中国と”Nothing About Us Without Us” ――障害学国際セミナーへ

長瀬修 2022年1月20日

 ちょうど10年前になる。振り返れば、それは機会の窓が開いていた時期だったと言えるかもしれない。2012年だった。金子能宏さん(国立社会保障・人口問題研究所)から、中国人民大学で行われる障害者に関する国際会議で社会保障について報告してほしいと話があった。適任ではないと最初は辞退したが、有難いことに再度お誘いをいただき、結局は北京に足を運んだ。会議で驚いたのは、出席していた中国の障害者リーダーが圧倒的多数の研究者を前に”Nothing About Us Without Us"(私たち抜きで私たちのことを決めないで)を訴えていたことである。

(中国人民大学にて筆者と故金子能宏さん:右)

 私は、DPI(障害者インターナショナル)アジア太平洋ブロック議長を務められていた八代英太さんのスタッフをしていたことから1980年代後半から北京を訪問する機会があり、DPIのメンバーである中国障害者連合会(半官半民)との付き合いがあり友人もいる。しかし、熱気のこもった”Nothing About Us Without Us”を中国の障害者から耳にしたことはなかった。そのため人民大学で、骨形成不全やアルビノのリーダーが、障害者権利条約交渉時に何度も繰り返された、障害者自身の参加を強くアピールする言葉を口にするのを目にした時は非常に新鮮であり、衝撃だった。

 官制でない中国の障害者運動との出会いには心を動かされた。この2012年6月末の会議での出会いから中国通いが始まった。この会議以来3年で10回、足を運んだ。尖閣諸島をめぐる問題で日中間の関係が悪化したのは2012年の夏であり、8月には中国各地で激しい反日デモが行われ、それ以前から微妙だった日中関係は非常に緊張した時期だった。しかし、この間中国で不愉快な経験をすることはただの一度もなかった。逆に大歓迎された記憶がある。反日デモの翌年の2013年の8月に初めて武漢を訪問した時だった。市民社会や障害者組織が中心となった若手障害者の研修合宿だった。ボランティアをしていた何人もの若い女性や男性から一緒に写真に入ってほしいと頼まれたのである。これだけ「人気者」だったのは空前絶後である。武漢で同時に開かれた会議では、市民社会からインクルーシブ教育に関する武漢宣言が出されている。

(武漢の名所、黄鶴楼)

 

(武漢での会議場)

 こうした出会いから日中の障害学に関する交流が始まった。尖閣諸島をめぐる緊迫した雰囲気の中で、“Nothing About Us Without Us”を訴えていた中国のリーダーたちに日本に来てくれないかと打診したら躊躇なく即座に快諾をもらった。それが実現したのが年明けすぐの2013年1月である。東京大学経済学研究科の「社会的障害の社会理論・実証研究プロジェクト(REASE)」(松井彰彦代表)主催の公開研究会だった。同年11月にもやはりREASEが中心となって別の中国の障害者リーダーを日本に招聘し公開講座を開催した。その機会に立命館大生存学研究所(当時はセンター)が来日リーダーを京都に招き、研究会を開催した。2010年から毎年、日韓で交互に開催されていた障害学国際セミナー(Korea Japan Disability Studies Forum)があったので立岩真也さんと私は日中でもそうした新たな交流ができないかと京都で打診したが、政治的問題から難しいという返事だった。そこで、障害学国際セミナーを日韓から日韓中に拡大することとした。そして、2014年11月には、ソウルでの障害学国際セミナーに初めて中国グループが参加し、翌2015年には北京で障害学国際セミナーが初めて開催された。その時点で英文名称は現在の”East Asia Disability Studies Forum”へと変更した。そのため2016年から台湾グループが加わっても、英文の名称変更も必要なかった。

 その間、障害学会大会(2014年11月:沖縄国際大学、岩田直子大会長)のプレ企画として、「シンポジウム 東アジアの障害学のネットワークに向けて」が2014年10月に沖縄国際大学で実現している。障害者権利条約の中国の初回審査(2012年9月)に共にパラレルレポートを提出した、ワンプラスワン障害者文化開発センターとイネーブル障害学研究所の代表を招くことができた。堀正嗣学会会長が出席されたこと、沖縄自立生活センター・イルカ訪問、そして平和学習に取り組んでいる沖縄の高校生がひめゆりの塔に案内してくださったのが特に印象に残っている。

 この時期の中国の障害分野の大きな動きは、2012年9月に実施された障害者権利条約の初回審査である。国際的にも注目度が高く、国際障害同盟は同年春に香港で、審査に向けたワークショップを開催している。その成果として前述の二つのパラレルレポートが提出された。初審査を受けての国内の対応について「竜頭蛇尾」という言葉を使う中国のリーダーがいるが、それだけ期待が大きかったことの裏返しかもしれない。

 10年前に北京で耳にした“Nothing About Us Without Us”を忘れたくはない。数か月後の尖閣の問題の沸騰を考えると、少し時期が違っていたら、この出会いはなかったかもしれない。振り返ってみると隔世の感がある。2012年11月に現政権が登場してから潮目は変わったことは明らかだ。障害者組織による若手障害者リーダーを対象とした研修合宿も2015年を最後としてそれ以降は開催されていない。日本に招いたリーダーが帰国後、警察に呼び出されたこともあった。2017年1月からは外国NGO規制法が施行されている。今年2022年夏に中国の第2回目の審査が予定されているが、中国の市民社会からのパラレルレポートは一本も提出されていない。しかし、現在も窓は完全には閉じられてはない。開いている部分がある。”Nothing About Us Without Us”を訴える中国の障害者の肉声が日本を含む東アジア、そして世界に届くチャンネルの一つとしても障害学国際セミナーはあるのかもしれない。

関連サイト:

「武漢―障害学国際セミナー、桜、水餃子」REDDY:エッセイ (u-tokyo.ac.jp)