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自閉症児の親の会(日本自閉症協会)の前史的活動に関する一考察

――1964年設立の三重県あすなろ学園とその親の会関係資料から

植木 是(大阪大谷大学/立命館大学大学院)


1. はじめに

1.1. 1960年代の親の会=家族会の成立過程
 1987年に現在の日本自閉症協会へと名称変更した自閉症児の親の会の前身は1967年発足の「自閉症児親の会」(別称;自閉症児を守る会/自閉症児親の会全国協議会)である。日本においても1960年代は種々の社会運動が隆盛を極めたといわれるなかで、「親・家族の運動」について「筋ジストロフィー/重症心身障害児」とその周辺のながれを概説したものに社会学者の立岩真也による論考がある。立岩(2018: 40-42)は「なくなりそうなものを守る運動と異なり、何もないところに新たに作る(作ってもらう)運動でもあったから、より多く、その手段として、予算を左右できる有力な政治家への陳情というかたちをとることになる。そうした性格がとくに強かった」と、重症児の親の会の特徴を的確に捉えている。
 本稿で取り扱う「自閉症児の親・家族の運動」も同じく1960年代のよく似た文脈の中で語られるものの1つであり、自閉症児の親の会も上にみた重症児の親の会と類似の動きをすることに特徴がある★1。重症児親の会を背景にして成立してきた重症心身障害児施設でも一際処遇が困難といわれたのは、いわゆる「動く重症児」=「自閉症児」である。自閉症問題に詳しい精神科医の小澤勲はそれを「動く重症児問題」として、いくつかある「自閉症処遇前史」の1つとして例示している(小澤 [1984] 2007: 404)。
 
1.2. 自閉症児の親の会(前身組織とその源流)
 上にみた動く重症児問題は、1967年に発足した自閉症児の親の会=東京の親の会および全国の親の会(全国の親の会の事務局を東京の親の会に設置)の源流にあたる、あすなろ学園の親の会(その前身組織が1964年に発足)の会報(あすなろ学園資料 1966)においても断片的に確認できる。次のようである。

    ……主な意見について……〇いかに世間の人が自閉症について知らないか(ママ)厚生大臣でさえ重症心身障害児施設から(自閉症児を)閉め出すようなことをいっている.このような子どもたちをもった私たちが子どもの症状について知らせ訴えていくことが自閉症の世間の理解に役立つことではないか./ などの意見が出され(ママ)これらのことを含めて雑感を書きましょう(ママ)という結論になりました./……・各地の親の会の動きなど情報が得られる限り文集に織り込む(あすなろ学園資料 1966、()内は筆者)

1.3. 資料・方法
 上にみたあすなろ学園資料(1966)は、筆者があらたに発見した資料(群)(あすなろ学園資料 1964a ; 1964b ; 1964c ; 1964d ; 1965 ; 1966 ; 1967)のうちの1つである★2。本稿では主にこの資料(群)を中心に分析した結果を報告する。なお、本稿では障害学会の定める倫理的配慮が適正になされている。
 
2. 結果
 
(1)先にみた資料の分析から、1964年8月1日に行なわれたあすなろ学園職員の呼びかけにより全国各地から治療に訪れていた自閉症児の親の会が結集されたことが明らかとなった。
(2)あすなろ学園の「親の会」の、名称変遷を伴うながれは次の①~⑥のとおりである。()内に、当該資料の作成年月日を記す。
 
①「あすなろ学園父母と職員の懇談会(案内書)」(1964年8月1日)→②「あすなろ学園父母と職員の懇談会(通知書)」(1964年8月11日)→③「あすなろ学園職員と保護者の会(議事録メモ)」(1964年8月11日)→④「あすなろ学園と保護者と職員の会(会則)」(1964年8月11日)→⑤「あすなろ学園保護者と職員の会(収支明細書)」(1965年4月20日)→⑥「あすなろ学園保護者と職員の会(会報)」(1966年5月23日)

(3)以下の項にて資料の詳細の一部と、その関連事項及び特徴を概観・整理して示す。

2.1.  1964年8月1日案内書「あすなろ学園 父母と職員の懇談会開催について」
 1964年8月1日付けで、あすなろ学園の「父母と職員の懇談会」に関する案内書が作成された。この案内書は手書きで、著者不明のものである。そこには次のようにある。

 あすなろ学園 父母と職員の懇談会開催について/ ……/学園では子供たちは元気に勉強したり遊んだりしております./さてこの度あすなろ学園で子供たちのため御父母と職員懇談会を左記の如く開催いたしたいと思いますので必ず御出席賜りますようお願いします./ 記 /日時 八月十一日(火)午前十時/場所 三重県立高茶屋病院 本館日本間(ソーシャルセンター内)/議題/一(ママ) 職員紹介 (筆者注:メモ書きで「進行 紹介 院長」と追記がある★3)/一.父母と職員の会設置について/ (一)派遣教員の問題について 諸機関に情緒障害児治療教育に関する理解を深めるべく務めること./ (二)その他の問題について 学園のよりよい発展のために皆様と考え促進していきたいと思います./(三)子供についての話し合い 家族でお困りになっている(ママ、下線引き跡あり)問題を皆様と共にお話し出来れば幸甚です.…… 昭和三十九年八月一日/ 三重県立高茶屋病院内/ あすなろ学園 職員一同 (あすなろ学園資料 1964a)

 このように、親の会の結成のきっかけとしてこの案内書―あすなろ学園職員の呼びかけ――の存在が確認できる。

2.2. 全国親の会の結成
 本項では1.3でみた資料(群)にある「自閉症児の教育施設の整備に関する陳情(全国親の会)(1967年7月)」の最後の部分「自閉症児親の会の現状」(あすなろ学園資料 1967: 8-9)について、その詳細をみていく。それには次のように記されている。

 一、沿革/ 自閉症児親の会は、昭和四十一年十二月、日本総合愛育研究所、三重県立高茶屋病院内あすなろ学園、東京都立梅ヶ丘病院、東京(私立)栄光幼稚園、慶應大学医学部、社会福祉法人嬉泉こどもの生活研究所、東京医科薬科大学、東京大学医学部分院、日本社会事業大学こども相談室、武蔵野日赤こども相談室、都立三鷹教育研究所(五十音順)等に於いて、自閉症児と診断・治療をうけている者の母親四十余名が自発的に集まり、この子供達に適切な治療と教育の場を与えてほしいと、手をつなぐべく起き上がったのがその母胎であります。/ 昭和四十二年一月十五日発足準備会をひらき、設立大会にそなえ、更にひろく呼びかけを決議し、二月二十六日は、常陸宮、同妃殿下をお迎えして設立大会をひらき、正式に「自閉症児親の会」として発足しました。/ 顧問三名、相談役三十七名、会員は東京、神奈川、埼玉、千葉を中心として二百三十三名(児童数)であります(あすなろ学園資料 1967: 8)

 文献等によっては、日本自閉症協会の前身団体に関しては、名称の理解や、結成の年月日をどの時点に位置付けるかに若干の差異がみられる★4。とはいえ、上でみた全国親の会の初めての「陳情書」(=同組織による公的文書としての取り扱いに相当する)によれば、次のように整理できる。
 
  ・(公的)名称;「自閉症児親の会」
  ・自発的集まり;昭和41(1966)年12月(母親40余名)
  ・発足準備会;昭和42(1967)年1月15日
  ・設立大会;昭和43(1967)年2月26日(東京都)
 
 ここでの「設立大会」の時点で、正式に「自閉症児親の会(=いわゆる自閉症児親の会全国協議会)」が、同時に結成された東京の親の会を事務局として発足した。この発足以降、「自閉症児親の会」は全国組織(全国親の会)として更なる展開を目指していく。
 この陳情書からは各地区の親の会のようすがわかる。

  ……会員は現在、東京、神奈川、埼玉を中心として……北海道、仙台、静岡、名古屋、大阪、神戸、あすなろ学園等の各地区の親の会とも連絡をとつていますが、今後も足並みを揃えて進み、近い将来、纏つて全国組織をつくるつもりであります。/ 賛同者数 一万八千名(あすなろ学園資料 1967: 8-9)

 陳情書の表紙には「陳情者/ 自閉症児親の会代表/文京区……横山佳子/ 他 一八〇〇〇名」とあるが、上でみた最後の部分から会員構成として、自閉症児は「現在二三三名(児童数)」、地区組織は自閉症児親の会の事務局を担う東京都を除くと、10つの地区と9つの地域名が確認できる(あすなろ学園資料 1967: 8-9)。そして「あすなろ学園」のみ施設名となっている。これは当時あすなろ学園が全国唯一の自閉症施設であったことの証左である。また、あすなろ学園は三重県立高茶屋病院の分院施設であるが、当時から県内利用に限らないことで知られており、親の会の全国組織化の段階でも地区の親の会ではなく唯一の〈施設の親の会=全国から集まってきた親の会〉として独自の存在感を示していたことが確認できる。親の会の全国組織化に関してもあすなろ学園親の会とそれを側面から支えた職員はその中核をなすものとして関わっていたことが推察される。

2.3. 小括
 1960年代における自閉症児親の会の成立過程は次の(1)~(3)のように整理できる。

(1)当時は数少なかった専門機関・専門医――三重県立高茶屋病院・あすなろ学園と児童精神科医・園長の十亀史郎ら――のもとに東京、大阪、愛知などの大都市圏を含む全国各地から自閉症児の家族が集まってくる。
 1964年8月1日にあすなろ学園職員の呼びかけにより、親の会=「職員と保護者の会」、「学園と保護者と職員の会」、「保護者と職員の会」(名称表記の揺れあり)が結集される。 
(2)東京都の親の会結成に向けて、あすなろ学園親の会で力をつけた親たちを中心に自らの力で設立していく。
 1967年2月26日に東京都自閉症児親の会が発足する。 
(3)東京都の親の会が全国の親の会の本部事務局を担う。
 1967年2月26日に、東京都自閉症児親の会発足を機に協議会として全国親の会=「自閉症児親の会」(別称;自閉症児親の会全国協議会)が発足し、全国組織化を達成する。 

2.3.1. 当時の親の証言
 岐阜県自閉症協会の設立メンバーで講談社から刊行された『あすなろの祈り』(1970)で知られるあすなろ学園親の会の押尾玲子(1970)の手記を参照してみる。
 
(1)押尾(1970)は次のようにあすなろ学園黎明期の親の会のメンバーを述懐している。以下の証言から、月1回全国から集まるあすなろ学園の親の会の例会があったことが明らかである。

  必死に求める救いの道/……出生地は広範囲……遠く中国地方や四国から、さらには北海道まで加わり、まことに多彩であった。このような場所がどこにも見当たらなかったからである。いかに親が必死に救いの道を求めたかがこれだけでもわかっていただけよう。……「お近くてよろしいわね」……当然のことだ。北海道や四国から見たら岐阜など隣のようなものである。月一回の例会(=あすなろ学園親の会)に出席するだけでもたいへんなことであろう……日本の首都であり、政治、経済、文化の中心である世界的な大都市は、少なくともこの時点で医療や社会福祉の面で中心とならなかったようである……東京組みはいつも二人ないし三人で前日の夜行に乗って面会に来られていた(押尾 1970: 275-276、()内は筆者)

3. まとめ

 あすなろ学園の自閉症児の親の会は、1967年の東京および全国の親の会発足以前、1964年から存在していた。日本で唯一の自閉症の専門施設であるあすなろ学園には東京を含め全国各地から自閉症児の親たちが必死に救いの道を探して辿りつき、発足当初は職員の呼びかけをきっかけに、しだいに組織化されていったことがわかる。そしてそれぞれの家庭の困りごととそれぞれの地元の状況、すなわち全国各地の自閉症支援の問題について話し合うことが出来る数少ない場所であったといえる。同じような悩みを抱える家族たちが集まり話し合うことができるあすなろ学園のような場所・施設づくり――自閉症支援を考える拠点としての施設づくり運動――の必要性について、月1回の例会の場で話し合いが始められていたことが推察される。その詳細及び周辺についての検討は今後の課題とする。

文献

有吉玲子,2013,『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』生活書院.
あすなろ学園資料,1964a,「1964年8月1日案内書「あすなろ学園 第一回 父母と職員の懇談会開催について」」.
――――,1964b,「1964年8月11日通知書「あすなろ学園 第一回 父母と職員の懇談会開催について」」.
――――, 1964c,「1964年8月11日議事録メモ「あすなろ学園 第一回あすなろ学園職員と保護者の会」」.
――――, 1964d,「1964年8月11日「あすなろ学園と保護者と職員の会の会則」.
――――, 1965,「1965年4月20日「あすなろ学園保護者と職員の会 収支明細書」.
――――, 1966,「1966年5月23日「あすなろ学園保護者と職員の会報(1966年4月総会報告/〃年5月例会報告)」.
――――,1967,「自閉症児の教育施設の整備に関する陳情(全国親の会)(1967年7月)」.
CANPAN,「一般社団法人日本自閉症協会」(2017年10月4日 10:28更新),
https://fields.canpan.info/organization/detail/1361933342 ,(2021年8月1日、確認・取得).
石丸晃子,2002,「わが国の自閉症児・者処遇の歴史」,吉川正義,2002,『自閉症・学習障害を追いかけて 母の目、記者の眼』ぶどう社:117-124.
北村健太郎,2014,『日本の血友病患者の歴史 他者歓待・社会参加・抗議運動』生活書院.
久保紘章,1970,『自閉症児とともに ―自閉症児をもつ家族の記録―』ルガール社.
日本自閉症協会,ホームページ,「会長挨拶」, http://www.autism.or.jp/organization05/president-201604.htm (2021年8月1日、確認・取得).
押尾玲子,1970,『あすなろの祈り』講談社.
小澤勲,[1984]2007,『自閉症とは何か』洋泉社.
立岩真也,2018,『病者障害者の戦後 生政治史点描』青土社.
吉村夕里,2009,『臨床場面のポリティクス――精神障害をめぐるミクロとマクロのツール』生活書院.

★1 その他日本におけるこの種の動きとその周辺についての研究は種々あり、例えば北村(2014)は患者およびセルフヘルプ・グループの諸研究を受け継ぎ日本の血友病患者の歴史を明らかにしている。また例えば精神障害者の家族会の研究では吉村(2009)、また腎臓病と人工透析の患者会の組織化に関する研究では有吉(2013)がある。
★2 筆者はあすなろ学園の年長児者問題から派生し、あすなろ学園の最後の親の会会長西村博機氏(現・おおすぎ理事)が自閉症総合援助センター施設法人設立発起人会の会長をつとめる「おおすぎ・れんげの里」の立ち上げスタッフとして活動してきた。これにかかる親の会と施設関係者との協働的実践的交流(市民活動/施設設立運動、家族/当事者活動支援)についての詳細・経緯については別の機会に論じたい。ちなみに2019年度は岐阜県自閉症協会50周年、2020年度はおおすぎ20周年の節目でもあった。これまでともに活動・研究してきた仲間、親の会・おおすぎ連合保護者会会長で発起人会宮本隆彦氏(現・おおすぎ評議員)、あすなろ学園親の会元役員・あさけ学園親の会役員の岐阜県自閉症協会会長・水野佐知子氏(元・檜の里あさけ学園評議員)、他、親の会・施設関係者の皆様には記して感謝申し上げ今後の活動・研究へとつなげていきたい。
★3「院長」とは井上正吾(精神科医)のこと。
★4 例えば日本自閉症協会ホームページにある「会長挨拶」(会長は精神科医で、自閉症児の親でもある市川宏伸)における、協会の設立の経緯にかかる箇所では「1968年」に設立とある。そこには次のようにある。

    自閉症児を持つ親たちがそれぞれの地域で親の会を結成し、1968(昭和43)年「自閉症児親の会全国協議会」として全国組織を発足、その後法人化されて日本自閉症協会となりました。2018年には創立50周年を迎え、創立式典にもご臨席いただいた常陸宮殿下を再びお迎えして創立50周年記念式典を行うことができました(日本自閉症協会 2021)

 他方、「NPOなどの公益活動を実施している団体に関する全国規模のデータベースです。法人格にかかわらず登録することができます」という趣旨のもとで、該当する団体が登録・情報公開している市民活動サイトCANPANの、2017年10月4日10時28分時点での登録情報には、「「昭和42年」=1967年から活動を始めた自閉症児・者(ママ)親の会全国協議会」とある。このサイトには次のようにある。

一般社団法人日本自閉症協会/会長 市川 宏伸(代表者兼職 日本発達障害ネットワーク理事長 日本自閉症スペクトラム学会会長)/設立以来の主な活動実績/自閉症児・者に対する援護・育成を行うとともに、自閉症に関する社会一般への知識の普及をはかり、それによって自閉症児・者の福祉の増進を目指しています。その前進(ママ)は昭和42年から活動を始めた自閉症児・者(ママ)親の会全国協議会で、平成元年に現在の社団法人の認可を受けました。また、平成26年4月に「一般社団法人日本自閉症協会」として新たな展開をすることになりました【2017年10月4日 10:28更新】(CANPAN 2021)

 社会福祉学者の久保(1970)によると、〈「昭和42年」=1967年2月「東京親の会」→「同42年」=1967年8月「全国組織への道が開かれた」→「翌四三年」=1968年5月「協議会として発足」〉と整理できる。久保の著書には次のようにある。

自閉症児の(ママ)親の会全国協議会とは// 昭和四二年二月、東京における親の会の結成が一つの推進力になって提唱され、同四二年八月二七日、当時結成されていた神戸、大阪、名古屋、静岡、東京等五つの会の代表が大阪に集り、各地親の会の情報交換およびこれからの運動方針が討議され、全国各地親の会の情報交換およびこれからの運動方針が討議され、全国組織への道が開かれた。/ 翌四三年五月一九日、常陸宮殿下・妃殿下の御臨席のもとに開かれた東京に於ける第二回全国大会を機に「協議会」として発足し、全国社会福祉協議会に加盟し、他の障害児との連携をはかりながら運動を展開している(久保 1970: 272)

 しかし、このような久保による解説の典拠は記載がなく不明である。元・あすなろ学園の親の会役員で1967年の東京親の会及び全国親の会の発足メンバーでもあった、当時のあさけ学園理事長・日本自閉症協会副会長・全国自閉症者施設協議会会長である石丸(2002)によれば、親の会の設立経緯は次のようなものだったという。

どこにも居場所がなく、「これでも私たち親子はこの国の国民なのだろうか」との思いを抱えた親たちの集まりが各地に出来た。/ 東京では社会福祉事業大学(ママ)の一室で初めて出会った様々なグループの親たちが、子どもたちのために何をしたら良いのか、再三話し合った末、手探り、子連れ、手弁当で親の会設立の準備を始める。その後、石井哲夫先生のご厚意で世田谷の子どもの生活研究所に置かせて頂いた事務所が活動の拠点となった。/ 一九六七年二月、どんなに重い障害であっても子どもたちが受け容れられる住みやすい社会を目指そうと、東京に全国の親たちが集まり、自閉症児親の会が設立された(石丸 2002: 117)

 ここには、「1967年2月」に「東京に全国の親たちが集まり、自閉症児親の会が設立」とある。
 自閉症施設の設立過程では親の会が支援者とともに既存の国の制度にないものをつくり、例えば2002年度の自閉症・発達障害支援センターのモデル事業化(後の発達障害者支援法では発達障害者支援センターとして全都道府県・政令市に必置・制度化)、2005年発達障害者支援法などの制度化に貢献してきた。法人独自の運営努力により既存の施設の基準以上の取り組みを実施・展開することを目標としてきた自閉症施設は、設立以来運営が困難を極めているという歴史がある。
 ここで議論する親の会の設立年の位置づけを巡っては、先にみてきたように論者によって若干の認識の差異はある。しかしながらいずれにせよあすなろ学園黎明期の親の会、東京親の会および全国の親の会、施設づくり運動の発足以来の中心メンバーであった石丸(*2017年没)の実践にはあらためて注目していく必要があると考えられる。ちなみに全国の親の会=自閉症児親の会(「自閉症児を守る会」と表記の場合もあり。機関紙内で表記の揺れあり)の全国機関紙『いとしご』創刊号は1967年である。
 その他、関連する機関紙等による更なる詳細な分析は別の機会とする。


■質疑応答
※報告掲載次第、9月25日まで、本報告に対する質疑応答をここで行ないます。質問・意見ある人は2021jsds@gmail.comまでメールしてください。

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