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質疑応答は文章末です


望ましい介助関係の構築における介助者の当事者性

金在根(目白大学 人間福祉学科)


1.はじめに
 1970年代前後にアメリカから始まった自立生活運動は自立の条件に「自己決定」を位置づけ、重度障害者も地域での自立した生活を可能にした。日本においても自立生活理念を基盤とした障害者運動や障害者政策の発展により重度障害者は介助サービスを利用して地域での生活を送ることが可能になりつつあるが、その実現に向けて注目されることは必要なサービスの時間と介助者の確保に関する議論が多い。しかし、障害者の主体的な生活が可能になるためにはサービス量や介助者の確保のほかに介助関係が重要であると考える。
日本で障害者が反差別運動をしながら地域で暮らし始めた1970年代の初期においては、介助者は障害者の生活や社会運動を支援する仲間という関係であった。その後、介助者の主体的なかかわりが増えると、介助者によって自分たちの主体性が奪われていくことに危機感を覚えた一部の障害者団体から、介助者に対して障害者の手や足になる手段的関係を要求した。これをきっかけに見え隠れしていた介助関係の問題は浮き彫りとなり、研究領域においても介助関係は注目されるようになった。岡原(1986)は障害者の自立生活における介助関係は「独自の判断力を持っている複数の主体(普通の二人)が関与する」(1986:124)ためにトラブルが生じると言う。そして、障害者の主体性を脅かす介助関係のトラブルには個々の介助者に起因するというより、社会構造に起因すると述べている(1986:125)。1980年代以降、アメリカの自立生活運動が日本でも導入され、2003年には支援費制度がスタートするなかで障害者と介助者との間には雇用関係が定着するようになった。2000年以降は、山下(2004)、前田(2009)、渡邉(2011)、深田(2013)など、介助関係や介助者に注目した研究が増えている。山下は、介助者が健常者としての自分に向き合いながら障害者支援を行うことの意味について考察した。一方、星加(2007)は介助関係に対して非対称性が内在していると指摘しつつ、それが引き起こされる理由について、「身体規則」や「感情規則」の侵犯によって引き起こされる否定感情と、介助の「行為」において介助者が主体となり、障害者は客体になること、そして、介助関係の必要度が高いのは介助者よりは障害者であることの3つを提示した。以上から、介助関係には非対称性が内在しており、それを障害者と介助者の両者が意識していくことが重要であると考える。2003年以降、介助サービスは市場化され、多様な事業主体の登場とともに介助者の「介助」に対する考え方も多様化している。
本研究における介助関係は、社会構造の下で必然的に発生する障害者と介助者の非対称的関係を前提に、自立生活理念の実現を目指して形成する障害者と介助者の関係とする。
介助関係は基本的に生活の主体である障害者と援助の主体である介助者が介助を媒介として影響し合うものであるが、必要に応じて事業者(コーディネーター)は両者の間に介入して関係の調整等を行っており、介助関係を論じるためにはこの3つの主体の側面から論じることが重要である。

2.研究目的
 1970年代前後から、地域での生活を目指した障害者が増えてきた。その障害者たちは、親や職員とは異なる「介助者」という存在を求め、社会に位置づけさせ、多くの介助者たちと関係をしてきた。障害者の自立生活の中で欠かせない障害者と介助者の介助関係に対して、今までは障害者中心に語られていたことから、本研究では、介助者の立場から見る介助関係とその課題について一考察を行う。その考察を通して、介助関係における介助者の当事者性の意義について示唆することができる。

3.研究方法
2 018年7月、重度障害者が介助関係をめぐって抱える課題について議論し、望ましい介助関係を模索することを目的に、都内の自立生活センターの障害当事者と健常者職員、研究者で構成された約10名の人が集まって「介助関係研究会」を立ち上げ、月2回程度で開催した。その後、全国自立生活センター協議会(JIL)の介助委員会と東京都自立生活センター協議会(TIL)の協力を得て、全国の自立生活センターに所属している介助者を対象にウェブ(Web)によるアンケート調査(調査)を行った。調査は2021年8月から同年10月まで行った。
 倫理的配慮は、研究者が所属する機関の研究倫理指針に基づいて行った。具体的には、郵送で研究協力者に研究の目的、方法、質問の内容を伝えた上で研究協力の同意を得た。また、研究の公表にあっては名前、所属機関などの個人情報は匿名にし、研究協力者が特定できないようにするとともに、公表することの了承を得ている。

4.研究結果
 アンケート調査データの回収数は68件(男31/女37)。まず、介助者の基本情報について整理すると、年齢は、20~30代が54.4%、40~50代が42.7%、60代以上が2.9%となり20~30代が最も多い。介助仕事の年数は平均10年であった。主な介助サービスは重度訪問介護(92.6%)で、利用者の障害種別は「脳性まひ」が44.1%で最も多く、1回派遣の平均介助時間は約7時間あることから、長時間介助サービスを要するいわゆる重度障害者に対して介助を行っている人が多かった。「利用者の同居者の状況」は、「一人暮らし」が63.2%で最も多く、その次は「配偶者」(13.2%)となった。そして、「利用者との介助関係年数」は、平均8.07年であった。「介助者になったきっかけ」は「やりがいがあると思ったから」が42.6%で最も多かった。ただ、「現在、介助の仕事を続けている理由」は、「やりがいがある」(29.4%)という理由より「自分に合っている」(47.1%)の方が高かった。
 次に、事業所に関する内容を見ると「登録している事業所の数」では1か所の人(95.6%)がほとんどであった。そして「事業所の介助者派遣に対する満足度は」「非常に満足」と「満足」合わせて72.1%であり、「利用者とのトラブルがあった場合の事業所対応について」も69.1%で似たような数値の満足度であったことから、自立生活センターに属している介助者は事業所の対応に対してある程度満足していることが分かった。
 利用者とのトラブルの主な内容は、「信頼関係の破綻いいあい」「意思の尊重」「暑い、腰痛のある介助」「利用者の指示不足、確認不足、機嫌」「移動支援中、金銭等」「意見の食い違い」「ヘルパーの使い方」「モラルハラスメント」「利用者が自分の問題を自分で解決しようと努力しない」などがあった。
 次に、介助関係に関する内容を見ると「介助中に苦に感じるとき」の有無については「ほとんどない」が30.9%、「少しある」44.1%、「普通にある」と「多い」を合わせて16.2%となった。「苦に感じる」というのはあいまいな表現であり、具体的にどのような苦に対してどの程度感じるのかは把握できていないが、長時間にわたって人とかかわることを考えると、ある程度の「苦に感じる」ときがあることは想定できる。ただ、約16%の人は普通にまたは多く「苦に感じる」ときがあることは注目する必要があると考える。
 次に「介助中に居心地がいいと感じるとき」の有無については「ほとんどない」7.4%、「少しある」27.9%、「普通にある」と「多い」を合わせて48.5%であった。もちろん介助中には利用者と離れているときもあるため、ここでの「介助中に居心地がいいと感じるとき」が必ずしも利用者との関係を指しているとは限らない。しかし、利用者の多くは重度障害者であることと、重度障害者の多くは一人でいることが難しいことを考えると、約半数の介助者は、利用者とかかわることに対して居心地がよいと感じていると言える。これは、次の「利用者が介助者の立場を考えてくれていると感じるときは」という質問に対して「普通にある」と「多い」を合わせて54.5%であったことも関連すると考える。
 次に「介助中にやる気を失うときは」という質問に対して「ほとんどない」は26.5%であったが、「少しある」が44.1%で、「普通にある」・「多い」が14.7%であった。その他、利用者との「トラブルの主な解決方法は」、「事業所に相談」が47.1%、「利用者と話し合う」が38.2%となった。
 次に「利用者が自己決定をしていると思われる度合いは」という質問には「ほぼ100%」が35.3%、「約80%」が33.8%、「約60%」が20.6%、「半分以下」が4.4%となった。また、「利用者が介助者のことを意識して、やりたいことをやめたり、変更していると思われることは」という質問には「ほとんどない」20.6%、「少しある」63.2%、「普通にある」と「多い」を合わせて13.2%となった。そして、「利用者の自己決定を妨げると思われる要素は」という質問には「利用者の意思が弱い」が23.5%、「介助者のスキルの問題」が42.6、「利用者と介助者のコミュニケーションの問題」が44.1%となった。
 次に「あなたにとって望ましい利用者像は」という質問には「一緒にいて楽しいなどの居心地のよい人」が38.2%、「有意義な生活を送っているように見える人」が33.8%、「介助者の立場を考えてくれる人」が17.6%、「介助の業務などが身体又は精神的に楽な人」が8.8%となった。さらに、「あなたにとって望ましい利用者像」を自由記述で書いてもらった。その内容を似ているものでまとめ、タイトルを付けた。以下はその内容であり、回答の多い順で並べた。

《介助者への理解・尊重》
・利用者さんだけではないが、お互いに感謝の気持ちがあればよい
・すべてのバランス。程度にもよるが人として介助者をみてくれる人
・介助者の意見や考え方も聞いてくれて、組んでくれる人

《自分の人生に充実》
・自分の人生を有意義に送れている方
・セルフコントロールができる人
・自分らしい生活がある。
・地域生活を楽しんでいる(できれば楽しそうに見える)人

《明確な指示》
・自分の意思を明確に伝えてくれると対応しやすいと思います
・指示が的確である
・介助指示をちゃんとしてくれる人

 最後に、「利用者と介助者の望ましい関係性について」は、「対等な関係が望ましい」が72.1%で最も高く、「対等ではなく、利用者が優勢になった方が望ましい」が27.9%となった。そして「あなたと利用者との現在の関係性について」は、「対等である」が33.8%、「利用者が優勢になっている」が39.7%、「介助者が優勢になっている」が4.4%、あと「分からない」が22.1%となった。「対等な関係が望ましい」と答えた人の理由(自由記述)には「お互いに気持ちの良い関係が一番長続きすると思うから」「家政婦ではない為」「問題が起こったときに話し合いができるので」「利用者が大きく優勢だと、介助の継続が苦痛になる。かといって介助者が優勢すぎれば、自立生活の実現が困難になるから」「当事者と介助者、2人で1つと考えているため」「利用者はお客様ではないし、ヘルパーもまた奴隷ではないと私は考えている。同じ生活を共にする者としてどちらが上か下かなどは考えても無駄であり、『相互に信頼をおける関係』というのが理想であるから」などがあった。それに対して「利用者が優勢になった方が望ましい」と答えた人の理由には「その人の生活だから」「利用者主体の生活を望んでいるから」「利用者主権が原則だと思います」などがあった。

5.考察
 本研究は、介助者を対象にしたアンケート調査を通して介助関係の現状と課題について一考察を行うものである。研究結果の内容から一定の介助者からみる介助関係の現状は見えており、ここでは、考察すべき課題を中心に述べたい。主な課題は次の2つである。
 一つは、介助者は介助関係に対して対等な関係を望んでいるが、実際はそうでないことである。上記のように、対等な関係を望んでいる人は72.1%であったが、現在、対等な関係だと答えた人は33.8%に過ぎなかった。1970年代の青い芝の会運動に基づいた手足論の議論から始まり、今日まで当事者運動や研究で見える介助関係の非対称性の議論は「強い介助者」対「弱い障害者」の構造であったが、アンケート調査の結果から見える、介助者が認識する介助関係の非対称性は「強い障害者」対「弱い介助者」という構造である。そのような認識は「お客様」「家政婦」や「奴隷」の言葉などに表れている。介助者は障害者の自己決定に自分たちの存在が影響していることを認識しつつも、現在は障害者の方が「強い」意味での対等な関係ではないと考えており、それに対する介助のやりづらさを感じているように見える。この介助関係の対等性をめぐる問題を解決するためには、以前のような障害者からの対等な関係の要求を超えて、障害者と介助者の両方が介助関係の当事者として納得できる関係を構築する必要があると考える。
 もう一つは、介助者の中で一定の数の人は、自分の人生を有意義に送っている人または、充実な人生を送っている人を望ましい利用者像と考えていることである。「有意義な人生」や「充実な人生」などは抽象的な表現であるが、社会において望ましい人の生き方とされることがある。以前、障害者運動の中で、障害者の自立における最大の敵として親を指摘したことがある。それは、健常者中心の社会が作り上げた、障害者を抑圧するような社会的・文化的産物を、親が社会の代わり(エージェント)として障害者に与え、抑圧してしまう構造に対する批判であった。それと似たような構造として、今度は親の代わりに最も身近にいる介助者が、社会の考えを介助の中で無意識のうちに利用者に伝えているのではないだろうか。このように、介助者は障害者の自立生活に対して最も必要な存在であると同時に、障害者を抑圧する社会のエージェントの役割を担ってしまう危険性もある。したがって、介助者は障害者の自立生活を「介助」する者としての当事者性をしっかり認識しなくてはならないと考える。

6.おわりに
 障害者の自立生活において欠かせない介助関係というものが障害者中心に議論されてきた中で今回の研究では介助者の立場から考えてみた。もちろん生活の主体は障害者であり、健常者中心の社会のゆえに存在する障害者への抑圧を考えると、障害者の主体性は強調しても足りないことがある。しかし、障害者の生活に、「介」入して「助」けるという介助行為そのものの主体は介助者であると考える。この考えは、青い芝の「手足論」や、自立生活(IL)運動の理念である「自己決定」といった障害者主体を重視する流れと対立すべきでもないと考える。むしろ、介助行為を遂行する者としての介助者の「当事者性」を認め、介助者の立場から認識する「自立生活」を明確にしつつ、そこから新たな介助関係を議論すべきではないかと考える。
 最後に、本研究では自立生活センターの介助者のみを対象にしているため、限定した枠組みの中でしか介助者を捉えていない課題がある。

*本研究は科学研究費助成(課題番号:19K13952)を受けて行ったものである。

引用・参考文献
・安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也(1990=1995)『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学[増補改訂版]』、藤原書店
・朝霧裕・秋山由紀・市野川容孝(2007)「〈鼎談〉介助って何だろう?」市野川容孝編『身体をめぐるレッスン4 交錯する身体』岩波書店、109-142
・市野川容孝(2000)「ケアの社会化をめぐって」『現代思想』28(4)、pp.114-125
・市野川容孝・杉田俊介・堀田義太郎(2009)「『ケアの社会化』の此/彼岸――障害者と介助者の敵対的自立へ向けて」「現代思想」2、青土社
・岡原正幸・石川准・好井裕明(1986)「障害者・介助者・オーディエンス――障害者の『自立生活』が抱える諸問題」『解放社会学研究』1、日本解放社会学会、pp.25-41
・菅由希子(2006)「重度身体障害者の自立生活における介助関係――感情労働の視点から」『北星社会福祉研究』21、pp.42-62
・――――(2010)「自立生活における身体障害者と介助者の介助関係に関する研究の現状と課題」『社会福祉学部研究紀要』13、pp.41-48
・究極Q太郎(1998)「介助者とは何か?」『現代思想』26(2)、青土社、pp.176-183
・小佐野彰・小倉虫太郎(1998)「『障害者』にとって『自立』とは何か?」『現代思想』26(2)、pp.74-83
・定藤丈弘・岡本栄一・北野誠一(1993=1996)『自立生活の思想と展望』、ミネルヴァ書房
・末永弘(1998)「介助者と障害者の関係について――介助者の立場から考える」福祉労働編集委員会編『季刊福祉労働――ケアマネジメントって何だ?』79、現代書館、pp.46-52
・田中恵美子(2009)『障害者の「自立生活」と生活の資源』、生活書院
・ 寺本晃久・末永弘・岡部耕典・岩橋誠治(2008)『良い支援?――知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援』、生活書院
・中西正司・上野千鶴子(2003)『当事者主権』、岩波新書
・橋本真奈美(2007)「自立障害者と介助者の関係性についての一考察―創成期から現在までの、求められる役割とその本質―」『社会関係研究』12 (2)、熊本学園大学、pp.29-55
・深田耕一郎(2013)『福祉と贈与――全身性障害者・新田勲と介護者たち』、生活書院
・星加良司(2007)『障害とは何か――ティスアビリティの社会理論に向けて』、生活書院
・前田拓也(2009)『介助現場の社会学――身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』、生活書院
・渡邉琢(2011)『介助者たちは、どう生きていくのか――障害者の地域自立生活と介助という営み』、生活書院

■質疑応答
※報告掲載次第、9月17日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人はjsds.19th@gmail.com までメールしてください。

①どの報告に対する質問か。
②氏名。所属等をここに記す場合はそちらも。
を記載してください。

報告者に知らせます→報告者は応答してください。いただいたものをここに貼りつけていきます(ただしハラスメントに相当すると判断される意見や質問は掲載しないことがあります)。
※質疑は基本障害学会の会員によるものとします。学会入会手続き中の人は可能です。

〈2022.9.14 会員から〉
女子栄養大学 深田耕一郎
女子栄養大学の深田耕一郎と申します。
感覚的な印象からではなく、実証的なデータにもとづいた介助者の意識が示された、興味深く貴重なご報告と思いました。ありがとうございました。
2点、質問させていただきます。
①3節に記述のあった「介助関係研究会」と本研究のアンケート調査については、どのような関連性がありますでしょうか。そこでどのような議論が展開され、アンケートにつながったか教えていただけると幸いです。
②5節の第3段落で説明されていることについて、もう少々お聞かせください。介助者が「障害者を抑圧する社会のエージェントの役割を担ってしまう危険性」というご指摘は、「有意義な人生」や「充実した人生」を送っている人を「望ましい利用者像」と認識している介助者が一定数いることからご指摘されているという理解でよろしいでしょうか。これらの回答から、こうしたご指摘へと解釈ができるかというと少し疑問を持ちましたためです。

〈2022.9.19 報告者から〉
①回答
 貴重なご質問ありがとうございます。

 2018年5月頃、東京都自立生活センター協議会(TIL)と話し合って、重度障害者の介助者を介する生活のゆえに生じる困難や生活しづらさに焦点を当て、具体的な解決方法を考えつつ、介助関係の在り方を模索することを目的として、「介助関係研究会」を立ち上げることにしました。その後、TILを通して、都内の自立生活センターに声をかけ、研究会に興味のある障害者職員と健常者職員に参加してもらって、2018年9月から基本月1回で、10人前後のメンバーが集まって開催しました。

 研究会は、最初は介助関係の論点を議論しつつ、次第に、全国調査をするためのアンケートづくり中心に議論が展開されました(2019年度に私の科研が採択されたため、科研調査として行うことになりました)。

 アンケート調査項目は、参加した障害当事者から、自分たちの多様な介助関係の体験を話してもらったことと、健常者職員から介助派遣のコーディネートをする中で得た経験や自分の考えを話してもらい、その内容からアンケート調査項目が形成されました。特に時間をかけて議論したのは、介助関係の分類の試みでした。人間関係(親密度)と雇用関係を軸に「家族のような関係/友人のような関係/雇用者―被雇用者のような関係/友人・雇用の混合関係」という案が出たり、雇用関係を指示のしやすさの程度で考えたり、主にこの内容だけで3~4回の研究会の時間を費やしましたが、プレ調査後回答者の意見を踏まえ、結局分類することは難しいと言う結論になったしました。その他の議論については短く整理することが難しいです。具体的には、議事録を作ってありますので、ご興味ありましたら研究会の議事録を個別ですが、ご提示することは可能です。

②回答
 文中の「~理解でよろしいでしょうか」は、その理解で合っています。

 次に「~少し疑問を持ちました」についてですが、私の論理展開が少し飛躍しているためだと思います。この部分が一部の声なのか、それとも現状を反映しているかについては、今後も研究して明らかにしていく必要があると考えます。その意味では、今回の発表は「仮説」の意味として理解して頂きたいです。また、この調査を論文としてまとめる際には、もう少し深田さんの「疑問」に対して答えられるように丁寧に書きたいと思います。


〈2022.9.14 会員から〉
金城学院大学 鍛治智子
貴重なご報告をありがとうございます。2点質問です。
1.介助に携わってきた年数や介助時間数の影響が考えられる点がありましたら、ご教示いただけますと幸いです。
2.「介助する者としての当事者性」について、可能であれば補足説明をいただけますと幸いです。

〈2022.9.19 報告者から〉
①回答
 貴重なご質問ありがとうございます。ご質問の内容は私も関心の高いものだったため、量的分析としては回答者数が少ないにもかかわらず、統計分析を行いましたが、ご質問の点に関する相関関係は見られませんでした。

②回答
 岡原(1986)の介助関係の「コンフリクト」論を始めとして、山下(2004)、前田(2009)、渡邉(2011)、深田(2013) など多くの研究者が介助関係における介助者の「当事者性」について注目し、そして語ってきたのではと考えます。その意味で筆者の「介助する者としての当事者性」という言葉は新しい発想ではないと考えます。その意味で、むしろ説明すべきことは、あえて介助者を「当事者」と位置付ける(≒昇格させる)必要性があるのかということではないかと考えます。

 今まで、障害者の自立生活(=主体的な生活)を支えるうえで最も有効な概念は、自立生活運動から生まれた「自己決定」であると考えます。今回の調査結果と自分の浅い現場経験に基づいた見解ですが、障害者の主体性が尊重されない時期においては有効な概念でしたが、今は(表面的には)誰もが障害者の「自己決定」を当たり前として認識していることと、その中で「自己決定」の意味合いを単純に「決めるのは障害者」として理解している人が増えてきているように見えたことです。したがって、介助関係において、障害者は「決定の主体性」はほぼ確保されていますが、決定までの「プロセスの主体性」は徐々に奪われつつあるのではと考えました。そこで、今後、「プロセスの主体性」を確保するためには、障害者の自立生活や「自己決定」に対する介助者の意識が重要ではないかと考えました。ここでの介助者の意識を別の言葉で表現すると「自分の権力に対する意識化」と考えます。つまり、介助者は自分の意思と関係なく、自分の存在や力に影響される障害者(の生活)を意識化していく必要があり、その意味で、自分の中にある「健常者性」と常に向き合っていく存在として「当事者」となる必要があるのではと考えました。


〈2022.9.14 会員から〉
同志社大学 河西正博
同志社大学の河西と申します。
非常に興味深いご報告ををいただきましてありがとうございました。「介助者は障害者の自立生活に対して最も必要な存在であると同時に、障害者を抑圧する社会のエージェントの役割を担ってしまう危険性もある。」というご指摘は、
星加(2007)が指摘している介助関係における「非対称性」や、
前田(2009)の「介助者(健常者)が帯びる両義性」に関連するものであると勝手ながら拝察しておりますが、
これらを踏まえた上で、考察最下段にございます「介助者の当事者性」とは
どのようなものとして捉えていらっしゃいますでしょうか。ぜひご教示いただければと思います

〈2022.9.19 報告者から〉
回答
 河西様、貴重なご質問ありがとうございます。勝手ながら上記のご質問に対する回答で、お答えになったのではと考え、ここでは省略させていただきます。


〈2022.9.16 会員から〉
かわぞえ ねむる
かわぞえ ねむると もうします。きょうみぶかく よませて いただきました。

まずアンケートについて 2つ しつもんがあります。

①20-30だいが 54.4% で、「介助仕事の年数」へいきん 10ねんの けっかが でることわ やや いがいでしたが、40だい いじょうの じゅうじ ねんすうが おおいかたが やや へいきんお うえに ひっぱっているのでしょうか? それとも 20-30だいも ふくめて、おおむね みな 5ねん10ねん ていどわ じゅうじしている という けっかでしょうか?

②アンケートのなかの にかよった しつもんである「介助仕事の年数」へいきん 10ねんと「利用者との介助関係年数」へいきん 8.07ねんに さが ありますが、これわ「じぎょうしょの コーディネーターや じむしょく として、かいじょしょく であっても かいじょげんばから はなれた かたの ぶんが さしひかれている」という かいしゃくで よろしいでしょうか?

それとも「まえの じぎょうしょとうで はたらいていた きかんの がっさんが 10ねんで、げんざい しょぞくする じぎょうしょ あるいわ げんざい かいじょしている りようしゃとの かんけいねんすうが8.07」といういみ でしょうか?

かんそうですが、かいじょしゃ あるいわ かいじょしゃの とうじしゃせいお ろんじていくのにさいし、「りようしゃとの かんけいせい」について はなしお やや しゅうちゅうさせた けっか、「そしきとしての、かいじょしゃが しょぞく などする じぎょうしょ との かんけいせい」が、はぶかれがちに おもえたことお、すこし きぐしております。それと つながる かたちで、こんかい えられた アンケートお かいじょしゃ ないし CILでの はたらきかた そのものお あらわしていると かいしゃくしてよいか というと、これも きになりました。(ちょうさに いみがないとわ おもっておりません。)

「介助仕事の年数」へいきん 10ねん ということわ、そしきのなかで それなりに ながく つとめているということで、コーディネーターとしての やくしょくの けいけんがあったり、サービス ていきょう せきにんしゃで ある/あった ことも おおいのでわ ないでしょうか? じぎょうしょと ヘルパーの ちからかんけいお こうりょする ぶんみゃくで かんがえると、いわば じっしつてきに「じぎょうしょの(ヘルパーがわの)うんえいしゃ」に ちかい たちばせいも ある かたたち(から えられた データ)なのでわ と そうぞうします。

わたしの しるかぎりの ことですが、CILふくめ じぎょうしょにわ おおきく 3パターンの かいじょ ろうどうしゃが しょぞくしていると おもいます。

A) じぎょうしょ そしきの うんえい にも かかわる せいき しょくいん。ほとんどが 1つの じぎょうしょにのみ しょぞくする。

B) ひじょうきんしょくいん。かいじょけいけんが ながいかたも すくなくなく、また ふくすうの じぎょうしょで かけもちで かかわっているかたも めずらしくわない。ろうどうじかんわ すくないかたも おおいかたも どちらもいる。かいじょいがいの しごとなどお していることも ある。

C) 「がくせい」。じせん。ボランティア(のような かた)。ほんらい Bと おなじなのだが、ろうどうしゃとしてわ Bいじょうに ふあんていな じょうたいに ある ふんいきが かんじられる。だいがくせいわ おおくが そつぎょうしたら やめるのが ぜんてい。

Bのかたも Cのかたも かいじょにおいて しゅやくであり、また じっさい かいじょたいせいわ それらのかたにも おおきく ささえられている はずと おもいます。

いいわるいでわ ありませんが、こんかいのアンケートわ おもに Aのかたから とられた データでわないかと すいそくしましたし、そのかたたちに「じぶんと じぎょうしょとの そうこく」について たずねても、わかりやすくわ いけんが かえってこない かもしれない(ちょうさ できないこと であるとわ おもわないです)ということお ふまえる ほうが よいように おもいました。いかがでしょうか?

金在根さんが そう しゅちょうされている わけでわない ですが、こんかいのアンケートお そのまま CILでの かいじょの ありかた・はたらきかたの ぜんたいが そうぞうできる しりょうである、と よみとるのわ よしたほうが よい めんも あると おもいました。じぎょうしょお かえながら ながく かいじょお つづける かたも おおいと どうじに、すうねんで かいじょしゃが いれかわっていく という そくめんも ある かんきょうであると おもいますし、ながく はたらいていても こようとしてわ ふあんていであったり するという(かえていくべき)そくめんもあります。

「自立生活センターに属している介助者は事業所の対応に対してある程度満足している」という ぶんせきわ、このデータからわ(まだ)みちびかないほうがよい ように おもいました。

さいごに とうじしゃせいについて かわぞえの かんじたことお コメントします。

「「介助」する者としての当事者性をしっかり認識しなくてはならないと考える」ということに かんしてです。金在根さんが「かいじょしゃわ ”とうじしゃせい” お もつべきだ」と しゅちょう なさる ろんだてに、わたしが とうじしゃせいに たいして かんがえていた ようそと あいはんする ようそが こめられているように おもえました。

とうじしゃせいわ、なんとなれば だれかが「OOさんにわ これこそ とうじしゃ らしい そんざいとして、XXでいて ほしい」などという つごう そのたお ぶっちぎって、まわりの きたいや よそくと たいりつするように その がんぼうや ほうこうせいが しゅちょうされていく ような ものでわ ないのでしょうか?

アンケートの なかで「利用者と介助者の望ましい関係性について」が、「対等な関係が望ましい」と「利用者が優勢になった方が望ましい」で あわせて 100%(つまり、ぜんいん)に なったことが わたしのなかで いんしょうてきですが、かいじょしゃわ「かいじょしゃわ ~で あるべき」という りねんについて すくなくとも ちしきでわ いろんなことお しっていますし、そこに「とうじしゃ にんしきお もて」と いっても さらに「べき」が ついか されたとしか かんじられないのでわ ないかと そうぞうしました。そして、それもふくめて かいじょしゃに まつわる さまざまな ちしきと げんじょうとの ギャップに、とうじしゃせいが ひそんでいるのでわ と おもっています。

かいじょしゃたちの とうじしゃせいも、しょうがいされるものたちの とうじしゃせいも、しゅういの よそくや きたいや つごうや ちょうわお うらぎるような ところから こそ でてくるのでわ ないでしょうか。そして、そのとき それを しゅういの わたしたちが(「認める」というよりも、)ごまかさずに むきあうのか いなか、という もんだいなのでわ ないでしょうか。そのように おもって、わたしわ まっています。

ながくなりましたが いじょうです。

〈2022.9.22 報告者から〉
Q1:20-30だいが 54.4% で、「介助仕事の年数」へいきん 10ねんの けっかが でることわ やや いがい。20-30だいも ふくめて、おおむね みな 5ねん10ねん ていどわ じゅうじしている という けっかでしょうか?

A:今回の調査では、全体の68名中20代が12、30代が25名でした。そもそも母数が少ないため実態を反映している結果とは言いづらいです。
そして、今回の研究での20~30代の平均介助勤務年数は7.2年で、最短の0.3年と最長の20年を除いて計算すると7.03年でした。

Q2:「介助仕事の年数」へいきん 10ねんと「利用者との介助関係年数」へいきん 8.07ねんに さが ありますが…

A:複数の利用者に派遣されている介助者がいることが想定され、その場合は最も長時間派遣されている人を想定して回答してもらいましたので、「介助仕事の年数」と「利用者との介助関係年数」に若干ずれが生じたと考えます。

Q3:じっしつてきに「じぎょうしょの(ヘルパーがわの)うんえいしゃ」に ちかい たちばせいも ある かたたち(から えられた データ)なのでわ と そうぞうします。

A:その可能性は高いと考えます。今回の調査はJILから全国のCILに依頼をし、各CIL事業所が各介助者にアンケート調査の依頼をした形ですので、事業所と関係性の深い人が答えた可能性は十分あると考えます。

Q4:かんそうですが、かいじょしゃ あるいわ かいじょしゃの とうじしゃせいお ろんじていくのにさいし、「りようしゃとの かんけいせい」について はなしお やや しゅうちゅうさせた けっか、「そしきとしての、かいじょしゃが しょぞく などする じぎょうしょ との かんけいせい」が、はぶかれがちに おもえたことお、すこし きぐしております。それと つながる かたちで、こんかい えられた アンケートお かいじょしゃ ないし CILでの はたらきかた そのものお あらわしていると かいしゃくしてよいか というと、これも きになりました。(ちょうさに いみがないとわ おもっておりません。)

A:実は、今回の調査は介助関係に対して障害者、CIL事業所、介助者の3つの立場の人にアンケート調査を実施しました。お話の通り、介助関係は障害者と介助者だけでなく事業所との関係も重要な要素だと思います。その3つを総合的に捉えることは最終的に行う予定ですが、その前に、それぞれの対象者の特徴も拾いたく、今回学会発表では介助者を対象にしたアンケート調査のみ発表させていただきました。その辺説明が不十分で申し訳ありません。
また、ご指摘の通り、今回の調査はCILの介助者の現状を十分表していないと考えます。特に集計結果が悪かったことに対して原因を究明し、今後は実態を把握できる調査を行いたいです。

Q5:こんかいのアンケートわ おもに Aのかたから とられた データでわないかと すいそくしましたし、そのかたたちに「じぶんと じぎょうしょとの そうこく」について たずねても、わかりやすくわ いけんが かえってこない かもしれない(ちょうさ できないこと であるとわ おもわないです)ということお ふまえる ほうが よいように おもいました。いかがでしょうか?

A:ご指摘の通りだと考えます。上記したように、今回は事業所との関係性が深い人が答えた可能性があり、その場合は、事業所に対する意見にはバイアスがかかってしまうと考えます。

Q6:アンケートお そのまま CILでの かいじょの ありかた・はたらきかたの ぜんたいが そうぞうできる しりょうである、と よみとるのわ よしたほうが よい めんも あると おもいました。じぎょうしょお かえながら ながく かいじょお つづける かたも おおいと どうじに、すうねんで かいじょしゃが いれかわっていく という そくめんも ある かんきょうであると おもいますし、ながく はたらいていても こようとしてわ ふあんていであったり するという(かえていくべき)そくめんもあります。

A:ご指摘の通りだと考えます。

Q7:自立生活センターに属している介助者は事業所の対応に対してある程度満足している」という ぶんせきわ、このデータからわ(まだ)みちびかないほうがよい ように おもいました。

A:ご指摘の通りだと考えます。

Q8:かいじょしゃわ「かいじょしゃわ ~で あるべき」という りねんについて すくなくとも ちしきでわ いろんなことお しっていますし、そこに「とうじしゃ にんしきお もて」と いっても さらに「べき」が ついか されたとしか かんじられないのでわ ないかと そうぞうしました。そして、それもふくめて かいじょしゃに まつわる さまざまな ちしきと げんじょうとの ギャップに、とうじしゃせいが ひそんでいるのでわ と おもっています。
かいじょしゃたちの とうじしゃせいも、しょうがいされるものたちの とうじしゃせいも、しゅういの よそくや きたいや つごうや ちょうわお うらぎるような ところから こそ でてくるのでわ ないでしょうか。そして、そのとき それを しゅういの わたしたちが(「認める」というよりも、)ごまかさずに むきあうのか いなか、という もんだいなのでわ ないでしょうか。

A:介助者の当事者性についてご意見ありがとうございます。思考を深めず悩んでいるところでもあり、大変参考になりました。以下(他の方の質問への回答の際に述べましたが)「介助者の当事者性」について少し補足させていただきます。
今回の調査で、介助者の中に利用者に対して「有意義な人生」や「充実した人生」を求める声に対して(予想もしなかった結果でした)、実は、これと似たような思いが今まで自分の中でもたくさんあったことを再認識しました。そして、これは健常者の中にある「内なる健全者幻想」ではないかと思いました。そのように思うと、上記の「有意義な人生」や「充実した人生」といった、障害者の生活を抑圧するような思いが(無意識のレベルで急に)出てくるたびに感じた罪悪感や自己嫌悪の思いが、実は自分が悪いのではなく、社会が悪いのだというように開き直ることができます。私が介助者を「当事者」と位置付けるべきと主張する理由がここにあります。障害者の自立生活をつくっていくためには、障害者のみならず(もしかすると、むしろ)介助者の中にある「内なる健全者幻想」を可視化して、それを障害者や周りの介助者と一緒に共有しながら闘っていく必要があると考えます。その意識転換は、介助者の「加害者としての健常者性」が「被害者としての健常者性」に変わることを意味します。もちろん、実際それは可能なのかといった疑問は自分の中にもあります。また、それは介助者にさらなる負担をかけてしまうのではないかといった批判もあろうかと思います。まだまだ自分の中でも整理が不十分なため、きちんとした説明ができず申し訳ありません。今後もご指導のほどよろしくお願いします。


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