地知さまのご報告には、すべて目を通させて頂きました。第13回障害学会報告「障害者雇用の賃金論」、第15回障害学会報告「障害者の賃金のあり方」、第16回障害学会報告「障害者雇用と農福連携の活動」、第17回障害学会報告「農業における障害者雇用」。障害者の労賃と所得保障(スティグマを伴うことのないベーシックインカム的なもの)に関する政策的なインプリケーションを博論の補論とし出版する際に、阿地知さまのご研究と実践を参考にさせていただきます。引き続き、よろしくお願い申し上げます。
 

文献
柏木克之(2013)障害者支援施設「麦の郷」の挑戦 地域でめざせ 社会的企業――6次産業化と係数管理の推進.生活福祉研究機構.
柏木克之(2016)生活困窮者支援を通じた住みよい地域づくり.コミュニティシンクタンクあうるず(編),ソーシャルファーム――ちょっと変わった福祉の現場から(pp. 71-94).創森社.

〈2021.9.21 会員から〉
森壮也 ジェトロ・アジア経済研究所

 まず阿地知さまがずっと続けて障害者雇用の問題について取り組まれていることに敬意を表したいと思います。
 今回のご報告も興味深く拝見致しました。日本の障害者雇用についての問題点を掲げた上で著名な「太陽の家」事例に学びながら、なにが問題なのか、またどういった方向で解決できるのかということを分析されたおられたかと思います。
 報告題に「理念的必然性」ということばが使われており、比較的「理念」の問題「態度」の問題が主として取り扱われているように思いますが、障害学の立場からは、もうひとつ大事な問題として、障害という概念が産業革命以後、特に大量生産システムの発展に伴って出てきた概念であるという欧米での先行研究があることをご存知かと思います。それらの立場を考慮すると、日本における企業生産のあり方に問題があるのではないか、「太陽の家」でやろうとしたことは、少なくともそうしたマスプロダクションを前提とした均一的な製品の製造というよりは、少量多品種生産の方向だったことがここでの成功につながったのではないかということも言えると思います。まさにこの西欧での理論を裏付ける取り組みだったわけです。実際、徒弟制による少量の高品質製品の生産体制の中では、肢体不自由のような障害、一部の発達障害のような障害は、むしろ生産システムにうまく合致することもある生産だったはずです。
 そうしたことを考えると、特例子会社というのもサービス産業における一種のマスプロ生産に対する苦肉の策であったということも言えるかもしれません。つまり、理念や態度以前に、どういう生産体制を作るかというあたりから本来考え直さないといけなかったという問題提起もできるのではないでしょうか。このあたり、ご意見をお聞かせ願えれば幸いです。

〈2021.9.25 報告者から〉
 いつも丁寧に読んでいただき、また、的確なコメントをありがとうございます。
 生産体制という問題は、当然考察されなければならないものですが、今回の報告では、触れてありませんでした。
 資本主義が発達して、産業革命以降は、労働価値説で説明されるように、社会的一般労働力の何単位を投下するかという価値で考えられるようになり、社会的一般労働力の1単位を満たさない障害者の労働は、資本主義的な労働力には最初からカウントされなくなっているのですね。マルクスのいうような、原始共同体では、老若男女や障害者も何かやれることをやって生きていけたのかもしれません。
 ドイツ的な徒弟制度による少量の高級品生産では、社会的一般労働力といったものではなくて、職人は障害のあるなしではなく、その製品を作ることができれば評価されたのでしょう。
 障害者を雇用して、有効な仕事にするためには、生産体制が障害者を有効に生かせるものである必要があります。
 こう考えた時に、障害者にふさわしい生産体制や生産システムは、既存の物ではなかなか当てはまらず、オリジナルなものになる必要があると思います。それは、障害者を雇用する前に存在する場合よりも、雇用することになってから本格的に考案される物ではないかと思います。
 そのようなわけで、理念的必然性があって障害者が雇用されるとき生産体制は重要なものになると思います。
 生産体制や生産システムがあって障害者の雇用につながることはほとんどないと思います。もちろん、一度、障害者にふさわしい生産体制ができれば、その生産体制で障害者を雇用することは可能です。つまり、障害者雇用の場面では、理念的必然性があって障害者が雇用され、障害者にふさわしい生産体制や生産システムが有効な労働環境となるという流れがあると思います。日本における企業生産のありかたが、社会的一般労働力の投下による、生産効率を追求するものであるれば、障害者雇用を歪んだものにしているという問題提起につながるのではないかと思います。
 それにしましても、生産体制そのものを、きちんと整理して位置づける必要はありますね。
 今回も、的確にご指摘いただき、ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。

〈2021.9.25 会員から〉
宇都宮大学 土橋喜人

雇用率や特例子会社を含む障害者雇用促進法は、結果として(一般就労、福祉的就労として)障害者の雇用促進に役に立っているといえるでしょうか?

〈2021.9.30 報告者から〉
 結果としては、障害者雇用促進法は、障害者のためにという制度であると言われますが、障害者の雇用促進に役に立っているとは言えないと思います。
 雇用を促進しなかった企業から反則金を取ることで、雇用を促進しているように見えますが、基本的に、障害者を雇用する意味のアイデンティティがない中で、雇用率が2%とかという理屈の無い基準で反則金を取るという制度は、いくつかの弊害を持ち、なおかつ雇用の促進には役に立っていないと言えます。(このメカニズムに立ち入ると長くなるので割愛させてください)
 特例子会社は、企業が雇用率を確保して、納付金を回避するための便法で、障害者雇用をおかしなものとしていると思います。
 結果としてはという方向で、ずいぶん端折った述べ方になりましたか、障害学会(2012年から毎年)の報告やいくつかの論文で、障害者の雇用促進に役に立っていない障害者雇用促進法(割当雇用制度)の文脈で述べています。それらを参照頂ければ幸いです。
 また、もう少し詰めた場面で議論できると良いですね。ご質問ありがとうございました。


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