香港平等機会委員会講演会と香港の今

後藤悠里
(福山市立大学英語特任講師)

2022年9月8日に、香港の人権機関「平等機会委員会」の朱崇文博士(行政総監(営運))から、条例の内容、実施状態などを伺うイベントを開催した。本エッセイの「現行の制度」の節はイベントの内容に基づいている。その他の箇所の主張や誤り等の責任は執筆者にある。

1.はじめに

香港はアクションスターを輩出した地、100万ドルの夜景の観光地として知られる。かつてイギリスの植民地であったが、1997年に返還され中国の一地区となった。「中華人民共和国香港特別行政区」が、現在の香港の正式名称である。
ところで、香港は、障害者差別禁止に関する取り組みを東アジアの中でもいち早く始めている。取り組みが始まった遠因は、1989年に中国で起きた天安門事件にある。デモ隊に対して武力が行使されたことは、香港政庁(イギリスが香港に設置した政府)および香港の人びとに大きな衝撃を与えた。実際のところ、それまで、香港政庁は「自由放任主義」の旗印のもと、香港の人権政策の向上に無関心の態度を取ってきた。しかし、事件後、イギリス植民地政府は中国返還後の人権の後退を懸念し、人権保障の取り組みを開始することとなった。
1991年には、「香港権利章典条例(Bill of Rights Ordinance)」が制定された。なお、「条例」は、たとえば日本における、法律と同等のものと考えてよい。本条例は、公的機関による差別を禁止していたが、私的機関については対象外であった。そこで、「障害者差別禁止条例(Disability Discrimination Ordinance)」が1995年に制定、1996年から施行された。中国返還を1年後に控えた年のことであった。同様の法律が韓国では2007年に、日本では2013年に制定されたことを考えあわせれば、前述の通り、香港の取り組みは早かったこととなる。
その後、中国は、2008年に障害者権利条約を批准した。中国はすでに2回(2012年、2022年)、国連の審査を経験している。先行する香港から、私たちが学ぶことがあるだろう。そこで、以下、障害者に関する現行の制度として、平等機会委員会および障害者差別禁止条例、判例について、紹介されたものの一部をまとめる(適宜、平等機会委員会のウェブサイト、判決文も参照した)。その上で、執筆者の見解も述べてみたい。

2.現行の制度
1)香港・平等機会委員会(Equal Opportunities Commission)について
香港・平等機会委員会は、政府から独立した法定機関であり、香港における差別禁止条例の実施を担っている。ここでいう差別禁止条例とは、性差別禁止条例、障害者差別禁止条例、家庭内の地位に関する差別禁止条例、人種差別禁止条例を指している。
講演者によると、平等機会委員会の業務は、リアクティブ(事後対応的)とプロアクティブ(事前対応的)な介入に分けることができる。リアクティブな介入としては、調停や法的支援が挙げられる。たとえば、平等機会委員会は、苦情申し立てがあった場合に調査をし、当事者間の調停を行う。調停がうまくいかなかった場合には、法的支援を行うこともある。プロアクティブな介入として、たとえば、政策についての研究および啓発活動がある。

2)障害者差別禁止条例について
定義について 障害者差別禁止条例の定義は、インペアメントに依拠する方式である。たとえば、「(a)身体的または精神的機能の全体または一部の喪失」「(b)身体部分の全体または一部の喪失」というような形である。また、「過去に存在していた障害」「現在の障害」「未来に生じうる障害」「障害とみなされる状態」を含んでいる。この定義は「オーストラリアモデル」に基づくとされており、実際のところ、オーストラリア障害者差別禁止法の障害の定義とほぼ同一の文言となっている。

対象者について
法律の対象は、上記の障害を持つ者だけではない。障害者の周囲にいる人たちも対象となり得る。たとえば、障害者の配偶者、親戚、ケアをする人、仕事などでの関係を持つ人たち、障害者と「真に家庭的な基礎を持って一緒に暮らしている人(a person living together on a genuine domestic basis)」も含まれる。「真に家庭的な基礎を持っている人」とは、結婚はしていないが、カップルとして同居している人のことである。一例として、同性のパートナーが挙げられる。条例の対象者の幅の広さは特筆に値する。

対象領域について
障害者差別禁止条例においては、条例の対象領域が規定されている。たとえば、雇用主と従業員といった雇用関係、財やサービスの提供者と被提供者との関係、教職員と学生との関係などである。障害者差別禁止条例に関しては、特に雇用関係の申し立てが多いという。

対象となる行為について
差別の対象となる行為としては、差別、ハラスメント、中傷という3つのタイプがある。これらに関して、平等機会委員会のウェブサイト(Equal Opportunities Commission 2023a)による説明を見てみよう。第1のタイプである差別の中には、直接差別と間接差別がある。直接差別は、「障害を理由として、同じ状況下で、障害のある人が障害のない人と比較して、より不利に扱われる時に生じる」。一方、「間接差別とは、すべての人に適用される条件や要件が、実際には障害のある人により悪い影響を与え、不利益となり、そのような条件や要件が正当化されない時に生じる」。そして、第2のタイプであるハラスメントとは、「その人が傷つけられた、侮辱された、脅迫されたと感じることが合理的に予想できる、障害を理由とした歓迎されない行為」、第3のタイプである中傷とは、「公的な場において、障害者に対して憎悪を向けたり、深刻な侮蔑や深刻な嘲笑を行ったりする行為」とされている。

3)判例について
講演では、判例についていくつか紹介していただいた。その中で、Siu Kai Yuen v Maria Collegeのケースを取り上げる。本判例は、直接差別の事例でもあるが、講演においては間接差別の事例として紹介された。平等機会委員会のウェブサイトには、本件の簡潔な紹介がある(Equal Opportunities Commission 2023b)。
原告であるSui氏は教員として14年間働いた。がんの手術を受けた後、病気休暇を取得し、3か月後に教壇に復帰をする予定であった。しかし、復帰予定の1ヶ月前に、彼は解雇された。
原告側弁護人は、がんを、定義の「(e)身体の一部の機能不全、奇形または醜状のこと」に当てはまるとして障害であると主張し、被告側弁護人も異議を唱えなかった(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 2 & 22)。直接差別についての条項(第6条(a))では、「障害のない者を扱う、または扱うだろう場合と比較して、障害を理由として、人を不利に扱うこと」とある。原告側が2名の仮想の比較対象者(産休を取った人、陪審員となったため欠勤した人)を示したところ、学校側は、この2名を解雇することはないと述べた。ここから、裁判所は、直接差別が立証されたとした(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 50)。
一方で、間接差別も認められた。学校側は、理由にかかわらず自分の授業の10%以上を欠勤することは契約に違反するという規定に基づき、Sui氏を解雇した(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 41)。この規則は、Sui氏のみならず、すべての教員に適応されるものである。したがって、障害者に対する差別的な規則ではないようにみえる。しかし、裁判所はこの規則を正当化できないとした。まず、病人は出勤できないのは明らかであるため、出勤を義務付けることは間接差別の要素となり得る(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 58)。次に、学校側は生徒の利益を保護し、教育を継続させるためにこの規則が必要であると主張しているが、裁判所はその目的が正当であったとしても、解雇という手段を取ることは、障害の結果休まざるを得なかった人にとっては不当であると述べた(Siu Kai Yuen v. Maria College 2005: para. 59)。このようにして、本規則は間接差別だと認められた。
執筆者は、差別についてこれまで学んできた。大学における障害学生支援にも取り組んできた。それでも、取り扱いの違いがある直接差別に比べ、間接差別については、現実に落とし込んで考えることが難しいように感じている。差別をしないようと、心にとどめていても、間接差別を行っていることがあるかもしれない。判例を学ぶことは、間接差別への理解を深めることができるという点で、また、実践という点で、有益であるだろう。

3.香港の今:まとめにかえて
これまで日本においては、欧米諸国や韓国の事例が紹介されてきた。しかし、香港の事例からも学ぶことは多い。法律の対象者の広さは、日本においても検討されるべきことかもしれない。また、判例を学ぶことによって、差別への理解を深めることができる。
もう一点、執筆者の見解を付け加えたい。香港の事例から、私たちが学ぶべきことがある。それは、民主主義や言論の自由といった、日本に住む者にとっては当然のものとなっている理念の重要性である。
かつて執筆者は、香港の現状について、以下のように述べたことがある。

〔香港において〕デモや集会ではない形での、正式に意見を通す仕組みや対話ができる場があってしかるべきである。それがないために困難を抱えるのは障害者である。香港の障害者団体も含めて、香港社会は今後、民主主義の実現に向けて取り組むことが必要であろう(後藤 2018: 455)。

 この文章を書いた当時、執筆者は、香港の情勢がこれほど悪化するとは考えていなかった。民主主義の確立は徐々に行われていくのではないか、その可能性は高いのではないかと、楽観的に考えていた。なぜならば、香港の憲法にあたる法律「中華人民共和国香港特別行政区基本法」)に、「従来の資本主義制度と生活様式を今後50年変更しない」という文言があるためである。したがって、民主主義が大幅に後退させられることはないだろうと考えていたのであった。
しかし、近年中国は香港への介入を徐々に強め、2020年には「香港国家安全維持法」を制定した。この法律においては、国家の分裂および政権転覆、テロ活動、外国勢力との結託が犯罪行為とされている。この法律の下で、民主化運動の活動家が逮捕されるなど、香港の言論の自由は奪われつつある。2021年には選挙制度が見直され、すべての立候補者は事前審査を受けることになった。その結果、中国政府に批判的な勢力は、選挙に出馬することすらできなくなった。こうした形で、現在、香港における民主主義は徐々に力を失っている。
障害者の権利を保障するためには、言論の自由が不可欠である。障害者運動の依拠するスローガン「私たち抜きで私たちのことを決めないで」は、障害当事者の意見が重視されることを意味している。意見が尊重されるためには、まずは意見を自由に表明することができる環境が整っていなければならない。したがって、言論の自由が保障される必要がある。言論の自由が奪われている状態においては、当事者としての権利を十分に行使することができない。香港の民主主義のように、障害者の権利保障も後退していくことが、万が一にも起こり得る。
実際のところ、これまでは、香港においては言論の自由が保障されていた。執筆者が実施したインタビューにおいて、言論の自由に言及されたことがあったが、「香港の言論の自由が保障されている」とインタビュー相手は共通して述べていた。しかし、国家安全維持法のもとでは、言論の自由という、香港において確立されていた権利が、民主主義と同様に奪われているのである。
香港を対象に研究を進めている者として、執筆者はこの状況に危惧を抱いている。日本にいる私に何ができるのか。一つは、日本にいる私が自明視している言論の自由、民主主義を日々守っていくという思いを日々新たにし、その姿勢を能動的に保ち続けることだろう。

参考文献
Equal Opportunities Commission, 2023a, “FAQ-The Disability Discrimination Ordinance and I” (Retrieved January 6, 2023, https://www.eoc.org.hk/en/discrimination-laws/disability-discrimination/faq/the-disability-discrimination-ordinance-and-i).
Equal Opportunities Commission, 2023b, “Disability Discrimination”,
(Retrieved January 6, 2023, https://www.eoc.org.hk/en/legal-services/significant-court-cases/hong-kong/disability-discrimination).
後藤悠里,2018,「香港」長瀬修・川島聡編著『障害者権利条約の実施――批准後の日本の課題』信山社, 443-458.
Siu Kai Yuen v. Maria College, 2005, DCEO 9/2004, Hong Kong District Court (Retrieved February 10, 2023, https://legalref.judiciary.hk/lrs/common/search/search_result_detail_frame.jsp?DIS=44943&QS=%24%28Siu%2CKai%2CYuen%2Cv.%2CMaria%2CCollege%29&TP=JU).

謝辞
本講演をしてくださった香港平等機会委員会の朱崇文博士にお礼申し上げます。本原稿に対し、貴重なコメントをくださった高雅郁氏、田中恵美子氏、土屋葉氏に感謝します。本講演会は、障害学会の後援を受けて行われました。本講演会は、科学研究費補助金基盤研究(c)「障害女性の生きづらさの実態と解消方策の検討―制度の実効性に関する東アジア比較―」(19K02047)の助成を受けています。